【日々の憂鬱】烏賊が菜も野かいかがなものか。【2004年3月下旬】


1.11005(2004/03/21) 巫女の恩返し

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040321a

元ネタはこれ


あるアラブ系の男性が街を歩いていると、地図を見ながらしきりに首をかしげている巫女さんに出会った。

どうやら彼女は道に迷ってしまったようだ。

そこで生来親切な男性は彼女に話しかけ、どこへ行きたいのかを尋ねると詳しく道順を説明してあげた。

するとその巫女さんは感激した様子で彼にこんなことを言ってきた。

「あなたはとても親切な人ですね。お礼に良いことを教えてあげましょう。これから1週間の間は決して神社に行ってはいけません。いいですね」

それだけを告げると、巫女さんは足早にその場から立ち去っていった。

男性は敬虔なムスリムだったので、もとより神社に参拝することはなかったが、不思議に思って近所の神社の裏にのぼって、こっそりと境内の様子を窺った。すると、普段は静かな境内に武装した巫女さんが集結していた。

「今こそ、我ら出立のとき!」

「おー、出立のとき!」

「腐敗した政党、財閥、報道機関に天誅を下し、神国ニッポンの威を天下に知らしめるのよ!」

「おー、知らしめるのよ!」

脅威を感じた男性は巫女軍団に見つからないうちにこっそりその場を離れ、すぐに日本を出国した。

無事母国に帰り着いた男性は、アラーの神に感謝の言葉を捧げたのち、「いやはや、ファナティックな日本人の考えることは、平和を愛する我々イスラムの民には理解できないものだ」と呟いた。

1.11006(2004/03/21) 真理へと至る細く長い道

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040321b

読者のことを何も考えず、ただ執筆意欲の赴くままに好き放題書き散らかしたくなる今日この頃、みなさんいかがお過ごしですか?

と、いきなり矛盾した書き出しで始めてしまったが、今日は数日前に出した問題の解法の説明を行う。まずは問題を再掲しておこう。


問題:次の法律の条文を指示に従って書き直せ。

(派遣職員に関する地方公務員等共済組合法 の特例)

第七条  地方公務員等共済組合法 (昭和三十七年法律第百五十二号)第四十三条第二項 の規定及び同法 の短期給付に関する規定(同法第五十三条第十号の二 に掲げる育児休業手当金及び同条第十号の三 に掲げる介護休業手当金に係る部分を除く。以下この項において同じ。)は、派遣職員には適用しない。この場合において、同法 の短期給付に関する規定の適用を受ける職員(同法第二条第一項第一号 に規定する職員をいう。以下この項において同じ。)が派遣職員となったときは、同法 の短期給付に関する規定の適用については、そのなった日の前日に退職(同法第二条第一項第四号 に規定する退職をいう。)をしたものとみなし、派遣職員が同法 の短期給付に関する規定の適用を受ける職員となったときは、同法 の短期給付に関する規定の適用については、そのなった日に職員となったものとみなす。

