1.10100〜1.10104 日々の憂鬱〜2002年1月第1週〜


1.10100(2002/01/01) 寝正月

 年は明けたが、相変わらず憂鬱だ。
 今日はほぼ一日布団を頭からかぶって寝ていた。
 こうやって文章を書くのも苦痛だ。
 知人のサイトを見ると、コミケとかオフ会とかの様子を書いている人が多い。私も書いたほうがいいのかなと思ったが、もう去年の話だし、今さら書く気にもならない。アクセスログを見ると、コミケで出会った人がこのページにリンクをはっていて、そのせいか年末にはいつもよりアクセス数が多かった。こちらからもリンクをはっておいたほうがいいのかもしれないが、タグを打つのも億劫だ。
 復調するまでしばらくこんな感じの文章が続くことになると思う。あるいは何日か更新しない、とか。
 まあ、それはそれとして、今年もよろしく。

1.10101(2002/01/02) 誰か私にお年玉を下さい

 昨日から親戚の子供が二人、我が家に寝泊まりしている。
 今朝その兄のほう(小学一年生)に叩き起こされた。午前十時半という非人道的なな時刻のことだった。
 居間兼食堂に向かうと、妹のほう(二歳)が恥ずかしいおもらしをして泣いていた。両親がトイレへ連れていってぐしょぐしょになったオムツを脱がしたのだと思うが、その現場は見ていない。居間に帰ってきた彼女は下半身に布きれ一つつけていない裸で、一本スジが通った清純な肢体を露わにしてとてとてと歩いていた。そこに彼女の両親が現れ、いやがる美幼女を二人がかりで無理矢理押さえつけ、まだ蒙古斑の残る愛らしい田麩臀部にオムツをはかせた。その情景をデジカメで撮影してアップしたらアクセス数が飛躍的にのびるのではないかと思ったが、その前にアカウントごと削除されてしまいそうなので、やめた。

 相変わらず不調だ……。

1.10102(2002/01/03) 買い初め

 依然、頭の調子が悪い。
 気晴らしに本屋に出かけることにした。昔は本屋は胸躍る空間だったが、満足に本が読めない今となっては、焦燥と後悔と追憶と妄執と諦念と悪寒の入り混じる場となっている。今年は何冊本が読めるだろうか。何冊読みもしない本を買ってしまうのだろうか。そんな事を考えると頭がくらくらする。なのに私は本から離れることができない。
 今日、一冊だけ本を買った。『怪奇探偵小説傑作選4 城昌幸集 みすてりい』(日下三蔵・編/ちくま文庫)だ。帰宅すると、去年買った『探偵小説の世紀』上・下(チェスタトン・編/創元推理文庫)が積んであった。いったい私はこんな愚行をいつまで続けるのだろう? そう思うとますます憂鬱になる。

 気を取り直して、『月姫』(TYPE-MOON)を始めることにした。放置プレー状態のゲームは多いが、ここ数ヶ月はほとんど新しく買っていない。「たそがれSpringPoint」を始めてから買ったゲームは『誰彼』(Leaf)と(どこにも買ったとは書いていないが)『信長の野望 武将風雲録』(Koei)だけだ。『信長の野望』は大晦日に始めて既に10時間以上遊んでいる。これはやろうと思えば永久に遊び続けられるし、別にどこでやめても構わないので気が楽だ。それより『月姫』のほうが重要だ。発売から一年以上経ち、今やオタク界ではスタンダードとなりつつあるこのゲームを未プレイのままではどうも居心地が悪い。周囲の人々の評判を聞くと往年の名作ゲーム『雫』『痕』(いずれもLeaf)よりも面白いという話だから、きっと私好みなのだろう。これを買ったのはたぶん去年の4月か5月で、『月姫読本』とかファンディスク(『月姫PLUS-DISK』のこと)とかも買ってある(ただしファンディスクは現在行方不明。鋭意捜索中)のにどうして今まで手を付けなかったのか自分でも不思議なくらいだ。
 で、早速CD-ROMをパソコンのDVDドライブに入れる。
 ……
 認識しない。妙にパソコンの動作が不安定になり、フリーズ状態が数分続く。ドライブがCDを読み込みにいく間、すべての動きがとまってしまう。が、マイコンピュータやエクスプローラでFドライブ(ハードディスクを三分割しているのでDVDドライブが)にアクセスしようとしても応答なし。というかそれ以前にふつうオートランでインストーラーか何かが起動するはずだろう。
 仕方がないので、CD-RWドライブに入れ替える。今度も読み込みに時間がかかったが、何とかインストールは完了した。早速ゲームを起動する。
 ……
 音が出ない。
 もしかしてCD=RWドライブのほうは音源に接続していなかったか?
 試しに別のCDを入れると、ちゃんと再生する。また『月姫』のディスクを音楽CDのプレイヤーに入れてトラック2から再生すると、音楽が聞こえてきた。やっぱりCD-DA方式だ。
 ディスクの裏面を見るとかすかに同心円状のスジが見える。もしかして「年輪プロテクト」か?(どうやらそんな大層なものではなく、ただのCD Extraだったらしい) プロテクトといえば『蒼ざめた月の光』(Studio e・go!)なんかは何の支障もなく起動したのだが……。私はそっちの方面には疎いのでよく知らないのだが、とにかく『月姫』と私の使っているドライブとの相性がよくないのは確かだ。
 さらにいろいろと設定をいじって、何とか音は出るようになったが、場面の切換時などに非常に時間がかかるのだけはどうしようもなかった。初回は音楽も全部聴きたいからそのまま進めるつもりだが、二回目以降は音楽なしにしようと思う。
 ともあれ、ようやくゲームを始めることができた。冒頭からプレイヤーを引き込むテクニックが冴えていて、確かに『雫』に似ている。それを超えているかどうかは今の段階(まだ主人公が洋館に入ったところまでしかやっていない)ではわからないが、これから先が楽しみだ。

