http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/qed/p0502b.html#p050211a
空気というのは厄介な代物だ。人は空気がなければ生きてはいけないが、時には空気の圧力のせいで息苦しさを感じることもある。何しろ相手は目に見えず手で掴むこともできない奴だから、抵抗もままならない。下手に騒ごうものなら、「被害妄想」だの「陰謀論」だのといった罵詈雑言の嵐となる。また具合の悪いことに、暴言を吐くのは空気そのものではなく(当たり前だ。空気がしゃべるわけがない)、空気に馴染んでそれを何とも思っていない人々だから、反論しようが説得しようが空気そのものには何の影響もないのだ。まさにのれんに腕押しだ。
そんなこんなで私は今日、「空気」という意味の英単語をタイトルにもつ映画を見る予定なのだが、映画館近くの空気が不快だったらさっさと逃げるつもりだ。
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今日は
の三本立てでお送りする……余裕はないので、最初の話題に限定する。
今日、久しぶりに映画館で映画を見た。たぶん1年半か2年ぶりくらいだ。見た映画は『AIR』だったのだが、既に多くの人が感想を述べているので、多くは語るまい。「もし劇場版『AIR』の監督が出ア統だったなら、こんな映画になっていただろう」と言っておけば十分だと思う。
その後、いろいろ紆余曲折あり、『私の優しくない先輩』(日日日/碧天舎)を読んだ。『AIR』を見たのと同じ日に『私の優しくない先輩』を読んだのも何かの巡り合わせだろう。いい読書体験ができて幸せだ。
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昨日の続き。今回はメイドさんと牛丼のお話だ。
が、その前に劇場版『AIR』について一言だけ言わせてほしい。台風を伴った低気圧ってどうよ。
さて、昨日は石野休日氏にそそのかされてすすめられて心斎橋くんだりまで『AIR』を見に行ったのだが、私たちが映画館に着いたときには初回上映分は満席だったので、午後の整理券だけ買って一旦その場を離れたことであった。
お昼時だった。
せっかくだから1年ぶりの牛丼でも食べて織姫と彦星の心境でも忍ぶことにしよう、という話になり、御堂筋を南下して道沿いの吉野家に入った。ここの1枚目の写真はその時のものだ。
2枚目の写真はとばして。
3枚目の写真が今日の話題に直結しているので、ちょっと詳しく説明しよう。
そもそも、昨日私が石野氏と会ったのは、何も『AIR』のためというわけではなく、とある極秘の打ち合わせを行うためだった。どれくらい極秘かというと『王を探せ』の犯人の名前くらい極秘なのでここには書くことができない。ともあれ、その極秘の打ち合わせのためには実施検証がどうしても必要であった。
『AIR』の後、半ば茫然自失状態のオタクたちと心の中で熱い握手をしつつ、そごう前(現在再建中!)から道頓堀、法善寺横町、道具屋筋を経て、南海難波駅近くのメイドカフェ CCOちゃへと赴いた。
メイド喫茶業界は長らく東高西低であったが、昨年10/16にこのCCOちゃがオープンし、続いて今年1/8にCafe Doll、さらに2/6にe-maidと続々開店が続き、日本橋界隈も数年前の秋葉原のようになりつつある……と書くとこの種の情報に通じているようだが、今この文章を書くために調べただけで、昨日の段階では、日本橋付近にメイド喫茶が3店舗あるらしいという程度のことしか知らなかった。当然、所在地など知るわけもなく、勤務先が日本橋にある石野氏だけが頼りだった(その石野氏もCCOちゃしか知らなかったそうだ)。
さて、CCOちゃのアクセスマップを見てもらえばわかるが、セブンイレブン前の通りは南側にJTがでーんと鎮座しているため、オタク的な賑わいがあまりない。通りの北側の雑居ビルにはいくつか小さな店があったと思うが、私の巡回路からは外れている。しかも、CCOちゃそのものは、その通りから少し入った袋小路の奥にあり、自力では探し当てるのが難しかっただろう。ここの3枚目の写真はCCOちゃ入口付近を撮影したものだ。左上にある白黒ぶち模様で「AV牧場」と書かれた看板は隣のDVDショップのものだが、昨日は営業していなかったようだ。というか、ここしばらく店を開けていなさそうな雰囲気だった。昨秋にこの界隈で桜吹雪が吹き荒れたそうなので、それ以降閉まっているのかもしれない。
まあ、そんな事はどうでもいい。ポイントは画像中央の黒板だ。本日限定4食
というのがいかにもアレだ……。
だが、真に驚くべきなのは、この限定メニューではない。店のドアをあけて中に入り、お約束の「お帰りなさいませ」を聞きつつレジ横のテーブルを見ると、な、な、何と!