2  派遣職員に対する地方公務員等共済組合法 の長期給付に関する規定の適用については、派遣先団体の業務を公務とみなす。

3  派遣職員は、地方公務員等共済組合法第百十二条第一項 各号に掲げる福祉事業を利用することができない。

4  派遣職員に関する地方公務員等共済組合法 の規定の適用については、同法第四章 中「給料」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定給料」と、「期末手当等」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定期末手当等」と、同法第八十七条第二項 中「地方公務員災害補償法第二条第二項 」とあるのは「労働者災害補償保険法 (昭和二十二年法律第五十号)第七条第二項 」と、同法第六章 中「給料」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定給料」と、「期末手当等」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定期末手当等」と、同法第百十三条第二項 中「次の各号」とあるのは「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」と、「及び地方公共団体」とあるのは「、公益法人等への一般職の地方公務員の派遣等に関する法律(平成十二年法律第五十号)第二条第三項に規定する派遣先団体(以下「派遣先団体」という。)の負担金及び地方公共団体」と、同項第一号中「次号に掲げるものを除く」とあるのは「育児休業手当金及び介護休業手当金に要する費用に限る」と、「地方公共団体の負担金」とあるのは「派遣先団体の負担金」と、同項第二号及び第三号中「地方公共団体の負担金」とあるのは「派遣先団体の負担金」と、同法第百十六条第一項中「地方公共団体の機関又は職員団体」とあり、及び「地方公共団体又は職員団体」とあるのは「派遣先団体」と、「第百十三条第二項(同条第五項の規定により読み替えて適用する場合を含む。)」とあるのは「第百十三条第二項」と、同法附則第四十条の四第二項中「「次の各号」とあるのは「次の各号(第五号を除く。)」と、同条第四項中「第二項第五号」とあるのは「附則第四十条の四第一項」と、第百十六条第一項中「含む。)」とあるのは「含む。)及び附則第四十条の四第一項」」とあるのは「「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」とあるのは「次の各号(第一号の二、第四号及び第五号を除く。)」と、「、公益法人等への一般職の地方公務員の派遣等に関する法律(平成十二年法律第五十号)第二条第三項に規定する派遣先団体(以下「派遣先団体」という。)の負担金並びに地方公共団体(市町村立学校職員給与負担法第一条 又は第二条 の規定により都道府県がその給与を負担する者にあつては、都道府県。以下この条において同じ。)」とあるのは「及び公益法人等への一般職の地方公務員の派遣等に関する法律(平成十二年法律第五十号)第二条第三項に規定する派遣先団体(以下「派遣先団体」という。)」と、同条第四項中「第二項第五号」とあるのは「附則第四十条の四第一項」」とする。

第七条第一項を削り、同条第二項中「地方公務員等共済組合法の長期給付に関する」を「地方公務員等共済組合法(昭和三十七年法律第百五十二号)の」に改め、同項を同条第一項とし、同条第三項中「第百十二条第一項各号に掲げる福祉事業を利用することができない」を「第三十九条第三項の規定にかかわらず、引き続き職員派遣をされた日の前日において所属していた地方公務員共済組合(同法第三条第一項に規定する地方公務員共済組合をいう。)の組合員であるものとする」に改め、同項を同条第二項とし、同条第四項中「第八十七条第二項中「地方公務員災害補償法第二条第二項」とあるのは「労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)第七条第二項」を「第四十三条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」と、同法第五十五条の二中「補償でこれらの給付に相当する通勤(同法第二条第二項の通勤」とあるのは「補償(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法の規定による補償)でこれらの給付に相当する通勤(地方公務員災害補償法第二条第二項の通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項の通勤)」と、同法第八十七条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」に、「第百十三条第二項中「次の各号」とあるのは「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」と、」を「第百十三条第二項各号列記以外の部分中」に、「同項第一号中「次号に掲げるものを除く」とあるのは「育児休業手当金及び介護休業手当金に要する費用に限る」と、」を「同項第一号から第四号までの規定中」に改め、「、同項第二号及び第三号中「地方公共団体の負担金」とあるのは「派遣先団体の負担金」と」を削り、「又は職員団体」を「、特定地方独立行政法人又は職員団体」に、「同条第五項」を「同条第五項から第七項まで」に、「附則第四十条の四第二項中「「次の各号」とあるのは」を「附則第四十条の四第二項中「」に改め、「「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」とあるのは」を削り、同項を同条第三項とする。


早速、解説に入ろう。既存の法律の文言の一部を改正するとき、改正前の文言をA、改正後の文言をBとすると、

第○条第○項中「A」「B」改める。

と書く。文言を削除するときには「削る」と書き、追加するときには「加える」と書く。どの場合でも、ふつうに日本語が理解できる人なら、何も迷うことはない。

にもかかわらず、法律の改正文がややこしいのは、ひとつの条の条文の改正を一文でやるというルールがあるからだ。そして、もう一つ、引用が何重になっても二重括弧は用いず、鉤括弧を重ねて用いるというルールもある。改正される法律に括弧が用いられている場合、改正文はかなりこみ入ったものになってしまう。

