1.10122〜1.10129 日々の憂鬱〜2002年1月第4週〜


1.10122(2002/01/21) 薬漬け

 久しぶりに出勤。なんとか一日勤められそうだったが、大事をとって早退し、医者に診てもらう。今年になってから丸一日勤務したのはわずか二日。休んだ日のほうが多いという有様だ。これから徐々に体を慣らしていきたい。
 そんな状態なので、今日は手短に。帰りに本を二冊買った。『ロボットの心――7つの哲学物語――』(柴田正良/講談社現代新書)と『本格ミステリコレクション3 楠田匡介名作選 脱獄囚』(日下三蔵・編/河出文庫)だ。『ロボットの心』は半分ほど読んだが、『脱獄囚』はいつになったら読めるのか全くわからない。処理能力を超える分量の本を買い続ける癖はなんとかしないといけないのだが……。
 今日はこれでおしまい、というとちょっと寂しいので、もう少しだけ。以前ネタ切れのときに、全然無関係な人名を検索して知名度を比べる、ということをやった。で、今日は「日下三蔵」と「みつみ美里」でやってみた。前者は約1360件、後者は約5330件のヒット。来年くらいには逆転しているかもしれない。ついでだが、「玄奘三蔵」では約8930件、「みさと天文台」だと約2560件だ。

 リンク3件追加。以上。

1.10123(2002/01/22) のど飴とトローチ

 相変わらず、不調続きだ。今日は一日勤め上げた。その途中、私の目の前を王貞治が通り過ぎた。

 相変わらず、ネタがない。ネタがないときにはパクるに限る。というわけで、ネットを徘徊していると、「なんとなく劇場」の今日付の日記に面白いなぞなぞがあった。以下、引用する。
それは、未来の始まりであり、同時にあなた自身の終わりでもある。
そして、それは力の象徴でもある。
さて、それは何?
 なかなかよくできた問題だと思う。これを読んで、私も似たようななぞなぞを昔作ったことがあったのを思い出した。
春の次は夏。
夏の次は秋。
秋の次は冬。
では、冬の次は?
 このなぞなぞは、あまりいい問題ではない。答えを言っても「はぁ?」と首を傾げる人が多いだろうから。それと、答えが一通りに定まらない、という欠点もある。以前、2ちゃんねるのとある板(具体的な板の名を挙げるとヒントになってしまうので、伏せておく)で出題したところ、「二度目の春」という答えが返ってきた。当然、「二度目の春」でも間違いではないのだが、私の意図している答えは別にある。当たったからといって賞品が出るわけではないが、答えがわかった人は掲示板にでも書いておいてほしい。メールの宛先は、noname@imac.to。正解はそのうち発表する(二日後に発表した)つもりだが、全く反応がなければそのままにしておく。

1.10124(2002/01/23) しばらくなぞなぞでお茶を濁そうか

 でも、なぞなぞの持ちネタもそれほど多いわけではないんだがなぁ。

 昨日のなぞなぞは早くも正解されてしまった。それも、「なんとなく劇場」管理人の梅さんさん(「梅さん」でひとまとまりのハンドルだと解釈した)だ。梅さんさん曰く、「知識がないのでネット上にて検索」したとのこと。これまでの梅さんさんの日記を読んだかぎりでは、私の出したなぞなぞが要求する分野に興味がなさそうなので、この言葉は信用していいと思う。しかし、全然関心のない分野から解答の糸口を見付けだして、検索して正解に至ることができるというのは、凄い。
 ほかにどのくらいの人が正解に辿り着けるものか、ちょっと興味が沸いてきた。というわけで、次に正解者が出るまで引っ張ることにする。

 電車の中で考えた。もし世界が100人の村だったら、私はその村の住民ではないだろう、と。私は63億だか64億だかの全人類のうちの、ただの1人に過ぎないのだから。もちろん、どんなに有名な人でも、社会的に重要な人でも事情は同じだ。全世界を100人の村に縮めたとき、そこにはブッシュ大統領もオサマ・ビンラディンもいないのだ。
 こんな事を考えるのは、相当疲れている証拠だ。明日に備えて、さっさと寝ることにしよう。