あ、しまった。見出しでネタをばらしてしまっている。
そこには、牛丼を食うメイドさんの姿があった。
後に石野氏はこっちの店は早いうちに潰れるんじゃないかな、とは思った。
と語っている。だが、私の考えはちょっと違う。これこそ新時代のメイド喫茶なのではないだろうか。
そもそもメイド喫茶というのは一種の概念的混乱の産物である。喫茶店のウェイトレス服は大英帝国の落日とともに徐々に消えていったメイド文化の名残であり、たとえて言うならセピア色に変色したモノクロ写真のようなものである。だから、喫茶店にメイド文化を取り入れるのは、ちょうどモノクロ写真を彩色するようなものになってしまう。
世間一般のオタクたち(一部のコアなメイドマニアを除く)はこの混乱に目を背けてメイド喫茶巡りに興じているわけだが、だからといってメイド喫茶がはらむ根源的な矛盾が解消されたというわけではない。メイド喫茶とは、いわば常に危機に瀕した業種なのであって、その意味では探偵小説と同じだといっても過言ではないのだ。
それはともかく、メイド萌えブームは既に去り、いまや萌えそのものが風化しつつある。そんな時期に新たにメイド喫茶を出店しようというのだから、それなりの戦略があるはずだ。これは私の想像に過ぎないのだが、CCOちゃの戦略とは、ずばりメイド喫茶のパロディではないか。そう考えると吉野家の牛丼にドリンクをつけて売ってみたり、客席と同じフロアに衝立もなしにメイドさん休憩用(?)のテーブルと椅子を置いてみたり、場違いな背広姿の男が場を仕切っていたり、メイドさんが牛丼を食っていたりする一連の事象の理由がよくわかるのだ。
いまや、「ぐうたらメイドさん」すら一つの潮流になっているのだから、牛丼を食うメイドさん店があってもいいじゃないか。牛丼がなければ豚丼をお食べ。
上述のとおり、石野氏はCCOちゃ以外のメイド喫茶を知らなかったのだが、新世界に向かって歩いている途中にちょっと横道にそれたところでCafe Doll(地図)を見つけた。こちらは特筆すべきこともない。
なお、日本橋第三のメイド喫茶(以前、ほかにもメイド喫茶らしき店があったそうだが、よくは知らない)e-maidも、地図を見るとCCOちゃのすぐ近くにあるようだ。
上で「パロディ」という言葉を特に何も考えずに使ったのだが、NaokiTakahashiの日記を読んでいると、この言葉についての註釈があったので、参考のためリンクしておく。文脈は全然異なるが、私も同人用語としての「パロディ」ではなく、元ネタの批判・解体・再構成を意図してやる
という意味でこの言葉を用いている。
またe-maidについては、ぶらくり雑記帳の2/10付の記事に外観写真つきのレポがあったので、参考のためリンクしておく。
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昨日の続き……だが、その前にズバリ言うわよ。(本と本屋と図書館に魅せられて)を読んでいただきたい。リンクをクリックするのが面倒な人のために要約すると、「文庫本は出版社別に並べるのではなく、著者別に並べるべきである」という主張が述べられている。確かに言われてみればそうだが、著者別に本を並べている書店は少ない。特に大型書店ではほとんど出版社別に並べている。
私はこの記事を昨日の朝、まいじゃー推進委員会!経由で知った。その印象が残ったまま大阪へ向かった。目的は『AIR』をみるためでもなければ、メイド喫茶巡りをするためでもなく、先日増刷されたファミ通文庫から出ている桜庭一樹の3冊のうち、初刷で買ってある『推定少女』以外の2冊、すなわち『赤×ピンク』と『Girl's Guard 君の歌は僕の歌』を買うためだった。もう一つ、『私の優しくない先輩』(日日日/碧天舎)を買うという目的もあって、かなり苦労したのだが、これはまた別の話。
心斎橋から道頓堀と法善寺横町を経て、まず最初に訪れたジュンク堂書店難波店で『赤×ピンク』は難なく見つかった。だが、『君の歌は僕の歌』は見あたらない。そこからひたすら書店徘徊を続け、もう何店回ったか忘れてしまった頃、とらのあななんば店でようやく『君の歌は僕の歌』を発見した。そこで買っておけばよかったのだが、何となく気分が乗らず、「見!」と一言呟いて堺筋へ。