このことを踏まえたうえで、法律の条文を手直ししていくことにしよう。まず、準備作業として改正文をほぐしておく。

  1. 第七条第一項を削り、
  2. 同条第二項中「地方公務員等共済組合法の長期給付に関する」を「地方公務員等共済組合法(昭和三十七年法律第百五十二号)の」に改め、
  3. 同項を同条第一項とし、
  4. 同条第三項中「第百十二条第一項各号に掲げる福祉事業を利用することができない」を「第三十九条第三項の規定にかかわらず、引き続き職員派遣をされた日の前日において所属していた地方公務員共済組合(同法第三条第一項に規定する地方公務員共済組合をいう。)の組合員であるものとする」に改め、
  5. 同項を同条第二項とし、
  6. 同条第四項中「第八十七条第二項中「地方公務員災害補償法第二条第二項」とあるのは「労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)第七条第二項」を「第四十三条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」と、同法第五十五条の二中「補償でこれらの給付に相当する通勤(同法第二条第二項の通勤」とあるのは「補償(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法の規定による補償)でこれらの給付に相当する通勤(地方公務員災害補償法第二条第二項の通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項の通勤)」と、同法第八十七条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」に、「第百十三条第二項中「次の各号」とあるのは「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」と、」を「第百十三条第二項各号列記以外の部分中」に、「同項第一号中「次号に掲げるものを除く」とあるのは「育児休業手当金及び介護休業手当金に要する費用に限る」と、」を「同項第一号から第四号までの規定中」に改め、「、同項第二号及び第三号中「地方公共団体の負担金」とあるのは「派遣先団体の負担金」と」を削り、「又は職員団体」を「、特定地方独立行政法人又は職員団体」に、「同条第五項」を「同条第五項から第七項まで」に、「附則第四十条の四第二項中「「次の各号」とあるのは」を「附則第四十条の四第二項中「」に改め、「「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」とあるのは」を削り、
  7. 同項を同条第三項とする。

6以外の指示以外は簡単だ。とりあえず第四項以外を指示に従い書き直してみる。

(派遣職員に関する地方公務員等共済組合法 の特例)

第七条  地方公務員等共済組合法 (昭和三十七年法律第百五十二号)第四十三条第二項 の規定及び同法 の短期給付に関する規定(同法第五十三条第十号の二 に掲げる育児休業手当金及び同条第十号の三 に掲げる介護休業手当金に係る部分を除く。以下この項において同じ。)は、派遣職員には適用しない。この場合において、同法 の短期給付に関する規定の適用を受ける職員(同法第二条第一項第一号 に規定する職員をいう。以下この項において同じ。)が派遣職員となったときは、同法 の短期給付に関する規定の適用については、そのなった日の前日に退職(同法第二条第一項第四号 に規定する退職をいう。)をしたものとみなし、派遣職員が同法 の短期給付に関する規定の適用を受ける職員となったときは、同法 の短期給付に関する規定の適用については、そのなった日に職員となったものとみなす。(1)

(3)  派遣職員に対する地方公務員等共済組合法 の長期給付に関する地方公務員等共済組合法(昭和三十七年法律第百五十二号)の(2)規定の適用については、派遣先団体の業務を公務とみなす。

(5)  派遣職員は、地方公務員等共済組合法第百十二条第一項 各号に掲げる福祉事業を利用することができない第三十九条第三項の規定にかかわらず、引き続き職員派遣をされた日の前日において所属していた地方公務員共済組合(同法第三条第一項に規定する地方公務員共済組合をいう。)の組合員であるものとする(4)

さて、いよいよ第四項(改正後の第三項)の書き直し作業に取りかかる。上でほぐしておいた改正文の6をさらに分析する。

同条第四項中「第八十七条第二項中「地方公務員災害補償法第二条第二項」とあるのは「労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)第七条第二項」「第四十三条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」と、同法第五十五条の二中「補償でこれらの給付に相当する通勤(同法第二条第二項の通勤」とあるのは「補償(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法の規定による補償)でこれらの給付に相当する通勤(地方公務員災害補償法第二条第二項の通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項の通勤)」と、同法第八十七条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」、「第百十三条第二項中「次の各号」とあるのは「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」と、」「第百十三条第二項各号列記以外の部分中」、「同項第一号中「次号に掲げるものを除く」とあるのは「育児休業手当金及び介護休業手当金に要する費用に限る」と、」「同項第一号から第四号までの規定中」改め、「、同項第二号及び第三号中「地方公共団体の負担金」とあるのは「派遣先団体の負担金」と」削り、「又は職員団体」「、特定地方独立行政法人又は職員団体」、「同条第五項」「同条第五項から第七項まで」、「附則第四十条の四第二項中「「次の各号」とあるのは」「附則第四十条の四第二項中「」改め、「「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」とあるのは」削り、