1.10125(2002/01/24) 「他人の痛みが感じられる人間になれ」

 今日、『ロボットの心――7つの哲学物語――』(柴田正良/講談社現代新書)を読み終えた。この本は「ロボットに心がもてるか」というテーマについて書かれたものである。
 この本を買った理由がなんだったのかはよく覚えていない。私はコンピューターサイエンスにも人工知能開発にもあまり興味がないので、まあものの弾みだと思う。強いて理由を挙げれば、裏表紙の著者の写真を見たからかもしれない。去年の夏、京都は三条の繁華街で諸般の事情により入った割烹料理屋兼居酒屋のカウンターで私が枝豆をつまんだり揚げ出し豆腐をつついたりしながらウーロン茶を飲んでいたとき、隣の隣に座っていた人の顔によく似ていたのだ。でも、そんな事が「理由」と呼べるだろうか?
 買った動機はこのようにあやふやだが、読んでみると非常に面白かった。天使長ミカエルと大天使ガブリエルがニューハーフになって味噌煮込みうどん屋でクダを巻く話など、ちょっと常人離れしたユーモアのセンスが感じられた。ただし、見かけによらず、もの凄く難しい。ちょっと気を抜いていると、すぐに議論の流れがわからなくなってしまう。いちおう最後まで読み終えたものの、果たしてどの程度理解しているのか、あまり自信はない。
 内容についてはコメントを差し控えることにして、ちょっと気づいたことを書いておこう。第4章に登場するカズヒサ教授の台詞に
だから必要なのは、もっと論理学をつくる、じゃなくて、もっと<論理なロボット>をつくることじゃわい
というのがあった。この箇所を読んで引っかかった。「論理な」という修飾語句も奇妙だが、それ以上に奇妙なのは「論理学をつくる」という言い回しだ。おまけに、この表現は直後に「じゃなくて」と打ち消されている。ここには何かある、と思って検索してみると、「論理学をつくる」は本のタイトルだった。戸田山和久著、名古屋大学出版会。おそらく、知人に向けた内輪のジョークだったのだろう。それに気づいたからといって、別に何もないのだけど、なんとなくいい気分になれた。