 思うところあって、本を買った冊数などを表にしてみることにした。もちろん購入数を誇示するためではなくて、むしろその逆だ。その表では大まかなジャンル分けだけしておいて、タイトルや作者名などは一切捨象する。読んだ本についても同じような表を拵えたいのだが、そちらはさすがに数量だけというわけにはいかないので、表組みの仕方を検討中。ここにはまだ書いていなかったが、実は1日に既に一冊読み終わった本がある。だが、リストの冒頭を飾るのが『2ちゃんねる宣言』(井上トシユキ+神宮前.org/文藝春秋)というのは、ちょっと……。

1.10103(2002/01/04) 仕事始め

 既に気づいた人も多いと思うが、最近私は日記的な文章を書くようにしている。日記というのはその日起こった出来事を書けばいいのだから楽なものだ。読むほうにとってみれば、他人の生活の一端に触れたところで何の感銘も受けないだろうが、今はとにかく楽をしたい気分だから仕方ないのだ。いや、別に仕方なくはないか。
 で、今日は仕事始めだったのだが、書いても面白くないので省略する。とりあえず鬱の底辺状態からは脱出できたようで、ほっとしている。これも『月姫』のおかげか、と思ってみたりもするのだが、実際は逆で、頭の調子が回復したから新しいゲームを始めようという気になったのだろう。これまでの経験では、調子がとことん悪いときには新しいことをする気が全然起こらず、数時間黙々とフリーセルばかりやるということも多い。そんな時、毎日必ずウェブサイトを更新するという目標を立てておくと、多少のリハビリにはなる。なぜなら、文章を書くということはある意味ではルーティンワークでありながら、書く内容は一回一回異なっているのでそれなりに頭を使うからだ。しかし、それでもいちばんひどい時にはパソコンの電源を入れても全然文章を書く気が起こらず、かといってデスクトップを見つめ続けることにも耐えられず、ふと気がつくとフリーセルをやっているということがよくある。と、この辺で改行しよう。
 昨晩はかなり調子がよくなってきたせいか、「たそがれSpringPoint」を更新した後、年賀状の返事を書いた。年賀状については去年書いたように返事さえもしない状態が何年も続いていたのだから、これはもう本当に驚くべきことだ。たぶんそのうちリバウンドで相当悲惨な精神状態に陥ることになると思うが、とりあえず今のところは平静を保っている。
 今日は、『月姫』を三日目の途中まで進めた。非常に面白い。やはり予想どおりだった。今日は「子どもと買春」というテーマで雑文を書く予定だったが、変更してこんなどうでもいい気の抜けた文章を書いているのは、早く続きをやりたいからだ。まあ、そんなわけでしばらくこの状態が続くことと思う。

 追記。その後わずか10数分で、サメに食われてバッドエンドを迎えた。

1.10104(2002/01/06) 謎

 私はアクセス解析の仕組みが今ひとつよくわからない。今日、ログを見ていると、見たことがないURIから私のページにとんできた人がいたようだったので、どんなページなのか興味を持って覗いてみることにしたのだが、そのページのどこにも「たそがれSpringPoint」へのリンクはなかった。ページのタイトルが「日々の憂鬱」になっていて私の雑文と同じだが、何か関係があるのだろうか?
 一方、わかりやすいのが検索エンジンからとんで来た場合で、最近では「バッハ」「モリムール」「ヒリヤード」で検索してきた人がいた。該当する文章はすでに過去ログ入りしているが、ちゃんと見つけられただろうか。まあ、Googleだったから大丈夫だと思うが、このページ以外のアクセス状況はわからない。gooで引っかかることもたまにあるようだが、文字化けしていて検索語が不明だ。残念なことだ。

 相変わらずテンションの低い文章だ。自分で読んでいてもげんなりする。昨日更新を休んでいるので、二日続けて更新しないのもまずいだろうと思い、こうやって文章を書いているのだが、どうにも気が乗らない。仕方がないから、日記でお茶を濁そう。