さらにほぐして箇条書きにしてみよう。

  1. 同条第四項中「第八十七条第二項中「地方公務員災害補償法第二条第二項」とあるのは「労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)第七条第二項」「第四十三条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」と、同法第五十五条の二中「補償でこれらの給付に相当する通勤(同法第二条第二項の通勤」とあるのは「補償(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法の規定による補償)でこれらの給付に相当する通勤(地方公務員災害補償法第二条第二項の通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項の通勤)」と、同法第八十七条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」
  2. 「第百十三条第二項中「次の各号」とあるのは「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」と、」「第百十三条第二項各号列記以外の部分中」
  3. 「同項第一号中「次号に掲げるものを除く」とあるのは「育児休業手当金及び介護休業手当金に要する費用に限る」と、」「同項第一号から第四号までの規定中」改め、
  4. 「、同項第二号及び第三号中「地方公共団体の負担金」とあるのは「派遣先団体の負担金」と」削り、
  5. 「又は職員団体」「、特定地方独立行政法人又は職員団体」
  6. 「同条第五項」「同条第五項から第七項まで」
  7. 「附則第四十条の四第二項中「「次の各号」とあるのは」「附則第四十条の四第二項中「」改め、
  8. 「「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」とあるのは」削り、

aが異様に長いが、気にする必要はない。この指示と上の7を第四項(改正後の第三項)に適用すると、次のようになる。

(7)  派遣職員に関する地方公務員等共済組合法 の規定の適用については、同法第四章 中「給料」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定給料」と、「期末手当等」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定期末手当等」と、同法第八十七条第二項 中「地方公務員災害補償法第二条第二項 」とあるのは「労働者災害補償保険法 (昭和二十二年法律第五十号)第七条第二項 第四十三条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」と、同法第五十五条の二中「補償でこれらの給付に相当する通勤(同法第二条第二項の通勤」とあるのは「補償(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法の規定による補償)でこれらの給付に相当する通勤(地方公務員災害補償法第二条第二項の通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項の通勤)」と、同法第八十七条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を(6-a)」と、同法第六章 中「給料」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定給料」と、「期末手当等」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定期末手当等」と、同法第百十三条第二項 中「次の各号」とあるのは「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」と、第百十三条第二項各号列記以外の部分中(6-b)「及び地方公共団体」とあるのは「、公益法人等への一般職の地方公務員の派遣等に関する法律(平成十二年法律第五十号)第二条第三項に規定する派遣先団体(以下「派遣先団体」という。)の負担金及び地方公共団体」と、同項第一号中「次号に掲げるものを除く」とあるのは「育児休業手当金及び介護休業手当金に要する費用に限る」と、同項第一号から第四号までの規定中(6-c)「地方公共団体の負担金」とあるのは「派遣先団体の負担金」と、同項第二号及び第三号中「地方公共団体の負担金」とあるのは「派遣先団体の負担金」と(6-d)、同法第百十六条第一項中「地方公共団体の機関又は職員団体、特定地方独立行政法人又は職員団体(6-e)」とあり、及び「地方公共団体又は職員団体、特定地方独立行政法人又は職員団体(6-e)」とあるのは「派遣先団体」と、「第百十三条第二項(同条第五項同条第五項から第七項まで(6-f)の規定により読み替えて適用する場合を含む。)」とあるのは「第百十三条第二項」と、同法附則第四十条の四第二項中「「次の各号」とあるのは附則第四十条の四第二項中「(6-g)「次の各号(第五号を除く。)」と、同条第四項中「第二項第五号」とあるのは「附則第四十条の四第一項」と、第百十六条第一項中「含む。)」とあるのは「含む。)及び附則第四十条の四第一項」」とあるのは「「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」とあるのは(6-h)「次の各号(第一号の二、第四号及び第五号を除く。)」と、「、公益法人等への一般職の地方公務員の派遣等に関する法律(平成十二年法律第五十号)第二条第三項に規定する派遣先団体(以下「派遣先団体」という。)の負担金並びに地方公共団体(市町村立学校職員給与負担法第一条 又は第二条 の規定により都道府県がその給与を負担する者にあつては、都道府県。以下この条において同じ。)」とあるのは「及び公益法人等への一般職の地方公務員の派遣等に関する法律(平成十二年法律第五十号)第二条第三項に規定する派遣先団体(以下「派遣先団体」という。)」と、同条第四項中「第二項第五号」とあるのは「附則第四十条の四第一項」」とする。