 さて、なぞなぞだ。掲示板でのたつみやーんさん(「たつみやーん」でひとまとまりのハンドルだと解釈した)の助言に従い「例の小鳥遊なぞなぞ」を披露することにする。これは、今となってはもう思い出せないほど昔、私がまだ子供だった頃に考え出したなぞなぞで、さまざまな機会にさまざまな人に出題したが、誰も解けなかったという難問だった。たぶん200人くらいが敗退したと思う。正解を言うと、みな「あっ!」と一様に驚く。それが楽しみだった。ところが約2年前に某掲示板で出題したところ、たつみやーんさんに解かれてしまった。
 前置きはこれくらいにしよう。問題は以下のとおり(これから挑戦する人は訂正版のほうを読んでもらいたい)
 小鳥遊(たかなし)ひよこちゃんは小学2年生の素直で明るくかわいい女の子です。ひよこちゃんは、ぽかぽかと暖かい5月の日曜日に、家族のみんなと一緒に遊園地に遊びに行きました。ひよこちゃんの家族は、パパとママ、お姉ちゃんとおじいちゃんです。
 ひよこちゃんはおおはしゃぎで遊園地の中を駆け回り、回転木馬に乗って「わーい」と歓声をあげたり、幽霊屋敷で「きゃーっ」と悲鳴をあげたりと休む暇もなく遊び続けました。でも、お昼過ぎになるとさすがに疲れてきました。それに喉も乾いています。そこで木陰のベンチで休んでいると、近くをアイスクリーム売りのワゴン者が通りかかりました。
「ねえ、パパ、ソフトクリーム買ってちょうだい」
ひよこちゃんがつぶらな瞳でおねだりをすると、パパは懐からお財布を出してくれました。ひよこちゃんは、そのお金で家族みんなの分のソフトクリームを買いました。おじいちゃんもパパもお姉ちゃんもママも、そしてもちろんひよこちゃんも、みんな仲良く一本ずつソフトクリームを食べたのです。
 食べ終わったとき、ひよこちゃんのお姉ちゃんが訊きました。
「このソフト、一本いくらだったの?」
「150円」
「じゃあ、全部で450円だね」
「うん」
 ソフトクリーム一本あたりの値段は消費税と地方消費税を含んでいます。また、何本買っても値引きはありません。では、どうして合計金額が450円になったのでしょう?
 もちろん、アイスクリーム屋さんがお金の計算を間違えたわけではありません。
 記憶に頼って書いたのだが、えらく長くなってしまった。もとの問題文はもっと短かったのだが……。なぞなぞの本質とは関係のない余計な要素がかなり入っているが、書き直すのも面倒なのでこのままにしておく。
 このなぞなぞは、一昨日の「冬の次は?」とは違って特殊な知識を一切必要としないので、皆さんふるって考えていただきたい。
 おっと、そういえば掲示板で宅悦さんが正解を出している(ちょっとひねって「次の次は、よろこび」と回答しているが、正解とみなす)ので、一昨日のなぞなぞの解説をしておく。この問題は「春」「夏」「秋」「冬」を季節の名称ではなくて、あるものの名前として扱っているのがミソだ。その「あるもの」というのは、ヴィヴァルディの協奏曲、つまり有名な『四季』のことだ。『四季』というのは実は独立したヴァイオリン協奏曲集ではなく、『和声と創意の試み』という曲集の第1〜4番である。この曲集には全部で12曲の協奏曲が収録されているので、当然第4番「冬」の次の曲が存在する。その第5番のタイトルは「海の嵐」である。これが解答。ちなみに有名なフルート協奏曲「海の嵐」とは全く別の曲である。
 『四季』を聴いたことがないという人はあまりいないだろうが、それに続きがあるということを知っている人は少ないだろう(と書くと「誰だって知ってるよ」という反論が返ってきそうだが、特にこの方面の音楽に関心のない人の間では、やはりほとんど知られていないと思う)。だから、あまりいい問題ではない。
 話のネタとしては、工夫すれば少しは面白いものになるかもしれない。私が考えていたのは、もう一つのネタ(これも特殊知識の部類に入るが……)と組み合わせるという手法だった。それは「JR京浜東北線大井町駅の列車発車時の音楽は『春』と『秋』である」というもので、これもクイズ仕立てにしようと思ったのだが、うまく作れなかった。「春と秋が頻繁に訪れる駅はどこ?」というのはちょっとアンフェアだし、「大井町駅の音楽のタイトルは?」ではそのまんま過ぎる。で、「冬の次は?」を単独で使ったのだ。
 このネタ、うまく処理すれば有栖川有栖の火村シリーズの短編程度のミステリにはなると思うが……まあ、使いたい人は勝手に使ってくれ。

1.10126(2002/01/25) 龍神の巻

 今日、私は龍神村へ行って来た。
 龍神村、といってもピンと来ない人のほうが多いだろう。中里介山の『大菩薩峠』の舞台の一つにもなった村だ。いや、こんな説明をしても『大菩薩峠』なんか読んでいないでしょ? 私も読んでいない。この「読んでいるだけで自慢できる大作」がちくま文庫で出た時に一念発起して読み始めたのはいいが、二巻の途中で挫折してしまった。こんなに長い小説を読めるのはよほどの暇人か速読の達人だけだ。ともあれ、龍神村は架空の村ではなく、実在する。龍神温泉という立派な温泉もある。今日は日帰りの出張だったから、温泉に入ることはできなかったが。「日本三美人の湯」というキャッチコピーで宣伝していて、あちこちに看板が立っている。「三美人の湯」残り二つはどこにあるのだろうか? もしかしたら「日本三美人」と称される三人の美人にちなむコピーなのかもしれない。世界三美人だったら、陽気婢楊貴妃とクレオパトラと小野小町だろう。小町なんか日本人しか知らんだろうな。ちなみに、裁縫で使う「まち針」は「小町針」が語源だという。この名称は針穴がないことに由来する。意味がわからない人は近所の物知りの老人に訊くといい。老人といえば、9月15日は「敬老の日」だが、それも今年まで。来年からは「敬老の日」は9月第3月曜日になり、15日は「老人の日」となる。実は「敬老の日」が国民の祝日になる前にも、この日は「老人の日」と呼ばれていた。その前は「としよりの日」で、兵庫県ローカルの記念日だった。話を一つ元へ戻して、小野小町については「日本の小町にゃ穴がない、フランス小町はボボアール」という都々逸(?)がある。確か、芦ヶ原伸之のパズルの本で読んだ記憶がある。その頃私は中学生だったので、意味がわからなかった。それからしばらく経って、上流家庭の令夫人に『少年探偵団』の主題歌を無理矢理歌わせるという羞恥責めの情景を描いたポルノ小説を読んだ。もうタイトルも作者名も忘れてしまったが「九州生まれの夫人にとって、その歌を歌うことは死ぬほどの恥ずかしさをもたらした」というような説明があったことは覚えている。あ、『少年探偵団』の主題歌を知らない人は、『テレビ探偵団』の主題歌をイメージしてもらえばいい。どちらも知らない人は……この文章を読まなかったことにしてくれ。