堺筋はもともと大手家電店が軒を並べていたのだが、長引く不況と関東資本の進出により閉店や店舗統合が相次ぎ、その跡地にこれまでは裏通りにしかなかった業種がじわじわと進出するようになった。信長書店が表通りに大きな店を構えたのは何年前のことだろうか、ひどく驚いたことを覚えている。はてなのキーワードでは関西に展開するアイドル系DVD・書籍店舗。
とか関西でアイドルイベントを開催する代表としても知られる。
と書かれているし、EventChannelというサイトもあるので、最近ではその方面を重視しているのはわかるのだが、私のようなロートルにはどうしてもアダルトビデオショップというイメージが強い。実際、日本橋店(店舗情報・地図)も階上はほとんどアダルトコーナーになっている。
その信長書店日本橋店に向かって右隣がK-BOOKS大阪なんば店、左隣がアニメイト日本橋で、別に意図したわけではないだろうが信長包囲網を形成している感がある。もともと全然客層が異なっているので大勢に影響はないと思うのだが、一般向けのマンガとかライトノベルなどどんな店でも扱っている品目もあるので部分的に競合している。
さて、私の日本橋巡回路は堺筋の西の裏通りなので、ふだん信長書店の前を通ることはほとんどなく、仮に通ったとしても中に入ることはほとんどなく、中に入ったとしても2階から上にあがることはほとんどない。というか開店直後にざっと見て回ってから一度も行っていない。だが、昨日は『君の歌は僕の歌』を買うという目的があったため、勇気を振り絞って入店したのであった。なお、K-BOOKSにもアニメイトにも『君の歌は僕の歌』はなかった。
ライトノベルがあるとすれば1階だろうと思っていたのだが、その予想は外れた。そこで奥の階段を上ると、そこに海外小説の文庫の棚が待ちかまえていたのである。
著者別に本が並べられていた。
裏に回ると、そこは国内小説の棚で、やはりこちらも著者別だった。基本は五十音順だが、光文社文庫の江戸川乱歩全集は別扱いになっていた。そのほか、細かく注意してみると、いろいろと工夫の跡が見てとれた。
文庫の隣はもうアダルトコーナーになっていてノベルスは見あたらなかったが、ライトノベルはエスカレーターの隣に別の棚があった。そこで『君の歌は僕の歌』を見つけたのでレジに持っていくと、店員が次のように言った。
「いやぁ、最近この人、人気ありますねぇ。エンターブレインからデビューした頃はほとんど売れなかったのに」
「(信長書店でも桜庭一樹が売れてるのか、という驚きを隠しつつ)そうですね。富士見でヒットしてますからね」
「そう、『GOSICK』ね」
私が店員氏と交わした会話はこれだけだ。その人が著者別配置の採用を決めたのかどうかは知らないが、少なくとも大型書店のマニュアル店員にはない気合いというか意気込みのようなものは感じられた。
店を出たあと、石野休日氏が「この通りにはラノベ以外の小説が置いてある店はほかにないですよね」と言っていた。確かに日本橋にはふつうの書店がない。
信長書店のサイトには書籍のページがあり、ふつうの書店の扱う本にも力を入れていることが窺える。日本橋店に限れば、2階にあがって文庫本コーナーを発見する客がどの程度いるのか疑問だ(1階奥の滋養強壮剤コーナーと入れ替えてしまえばいいのに、というのは素人考えか)が、今後どのような展開を遂げるのか興味深い。しばらく定点観測してみたい。
余計な補足になるかもしれないが、私は大型書店の店員がみんなダメだといっているわけではない。もちろん意欲と情熱に溢れる人も多いだろう。ただ、店が大きくなればなるほど一人の店員が果たせる役割は小さくなるし、有能な人でもそうでない人でも同じように切り盛りできるようにしようとすれば、どうしてもマニュアルに頼らざるを得なくなる。その結果、「とりあえず在庫を全部、ジャンルと出版社別に並べてみました〜。メリハリ? それってシステム化できるの?」という感じの書店ばかりが増えてくる。昨日、書店をハシゴして、その事を改めて実感した。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/qed/p0502b.html#p050213a
最近、私はラノベ依存度があがっていて、それ以外の小説がほとんど読めない状態になっている。ミステリなんか全然読む気にならない。このサイトにミステリの話題を期待している人には申し訳ないが、さっさと見限るか、気長に待つか、あるいきラノベファンになるか、どれかを選択していただきたい。