最後の仕上げ。ここまでで修正した条文をまとめておこう。

(派遣職員に関する地方公務員等共済組合法 の特例)

第七条  派遣職員に対する地方公務員等共済組合法(昭和三十七年法律第百五十二号)の規定の適用については、派遣先団体の業務を公務とみなす。

2  派遣職員は、地方公務員等共済組合法第三十九条第三項の規定にかかわらず、引き続き職員派遣をされた日の前日において所属していた地方公務員共済組合(同法第三条第一項に規定する地方公務員共済組合をいう。)の組合員であるものとする。

3  派遣職員に関する地方公務員等共済組合法 の規定の適用については、同法第四章 中「給料」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定給料」と、「期末手当等」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定期末手当等」と、同法第四十三条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」と、同法第五十五条の二中「補償でこれらの給付に相当する通勤(同法第二条第二項の通勤」とあるのは「補償(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法の規定による補償)でこれらの給付に相当する通勤(地方公務員災害補償法第二条第二項の通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項の通勤)」と、同法第八十七条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」と、同法第六章 中「給料」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定給料」と、「期末手当等」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定期末手当等」と、同法「及び地方公共団体」とあるのは「、公益法人等への一般職の地方公務員の派遣等に関する法律(平成十二年法律第五十号)第二条第三項に規定する派遣先団体(以下「派遣先団体」という。)の負担金及び地方公共団体」と、同項第一号から第四号までの規定中「地方公共団体の負担金」とあるのは「派遣先団体の負担金」と、同法第百十六条第一項中「地方公共団体の機関、特定地方独立行政法人又は職員団体」とあり、及び「地方公共団体、特定地方独立行政法人又は職員団体」とあるのは「派遣先団体」と、「第百十三条第二項(同条第五項から第七項までの規定により読み替えて適用する場合を含む。)」とあるのは「第百十三条第二項」と、同法附則第四十条の四第二項中「「次の各号(第五号を除く。)」と、同条第四項中「第二項第五号」とあるのは「附則第四十条の四第一項」と、第百十六条第一項中「含む。)」とあるのは「含む。)及び附則第四十条の四第一項」」とあるのは「次の各号(第一号の二、第四号及び第五号を除く。)」と、「、公益法人等への一般職の地方公務員の派遣等に関する法律(平成十二年法律第五十号)第二条第三項に規定する派遣先団体(以下「派遣先団体」という。)の負担金並びに地方公共団体(市町村立学校職員給与負担法第一条 又は第二条 の規定により都道府県がその給与を負担する者にあつては、都道府県。以下この条において同じ。)」とあるのは「及び公益法人等への一般職の地方公務員の派遣等に関する法律(平成十二年法律第五十号)第二条第三項に規定する派遣先団体(以下「派遣先団体」という。)」と、同条第四項中「第二項第五号」とあるのは「附則第四十条の四第一項」」とする。

一見したところ複雑過ぎて到底解決が不可能だと思われる問題でも、このように冷静に分析し、一歩一歩前進すれば解決できるものなのだ。諦めてはいけない。真理への道は万人に開かれているのだから。

1.11007(2004/03/22) 「萌えミステリ往復書簡」に関するメモ

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040322a

やっぱりこれは読者軽視も甚だしい、と反省したので、ミステリの話でもしてご機嫌を伺おうと思ったが、あいにく最近私の読書活動は低調でミステリをあまり読んでいないので読書感想文が書けないので、今話題の萌えミステリ往復書簡についてコメントしてみようと思いついたが、よく考えるとまだ始まったばかりの企画だし、よく考えなくても今の段階でちょっかいを出すのはあまりよろしくないので、見出しはそのままにしておいて内容を変更し、ちょっと外れた話題を取り上げる。

