【日々の憂鬱】近所付き合いもしないくせに国益について語るのはいかがなものか。【2004年10月上旬】


1.11175(2004/10/01) 新幹線開業40周年

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0410a.html#p041001a

突然だが、明日旅行に出ることにした。行き先は中京方面だ。来春に廃止される予定の名鉄600V区間に乗ってこようと思う。もう一つ別件もあるのだが、それは帰ってくるまで秘密にしておこう。もしかしたら永遠に秘密にするかもしれないが、それもまた一つの人生だ。

なお、新幹線は使わないつもりだ。

1.11176(2004/10/03) 拡大鏡

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0410a.html#p041003a

旅行から帰ってきた。来春廃止予定の名鉄600V区間のうち未乗だった美濃町線の新関〜関に乗ってきた。手許の時刻表ではこの区間の営業キロはわずか300メートルで、もちろんこれだけのために旅行したわけではない。前回の記事では伏せておいた別件があったからだ。その別件というのは、ずっと前に一度だけ言及した米澤オフin名古屋である。

私はこれまで詳細なオフレポを書いたことが一度もない。オフ会の最中には、帰ったらこの話を書こうと思うことが多いのだが、後から振り返ってみるとなかなか書きにくい。記憶が薄れて正確に再現できないこともあるし、その場の雰囲気や話の流れから切り離して一つの挿話だけ紹介しても面白くないことも多い。また、当然のことながら、いくら面白い話でも個人のプライヴァシーに関わることは書けない。

そういうわけで、今回もオフ会の内容については一切書かないことにする。興味のある人は政宗九の視点の10/2付の記事を見ていただきたい。

オフ会は夕方からだったのだが、その前に谷川流サイン会にも行ってきた。オフ会のことを書かないかわりに、このサイン会での出来事を少し書いておこう。

このサイン会は『涼宮ハルヒの暴走』(谷川流/角川スニーカー文庫)発売記念で、予め書店で前金を払って整理券を入手しておき、当日その整理券を持っていけば引き換えに谷川流氏のサイン本が貰えるというシステムになっていた。

同行した石野休日氏、草三井氏、極楽トンボ氏、政宗九氏(五十音順)の各氏は事前に整理券を入手していたが、私は持っていなかった。どうしようか迷ったが、書店に行くとまだ整理券が若干残っていたので、サインを貰うことにした。サイン待ち行列は整理番号順だったので、他の4氏は先にサインを貰い、私は少し遅れて行列に並んだ。

そこで、面白いというか、滅・こぉるさんを激怒させた事件、という出来事があったわけなのだが、その事について書く前に述べておかなければならないことがある。

先日、後輩と電話で話していたときに、谷川サイン会のことが話になった。ミステリ系とラノベ系のウェブサイト管理人で徒党を組んで谷川流サイン会に殴り込みをかけるつもりだ、というふうに面白おかしく誇張した言い方をしたところ、後輩はぽつりと言った。

「節度をもって行動しましょうよ」と。

趣味でサイトを運営している私と、仕事の一環としてサイン会に臨む谷川氏とでは、当然のことながら立場が全然違う。それを忘れて、浮かれて羽目を外すことを心配して、後輩は私をたしなめたのだった。だが、名古屋に着いて、極楽トンボ氏や草三井氏との初対面を果たして舞い上がってしまい、サイン会場に着く頃にはすっかり後輩の言葉を頭の片隅に追いやってしまっていた。

先に行列に並んだ4氏はもちろん羽目を外すこともなく、ごく自然に谷川氏のサインを貰っていたのだが、それを列の外(行列と一般客を区切るため、簡単な柵を設置してあった)から見ていた私は、ただサインを貰うだけではつまらないから何か面白い事を言ってやろう、とあれこれ考えを巡らせていた。

そして、私が行列に並ぶ頃には、それなりに考えがまとまっていた。今となっては思い出したくもないほど恥ずかしいので具体的には書かないが、このサイトでときどき書いている悪ふざけを三割増しくらいにしたものと想像していただきたい。