今、私が読んでいるのは『神様家族』(桑島由一/MF文庫J)シリーズと『よくわかる現代魔法』(桜坂洋/スーパーダッシュ文庫)だ。1冊ずつ交互に読むことにしているのだが、まだ『よくわかる現代魔法』は1巻のみ、『神様家族』は2巻まで読んだだけだ。先は長い。『よくわかる現代魔法』は予想通りかなり手こずったが、2巻以降は格段に面白いという評判なので期待している。
ところで、ライトノベルの対象読者の年齢は徐々にあいまいになっているとはいうものの、やはり主な読者層は十代後半だろうと思う。私はその時期にほとんどライトノベル(の前身であるヤングアダルト小説)を読んでこなかった。今になって思えば、ちょっともったいないことをしたような気もする。
発達心理学によれば、人間の成長過程のそれぞれの時期に応じて固有の課題があって、人は学習によってそれを克服し、成長していくのだという。課題に取り組むべき時期にそれを為さずに過ごし、後になって取り返そうとしても困難が大きく、なかなかうまくいかないのだそうだ。読書についてこの考え方を適用するなら、私は読むべき時期に読むべき種類の本を読まずに過ごしていびつな成長を遂げてしまったということになる。今から取り返すのは不可能ではない。だが、適切な時期に比べると学習効率は著しく劣ってしまっている。
だが、万全な読書歴をもつ人など、この世には一人もいないだろう。ブリキ製の哺乳瓶に目鼻をつけた"母親"か、それとも哺乳瓶に柔らかな毛布を巻いた"母親"かという程度の違いはあっても、みんな実験室の檻の中で天井から吊された"母親"のおっぱいを飲んで育ってきたのだ。そう考えると、何となく気分が落ち着く。
なんでこんなことを書いてしまったのだろう?
ああ、「長門有希の100冊」のせいだ。
関連リンク
なお、私の結果はこちら。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/qed/p0502b.html#p050214a
思う存分嘘をつこうと意気込んだのはいいが、いざパソコンに向かうと良心が咎めて全く嘘がつけない。ああ、私は何と正直者なのか! 正直者は馬鹿を見る。J.S.ミルは哲学者。
どうでもいい書き出しで始めてしまったが、この先もとことんどうでもいいことしか書いていない(はずだが、まだ書いていないので、私にもよくわからない)。引き返すなら今のうちだ!
はてなブックマークの使い心地を試してみようと思って、昨日からいろいろ登録してみたのだが、全然使い物にならない。全国駅前銭湯情報のカテゴリーが「ゲーム」ってどうよ?
モノグラフの自由帳のライトノベル市場は約170億らしい(情報もと:モノグラフ。おお、何と馬鹿馬鹿しい情報もと表示だ!)を読んで新文化が読みたくなってきたが、半年で1,4400円(あえて時流に逆らって4桁区切りで書いてみた。少し安くなったような気がする)というのはちょっと高い。書店業界とは全く無縁の一般人にはなかなか手が出せない(というか、なんで草三井氏が出版業界紙なんか読んでいるのだろう)。「新文化」新規購読キャンペーンで今なら8箇月で1,2000円になるそうだが、その後は正規価格に戻るそうだ。8箇月ごとにキャンペーンをやってくれないだろうか。
また、「新文化」読者紹介キャンペーン
というのもやっていて、現在の購読者が新規購読者を紹介したら3000円の図書券が貰えるそうだ。今から素早く申し込んで、さらに4人のカモお友達を紹介すればもとがとれるのではないか、と思ってみたりもしたが、かえって私のほうがカモられてしまいそうだ。この世は荒野だ。たかが業界紙と侮ってはいけない。
それはともかく、生活日報のライトノベル活況の実態で「新文化」のライトノベル特集について少し詳しく紹介していたので、メモ代わりにリンクしておく。この文章の最後の段落でなんだかどれも似ている感じがする。ある「かわいい」イメージがあって、絵を描く人みんなに共有されている感じ。みんな同じ「かわいい」に向かって描いているような。
という一節が興味深い。