萌えミステリ往復書簡でも言及されている現象学という哲学流派(と言っていいのかどうかわからないが、あまり深く考えないことにしよう)があるが、それに対する批判文を最近見つけた。KRITIK DER PHAENOMENOLOGIE(タイトルはドイツ語だが、本文は日本語なので安心してほしい。見えてきた近未来/哲学―私の最終講義という本にも収録されているそうだ。情報もと:スネオヘアワックス)という文章だ。こけが果たして現象学に対してどれくらい有効な批判になっているのか私にはわからない(たぶん笠井潔の矢吹駆シリーズには適用できないだろうと思う)が、フッサールの新しいマヌスクリプトが発見される度ごとに、現象学者は、まるで鬼が目をつぶっている間だけ身体を動かすことが許されている子どもの遊びを演じるようにして、すこしずつ立場を変えていく。とか二人のフッサールがいる。現象学者は、この二人のフッサールを二枚のカードにして手に持っている。初期フッサールの旗色が悪くなると晩年フッサールというカードを使う。晩年フッサールの形勢不利とみるや初期フッサールというカードを使う。とか論理(倫理でもいい)の基礎づけの心理学主義を批判したことを、鬼の首をとったように自慢するのが現象学者の常だが、要するに論敵におとなしく「心理学主義という誤り」という志向性の裏番組に収まっていて欲しいという願望にすぎない。などという言い回しは、それだけ抜き出してみても興味深い。私もこんな文章が書けるようになりたいものだ。

また、感性的世界のロゴスによって経験が成立することは、世界が己れを意味として整えつつ贈ってくることであるーーとは珍しく詩的な表現で、朝日を浴びた現象学者が、意味を贈りつけてくれる世界に向かって、<汝の意味をさらに贈り賜え>と祈りを上げているみたいだ。という一節には詩的な表現に対する筆者の警戒心が表れていて興味深い。もっとも、こんなテキストも書いている人なので、詩や文学そのものを拒否しているわけではないだろうが。

最後のほうにはミステリを引き合いに出した文章もある。

「反省が哲学的原理としてもっていた絶対的明証性の神話はここで崩壊しはじめる」というのは、「分からないことが目の前に出てくると分からなくなる」と述べているのとほとんど実質が変わらない。「絶対的…の神話が崩壊する」という表現は、「誤って絶対化したから、当然の報いで自滅する」という趣旨なのか、「人々にとって絶対的であることが当然認められて良かったものが、絶対的でないと判明する」という意味なのか。下手なミステリーの末尾の文章を読まされているようで、要するに私の役目は「すごい!」とうなって青ざめて見せることなのだろうか。この徹底的に無意味な文章に対して。

これはいい。今度から下手なミステリを読んだときには、「すごい!」とうなって青ざめて見せることにしよう。


ちょっと外れた話題どころか、かなりずれた話題になってしまった。再び反省。


ミステリにはいろいろな面白さがあるが、謎解きの面白さに限っても、大きく分けると二通りの異なった面白さがある。

  1. 不可解な謎がわずかな発想の転換により一挙に解きほぐされて真相が立ち現れる面白さ。
  2. 雑然としたデータが徐々に整理され、秩序づけられていく面白さ。

前者の面白さはミステリマニアでなくても比較的理解しやすい。たとえば、最近話題になった小説のいつくかは叙述トリックをメインに据えている(よってタイトルは挙げない)が、それらはふだんミステリを読まない層にも受け入れられている。他方、後者の面白さはミステリマニア以外にはなかなか理解されない。いや、自称「ミステリマニア」の中にも、このような辛気くさくて地味な要素には目もくれない人が大勢いる。それはそれで個人の嗜好だから文句を言うつもりはないが、そんな人が「クイーン流のロジック」とか「尊敬する作家は鮎川哲也」とか言っているのを見聞きすると、なんとなくむっとする。

さっき「最近私の読書活動は低調でミステリをあまり読んでいない」と書いたばかりだが、先日『新・本格推理04』(二階堂黎人(編)/光文社文庫)を読んだことを思い出した。だが、この文章の流れで感想文を書くのはあまり得策ではないのでやめておく。


Anything.com〜えにしんぐどっとこむ〜経由でM県電波まとめ二次元さぷりめんと倶楽部)を読んだ。久々の押しかけ厨だ。いや、私が知らないだけで、似たような事例はずっと発生し続けていたのだろう。

危険はいつでも身近なところにある。私の身にもいつ災厄が降りかかってくるかわからない。気をつけなければ。

1.11008(2004/03/22) 『萌えるミステリサイト管理人「もえかん(仮)」』に関するメモ

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040322b

炭酸カルシウムガールズもえかん原稿募集要項が公開された。

以前私はいろいろ好き放題に意見を述べているうちに、だんだん私も参加したくなってきた。書くとすれば小説だが、果たして締切に間に合うかどうか。と書いた。締切は7/18なので今から書けば十分間に合う。だが、私には小説が書けるかどうか非常に怪しい。小説が書けないのなら、エッセイや評論でもいいではないかいいではないか、と言う人もいるかもしれない。「いいではないか」がダブった。だが、それではここで書いていることと同じになってしまうから、私としてはもし参加するなら小説を書くという一線は守りたい。また、できればミステリを書きたいとも思っている。