さて、サイン待ちの行列で、私の二人前にいた高校生くらいの少年が鞄から文庫本を取り出した。『学校を出よう!』だった。私の位置からではどの巻かは確認できなかったが。その少年と柵の外にいた二人連れ(私にはこちらも高校生のように見えたが、石野氏は大学生くらいだと言っていた)が「『学校を出よう!』でもサインしてくれるかなぁ」「大丈夫、大丈夫。オレ、さっき『ハルヒ』の既刊にサイン貰ったもん」というような会話を交わしていた。

書店で開催されるサイン会に本を持ち込んでサインを求めるのもどうかと思うが、強く頼めば場合によっては応じてくれることもあるだろう。だが、それを当然の権利のような口ぶりで言うのにはかなりムッとした。また、谷川氏の周囲でサポートをしている人々は明らかに角川スニーカー文庫の関係者だとわかるのに、電撃文庫から出ている『学校を出よう!』にサインを貰おうとするなんて……。案の定、列をさばいていた背広姿の男性にやんわりとサインを断られた。私からは後ろ姿しか見えなかったので表情はわからないが、件の少年はそれでサインを諦めたようだった。

ところが、外野の二人連れの片方がキンキン声で「横暴だ!」とか「抗議しようよ!」とかまくし立て始めた。その前にも「オレなんかさぁ、『茉衣子ちゃんの下着が黒なのは、先生の趣味ですか、それともイラストレーターさんの趣味ですか?』とか訊いちゃったよぉ」などと大声で言っているのを心の中で苦笑しつつ聞いていたのだが、次の一言にはさすがにカチンと来た。

谷川先生に甘えちゃおうよぉ

私は柵越しに手を伸ばして、私がサインを貰い終わるのを待っていた政宗氏(もしかしたら、政宗氏ではなく極楽トンボ氏だったかもしれない。気が動転していて、よく覚えていない)の肩に手を置いた。そうやって気を静めていないと、斜め前にいるキンキン声の××××(ここに汚い言葉が入るので、自粛して伏せ字にする)に手持ちの鞄をぶつけそうになる衝動を抑えることができなかったろう。後ろで私が身を震わせているのを知ってか知らずか、××××はさらに「なんで駄目なんだよぉ。おんなじ角川じゃないかよぉ」などと暴言を吐き続けていた。だが、行列をさばいていた人が取り合わず、件の少年の番が過ぎて、その場は自然に収まった。

私の前の人がサインを貰い、続いて私の番になった。私は「お願いします」と軽く挨拶して、整理券を差し出した。整理券の裏には氏名記入欄があり、私はそこに「滅・こぉる」などというふざけたハンドルではなく、本名を記しておいた。谷川氏は無言でペンを走らせた。私は「有難うございました」と一言だけ礼を言ってサイン本を受け取り、その場を去った。

ここまで書いてみて、私は自分の文章力のなさを改めて実感した。これでは、その時の雰囲気が全然伝わらない。残念だが、これ以上書いても仕方がない。

今から考えれば、あの非常識極まる××××のお陰で私は醜態を晒さずにすんだともいえる。感謝する気にはなれないが、少なくとも安堵はしている。

今日の教訓:人の振り見て我が振り直せ

1.11177(2004/10/04) 怒りと響き

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0410a.html#p041004a

旅行の話の続き。ただし、昨日も書いたように米澤オフの内容には触れないことにするので、今日の雑文は『喉切り隊長』的締めくくりになることを予め断っておく。


谷川サイン会が2時前に終わり、ミステリ&ラノベ系サイト管理人5人組は少し遅めの昼食をとることになった。名古屋といえば、きしめん、味噌煮込みうどん、天むす、ひつまぶし、イカスミスパゲッティなど豊かな食文化を誇っている。せっかくだから、何か名古屋のご当地食を食べようという思い、我々は地下街に潜入した。