 で、なんで龍神村の話が羞恥責めに繋がるんだ?

 昨日のなぞなぞの回答が掲示板でいくつか寄せられている。だが、まだ正解者はいない。掲示板でもレスを付けたが、少し補足説明しておこう。
 第一に、一本のソフトクリームを複数の人間が分け合ったということはない。問題文にも「みんな仲良く一本ずつソフトクリームを食べた」と書いてある。
 第二に、問題文中の続柄はすべて実の血縁関係であるということも強調しておこう。婚姻または養子等により、法律上の義理の親子関係などが生じたという可能性は忘れてもらいたい。
 第三に、この問題はフィクションではあるが、物理法則、社会制度などは現実のそれと同じであるということ、特に問題文中の言葉は、すべて通常の意味で使われており、この問題文にしか通用しないローカルな用法があるわけではないということにも注意してほしい。当たり前の事かもしれないが、この前提を崩すと「実は、この遊園地で売られていた『ソフトクリーム』は宇宙生物の擬態であり、その生物はかわいい女の子の手に体を握られると、その刺激で分裂し、増殖するという特性をもつのだ」とか、「小鳥遊ひよこのいる世界では150×5=450という数式が成立する」とか「問題文は特殊な言語で書かれている。その言語の語彙は日本語と全く同じだが、『わけではありません』という言い回しがふつうの日本語の『わけです』に相当する」という"解答"がいくらでも考えられるので。
 これだけ説明してしまうと、もはや正解を明かしたも同然のような気もするが、もう少し引っ張っておく(結局二日後に解答をアップした。引っ張りすぎだったかもしれない)。ぜひぜひ掲示板に一言!

 「不審船と断定」(「一般人無双」1/24付「楽しい朝日新聞の読み方」参照)という愉快な表現について考えた。誰がこんな言い回しを考えついたのかは知らないが、非常に奇妙な言い方だ。では、なぜこの表現が奇妙なのか? わかりきった事のようだが、なかなかうまく説明できない。ほかにも「被疑者と断定」とか「UFOと断定」とか、いくらでも奇妙な言い回しの例を挙げることはできるのだけれど、さて、共通点はなんだろうか?
 逆に奇妙ではない言い回しを考えてみよう。「某国船と断定」(もちろん「某国」のままでは駄目で、ここに特定の国名を入れる必要がある)とか「犯人と断定」とか「空飛ぶ円盤と断定」という表現だと、さほど奇妙さは感じない。「不審船/被疑者/UFO」にあって「某国船/犯人/空飛ぶ円盤」にないものは何か? あるいは逆に前者になくて後者にあるものは?
 前者のグループはある事柄について外部の視点から見た表現だが、後者のグループはその事柄自体がもっている特性や本質を表す言い方ではないか? たとえば「不審船」はそれを観測した人々にとって「不審な船」なのであって、その船自体が不審性(?)を備えているわけではない。「被疑者」も警察や検察が疑いをかけているのだけで、本人が疑いを自身にかけていることはないだろう(夜な夜な街を徘徊して人殺しをする夢を見て、翌日になると夢のとおりに人が死んでいるのが発見されるので、自分が殺人犯なのではないかと恐れる、というような特殊なケースもあるにはあるが……)し、「UFO」も乗組員にとってはただの「星間牛モツ速配便」かもしれない。うん、なんとなく筋が通っているような気がする。まだ詰めが甘いかもしれないが、あまり深く考える事でもないと思うので、これくらいにしておこう。
 あ、わかっているとは思うが「UFO」というのは「未確認飛行物体」のことだよ。