ラノベ繋がりでもうひとつ。桜庭一樹総合スレ IIの909経由で知った2度の世界大戦を「同時に」戦った国がある。(Okuyama's Secret Room)を紹介しておこう。内容は全然ラノベとは関係なく、フランスとスペインに挟まれたアンドラ公国の話。もしかしたらヨーロッパ通にとっては常識なのかもしれないが、私はまだヨーロッパには行ったことがないので、素直に感心した。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/qed/p0502b.html#p050215a
言語分析にどの程度の力があるのか、私にはわからない。たぶん万能の武器ではないだろう。ただ、精密で洗練された言語分析の結果得られた知見は、他のアプローチによる探究の当否を判定する物差しくらいにはなるのではないかと思う。たとえば「真理とは何か?」という問いに対して言語分析で十分な解答が与えられるわけではないにしても、「真理についてのいかなる理論も、それが成功していると言われるためには、次の要件を満たさなければならない。すなわち(以下略)」と言うことは可能ではないか。
少年が兇悪犯罪に手を染めたとき、少年犯罪を憂う声があがる。いや、世間の人々が本当に声をあげているのかどうかは定かではないが、そのように報道される。だが、当該少年が外国人ではなく、前科持ちでもない場合に、非外国人犯罪を憂う人もいなければ、非刑務所出所者犯罪を憂う人もいない。
なお「非外国人」というと非常に特殊な人を指す言葉のようだが、要するに日本人のことだ。
幸福と幸福感はどこが違うのだろうか? 倫理と倫理観は?
絶対神かつ人格神という設定にはちょっと無理があるのではないか。人格とは個性であり、個性とは偏りであり、偏りとは部分的欠落であり、即ち不完全なのだから。
強制や命令がなくても、自発的に行動できるようになれ!
類似例:自粛せよ!
リンクを張るということについて。
「『無断リンク禁止!』などというのは馬鹿げた言いぐさだ。リンクを張るというのは特別なことではなくて、参照すべきURLを記述し、そのURLが参照すべきであるということを明示するためにタグで囲んでいるだけなのだから。クリックすればリンク先に移動できるというのはブラウザの機能に過ぎず、筆者はHTMLを書いているだけなのだ」
確かに、HTML文書を書くという行為に付け加えて、リンクを張るという行為をおこなっているわけではない。だが、リンクを張るときにはまさにリンクを張っているのであって、HTMLの仕組みに訴えることによりリンクを張っていないことにはできない。
私信:私にはそれほど利用価値はないよ。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/qed/p0502b.html#p050216a
「どんな小説も書かれるまでは傑作だ」という言葉がある。誰が言った言葉かは忘れてしまった。もしかしたら「どんな駄作も書き上がるまでは傑作だ」だったかもしれない。うん、こっちのほうがよさそうだ。
さて、今朝、通勤電車の中で面白い小説の着想を得た。タイトルは「たんぽぽ息子」である。元ネタはもちろん「たんぽぽ娘」だが、私はまだこの名作を読んだことがない。というか、作者名すら覚えていない。だから、特に「たんぽぽ娘」に影響を受けたということではない。
「たんぽぽ息子」の基調はコメディだが、ときおりほろりと涙を誘うシーンもあり、ストーリーは起伏に富んで意外性があり、最後には「ああ、生きててよかったなぁ」と思える心温まる物語だ。一言でいえば傑作だ。私には小説が書けないので永遠に傑作のままだ。
永遠の傑作。おお、何と素晴らしい響きだろう。素晴らしいのは響きだけだが。読めない小説に意味はない。葉山響氏だって評価しないだろう。
読めない傑作より読める駄作のほうがいい。また、まだ駄作になると決まったわけではない。まあ、私が書けば確実に駄作になるだろうが、誰か文才のある人に代わりに書いてもらえれば、もしかするとそこそこ読める水準作くらいにはなるかもしれないではないか。そうだ、私の腹案を公開して無償提供すれば、誰か奇特な人が小説を書いてくれるかも……
……と考えたところで電車は終点に着き、私は目覚めた。それと同時に「たんぽぽ息子」の設定もストーリーもすっかり消え去ってしまい、私の記憶に残されたのは、このタイトルだけとなった。
このような不完全な形での公開は不本意だが、読めない傑作より読める駄作を求める(もちろん、読める水準作や読める佳作であればなおよい)私の強い意志は変わらない。求む、挑戦者! さあ、このタイトルで小説を書き給え。内容不問、事前承諾も事後連絡も不要だ。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/qed/p0502b.html#p050217a
