1.0248〜1.0257 日々の憂鬱〜2002年5月第4週〜


1.10248(2002/05/20) 西高東低

 あちこちで取り上げられているので、今さら、という気もする『空の境界』ドラマCD化のニュース。だが、「コミックマーケット62・虎の穴ブース及び虎の穴各店にて発売」という点に関心を向けている人はあまりいないようだ。私にとっては声優陣の顔ぶれとかニトロプラスのシナリオライターとの対談よりも、こちらのほうがずっと気になった。これでコミケ会場の西高東低ぶりがますます加速するだろうなぁ、とか、某ゲーム会社みたいにオタクの物欲を必要以上に煽って会場を混乱させないでほしいなぁ、とか、そんなことを思いながら「とらのあな」のウェブサイトをみると、「『空の境界 ドラマCD 俯瞰風景』通販予約開始のお知らせ」があって、ほっと胸をなで下ろした。どうやら「コミケ会場限定先行発売!」などという愚行はしないようだ。でも、通販が嫌いな人も多い(かく言う私も、現物を手にとって買うかどうかを決めたいと思うので、あまり通販は好きではない)から、できればコミケ前日あたりから、いや、せめて当日からでもいいから店舗販売をしてほしいものだ。
 私? 並びませんよ、あーた。ドラマCDも別に一日も早く手に入れたいと思っているわけじゃないし。ただ、コミケの長大行列は当該ブースに関係のない多くの人々に影響(いい影響の場合もないこともないが、たいていは悪影響)を与えることになるので、気になっているだけ。

 「ネットミステリ者が選ぶ『本格ミステリ大賞』」の結果が発表された。私も投票しているが、自分のコメントを見ると説明不足の感があり、ちょっと後悔している。終わったことについてあれこれ言っても仕方がないのだが、一つだけ補足しておくと、「作中作の作者に擬せられた探偵作家の正体があからさま過ぎるという欠点」と書いたのは、あからさまであるために読者に驚きを与えることができない、という意味ではない。森江春策が最後の最後までその正体に気づかないのがおかしいと言いたいのだ。読者にとって謎でもなんでもない事柄に、最後の最後で「目をむいた」名探偵というのは滑稽だ。とはいえ、これは瑕瑾に過ぎず、『ミステリ・オペラ』の随所に見られる杜撰さと相殺されるようなことではない。
 ところで、この企画には、オフィシャルの「本格ミステリ大賞」受賞作あて、という項目もあった。その結果もそのうち公表されるのかもしれないが、今のところアップされていないので、私の回答を挙げておく。
3.オフィシャルの方では「本格ミステリ」文壇の派閥力学がどの程度働くのか、あるい
は全く派閥力学が働く余地がないのか、というレベルで既に門外漢の予想範囲を越えてい
ますので、全くわかりません。
 ひねくれた意見だと思うかもしれないが、これは私の素直な心境をそのまま書いただけである。で、捏造日記(5/19付)を読んで一言、「禿しく同意!」と言っておく。では、名無しさんに戻ります……。
 ついでだから、私の回答の全文をここに掲載しておく。1は選んだ作品、2はその理由、3はオフィシャルの「本格ミステリ大賞」の予想、4は来年の同企画に対する意見である。
1.『グラン・ギニョール城』