名古屋といえば地下街、地下街といえば名古屋。名古屋で地上を歩いていると道を知らない田舎者呼ばわりされる、という話を聞いたことがある。名古屋には名駅から栄を通って鶴舞に至る長大な地下街があり(註:実際に行ってみたら、名駅からは隣の国際センター駅までしかなかった)、名古屋人は迷宮のように入り組んだ地下街で生まれ育ち、なかには地上に出ることなく生涯を終える者も少なくない、とも。そして、この名古屋人の地下街偏愛は、知らず知らずのうちに人外の者を招き寄せる要因ともなり、今では人間に混じってかなり多数の吸血鬼や食屍鬼の類が跋扈するようになっている、という話でもあった。他の街なら太陽の光によって浄化され消滅するはずの、これら生物学の法則に反するモノ共が、ここ名古屋では一般人と全く同じ生活様式をとることができるので、摘発し駆除するのが容易ではないのだ。

そういうわけで、名古屋の地下街は禍々しくも絢爛たる異形空間であるらしいのだが、我々が入ったトンカツ屋はごく普通の店だった。そこで全員味噌カツ定食を注文した。考えてみれば、私と石野休日氏、政宗九氏はともかく、地元民の草三井氏と極楽トンボ氏はこの機会にことさら味噌カツを食べる必要はなかったはずなのだが、その場の勢いで何となくそうなったらしい。

トンカツ屋に入ったときには既に午後2時を過ぎていたため、店内の奥の席には我々以外に客はいなかった。そこで、私は谷川サイン会以来ぐっと堪えていたものを思う存分ぶちまけることができた。その内容は昨日書いたとおりだが……。


さて、サイン待ちの行列で、私の二人前にいた高校生くらいの少年が鞄から文庫本を取り出した。『学校を出よう!』だった。私の位置からではどの巻かは確認できなかったが。その少年と柵の外にいた二人連れ(私にはこちらも高校生のように見えたが、石野氏は大学生くらいだと言っていた)が「『学校を出よう!』でもサインしてくれるかなぁ」「大丈夫、大丈夫。オレ、さっき『ハルヒ』の既刊にサイン貰ったもん」というような会話を交わしていた。

昨日、この文章を書きながら少し不自然な言葉が含まれているような気がしていた。それは「既刊」である。文章ではよく使われる言葉だが、話し言葉としては少し硬いし、この文脈だったら具体的な本のタイトルを挙げるほうが自然なのではないか。だが、私の記憶では確かに××××(前回同様に伏せ字)は「既刊」と言ったはずで、他の言葉を聞き間違えたわけではない。もちろん一字一句間違いなく覚えているわけもないのだが。

ところで、上の文章を書いたあとで、ネット上で次のような記事を見つけた(文章は適当に省略した。また、強調は引用者)。

879 名前:イラストに騙された名無しさん 投稿日:04/10/03 23:42:08 ID:HYFGQ3JN
今更でアレなんだが……。
2日にやったパッセのサイン会に逝った香具師って他にいる?
俺は逝ってきた。塾に遅刻した。
881 名前:イラストに騙された名無しさん 投稿日:04/10/03 23:56:28 ID:n/vK6A0S
>879
俺は行ってないが妹にパシらせた、持って行けば全巻サインしてくれたらしいな。
持っていかせれば良かった。

もしかして……。

私が聞いたせりふは「大丈夫、大丈夫。オレ、さっき『ハルヒ』の既刊全巻にサイン貰ったもん」だったのかもしれない。「全巻」という言葉を聞き逃していたのかどうか、今となっては確かめるすべもないのだが、そう考えると筋が通る。

なんだかますます腹が立ってきた。


腹の立つ話はこれくらいにしておいて、もう少し楽しい話をしよう。

味噌カツ定食を食べ終わり、店の人が頻繁に「お茶のお代わりはいかがですか?」と言うようになったので、我々は席を立った。オフ会の待ち合わせ時刻まであと2時間弱。さて、これからどこに行こうか?