 今日の朝食のおかずは、雪印食品のウィンナ・ソーセージだった。中にチーズが入っていておいしかった。もしかすると、もう二度と食べることができないかもしれない。残念だ。

(追記)
 一度アップしてから、この文章を読み直したのだが、まるで「天声人語」のように 論旨不明で非常識な内容だ。権威的でないことだけが救いとはいうものの、ちょっと落ち込んだ。風邪をひいてさえない毎日の中で書き留めた文章だから仕方がない、と言い訳しておこう。

1.10127(2002/01/26) 緊急の訂正

 一昨日のなぞなぞにさらにいくつかの回答が寄せられた。そこで、当初の問題に若干の欠陥があったことが分かってきたので、お詫びするとともに、以下改良バージョンを掲載する。
 小鳥遊(たかなし)ひよこちゃんは小学2年生の素直で明るくかわいい女の子です。ひよこちゃんは、ぽかぽかと暖かい5月の日曜日に、家族のみんなと一緒に遊園地に遊びに行きました。ひよこちゃんの家族は、パパとママ、お姉ちゃんとおじいちゃんです。
 ひよこちゃんはおおはしゃぎで遊園地の中を駆け回り、回転木馬に乗って「わーい」と歓声をあげたり、幽霊屋敷で「きゃーっ」と悲鳴をあげたりと休む暇もなく遊び続けました。でも、お昼過ぎになるとさすがに疲れてきました。それに喉も乾いています。そこで木陰のベンチで休んでいると、近くをアイスクリーム売りのワゴン者が通りかかりました。
「ねえ、パパ、ソフトクリーム買ってちょうだい」
ひよこちゃんがつぶらな瞳でおねだりをすると、パパは懐からお財布を出してくれました。ひよこちゃんは、そのお金で家族みんなの分のソフトクリームを買いました。おじいちゃんもパパもお姉ちゃんもママも、そしてもちろんひよこちゃんも、みんな仲良く一本ずつソフトクリームを食べたのです。
 食べ終わったとき、ひよこちゃんのお姉ちゃんが訊きました。
「このソフト、一本いくらだったの?」
「150円」
「じゃあ、全部で450円だね」
「うん」
 ソフトクリーム一本あたりの値段150円は消費税と地方消費税を含んでいます。また、何本買っても値引きはありません。では、どうしてひよこちゃんが使ったソフトクリーム代の合計金額が450円になったのでしょう?
 もちろん、アイスクリーム屋さんがお金の計算を間違えたわけではありません。
元の問題では、ソフトクリーム代の合計金額が450円であるというデータが姉妹の会話の中で出てきていただけで、"改め"が十分ではなかった。そこで地の文で補強しておいた。

 さりげなくリンク5件追加。「荒廃の歌」とか、これまで何でリンクしていなかったんだろう?

1.10128(2002/01/26) なぞなぞのこたえ

 一昨日のなぞなぞ(訂正版)については、まだ正解者が出ていないが、あまり一つのネタで引っ張るのもどうかと思うので、解答を書いておく。父親が実の娘を犯して生ませた子供が小鳥遊ひよこ、というのが答えだ。ごめんなさい、と一応謝っておく。