2.候補作5作のうち3作までが「作中に探偵小説を挿入した探偵小説」という構成をとっ
ています。その中で『鏡の中は日曜日』は作中作でいわゆる「新本格推理」、特に綾辻行
人氏の初期作品を模倣し、作中作を否定することにより、パロディともアンチテーゼとも
形容しがたい独特な作品に仕上がっています。技巧的にも優れており、さまざまな深読み
が可能なこの作品こそがベスト、という思いもありますが、むしろ「本格ミステリ大賞」
という枠組みから逸脱した傑作として評価するほうが適当だと考え直しました。
次に『ミステリ・オペラ』はミステリ的な各種ギミックを盛り込んで読者を楽しませてく
れるものの、それぞれの謎については個別に謎解きが与えられるだけで、ミステリとして
の統一感に乏しいこと、また、作中作の取り扱いがやや恣意的に感じられることから、外
しました。
「作中作」の構造をもつ3作の中では、『グラン・ギニョール城』が最も直球で勝負して
いる印象があり、また作中作の扱いも他の2作より技巧的に優れているように感じました。
作中作の作者に擬せられた探偵作家の正体があからさま過ぎるという欠点もありますが、
全体としてはよく書き貫かれていると思います。
残る2作のうち『たったひとつの』も部分的にメタフィクションの要素を取り入れていま
すが、『黒祠の島』にはそのような要素がなく、比較が困難です。『黒祠の島』を外した
いちばんの理由は、提示されたデータをどの程度信頼していいのか不明であるということ
(これは『ミステリ・オペラ』にも言えます)、従って解決場面の推理が腑に落ちないこ
とです。また『たったひとつの』は小説全体で示される「趣向」のために犠牲にしたもの
が大きすぎた感があります。おそらくこれまで誰も実行したことがない試みを行っている
だけに、各編での詰めの甘さは残念です。
以上の理由(これが理由の説明になっているかどうかは疑問ですが)により、『グラン・
ギニョール城』に投票します。字数制限の倍以上書いてしまい、すみません。

3.オフィシャルの方では「本格ミステリ」文壇の派閥力学がどの程度働くのか、あるい
は全く派閥力学が働く余地がないのか、というレベルで既に門外漢の予想範囲を越えてい
ますので、全くかりません。

4.正直言って『ミステリ・オペラ』は重すぎたと思います。もし次回があるのなら、例
のアレは候補作から外していただけるとありがたいです。
 なお、「例のアレ」というのは笠井潔の『オイディプス症候群』のこと。『哲学者の密室』もまだ読んでいないので、ちょっと手を出す気にならない。

1.10249(2002/05/20) (見出し付け忘れ)

 ついさっき名無しさんに戻ったばかりだが、「一日一枚バッハ全曲聴破マラソン」を忘れていたので書いておく。今日聴いたのは『カンタータ「急げ、渦巻く波よ」(音楽劇「フォイボスとパンの争い」) BWV201』である。バッハは生涯一曲もオペラを作曲しなかったが、劇音楽に関心がなかったわけではないるたとえば『マタイ受難曲』は史上最高の劇音楽だという人もいるくらいだ。世俗カンタータの中にも芝居仕立てのものがいくつかあり、この「フォイボスとパンの争い」もその一つである。
 と、教科書的なことを書いたが、いったいこのサイトの閲読者のうち何人くらいがこんな話題に関心があるのだろう? 日々疑問が高まるばかりだ。でも160枚全部聴き終えるまで続けるぞ!

 さて、「一日一枚バッハ全曲聴破マラソン」だけで一回分にしたらアンテナ(と言っていいのだろうか? 要するにこまめに更新情報を集めて新しい順に並べているリンク集のこと。「たそがれSpringPoint」の更新情報は「ミステリ系更新されてますリンク」や「たんぽぽ ひとりごと。」などで取得できる。)から見に来ている人に申し訳ない。申し訳ないが今すぐに書ける話題があまりないので、今後の予定というか、取り上げたい話題とか、うまく形になればいいなと思っているネタとか、ネタにならないどうでもいい話とかを適当に並べておく。  適当に文字列を並べているうちにそこそこの分量に達したので、今日はこれでおしまい。

1.10250(2002/05/21) たそがれSpringPoint再建計画

 このサイトも半年以上続けてきたわけだが、いろいろなところで不都合が目立つようになってきた。そろそろ手直ししたいと思っている。たとえば当初コメントつきリンク集をトップページに置いていたが、かさばるので別ページに移し、トップページからはコメントを外したのだが、二つもリンク集の必要はないだろうと思う。もともと行き当たりばったりで作ったリンク集なので、この機会に整理・増補したい……などと考えていると、いつになっても手直しにとりかかれないんだな、これが。
 もっと大きな問題は、「日々の憂鬱」の各項目の保存の仕方だ。今は1週間分まとめて別ページに保存することにしているが、それだと最初にアップしたときに他サイトから張ったリンクが切れてしまう。これを避けるには、最初からトップページと保存ページの2箇所に同じ文章を置くのがいいのだが……今までのやり方を変えるのがなかなか面倒だ。
 ほかにもレイアウト全般の問題とか、いまやほとんど意味のない連番を廃止するかどうかとかいろいろ問題がある。と、こんな文章を平日の朝っぱらから書いているのは、リンクミスに気づいて訂正したのはいいが、そのままアップしたらアンテナから見に来てくれる人に(以下略)というわけだ。