金がかからず適当に時間を潰せる場所といえば、やはり本屋だろう。オフ会の待ち合わせ場所はジュンク堂だが、そこにはラノベがほとんどない。そこで、地下鉄に乗って、とらのあなへと向かった。

とらのあなに着き、迷わずラノベコーナーへと向かう。そこで私は極楽トンボ氏に言った。「このコーナーにある本の中で、いちばんのお薦め本を一冊だけ選んで下さい」と。毎月30冊のラノベを読む極楽トンボ氏が、一冊だけという条件でどの本を選ぶのか、それが興味深くもあったのだが、それより何より私の鞄の中に『涼宮ハルヒの暴走』しか入っていないという事情のほうが大きかった。この一冊だけでは旅行から帰るまで持たないので、何か本を仕入れておく必要があると思っていたのだ。

さすがの極楽トンボ氏も、一冊だけという条件は厳しかったようだ。さらに「もし、読んでみて面白くなかったら、帰ったら徹底的に罵倒しますので、そこんとこよろしく」と意地悪なプレッシャーをかけたので、かなり迷ってしまったようだった。

迷いに迷ったあげく極楽トンボ氏が選んだ本は、とあるシリーズの一冊だったのだが、「本当にこれでいいんですか? 『推定少女』より面白いんですか?」と、最近まいじゃー推進委員会!で一押しの作品名を挙げると

「……いや、『推定少女』のほうが……」

そういうわけで、私は『推定少女』(桜庭一樹/ファミ通文庫)をレジに持っていった。

本当のことをいえば、極楽トンボ氏の魂の一冊、サイトには書けない真のお薦め本が何だったのかを知りたくもあったのだが、それを聞いてしまうとこうやってネタにすることもできなかったろう。ともあれ『推定少女』が極楽トンボ氏のお薦め本のひとつであるのは確かだし、とらのあなでの一幕がなくても読むつもりだったので、この事については文句はない。

で、旅行中に『推定少女』を読んだので、極楽トンボ氏との約束通り感想を書こうと思うわけだが、今日はちょっと長くなってしまった。明日以降に回すことにする。


とらのあなで買った本はこれだけだが、ゲームコーナーで最近話題の『ひぐらしのなく頃に』という同人ゲームを買った。いまプレイ中の『ランスVI』はいちおうエンディングに到達しているので、次はこれに取りかかることにしようと思う。


そんなこんなで時間は過ぎて、いよいよ米澤オフin名古屋の集合時刻が迫ってきた。再び地下鉄に乗り名駅に向かい、ジュンク堂に入り、幹事のnakachu氏ほか創元推理倶楽部の方々も集結したところで、玄関前に移動。主賓の米澤穂信氏が東京創元社の担当編集者の桂島氏を伴って現れるのを皆で今か今かと待ちかまえる。

そして――

「来たぞッ!」と誰かが叫ぶ。

見ると、横断歩道の彼方から白煙とともに二つの人影が徐々に迫ってくるではないか。足音は控えめだが、しかし、確実に大きくなっていく。いや、もしかしたらそれは私の心拍音だったのかもしれぬ。

白煙に覆われ、二人の姿は判然としない。

そこに一陣の光が差し込み、一瞬だけ二人を照らした。

私は思わず呟いた。

あやにょこ……」


おまけ

オフ会のことは書かないつもりだったが、ひとつだけ。参加した人のことではなく、参加しなかった人のことを書いておこう。

8月末に突然サイトを更新停止した茗荷丸氏についてはさまざまな噂が飛び交っている。「まるでペインキラー氏のようだ」という人もいれば、「新刊情報をチェックせよ」と言う人もいる。また「小松左京賞の授賞式で角川春樹と肩を組んで歌を歌っている姿を見かけた」という目撃談もあるが、これはさすがに嘘だろう。ともあれ、これまで茗荷丸氏の消息について確かなことは何もわからなかった。夏コミでお会いしたときにはあんなに元気そうだったのに……。

その茗荷丸氏に関して意外な情報が明らかにされた。その場にいた米澤氏も「ええッ、アノ茗荷丸さんが……ソンナ……ソンナ非道い事が……」と慟哭し、動転のあまり鴨居に頭をぶつけてしまったほどだ。激・衝撃だ。

