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世界遺産のまち 高野山 で活動する高野町商工会青年部
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女人道めぐりハイキング事業廃止

2014-06-03

平成25年度をもちまして女人道めぐりハイキングは終了しました。

毎年10月第4日曜日に開催をしておりました女人道めぐりハイキングを
誠に残念ですが25年度をもって廃止いたしました。

一番大きな理由としまして、よくある話ですが予算上の問題です。

年間30万円前後の予算を付けておりましたが、参加者数の減少が顕著になり
費用対効果とそもそもの本事業の目的の達成度から鑑みて、
楽しみにされている方々が残られていることは理解しつつも
廃止を決定いたしました。

※女人道めぐりの目的:この祈りの道を多くの方に知ってもらいたい。

しかしながら、ハイキング事業は廃止いたしましたが、
今後は違った形で高野山に住む若者として女人道に関わる事業を
展開していきたいと考えております。

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高野ねぶたとは。

2014-06-03

自らの手で自らの住む町を盛り上げたい若者。

高野山という地はその歴史は1200年を迎えようとしています。
しかし、住民の歴史は?と言われると、実は1904年(明治37年)から始まり、非常に浅いものです。
現在の高野山在住者で、商工会青年部の部員たちは大凡、住民3代目の世代になります。

そんな世代の1世代前、住民2代目の若者が立ち上がり、

「自らの地域は自らが活性化しないといけない!」

そんな気概のもと6月上旬の日曜日にやり始めたのが「歩行者天国」通称ホコテン。
原宿のホコテンをモチーフに始めたものの、日曜の昼間は仕事をしているため
準備に手間取った?ということが一つと、28年前の金剛峯寺納所さんに言われた
「高野山はそんなことをしなくても歩いているまちです」
「もっと若者らしく、15日の前夜に盛り上がることを考えなさい」
と、ホコテンを廃止。

そこで始まったのが「高野ねぶた」です。
右も左もわからず見よう見まねで始めたねぶたは当初、「竹」で製作を始めました。
ところが、思うようにいかず、ねぶたの本場「青森ねぶた」に教えてもらい
今の「針金」を曲げて作ることが始まりました。

以来、今年で28作目になりますが、当時の気概と志を受け継いだ
3代目住民が(2代目の息子が多い)日夜、製作に励んでおります。

大切なことはねぶたを作ることではなくて地域を活性化させること。





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女人道は祈りと愛の道。

2014-06-03

慕い人は目下にあり、心を込めて歩いて出来上がった道。

女人道とはなんぞや?

高野に住む我々にとって当たり前の女人道。
昔、女人禁制の時に高野山まで歩いてきた女性が、踏み入れることのできた最後の道。
7つあった女人堂どうしをつなぐ道。

そんな感覚で普段から接していますが、
私は最近、女人道は祈りの道であり、「愛」の道ではないのか?と思っています。

出家をして高野山での修行に入った男性を慕い、全国から慕い人に想いを寄せて
高野までたどり着いたものの、女人禁制であったがために山内に入ることは叶わず、
それでも少しでも近くまで行きたい、そんな思いが綴られ、高野山の外周を回る
「女人道」になったのではないか?そんな気がします。

そう考えるならば、山内を見下ろすことのできる「ろくろ峠」は
愛を叫ぶことのできるLOVEスポットであったのかもしれませんね。

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