 ここまでは今朝6時半頃に書いた文章だ。中途半端なのは出勤時刻が迫っていたため。
 引き続き当サイトの再建計画について書く。
 いろいろ考えてはいるものの、一気にサイトの模様替えをするのは大変なので(ある日突然全然別のサイトに変わっている、というのも一度はやってみたいのだが……)まずはリンク集の手直しから手をつけることにしようと思う。
 現行のリンク集は見てのとおりジャンルも傾向もばらばらのサイトを適当に並べて紹介しただけになっている。最後に更新したのが2か月以上も前のことなので、その後知ったサイトは全く追加していないし、「ミステリ系更新されてますリンク」からリンクされているサイトは、今さら、という気がしてリンクをさぼっている。たとえば「UNDERGROUND」も「ペインキラーRD」も「JUNK-LAND」もリンクしていない。これは何とかしなければ。あ、よく見ると「ミステリ系更新されてますリンク」自体が抜けている。
 何とかしなければ、といってもなかなか手をつけられないのは、どうやって分類整理をすればいいのかがわからないからだ。ジャンル別ということにすると、まずジャンル分けから検討しなければならない。たとえば「たそがれSpringPoint」は"ミステリ系サイト"か、"書評系サイト"か、"日記サイト"か、"テキストサイト"か、"読み物サイト"か? 少なくとも"ニュース系サイト"でもなければ"資料系サイト"でもなく、間違っても"学術サイト"でないことは確かだが。ジャンルというのは客観的であるべきだが、ジャンル分けのための客観的基準がないというのが困難の大きな原因であると思う。そんな事は気にしない人にとっては難点でもなんでもないだろうが。
 では、徹底的に主観的な基準で分類するというのはどうか。知人かそうでないか、とか、私がどれくらい頻繁に訪問するか、という基準で分類するのだ。個人サイトのリンク集なのだから、管理人の趣味や関心の傾向がわかるリンク集のほうがむしろ閲覧者にとっても有益ではないか。うん、それがいい。そうしよう。
 だが、「知人」とは一体どの程度のつき合いがある人の事を指すのだろう? 一度でも会ったことがあれば知人か? 友達か? 親友か? 即売会前日に押しかけてもいいのか?
 アクセス頻度を基準になるのも問題がある。たとえば、私は「ヲタク放談」はほぼ毎日見ているが「求道の果て」のトップページはほとんど見ない。こんな場合、どちらにリンクを張ればいいのだろうか?(その後、「ヲタク放談」が「求道の果て」のトップになったので、このサイトに関しては問題は解決した) また、同じくほぼ毎日見ている某氏のサイトは一般公開していないのでリンクできない。こうやって考えてみると、どんどん訳がわからなくなってくる。で、結局、何もしないままほったらかしということになるのだ。
 う〜ん。いちばんの問題は、どうでもいい事に拘るあまり考えすぎて疲れて何もできないという私の性格にあるのかもしれない。
 とりあえず、今日のところは、あまり意味のないトップページ下部のコメントなしのリンク集を削除するだけにしておこう。

 「一日一枚バッハ全曲聴破マラソン」を今日も継続中。今日はBWV202,210の2曲。どちらも「結婚カンタータ」と呼ばれるが、有名なのはBWV202の「今ぞ去れ、悲しみの影よ」のほう。何も説明なしに単に「結婚カンタータ」といえば、まずこちらだと思ってよい。特に終曲の「ガヴォット」(ガヴォットは舞曲の一種だが、ここではそのリズムを用いたソプラノ独唱曲のこと)が有名だ。 