 その後、福井健太氏からこのなぞなぞについてメールを頂いた。メールの内容は、ぬるま湯に浸っていた私にとってはかなり厳しいものだった。転載の承諾を得たので、その一部を引用する。一部、文字色を背景色と同化させているが、それ以外は原文のまま。
 ところで「なぞなぞ」について。Fとヴィバルディはすぐに解ったんですが、最後の「父親が実の娘を犯して生ませた子供が小鳥遊ひよこ」というのは納得がいきません。この家系図はすぐに思いついたので「違和感がある」と言ったほうが正確かもしれませんが。問題文における固有名詞と文章のムードが柔らかいのは、解答との落差を狙ってのことだと思うし、それはそれでOKだと思います。ただ――あれだけ論理に穴を残さないように防御していたにも関わらず――どうして「父親が実の娘を犯して」と決め付けられるのかが理解できないんですよ。もっと理論武装が弱いクイズなら許容範囲内なんですが、自家中毒的なぐらいに武装をしておいて「父親が実の娘を犯して」と決め付けられるのが不可解である、と。
 要するに「犯して」という言葉が現象だけを示しているのなら、それはそれで筋は通るんですけど――「強姦した」と解釈した場合、どうしてそう決め付けられるのかという問題が出てくるし(和姦の可能性もあるし、それこそ体外受精だって考えられる)、ぶっちゃけた話、出題者が「娘を強姦した」というシチュエーションを嘲っている顔が透けて見えるんですよ。それはまあ、その手の成年漫画を読んだら笑うこともあるでしょう。っていうか笑います。でも今回の問題については、言葉は悪いですが(←言葉そのものに罪はないけれど)、品性の歪みを無防備に出していると受け取られかねない。もちろん「芸風」と言い張ることはできますが、だとしたら「自分はそれを論理性よりも重視する人間だ」と認めたことになりますよね? そういう人間はそちらもお嫌いではないかと。
 福井氏はプロのライターであり、文章の意味や含み、それらが読者に与える印象などについて常に鋭い考察をしている。氏のウェブサイト「CAPRICE CENTER」(ここからリンクしている)は物書きを目指す人(あるいは物書きの生態を垣間見たい人)にお勧めだ。まあ、今さら私が薦めるまでもないのだけれど。

1.10129(2002/01/27) 買い物・その他

 なぞなぞのこたえを書いてしまったので、ネタがなくなった。今日は、昨日買ったものもののリストでお茶を濁すが、明日以降はかなり苦しむことになるだろう。ああ、鬱だ……。
 買い物リストの前になぞなぞの補足をしておく。昨日のこたえでわからない人はいないと思うが、念のために書いておくとひよこの父は母方の祖父でもあり、母は同じ父の娘でもあるから、小鳥遊一家は3人家族であり、食べたソフトクリームの数も3本であるということ。掲示板でBad.さんから「おじいちゃんもパパもお姉ちゃんもママも、そしてもちろんひよこちゃんも、みんな仲良く一本ずつソフトクリームを食べたのです」という一文について指摘を受けた。自分でもかなり無理っぽい書き方だとは思うのだが、解答を発表したあとで訂正しても仕方がないので、そのままにしておく。
 ところで、ちょっと思いついたことがあるので書いておこう。誰かが「私はドルリーレーン四部作のうち『Zの悲劇』と『レーン最後の事件』はまだ読んでいない」と言ったとき、この言葉はその人が『Xの悲劇』と『Yの悲劇』を読んでいるということを含んでいるのだろうか? もし含んでいるとすれば、実際には『X』か『Y』のどちらか(あるいは両方)を読んでいなかった場合には、虚偽の言明をしたということになるだろう。逆に、そのような含みがないとすれば、別に嘘をついたことにはなるまい。
 私の考えは、こうだ。上の例文は発話者が『Z』と『最後の事件』を読んでいるとき、かつ、そのときに限り真となる。『X』と『Y』を読んでいるかどうかは、例文の真偽には無関係だ。よって件の文は「私」で指示される人物が『X』と『Y』を読んでいるということを含意しない。だが、この例文を具体的な発話状況のもとで考察すると話は違ってくる。仮に発話者が『X』だけ読んでいるなら「私は四部作のうち『X』しか読んでいない」と言うべきだろうし、どれも読んでいないなら「私は四部作を全く読んでいない」と言うべきだろう。そのように言わず、「私は四部作のうち『Z』と『最後の事件』は読んでいない」とことさらに未読作品のタイトルを挙げることは、タイトルを挙げていない作品は既読であるという含みをもつ。これは、「言葉を用いて何事かを述べる」という行為に関わる暗黙のルールに基づく。従って、『X』や『Y』を読んでいないのにこのように述べる事は、そのルールに対する違反ということになるだろう。「嘘をつく」という言葉を、この暗黙のルールをも含めた会話の脈絡全体のなかで聞き手に対して誤った情報を与えることだと解釈するなら、この話し手は明らかに「嘘をついている」。
 ここからミステリにおける「フェア/アンフェア」の問題や、叙述トリックの評価に関する話題へと発展させられるのだが、今はそこまでの準備ができていないので、残念ながら「言葉について考えるのは難しい」というごく当たり前の結論を述べて締めくくりとする。

