部長のあいさつです。

世界遺産のまち 高野山 で活動する高野町商工会青年部
HOME > aisatsu

IMG_1560.JPG

部長のひとりごと。

2014-06-03

高野ねぶたについて

つらい…。体がきつい…。
齢を重ねる度に毎日の作業がしんどくなる・・・。

たぶん高野山に数ある「長」のなかで1,2を競う大変な「長(部長)」だと思う。本年39歳。来年の卒業を前にしてこの厳しさはまさに修行だ。
これが終われば「ろうそく祭り」。そして今年は来年の開創1200年法会を前に「高野山文化との融合」「生業から商いへ」をテーマに
全国に高野町商工会青年部をPRしに行きます。

体よもってくれ~!
でもつらいことばかりでもないんです。こうやってみんなに支えてもらって活動をさせてもらていることは僕にとっては本当に貴重な経験ですし、たぶん終わったときはものすごい財産になっているはずです。だから最後までみんなの前では弱音を吐かずにヤリキリたいと思います。(2011.6.10writes.)


直前部長のコメント
できることがあったらなんでも言うてよ~


高野町商工会青年部はいつでも全員野球!誰かが、あの人が、俺と違っても、などということはありません。常に「誰もが」どうすればこの事業がうまくいくかを考えて、とにかく自分が動くことを考えています。だから部長だけが、実行委員長だけが孤軍奮闘しているわけではありません。部員と役職のあるものとの違いは責任感だけ。(それが一番しんどいという声もありますが…)全員一致団結して高野町のために邁進するのみ。

なぜなら、みんな高野が好きだから。

ページトップへ

日々思うこと

2014-06-03

事業ってなんやろ

当たり前のように毎年ねぶたを作って、ろうそくを並べて、ハイキングの段取りをして、研修に行って…。
なんで毎年同じことを繰り返していることに違和感を感じへんのやろ。目的は一緒でも手法を変えることは何の問題もないはずなのに、なぜか毎年同じことを繰り返している。すべての事業が継続事業で、やり方もやっている内容もその時に必要な資料までもが毎年同じ。
何かおかしい。商売人として、若者として、前年踏襲型事業展開は進歩の妨げと最良を求める姿勢にとって障害以外の何物でもない。(と思う)この団体は役所ではない。何かに縛られているわけではない。常に進化し、常により良いものを求める姿勢が根本にあるからこそ商売というのは発展していくわけで、だからこそ「あきない」というのだと思う。特に黙っていても「お大師さん効果」で人が集まる高野山のような「観光地」の商売人は、戦う相手を「自分自身」に設定しなければならないのではないか。昨日の自分よりいいものを作る今日の自分がいないということは、そこで商品も商売もサービスもすべてが停止状態。競争相手がいないから、人を呼び込んでくる必要がないから、余計に努力の方向を見いだせないでいる。新しいやり方が100%正しいとは思いません。ただ新しいことに挑戦することを、「若い今のうち」にやっておかなければ、年齢を重ねた後ではもっとできなくなってしまう。

事業ってたぶんそういったことを体感するためのものでもあると思う。まちを盛り上げたいのも「やる理由」。日頃のまちへの感謝を表現したいのも「やる理由」。でも事業の中で自社の可能性を見出したいのも「やれる理由」ではなかろうか。会社では失敗は極力避けたいところですが事業では挑戦して失敗することもできる。(決して事業を軽視しているわけではありません)でもそれすらしなければただの事業遂行マシーンになってしまう。町全体の利益を考えることとともに、自身あるいは自社の利益も考えて事業を展開することが一番望まれる。(2011.6.13writes.)




ページトップへ

部長の憂鬱。

2014-06-03

前夜祭について

前夜祭が無事終わった。よかった。大きな事故もなく。ただ…

今回ご参加いただいた一般の方からてんこ盛りの苦情が…

部長というのは代表でありますから、単にその場で個人的なことを言っても、それが部全体の意見になりかねず、返答に時間を要しました。これがアダに!
「いつになったら返事がくるねん!」
「いや、役員会で反省会をしてから…」
「こっちは時間がないねん!etc.」
など、多くのご意見をいただきました。すべて前夜祭をより良くしてくれようとおっしゃっていただいているのは重々わかるのですが、いかんせん、ねぶた製作のためにすべての用事(仕事も含め)を6月15日以降に回していたため、なかなか会合を開けなかったわけです。お互いがもう少し歩み寄れて、高野山全体で弘法大師のご生誕をお祝いできればいいなと思いました。

ページトップへ

次はろうそく祭りか…

2014-06-03

祭りのためにまつりか?

なんやろなぁ。祭りをするために会議をして、祭りをするために行動をして、これでホンマにええんやろか。何のために祭りをするのか?という大前提が抜けてきているような気がする。あって当たり前と思っていることにも危惧するし、やっているメンバーの一人一人が何のためにやっているのか?というプリンシプルというか根本がなくなってきているような気がする。ただただ、惰性で、ただただ偉大なマンネリに踊らされている今の現状で、これからの未来があるとは到底思えない・・


ページトップへ