1.10251(2002/05/22) 羊は安らかに草を食み

 一昨日メモを書いておいた書店における万引問題について。なお、私はふだん「万引き」と書くが、今日はなんとなく「万引」と書いておく。どちらも読みは同じ「まんびき」だ。
 万引のせいで書店が被る損害が年間どれくらいの金額にのぼっているのか、という具体的なデータがあるのかどうかは知らない(ご存じの方はぜひご教示いただきたい)が、近年特に万引が増えているらしいという話は聞いている。新古書店やマンガ喫茶のように大々的に問題視されないのは、単に万引が直接出版社や著作権者に損失を与えないからだろう。だが、万引のせいで書店がどんどん倒産するような事態になれば、当然その影響は出版サイドにも及ぶのだから、本に関わる業界全体がこの問題に取り組む必要がある。一度崩壊しはじめたシステムを再構築るには多大な労力が必要であり、対応が遅くなればなるほど困難になるので、早いうちに手を打っておくべきである。
 では、具体的にどのような対策があるのだろうか? いろいろな方法が考えられるが、私がここで提案したいのは、法規制である。それも未成年者に焦点を絞った規制が有効だと考える。なぜなら、万引を覚えるのはたいていの場合未成年のときであり、大人になっても万引を続ける常習者を矯正するより、年少のうちに悪癖を是正するほうが比較的容易だと思われるからである。
 私の考えた「未成年者万引禁止法(案)」を以下に掲げる。
第一条  満二十年ニ至ラサル者ハ書籍又ハ雑誌ヲ万引スルコトヲ得ス

第二条  前条ニ違反シタル者アルトキハ行政ノ処分ヲ以テ万引ノ為ニ所持スル鞄及袋ヲ没収ス

第三条  未成年者ニ対シテ親権ヲ行フ者情ヲ知リテ其ノ万引ヲ制止セサルトキハ科料ニ処ス
 ○2 親権ヲ行フ者ニ代リテ未成年者ヲ監督スル者亦前項ニ依リテ処断ス

第四条  書籍又ハ雑誌ヲ販売スル者ハ満二十年ニ至ラザル者ノ万引ノ防止ニ資スル為年齢ノ確認其ノ他ノ必要ナル措置ヲ講ズルモノトス

第五条  満二十年ニ至ラサル者ニ其ノ万引ノニ供スルモノナルコトヲ知リテ鞄又ハ袋ヲ販売シタル者ハ五十万円以下ノ罰金ニ処ス

第六条  法人ノ代表者又ハ法人若ハ人ノ代理人、使用人其ノ他ノ従業者ガ其ノ法人又ハ人ノ業務ニ関シ前条ノ違反行為ヲ為シタルトキハ行為者ヲ罰スルノ外其ノ法人又ハ人ニ対シ同条ノ刑ヲ科ス
 これで全文である。条文が古めかしいのは元ネタが明治の法律だからである。読みづらいかもしれないが、勘弁してほしい。
 上記私案により施行した場合、成人はどうするのか、というツッコミが入るかもしれない。これはなかなか難しい。万引は思春期のお子さまによく見られる行為であり、ふつうは成長するに従って道徳観念が身に付き、成人になる頃には自然にやめるものだが、このような自然の摂理に反して大人になっても依然として万引を続ける輩がいることも確かだ。彼奴らは図体だけは一人前だが頭の中は幼児同然であり、その癖自己主張にかけては巧みであり、「万引者にも権利があるとか「価値観の多様化が進む現代社会においては、万引は容認されるべきだむとか、本来なら理屈にならない理屈を持ち出すから始末におえない。また長年の間に万引の習慣が身に染みついてしまっており、強制的に禁止しても禁断症状が起こり、かえって社会に害を与えるおそれがある。やむを得ないので、万引者専門書店を作り、入店の際に一定額を支払うことにより思う存分万引することができる環境を整える、というのが私の案である。最高の策とは思わない。万引者専門書店の建設、運営、維持管理には相当な費用がかかると思われるからだ。だが、これは必要経費だと思って諦めるしかない。世の中には、北京からソウルへ向かうのにわざわざマニラを経由するという無駄を容認せざるを得ない場合もあるのだから。
 え? 刑法第235条? いや、私は法律の勉強をしていないもので……。

 『サム・ホーソーンの事件簿II』(エドワード・D・ホック(著)/木村二郎(訳)/創元推理文庫)読了。面白かった。明日感想を書く予定だが、気が向かなければ無期限延期。次は『第四の扉』(ポール・アルテ(著)/平岡敦(訳)/ハヤカワ・ミステリ) を読む。

 今日は、カンタータ第208,204番を聴いた。前者は「狩りのカンタータ」として有名だが、後者の「喜びのカンタータ」というのはどうだろう?