とはいえ、ミステリを書くというのは非常に難しいことだ。世の中にはこの難事を軽々と易々と楽々とやり遂げてしまう人々がいて感心するが、私にはそのような才能がない。生まれてこの方まともなミステリなど一度も書いたことがない。では、まともではないミステリなら書いたことがあるのか? これはちょっと難しい質問だ。どうせ質問しているのも私なら答えるのも私、こんな公衆の面前では答えないことにしよう。

ミステリを書く困難さとは別の問題もある。それは、一方で他人の書いたミステリにケチをつけておきながら、他方で平然と自作を公開できる図太さが私にはないということだ。人間誰でも批判されるのは嫌なものだ。せっかく苦労してミステリもどきを書き上げても、それをけちょんけちょんにけなされてしまったら、私はいったいどうすればいいのだろう? そう考えると怖くて小説など書けない。

何か工夫が必要だ。他人の書いた小説に対しては今までどおりの態度をとり続け、かつ、自作に対する批判を予め免れることができるような。そんな都合のいい手はあるものだろうか?

そこで私は考えた。今の私が小説を書いたなら未熟さを批判されたときに受け答えができない。だが、仮に中学生のときに書いた作品ならどうだろう? もちろん未熟で読むに耐えないものであることにかわりはない。だが、中学生の書いた小説を批判しても仕方あるまい。そうだ、そうしよう。

そこで私が考えたタイトルは、『中学殺人事件(仮)』である。『中学殺人事件』というタイトルを仮につけたわけではなく、これが正式なタイトルだ。元ネタは政宗九氏の日記(3/10付)だ。今はここで読めるが、じきに過去ログ入りになるだろうから、該当箇所を抜き書きしておこう。創元:北村薫『朝霧』は待望の文庫化、そして倉知淳『幻獣遁走曲』も傑作、辻真先『仮題・中学殺人事件』も懐かしい作品ですね(ちなみにラインアップ表では『中学殺人事件(仮)』となっているのが面白いです。「仮題」を本当に「仮題」だと勘違いしたのでしょう)、さらにアレックス・アトキンスン『チャーリー退場』、T・E・D・クライン『復活の儀式(上下)』、以上が上旬予定。『朝霧』の文庫化を待望しているのは誰だろう? まあ、そんなことはどうでもいいけど。

さて、タイトルは決まった。次は内容だ。

本当は私が中学生の頃に書いた小説を発掘すればいいのだが、そんなものはない。そのかわりに高校時代に書いた天城一パロディを応募しようかと思って探したのだが見つからなかった。終戦直後、農地改革前夜に起こった不可能犯罪を名探偵島唯也(「しま ただや」と読む。摩耶正のアナグラム)が哲学的詭弁を弄しつつ解決するという話で、今だからこそ臆面もなくいえるが、この小説が誰の目にも触れずに埋もれ去ってしまったのは日本ミステリ界の一大損失、痛恨事とも言えるだろう。社会性と謎解きの妙、そしてそこはかとないユーモアと洒落た文体、それらが婚前一体、もとい渾然一体となり、えも言われぬ銘酒のような芳醇な味わいが読者をして桃源郷へと誘い……誰かそろそろ止めてくれ。

まあ、そういったわけで、過去の作品を引っぱり出すわけにもいかないので、これから書くしかないのだが、せっかく『中学殺人事件(仮)』というタイトルにしたのだから、本家『仮題・中学殺人事件』には及ばないまでも、何か仕掛けを施したいところだ。すぐに思いついたのは、殺人事件だと思われたのが実はそうではなかった、というネタだ。実は自殺だったとか事故死だったとか、そういう類のありふれた趣向だが、タイトルに『××殺人事件』とついている場合には御法度とされているので、それを逆手にとってやろうと思ったのだ。『中学殺人事件(仮)』なのだから、事件の真相が自殺や事故死だったとしても文句は言えまい。