本日、2005年2月17日は、愛知県営名古屋空港開港日である。私は愛知県民でもなければ航空ファンでもないが、全く新しい空港
ができたことを非常に嬉しく思う。
だが、残念なこともある。新空港が開港したというのに、テレビなどではほとんど取り上げられていないということだ。たぶん愛知のローカルニュースにはなっているのだろうが、空港というのは単独で機能するのではなくネットワークを形成するものなのだから、全国ニュースで大々的に取り上げるべきではなかったのか。日本のマスコミは、どうしてこの大ニュースに目を向けないのか。私にはそれが残念でならない。
それはさておき、愛知といえば何といっても愛・地球博だ。バブリーな時代に全国各地で似たような企画の地方博が数多く開催されて、博覧会はすっかり新鮮味を失ってしまったが、今度の博覧会はひと味違う。万国博覧会なのだから。
万国博覧会といっても一万の国が参加するわけではなくて、「万」は単に数が多いことを表しているだけだ。なんだ、がっかり。
ところで「万国」という言葉にはどことなくレトロな雰囲気がある。「万国公法」は今では「国際法」と呼ばれているから、「万国博覧会」も「国際博覧会」でいいのではないかと思うのだが、そうすると略称が「国博」になってしまう。通常「国博」といえば「国立博物館」の略だから紛らわしい。だから「万国博覧会」でいいのだ。
ところで「愛・地球博」があるなら、「滅・宇宙博」があってもいいのではないか。地球より宇宙のほうが壮大だ。それを滅ぼしてしまおうというのだから大胆だ。ぜひご検討願いたい。
今日はこのまま愛知県の話題でまとめようと思っていたのだが、早くも息切れ。
仕方がないので、別の話題。
草の日々、藁の日々の2/15付の記事に、ズバリ言うわよ。(本と本屋と図書館に魅せられて)への、どちらかといえば批判的なコメントが書かれている。
これを読んで「しまった、先を越された!」と思ったのはここだけの秘密だ。別に秘密でもなんでもないけれど。私がこの話題を取り上げたとき、本題の前のマクラという程度の扱いにしたため、あまり深く検討していなかったのだが、その後、この話題自体が一回分の更新のネタになることに気づき、再度取り上げるつもりで構想を練っている最中だったのだ。しかし、途中の過程から結論までほとんど林氏の文章と同じなので、もう書けない。
本に関する話題をもう一つ。
陰茎を晒すより恥ずかしい(abraxasの日記)について。
読みようによっては、「○○の50冊」(「長門有希の100冊」ほかを参照のこと)に対する皮肉とも取れないこともないが、そう読んでしまうのは私がひねくれているせいだろう。少なくともLEGIOん氏は私ほどひねくれてはいないはずだ。
私は元ネタの「長門有希の100冊」を見て「ああ、こりゃかなわないや」と思ったクチだ。長門有希は架空の人物だし、リスト選定を行った中の人が誰なのかは不明だ(ときおり挟まれているコメントから察するに作者の谷川流本人のように思われるが、確証はない)。ましてや、中の人が100冊(のうち架空の本を除いて)全部読んでいるという保証はどこにもないのだから、別に悔しいと思う必要はどこにもない。理屈では確かにそうなのだが……。
それでもやっぱり私は「長門有希の100冊」に負けたと感じるし、それを悔しいとも思う。また、自分が真似をしたら恥を晒すだろうとも思ってしまう。だから、LEGIOん氏の言葉が特に印象に残ったのだろうと思う。
ところで、本題とは全然関係ないのだが、陰茎は陽物ともいう。陰と陽では正反対なので少し不思議だ。ただ「陰茎」と「陽物」は完全な同義語ではなく、前者に比べると後者は指示対象の範囲が狭い(通常、子供の陰茎のことを「陽物」とは言わない)。このあたりに謎を解く鍵がありそうだ。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/qed/p0502b.html#p050218a
不調につき一回や
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/qed/p0502b.html#p050220a