だが、その真に驚くべき事実を記すには余白が少なすぎる。というか、私には真実を暴露する勇気がない。ここは思わせぶりな事だけ書いておくのが賢明だろう。

ああ、茗荷丸さん。私の知り合いではあなたで三人目です。

1.11178(2004/10/05) Mein junges Leben hat ein End

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0410a.html#p041005a

というわけで、『推定少女』(桜庭一樹/ファミ通文庫)の感想を書くことにしよう。もちろん、罵倒などしない。私が小説を読んで罵倒するのはミステリの場合だけだ。


桜庭一樹といえば最近富士見ミステリー文庫の『GOSICK』シリーズが評判になっている。私もそのうち読もうと思ってはいるのだが、人生は短く本は多い。なかなか手を出せずに現在に至っている。よって、この人の本を読むのは『推定少女』が初めてだ。

『GOSICK』の作者が女性だということはどこかで読んだ記憶があるし、『推定少女』のカバー見返しの著者紹介文にも、えんため大賞出身の美(少)女作家。と書かれているのだから、当然そんな事は承知の上で読んでいるべきなのだが、なぜか私は全然気が回らず、作者は男性だと思い込んで本文を読み、最後にあとがきを読んで少し驚いた。でも、それで読後感が変わったとか、評価を修正したとか、そういったことは全くない。作者が男性であろうが女性であろうが、小説は男性でも女性でもないのだから。

この小説に安直なレッテルを貼るとすれば「青春小説」ということになるだろう。多感な思春期の少女である主人公が抱えるその年代特有の問題を縦糸として、そして彼女が出会った謎の美少女を巡るさまざまな事件を横糸として織りなす物語である。だが最後まで読むと、どうも横糸のほうが弱い。その場その場では読者を飽きさせずにテンポよく進むのだが、ラストできちんと締めくくられていないのだ。これが非常にひっかかった。

例の変な評論家の言動は一体何だったのか、いくら考えてもよくわからない。255ページあたりの説明では収まりきらない。だが、それ以上に気になるのは、主人公自身の問題に直結する、あの事件がなかったことにされてしまうことだ。義父との確執は? 彼女そそのまま無事に中学校を卒業できたのか? それとも……エピローグの行間には書かれざるドス黒い日常生活が隠されているのだろうか?

どうにも釈然としないまま本を閉じて、しばらく経ってからこう考えた。先に私はこの小説を織物に喩えたが、それは間違いだった。作中で語られるさまざまな事件は、糸は糸でも織物の糸ではなく、手術用の縫合糸なのだ、と。鋭い刃物で切り裂かれた傷が縫合糸で縫い合わされ、とりあえず傷は塞がる。そして、もはや役目を終えた縫合糸は抜糸され、あとには傷痕だけが残される。

おそらく、この小説のポイントは、痛みを伴う傷であり、そして、やがては薄れていくものの決して消え去ることがないその痕跡なのだろう。縫合糸の抜糸が十分ではないのは確かだが、それは大きな問題ではない。

……と、纏めてはみたものの、やっぱり私はこの小説を手放しで誉める気にはならない。雰囲気はいいし、読んでる最中は退屈せず楽しめたので、これはこれでいい読書体験だったとは思うのだけど……。


『推定少女』を読み終えたのは、新可児発河和行きの急行電車が新名古屋に到着したのとほぼ同時だった。私はそこで下車し、近鉄名古屋駅に向かった。アーバンライナーに乗って大阪難波まで約2時間。座席に着いてすぐに『涼宮ハルヒの暴走』(谷川流/角川スニーカー文庫)に取りかかった。

次回はその感想を書くことにしよう。

1.11179(2004/10/06) 恐怖の愉しみ

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0410a.html#p041006a

というわけで、『涼宮ハルヒの暴走』(谷川流/角川スニーカー文庫)の感想を書くことにしよう。もちろん、罵倒などしない。私が小説を読んで罵倒するのはミステリの場合だけ……あれ? なんで「罵倒」などという言葉がここに出てくるのだろう?