1.10252(2002/05/22) 緊急更新!

 知人からのメールで日本推理作家協会賞決定のニュースを知る。私の基準ではミステリではないと断言した作品が受賞しており、ちょっと複雑な気分だ。

1.10253(2002/05/23) ポケットにミステリを!

 という見出しを考えついたのはいいが、別にミステリの話をする気はない。というか、何の話をする気も起こらない。ああ、そういえばこんなときのために「一日一枚バッハ全曲聴破マラソン」という企画を始めたのだったっけ。というわけで、ちょこちょこっと書いておく。ええと、今日はカンタータ第205,207番を聴いた。207番では、どこかで聴いたことのあるようなメロディーが登場する。
 おしまい。

1.10254(2002/05/24) "天使"と書いて"ゆき"と読む、"場所"と書いて"まち"と読む

 その場しのぎの一行メモなので削除した。

1.10255(2002/05/25) 水軒忌

 空は青く晴れ渡り、街路の木々の緑が目に眩しい。こんかに明るい今日、一つの駅が消えてゆく。
 南海電鉄水軒駅。
 大阪ミナミの玄関口から約70km、南海道の紀伊国の和歌浦にもほど近い小高い丘の海寄りに静かに佇むプラットホーム、一日平均乗降客がわずか9人のこの駅に、最期を惜しむ人々が集いも集い溢れ返り、その数有に数百人。
 水軒! 水軒! 水軒!
 かの群衆は互いに他人でありながら、その思いは皆同じ。ある者は泣き、ある者は嗚咽にむせび、またある者は怒声をあげて走り回る。三脚を立て、行列を作り、入場券を買い、メモをとる。誰もが皆心の中で叫ぶ。
 水軒! 水軒! 水軒!
 私は乗った。2輌編成の電車に乗った。臨時列車に乗った。満員電車に乗った。和歌山市駅から一駅歩いて久保町から乗った。紀ノ川を渡る橋梁の橋桁の下の小さな駅だった。ここより先は第3種鉄道事業者和歌山県所有である。南海電鉄は第2種事業者として和歌山下津港港湾施設へと乗り入れる。ただしこの区分は書類上のことであり、現地には管理境界を示す標柱の類は見あたらない。
 久保町の次は築地橋、築地橋の次は築港町、小さな駅を二つ過ぎて、和歌山港へ。和歌山港線の事実上の終点、そして明日からは名実ともに終点となるこの駅に、しかし今日の日に限っては誰も降り立つ者はない。むしろ新たに乗る者もいる。そして電車は水軒へ。
 水軒! 水軒! 水軒!
 線路にはロープが張られている。ロープ沿いにカメラを持った人々がいる。空きスペースには臨時のグッズ売場があり、南海電鉄の係員たちが忙しく立ち回っている。ついでに便乗して阪堺電軌の係員もグッズを売っている。私は記念入場券と携帯ストラップを買い込んで再び電車に乗る。
 次は築港町に降りた。電車はそのまま和歌山市へ。私は一駅歩いて築地橋で折り返し水軒行きを待つ。すぐに電車がやってくる。再び乗車する。
 水軒! 水軒! 水軒!
 今日二回目の水軒。人々の数はますます増えている。私はカメラを持っていない。方向板にも興味はない。だが車内補充券はほしい。係員に言う。「極楽橋までほしいのですが」と。
 係員は答える。「この補充券では高野線は河内長野までしかありません」
「では、市駅から乗り換えて和歌山駅まで」
 だが、すぐには使わない。これは最終列車までとっておく。
 電車は水軒を出て、順に駅を辿り、和歌山市5番ホームへ。ここで客を降ろして回送列車となる。同じホームの向かい側、6番ホームの端にある中間改札のその先の7番ホームには既に定期列車の水軒行き最終が待つ。最終電車とはいえ時刻はまだ午後3時だ。ホーム上で精算を済ませ、改札を抜けて最終電車に乗り込む。鉄柵で仕切られた狭いホームには人混みができている。花束贈呈があったらしいが、人の壁に阻まれ見ることができず。
 最後の水軒行き各駅停車が和歌山市を出る。大勢の客を乗せて水軒へ! そして私は今日3回目の水軒駅到着。一日に3回水軒駅のホームに降り立つことは、普段のダイヤでは不可能なことだ。ホームからグッズ売場を見ると、すでに日傘を畳んでいる最中だ。
 水軒! 水軒! 水軒!
「ホームから駅の外に出ることはできません。この電車はあと6分で折り返し和歌山市行き最終電車となります。駅の外に出ると、電車に乗ることはできません」
 狭い乗降場と出入口には人が溢れている。私は駅の外に出るのを諦め、再び車内に戻る。
 そして、最後の、本当に最後の電車が水軒駅を出発した。