 昨日は正午過ぎに目がさめた。昼食をとってからパソコンに向かい、『信長の野望 将星録』を黙々とやり続けた。気がつくと夕方になっていた。夕食後、「これはいけない!」と一念発起し、『月姫』を始めた。一昨日、ワニに食われたあと、TYPE-MOONのオフィシャルサイトで差分ファイルを入手し、ヴァージョンを2.0にあげて、心機一転最初からのプレイだ。個々のセーブデータは使えないが、未読/既読判定は生きているので、さくさくと既読場面をとばして、バッドエンド直行の選択肢の直前からやり直す。夜中に人が尋ねてくるイベントで反実在論的展開に首を傾げるが、その後、実はその展開が実在論的であったことが判明した。
 ここでの「実在論/反実在論」という用語は説明なしではわかりにくいかもしれないが、とりあえず続ける。
 途中、創立記念日のあたりで一昨日のことを「昨日」と書いているシナリオバグを発見したが、概ね破綻なく最後の決戦まで進んだ。あとで攻略チャートを見ると、デッドエンドに至る選択肢もいくつかあったようだが、運良くトゥルーエンドへの道を歩んでいたようで、難なく戦いに勝利し、あとはエンディングを見るだけ、というところまで来た……ように思った。ちょうど午後10時になったので、いったんゲームを中断し、学生時代の後輩に電話をした。その後輩には去年の今頃「『月姫』というゲームが面白いらしいよ」と言って無理矢理やらせたことがある。自分がやる前に毒味をさせようとしたのだから、ひどい話だ。で、その後輩は三日かけて独力でコンプリートし、「『月姫』は『雫』『痕』を超えた」と太鼓判を押してくれた。それで私も『月姫』を買ってきたのだが、うろうろしている間に世間での評判がどんどん高くなっていき、それと反比例してどんどんやる気が失せて、そのうち本の山に埋もれてしまい、これまで未プレイのままだったのだ。
 後輩と話をしているうちに自分が大きな勘違いをしていることに気づいた。「最後の決戦」だと思っていたエピソードは実は中間地点の一つで、その後も物語が続いていくということがわかったのだ。夜も更けて寒くなってきた。この先何時間かかるかわからないので、続けてプレイする気にならず、この日はそれで中断した。

 今日も正午くらいに目がさめた。昨日は昼間に『信長の野望』をやっていたせいで時間が足らず『月姫』を中途半端なところでやめてしまっている。天下統一にも未練はあるが、既に征夷大将軍になっているので、あとは簡単だろう。昼食のあとすぐに『月姫』にとりかかった。昨日の電話で、バットエンドコースを辿らないと見られないCGがあることを聞いてあったので、それらしい選択肢で一度セーブして、まずはバッドエンドのほうを見た。その後、セーブデータをロードしてトゥルーエンドへの道をひたすら進む。こう書くと、ほとんどセーブしていないようだが、そんな事はなくて、毎日最初の選択肢で必ずセーブする、というルールを作って規則的にセーブしていた。しかし、残念ながらセーブデータを見てもどのルートのどこの場面でセーブしたのかがわからない。せめてゲーム内での日時だけでも表示してくれれば助かるのだが……。まあ、真のゲーマーならメモを取りながら攻略している筈だから、こんなのは障害のうちには入らないだろう。
 で、トゥルーエンドを見て、すぐ直前の選択肢からやり直してハッピーエンドを見た。あ、言い忘れたが、これはシエルルートだ。
 とりあえず最後まで辿ったところで、ぬるゲーマーたる私は心おきなく『月姫読本』を開いた。最初のほうのチャートがえらく複雑で驚いた。ともあれ、未読テキストとバッドエンドのうち面白そうなのをいくつか見て、シエルのCGコンプリート(これ以前にメガネの有無は実行済み)。続いてアルク攻略に乗り出したが、夕食で中断。
 ルートに入る条件さえ間違えなければ、あとはほぼ一本道で、仮にバッドエンドに行ってもたいていは直前の選択肢からやり直せば問題ない。そうわかっていても、一度攻略チャートを見てしまうと、どの選択肢が最善なのかが気にかかってしまう。何度も『月姫読本』を伏せたり開いたりした。どんどん気が滅入っていく。ゲームを楽しんでいるというより作業をしている感じだ。これはいけない。午後10時になったのをきっかけに昨日と同じようにゲームを中断した。チャートの残りをざっと見た感じでは、あと2時間程度か。
 で、今こうしてだらだらと文章を書いている。多少気分は回復した。が、こんな文章につき合わされたほうはたまったものではないだろう。でも、あと何日かはこんな状態が続くはずだ。とはいえ平日にはちょっときついので、週末まで封印するかもしけないけれど。
 「実在論/反実在論」の話はそのうち暇になったらすることにしようと思う。
 後から考えてみると、「実在論/反実在論」という用語はあまり適当ではないことがわかってきた。が、かわりの言葉が思いつかない。そのせいで、この点についてなかなか書き出せない。目をつぶって無理矢理書いてしまう価値もないので、しばらく保留しておく。

 ああ、そういえば、この二日間家から一歩も外に出ていないや。