何度も書いていることだが、最近の私はライトノベルしか読しでいない。昨日読んだのは『赤×ピンク』(桜庭一樹/ファミ通文庫)で、その前に読んだのは『神様家族3 桃色貯金』(桑島由一/MF文庫J)だった。今読みかけているのは『食卓にビールを3』(小林めぐみ/富士見ミステリー文庫)だ。これを全部「ライトノベル」の名の下に一括するのは乱暴だ。でも、とにかくラノベだ。
言うまでもなく、ラノベの読み過ぎにはさまざまな弊害がある。仮に一日に20時間ラノベを読めば睡眠不足に陥るし、25時間読むためには地球の自転速度を変えなければならない。また、ラノベ脳の恐怖も指摘されているところである。
そこで、私はラノベではない小説を読むことにした。似たようなことを前にも言ったような気がするが、どうせ私の考えることはいつも堂々巡りなので、あまり気にしても始まらない。今回、選んだのは『ハイペリオン』(ダン・シモンズ(著)/酒井昭伸(訳)/ハヤカワ文庫)シリーズ(全8冊)だ。なぜこれを選んだかというと、
ざっと、これだけの理由がある。
正直言って、ちゃんと全部読めるかどうか不安だ。全部でどれだけの長さなのか具体的なことは知らないが、本を積み上げると『指輪物語』より高くなる。
そこで、私は考えた。ふだんなかなか本が読めない理由の一つ(全部ではない)は、このサイトの更新に時間を取られて、まとまった読書時間を確保できないことなのだから、これからしばらくの間今、『ハイペリオン』を何ページ読んでいるかということだけを書くアリバイ更新にしよう、と。しばらくの間、というのは、『ハイペリオン』シリーズを全部読み終えるか、読破を断念するか、アリバイ更新に耐えられなくなるかのいずれかだ。
合い言葉は、「タカアキラ氏に読めて私に読めない筈はない」だ。タカアキラ氏を引き合いに出したのは、ネットの読書系サイト管理人でこのシリーズを全部読んでいる人をほかに思いつかなかったからだ。「私も全部読んでるよ〜」という人は、メールか掲示板でご連絡頂ければ紹介します(自サイトでの言及の場合は、私が気づいた場合のみ)。
本日の進捗状況:『ハイペリオン』(上)28ページ
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/qed/p0502b.html#p050220b
本日の進捗状況:『ハイペリオン』(上)49ページ
早くも読むのがしんどくなってきた。カタカナ名前の人が7人でべちゃくちゃ喋っているのだが、誰が誰だかさっぱりわからない。登場人物一覧表で確認しようとしたが、どうも一覧表がないようだ。仕方がないので、今後のことを考えて自分で作ることにした。とりあえず、ハイペリオンに向かう巡礼のみ。
氏名 | 職業または肩書き | 備考 |
---|---|---|
??? | 領事 | もとハイペリオンの領事で隠遁してラフマニノフの前奏曲を弾いていたが、連邦の偉い人の命令で再びハイペリオンに行くことになった。名前、どこかに出てたかなぁ。 |
ヘット・マスティーン | 船長 | 森霊修道会の修道士で聖樹船の船長。船ちゅうても海に浮かぶ船のことやあらしまへんで。宇宙船のことでっせ。うちゅう〜のう〜みは〜、おれ〜のうみ〜。 |
ルナール・ホイト | 神父 | カトリックの司祭。ちなみにプロテスタントの司祭は「牧師」と呼ぶが、この世界では既に滅んでいるらしい。 |
フィドマーン・カッサード | 大佐 | 詳細は不明だが、なんだか偉そう。マーチ大佐よりはカダフィ大佐に似ているような感じがする。 |
マーティン・サイリーナス | 詩人 | 50代後半に見えるが、かなりサバを読んでいるらしい。 |
ソル・ワイントラウブ | 学者 | 生後一週間くらいの女の子の赤ちゃん、レイチェルを抱えている。黒猫のミーコを連想してしまった。 |
ブローン・レイミア | 探偵 | 紅一点。筋骨もりもりの美人。 |
せっかく一覧表にしたのはいいが、次のページからホイト神父の身の上話が始まるので、あまり役に立たなさそうだ。というか、目次をみるとこの小説の半分以上が昔語りのようだ。群像小説はつらいなぁ。
あまりだらだらと書いていると、本を読む時間がなくなってしまうので、この辺で。あ、そうそう。「MYSCONには隔年に参加する」などと言いつつ、今回も申し込んだのでよろしく。>関係各位