まあ、いい。深く考えるまい。


こんなことを書くと正気を疑われそうだが、私は『暴走』を読んでいる間、なんとも言えない不気味さが周囲を漂っているような不安に襲われた。はっきり言えば、かなり怖かった。

同じ著者の「学校を出よう!」シリーズはSFの衣を着せたホラーだと私は考えている。それに比べると「涼宮ハルヒ」シリーズのほうはキャラクター中心なので安定性が高くあまりホラー的ではない、というのがこれまでの私の見方だった。だが、『暴走』に収録された3篇を読んで、いよいよ「ハルヒ」もホラー化しつつあると感じた。


キャラクターに重きを置いたシリーズ作品の是非についてはなかなか難しい問題がある。たとえば、佐野洋と都筑道夫の間で交わされた有名な名探偵論争(この論争で議論の焦点になったのは、"名探偵"ではなく、"シリーズ探偵"である)は両者の主張が平行線を辿ったまま、とうとう決着がつかなかった。

佐野洋の意見とは多少のずれもあるが、星新一もシリーズ作品に否定的な立場を生涯貫いた。その星新一が遺した唯一の連作ショートショート集のタイトルが、『暴走』の102ページの地の文に登場するのは偶然だろうか?

偶然だろう。

ちなみに、112ページには岡嶋二人の長篇のタイトルも登場する。これも偶然だろうが。


シリーズ探偵は便利な存在で、多少無理のある推理でもシリーズ探偵が口にすれば、過去の実績に免じて受け容れられてしまうことがある。だが、そんな安直なことではいけない、と佐野洋は言った(このあたりは原文を参照せずに記憶に頼って書いているので、注意されたい)。それに対して、都筑道夫は、シリーズ探偵が登場することに伴う読者の安心感を逆手にとったミステリの可能性を示唆した。

今では古典中の古典になってしまっているので、逆手にとられる読者はもはやいないだろうが、バークリーの『毒入りチョコレート事件』はまさにそれを目指している。短篇版の「偶然の審判」でシリーズ探偵ロジャー・シェリンガムが推理した"真相"が、この長篇版では別人の推理によって覆されてしまうのだ。

「ザ・スニーカー」に掲載され、『暴走』に再録された「エンドレスナイト」と「射手座の日」の2篇は、それぞれ単独ではコミカルな作品だが、「序章」と「雪山症候群」に挟みこまれることにより別の様相を示すことになる、というのは穿ちすぎだろうか?

穿ちすぎだろう。

ちなみに、『毒入りチョコレート事件』は192ページで言及されている。


『退屈』所収の「孤島症候群」はほぼ純然たるミステリだったが、「雪山症候群」はミステリとは呼びにくい。いちおう謎解きがあるのでミステリと呼んでも構わないのかもしれないが、謎の提示のされ方がかなり違っている。ボルヘスよりもラッカーに近いのではないか。

と、偉そうに書いてはみたものの、実はまだラッカーの小説は一冊も読んだことがない。ゲーデルの弟子だから、それらしい小説を書いているのではないかと想像してみただけだ。


SFもそうだが、それ以上に私はホラーに疎い。だから、上で書いた「SFの衣を着せたホラー」という表現はもしかすると全く的外れかもしれない。

いや、「もしかすると」などと言うまでもない。この辺りの感想文と私のそれとは大幅に違っている。タイトルを伏せたら、誰も同じ小説の感想だと気づかないだろう。


よく知りもしないホラーについて語るのはやめて、以下3篇それぞれの感想を簡単に書いておく。


「エンドレスエイト」はタイトルを見ただけで現象の見当がつく。ありがちな手だが、反復回数の多さは佐々木淳子の名作「霧ではじまる日」に迫る。

溶けてバターになった過去(?)は「雪山症候群」で読者の不安を誘うコピー仮説(263ページ)の原型ともいえる。シリーズ作品だから最後には必ず脱出できるとわかっていても平安は訪れない。それは世界崩落の予兆であるかもしれないのだから。

ところで、この"はじまり"がなぜ8/17なのか、私にはちょっと解せない。常識で考えるなら、夏休み初日が"はじまり"だろう。または40ページの会話がなされた日(たぶん8/18)ではないか。まあ、こんな事に常識は通用しないけれど。


「射手座の日」は他の2篇ほどは怖くはなかった。とはいえ、不安な要素がないわけではない。たとえばデカルト様々などといっているようでは、先が危ぶまれる。デカルトに頼るような人間が正常であるはずがない、というのは偏見か?