 あ、なんかこれだけで一回分になってるな。でも、ついでなのでもう一つ書いておく。
 なぞなぞで「小鳥遊(たかなし)」という珍姓を用いた。別に「取違(とりちがい)」でも「執行(じっこい)」でもよかったのだが、優雅でほのぼのとした姓のほうがいいだろうと思ったからだ。ところで、私は実在する小鳥遊さんの名前を電話帳で見たことがある。ゼンリンの住宅地図にも載っていた。一回話をしてみたいと思っていたのだが、電話をかけたら悪戯電話になってしまうし、直に会いに行ったらストーカー同然だ。というわけで残念ながら小鳥遊さんは私の知り合いではない。

 さて、前置き(!)が長くなったが、昨日のお買い物について。長らく体調を崩していたので今年に入ってからは全く遠出していなかったのだが、昨日久しぶりに日本橋へ行ってきた。で、買ったものは……。
  1. 『羊のうた』(6)(冬目景/幻冬舎コミックス)
  2. 『まほらば』(2)(小島あきら/エニックス GANGAN WING COMICS)
  3. 『サトラレ』(2)(佐藤マコト/講談社イブニングKC)
  4. 『ぱペットレボリューション』(1)(真伊藤/講談社ワイドKC)
  5. 『月姫アンソロジーコミック』(宙出版ツインハートコミックス)
  6. 『月姫PLUS DISK』(TYPE-MOON)
  7. 『歌月十夜』(TYPE-MOON)
  8. 『日本管弦楽名曲集』(NAXOS)
  9. 『J.S.Bach:Harpsichord Concertos』(Bob van Asperen他/Virgin CLASSICS)
  10. 『GUILLAUME DUFAY:Complete Secular Music』(The Medieval Ensemble of London/L'OISEAU-LYRE)
 あと同行した後輩から『カウボーイビバップ』の海賊版香港版DVDを借りた。テレビシリーズ全話がディスク3枚に入っているらしい。
 久々の遠出ということで、本当はもっといっぱい買うつもりだったのだが、後輩に「そんな物を買うのは『人生短いからな〜』と言い訳しながらずるずると長生きしてしまう人間のすることだ」と訳の分からないコメントをされて、ちょっと控えた。この後輩には以前『AIR』の発売日に行列の並んで買わせたり、『月姫』の毒味をさせたりと、かなりこき使ったせいか、妙に心のねじくれた人間になってしまったようだ。
 さて、順に少しずつコメントする。1は3巻までまとめて買って、その後も買い続けている。冬目景は人気マンガ家で、ネット上での評判も高いので詳しく説明をする必要はないだろう。最近「少年ガンガン」で連載を開始したのは意外だった。エニックスの出版部門はお家騒動でガタガタになったと思っていたが、冬目景を引っ張ってくるとは油断がならない……と思っていたら峰倉かずやが離脱したりして先がよくわからない。まあ、どうせ『最遊記』なんか読むことはないだろうからどうでもいいけど。
 2は、そのお家騒動の影響をいちばんまともに食らった「ガンガンWING」の看板マンガ。今月号の表紙も『まほらば』だった。私は雑誌では読んでいないので、単行本が楽しみなマンガの一つではある。ちなみに、私が「WING」で読んでいるのは『スパイラル・アライヴ』(城平京・水野英多)だけだが、毎回(といっても隔月連載だが)好き放題に遊んでいて笑える。「鎌倉ハム」(江戸川乱歩『盲獣』の「鎌倉ハム大安売り」の章を参照。ただし版によってはこの章は削除されているので注意が必要)とか。
 3は、以前映画にもなったが私は見ていない。どの程度話題になったのだろう? 1巻では恥ずかしながら大いに泣いたが、この設定でどれだけのことができるのか、ちょっと疑問もある。そういうわけで、どのくらいレベルダウンしているのか、それともしていないのかを確かめるという、やや意地の悪い動機で買った。
 4は衝動買い。平棚の目につく位置にあったので、ついふらふらと買った。そういえば「最後通牒」で紹介していたっけ。帰りの電車の中で読んだ。かなりベタだがセンスは悪くない。
 5は……どうしようか迷ったんだが……最後の一冊だったし……いや、ほかの店には山積みになってたけど……う〜ん。私は「二次創作」というのはあまり好きではない。他人が苦心して作り上げた物語からキャラクターだけ抜き出して適当にいじっているマンガや小説を読むと「お前、楽してるだろう? あん?」と言いたくなってくる。そんな事をコミケなんかで言ったりすると袋叩きにあうから言わないけれど。楽している分の力を別のところに回して、トータルでオリジナルを超えるくらいの意気込みで書いた/描いた二次創作作品なら評価するが、そんな作品は多くはない。そんなに文句を言うならこんな本を買わなければいいのだが、初の「同人ゲームに基づく二次創作の商業出版物」ということで、その記念も兼ねて。昔、「二次創作の商業出版物」をはじめて本屋で見たときには衝撃を受けたものだが、変われば変わるものだ。東浩紀でも読んでみようかしらん?
 6は屈辱の再購入だ。「これだけ探しても見つからないのだから、買ったと思っていたのは思い違いだったのだ」と自分を納得させようとしたのだが、後輩が「確かに自分と同時に買ったはず」と強硬に主張するので、思い違いではなかったのだろう。もしかしたら再度紛失するかもしれないという不安にとらわれ、早速ハードディスクに叩き込んだ。おまけシナリオはよくできている。感想を書こうとすると伏せ字だらけになってしまうので、省略。
 7は未プレイなので特に感想はない。これからぼちぼちやることにする。
 8は輸入盤だが日本語解説(片山杜秀)が付いている。わりと気楽に聴ける親しみやすい曲が中心だ。
 9はバッハのチェンバロ協奏曲全集で4枚組。今聴いている最中だが、特に言うことはない。あ、『イタリア協奏曲』が入っているのか。
 10は初期ルネサンス音楽の大家デュファイの宗教音楽全集(というのは大間違い。「secuiar music」は世俗音楽だ)。5枚組で税抜き4100円だった。この種のCDはある時に買わないとあとで後悔することになる。