1.10256(2002/05/26) 深夜の感想文

 先日予告したのに書いていなかった『サム・ホーソーンの事件簿II』(エドワード・D・ホック(著)/木村二郎(訳)/創元推理文庫)の感想文を書いておく。
 サム・ホーソーン医師を主人公とした短編シリーズは、ほぼ全編が不可能犯罪を扱っているそうだ。不可能犯罪はミステリの主要テーマの一つだが、解決パターンはごく数えるほどしかないので続けて読むと飽きてくるものだ。しかし、昔ホックの『密室への招待』(ハヤカワ・ミステリ)を読んだとき全く飽きることなく最後まで読むことができた。その時は「これは選りすぐりのアンソロジーだからだろう」と思ったのだが、今回はホーソーン医師シリーズの第13〜24話をただ発表順に並べただけで、なかにはどうしようもないトリックを使った話も入っている(アレですよ、アレ)が、それでも退屈しなかった。理由はいくつか考えられるが、一つには舞台設定に工夫が凝らされていて多彩であること、もう一つには、単なるハウダニットではなくホワイダニットの要素も大きな役割を果たしている作品が多いということが挙げられるだろう。たとえば、湖に浮かんだハウスボートから四人の人間が消失したかのように見える謎を扱った『ハウスボートの謎』では、
「あの四人はこっそりとボートから抜け出したのかもしれない。わたしが見ていないときに、潜水艦がむこう側かの水面に現れて、四人をさらったのかもしれないが、そうは思わないね。四人が誰にも気づかれずに、ハウスボートからおりる方法はいろいろとあるはずだが、どうしてわざわざそんなことをするんだろう? 四人のまったく正常で、分別のある中年男女がどうして消失して、隠れたがるんだろう? 今日は四月馬鹿の日じゃないのにね」
というホーソーン医師の言葉に明らかにホワイダニット志向が見てとれる。この作品で扱われている事件は物理的には不可能でもなんでもなくて、動機や理由という要素を併せて初めて謎が成立するのだから、これを"不可能犯罪もの"に分類していいのかどうか、とためらってしまうほどである。
 ホックのホワイダニット志向は、今さら私が指摘するまでもなく周知のことだと思う。この本に併録されている有名な『長方形の部屋』など、フーダニットの要素もハウダニットの要素もないほぼ純然なホワイダニットであり、確か都筑道夫が「モダン・ディテクティヴストーリー」の例として挙げていたと記憶している(手元に資料がないので、もしかしたら間違っているかもしれないが)。だが、ホーソーン医師ものからホックを読み始めた人もいるだろうから、念のため書いておく次第。ああ、こりゃ感想文じゃないな。
 なお、『ピンクの郵便局の謎』のようにホワイダニット要素がほとんどない作品もない小説もあることを申し添えておく。

 さて、金曜日に『第四の扉』(ポール・アルテ(著)/平岡敦(訳)/ハヤカワ・ミステリ)を読み終えたので、不可能犯罪つながりで併せて感想文を書こうと思っていたのだが、眠たくなってきたのでやめておく。今日は休日出勤しないといけないので、明日以降に余裕があれば感想文を書くつもりだ。

1.10257(2002/05/26) いろいろ

 今日は休日出勤で疲れた。おまけに日焼けもした。ひりひりする。ここ何日か投げやりな文章しか書いていないのでフォローしておきたいが、あまり長文を書く時間的・体力的余裕がないので、簡単にまとめる。