偏見だろう。

どうでもいい話だが、昔私が所属していた文芸部の隣にもコンピュータ研があった。もちろん我が文芸部はSOS団に乗っ取られることもなく、従ってコンピュータ研と対決することもなかったけれど。ただ、長門のように無口で本ばかり読んでいる眼鏡っ娘は一人いた。私は彼女とほとんど会話を交わした記憶がないのだが、一度だけ何かの機会に彼女の小説(長門とは違って小説を書いていることを隠してはいなかった)が掲載された同人誌を買ったことがある。その後、彼女は富士見ファンタジア長編小説大賞を受賞したが、当時の私はヤングアダルト小説(まだ「ライトノベル」という言葉はなかった)に興味がなく、受賞作しか読まなかった。どうでもいい話おわり。


で、最後の「雪山症候群」だが、もう感想はあらかた書いてしまった。付け加えるなら、278ページ以下の緊張感の盛り上げ方はうまいなぁ、という程度。似たような技巧を用いた2500枚の某長篇ミステリとは比較にならないほど緊密だ。


最後に、まいじゃー推進委員会!に倣って、今日の名台詞を紹介しておく。

「あなたが見ていたのはどちらのユキでしょう。空から降るほうですか? それとも、」

語り手のキョン自身は気づいていないけれど密かにキョンを想っていることが読者にはバレバレ、といったキャラがこの台詞を口にしたのならより効果的だったのだが……。

1.11180(2004/10/07) 意思の献血

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0410a.html#p041007a

今日、献血をした。前回と同じく成分献血で時間がかかるので、その間に本を読んだ。『監獄島』(加賀美雅之/カッパノベルス)の下巻だ。もちろん、この分厚い本を献血の時間に全部読んだわけではないが、ともあれ今日で読み終えたので、感想を書いておこう。血を抜かれて疲れているので簡単に。

メインのトリックと犯人は比較的早い段階でわかった。上巻の100ページくらいのところで。とはいえ、論理的に推理して証明したわけではなく、なんとなく「こいつが怪しそうだ」と思っただけなので、自慢にはならない。また、最後まで読んでみると、私の想像とは少し違っていて、同名異人だと思ったら、実は偽者だった。ちょっとアンフェアっぽい気もする。

文章は平板だが、ところどころ妙に仰々しいところもあって、バランスが悪いと思った。また、無駄な描写か記述の重複も多く、字面を追うのがかなり苦痛だった。登場人物の呼称にいちいち「看守」とか「所長」とか役職名をつけているのも文章の単調さの一因だったと思う。疑似翻訳調なのだから、もう少し人称代名詞が多くてもよかったのではないか。

文章上の細かい点を二つほど挙げておく。上巻160ページ下段に次のような文章があった。これはある登場人物が島嶼監獄流刑史について語る場面の一節である。

古くは古代ギリシャで、『アヘン追放』と呼ばれる刑があった。ギリシャ市民が周囲にとって望ましからざる人物を追放する制度だが、その追放先は明らかにされていない。まあ、ギリシャという国そのものが島嶼国家だから、エーゲ海に散在する島のひとつだと考えられる。実際クレタ島には『クレタの迷宮』と呼ばれる洞窟状の監獄があり、この洞窟にひとたび投獄されると、まず生きては出られなかったそうだよ。

最初、私は「アヘン追放」というのが何のことだかわからなかった。アヘン(阿片)といえば麻薬の一種だ。麻薬を追放するのが、なんで刑罰なのだろうか?

しばらく考えて、これが「陶片追放」の誤記だと気づいたとき、私は驚愕した。いったい、どうすればこんな間違いが起こりうるのだろうか!

後になってみれば、別に驚くほどのこともない。こんな間違いは誰にでもある。ムソルグスキーのことを「ムソグルスキー」と誤記した私が言うのだから確かだ。「アヘン追放」など些細な事だ。

……でも、あれって島流しの刑だったっけ?

もう一つ気になったのは、同じく上巻の、少し戻って54ページ下段の科白だ。

「気がつかなかった? 貴方はさっき私のことを『君』って呼んだのよ。それまではずっと『貴女』って呼んでいたのに――」

これは、イギリス人女性がアメリカ人男性に向かって発した言葉だ。

さて、ここで問題です。いったい、この科白は何語だったのでしょう?