 「あなたはUFOを信じますか?」(「若おやじの殿堂」の1/25付の日記参照)についていろいろと考えてみた。が、うまくまとめられない。UFO研究について根本的に知識が欠けているので下手な事を言うと笑いものになるだけだし、かといってこれからUFOについて勉強するほど意欲があるわけではない。とりあえず、テレビの街頭インタビューなどでこの質問をするのは愚劣であることは間違いない。
 私だったら、どう答えようかなぁ。やっぱり「信じない」と答えることになるだろうなぁ。もの凄く誤解されてしまうだろうけど。
 「UFO」とは「未確認飛行物体」のことであり、すべての飛行物体の素性が確認されているわけではないのだから、UFOは存在すると言わざるを得ない、というのが常識的な回答だろう。だが、UFO研究者たちの間で「UFO」という用語が「理由の如何を問わず素性が確認されていない飛行物体」という広い意味で使われているのかどうか、私は疑問に思う。たとえば、目撃情報が不確かなせいで確認しようがない場合も「UFO」なのか? 原理的には確認が可能であるにもかかわらず、たまたま遭遇した人が確認能力を持たなかった場合も「UFO」なのか? とりわけ後者の問いは重要であると思われる。この問いに肯定的に答えることは「UFO」の規準を個人に相対化することになるからだ。「それはあなたにとってはUFOだが、天文学者にとってはUFOではないかもしれない」などという言い回しを許容することになる。だが、「××にとってUFOである」という語法は一般的ではないように思う。