 その1
 アルテの『第四の扉』の感想文は結局書かないことにした。ネット上で多くの人々が絶賛している作品であり、独自の視点で感想を述べるのが難しいからだ。追随して「アルテまんせー!」と書くのはつまらないし、かといって「いや、みんなが誉めるほどのことはないよ」などと書きたくはない。

 その2
 金曜日に仕事が終わってから日本橋へ行った。『Ethos 〜天使の降る場所〜』(forte)を買うためである。日本橋に到着したのは午後7時過ぎだったが、意外と営業している店が多かった。別にどこで買ってもよかったのだが、ちょっとした受け狙いで「しいがる日本橋店」へ行った。ちょっと説明に困る異様な品揃えと店内に鎮座する巨大"でぼスズメ"(と呼ぶのだと思うのだが、間違っていたらごめん)、なぜか同じゲームソフトを何本もまとめて買っていく奇妙な客たち、と話題に事欠かないのだが、ある程度の予備知識がないとあまり面白くない話なので詳述は避ける。ただ、『Ethos』をレジに持っていった時、店員が「えっ、一本だけですか?」と驚いたような口調で言ったことだけ書いておく。

 その3
 たぶん誰もまともに読んでいないと思われる「一日一枚バッハ全曲聴破マラソン」だが、二日連続で休んだ分を取り戻しておく。なお、書くのが面倒だっただけで、毎日ちゃんと一枚ずつ聴いている。
 一昨日はカンタータ第206,215番を聴いた。これはどうでもいい。
 昨日聴いたのは有名な「コーヒーカンタータ」と「農民カンタータ」だ。それぞれ「そっと黙って、おしゃべりめさるな」、「おいらは新しい領主様をいただいた」というのが正タイトル。
 今日はカンタータ第213,214番を聴いた。「クリスマス・オラトリオ」に用いられた曲の原型を聴くことができる。
 ああ、やっぱり投げやりだ……。

 その4
 「最後通牒・半分版」の今日付の記事に岡崎二郎の『アフター0』復刊のニュースが出ていた。全6巻とも新刊で出たときに買った(ああ、年齢がばれる……)が、今度は単行本未収録作品を含む全話収録というから、これはもう買うしかないだろう。

 その5
 この項、削除。某同人ゲームの体験版について書いたのだが、まだ現物を入手しているわけではないので、紹介するのは時期尚早と判断したため。

 その6
 先日、某知人が一部で有名な賞を受賞した。「××さんとは実は昔からの知り合いで……」などと書くのも気が引けるので「たそがれSpringPoint」では一切お祝いの言葉を書かなかったが、こっそりその知人の関連サイトの掲示板に匿名で書き込みをしておいたら、すぐに私だとばれてしまった。

 その7
 某大手サイト(1日あたり1000ヒット以上を「大手サイト」、それ未満のサイトを「中小サイト」と呼ぶ。たった今私が決めた。異論は認めない)が先日20万ヒット突破した。「たそがれSpringPoint」の2日前に開設したサイトなのに、えらい違いだ。あと何日か経ってほとぼりが冷めたら(?)お祝いメッセージをそのサイトの掲示板にこっそり書き込んでこようと思う。

 その8
 以前から引っかかっていたのだが、「JUNK-LAND」5/24付(ロジックとフェアプレイ-23)を読み、「演繹的推理/帰納的推理」という区分をミステリで探偵が行う推理に適用することの奇妙さの理由がようやくわかってきた。ひどく大ざっぱに言えば、「原理→事象」という向きの推理が演繹的推理であり、逆向きの推理が帰納的推理である。さて、探偵が事件解決のために収集する手かがりの各々は個別の事象である。そして、当該事件の犯人が誰であるかということも個別の事象である(MAQ氏は“一般的原理や法則=真相/犯人”と述べているが、個別の事件の真相やその犯人が一般的原理又は法則であるとは考えにくい)。すると、探偵の推理は「事象→事象」ということになる。これは「原理→事象」でもなければ、「事象→原理」でもない。中間項を補って、「事象→(原理)→事象」とすれば、この推理の前半は帰納的推理であり後半は演繹的推理である、ということになるかもしれないが。
 いや、それもおかしいな。もう少し丁寧に考えてみる必要がある。

 その9
 結局、いつもと同じく「簡単にまとめる」ことができなかった。