以上二点はこの小説のミステリとしての構成や仕掛けとは関係がないので、まあどうでもいいといえばどうでもいい。ただ、この種の文章を読まされると一字一句に気配りするのが馬鹿らしくなり、その後の文章を斜め読みすることになりかねない(というか、私は実際かなりとばし読みをした)ので、その意味ではマイナス効果が大きいだろう。

では、『監獄島』はミステリとしてどうか。これは好みにもよるだろうが、不可能犯罪が大好きで、機械トリックに抵抗がなく、過去の名作をあまり読んだ経験がない人には十分に楽しめるものになっているだろう。強いて欠点を挙げるなら、共犯が多すぎるということくらいか。

なお、下巻148ページ上段2行目〜3行目及び同ページ下段8行目〜13行目で示されたデータと、ベルトランの推理で述べられた犯行計画(440ページ上段10行目以降)の間には齟齬があるが、これは単に犯人が粗忽だったからなので、気にしてはいけない。

1.11181(2004/10/09) 介入と実行と終了

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0410a.html#p041009a

最近矢継ぎ早にどんどん本が出る谷川流の新刊『学校を出よう!(6) VAMPIRE SYNDROME』(電撃文庫)を読んだ。このシリーズは4巻まで一話完結だったが、全巻とこの巻は話が繋がっていて、5巻の「第六章・C」に続いて6巻は「六章・D」から始まる。5巻の章題には「第」が入っているのに6巻には入っていないのが妙だが、これは単なる校正上のミスと考えられる。「疎外」が「阻害」になるという類のミスも多い。他のレーベルに比べて電撃文庫は校正が雑なような気がするのだが……。

5巻を読んだとき、まだ話の途中だからということで小説そのものの感想は書かずに、あとがきの感想とか作中のちょっとした台詞へのコメントとかでお茶を濁したので、今度こそはきちんと感想を書かなければならないのだが、よく考えてみると「書かなければならない」というのは私が勝手に言っていることであって、誰からも強制を受けてはいない。だったら、感想など書かなくてもいいのではないか。うん、そうだ。


だが、一つだけ後始末をしておかなければならない。前回、次巻の予想として次のように書いておいた。

調子に乗って、もう一つ予想しておこう。『学校を出よう!(5) NOT DEAD OR NOT ALIVE』の冒頭に登場する<彼女>は実は高崎佳由季だ、というのが私の予想だ。特に根拠はないし、12ページ2行目や93ページ4行目などの記述を見る限り、かなり無理っぽいが、この程度で諦めてはいけない。

真実は一箇月後に明らかになる。外れていたら、こっそり書き換えることにしよう。

下手の考え休むに似たり。私の想像は全く大外れだった。本当は伏せ字の部分だけ書き換えるつもりだったが、諸般の事情により予定を変更して削除だけに留めることにした。


6巻はよりホラー度が増して秩序が不可逆的に崩壊し、このシリーズをこれ以上続けることができない地点に到達するものだと私は予想していた。この予想も見事に裏切られた。この展開でこんなどんでん返しを仕掛けてくるとは……脱帽だ。もともと帽子など被ってはいないけれど。

先日書いたように、私は「学校を出よう!」シリーズを「SFの衣を着せたホラー」として読んでいたのだが、6巻を読み終えると必ずしもそうはいえないという気になってきた。SFの衣を脱がせ、ホラーの肉をそぎ落としたあとに残るのはいったい何なのだろうか? 「ミステリの骨格だ」と言いたいが、話はそう簡単ではないだろう

だが、あまり隠されたものばかりに拘っても仕方がない。むしろ、作品の表層のほうに目を向けるべきだ。宮野と茉衣子の物語としても、真琴と佳由季の物語としても楽しく読めるのだから。

この後、このシリーズがどういう方向に進むのか全く想像もつかないのだが、やはりそのうち春奈が復活するのだろうか? それより個人的には神田健一郎の再登場を希望する。

1.11182(2004/10/10) 俳句日記

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0410a.html#p041010a

グールより グルーが怖い 目の日かな