なんか、どこかで読んだことがあるような話だ(今この文章を書いていて、もし『仮題・中学殺人事件』がそのネタだったらどうしようか不安になってきた。実は私はこれを中学生の頃に一度読んだきりなので、「読者が犯人」というメインの趣向以外ほとんど覚えていない。今度創元から復刊されたら、一度再読しておこう)。でも、これでいいのだ。中学生が書いた小説なのだから、文句を言ってはいけない。

では、先に進む。事件の真相は自殺のほうがいいか、それとも事故死のほうがいいか。ほかにも病死という手もないわけではないが、法医学の知識のない私には無理だから、自殺と事故死に絞って考えよう。単純にネタの鮮やかさだけで判断すれば、事故死のほうがいい。一見したところ人間の意志が関与した死に思えたが実は偶然の出来事だった、というほうが意外性がある。そう、たとえば『乱れからくり』の冒頭で空から落ちてきた隕石に当たって人が死ぬ場面のように。いや、あれは事故死だと思われたのが実は殺人だったというネタだったか? 『乱れからくり』も昔読んだきりなので、どうもよく覚えていない。

それはさておき。

しかし、殺人に誤認された事故死というのは状況設定が結構面倒だ。偶然だった、というオチは得てして安直の誹りを受けるから、なるべく人工的な仕掛けを排して日常的でありふれた状況で事件が起こるのでなければならない。すなわち、作者の恣意ではなく、我々のごく身近なところに殺人のような事故死の危険があることを示すのだ。でも、本当にそんな身近に危険があると大変だ。よほど非凡な作家以外は手を出さないほうが賢明だ。

というわけで、より書きやすい自殺に決定した。被害者は実は自殺だった。しかし、何らかの事情によりその死は偽装され、殺人とみなされるようになる。その"何らかの事情"に豊饒な人間ドラマが生まれるのだ。もっとも中学生が書いた小説なので、あまり期待しないでほしい。

"何らかの事情"は後回しにして、とりあえず自殺の動機を先に考えよう。タイトルが『中学殺人事件(仮)』なので、主要登場人物は中学生だ。中学生が自殺するとすれば、主に動機は次の3つ。

  1. 学校でのいじめ
  2. 家庭内暴力
  3. 失恋などの色恋沙汰

受け狙いで、「大量に買っていたイラク国債が暴落したので失意の余り自ら命を絶った」という動機にしてみたい誘惑に駆られるのだが、まあ、やめておこう。で、いじめと家庭内暴力を扱うと陰湿な話になってしまうので、失恋自殺にしておく。

失恋といってもいろいろあって、恋人商法に引っかかって貢ぎに貢いだあげく職も社会的地位も投げ捨ててしまい、逆さに振っても一銭も金が出なくなったところでボロ布のように捨てられたサラリーマンが公園で赤錆たブランコをきーこきーこと漕ぎながら睡眠薬を飲んで永遠にめざめることのない世界へと旅立っていくというのも失恋自殺の一種だが、それを中学生にやらせるのは無理がある。もっと単純に、バレンタインデーに好きな男の子にハート型チョコを贈ったら、その場で踏みつぶされてしまい、チョコと同時に送り主もプロークンハート、という程度にしておこう。

あれ? 何だか、最近似たような話を見聞きしたような……?

まあ、気にしないでおこう。

A子(仮)は中学校に入学以来、密かにB夫(仮)に想いを寄せていたが、卒業を間近に控えた中学三年の冬、ついに意を決して自らの気持ちをチョコレートに託して告白した。だが、B夫は彼女の想いをすげなく拒否し、あまつさえクラス中の生徒の前で贈られたチョコを踏みつぶしてしまった。A子は気丈にもその場ではショックを隠してこわばった笑みを浮かべたが、その日の夕方、自ら命を絶つ。自殺の手段としては……ええと。

リストカット……はやめておこう。殺人に偽装しにくい。首吊りはどうか。最近読んだ小説に似たネタのがあったので、これもパス。

衝動的に手軽に実行できる自殺の手段としては、たとえば鉄道自殺がある。A子を轢いてしまった機関車の機関士が彼女の死を憐れんで飛び込み現場に花輪を供える。すると、それから少し経って同じ場所で豚の轢死体が……あー、どうやってもこれにかなわないや。鉄道自殺もやめやめ。

平凡だが、学校の屋上から校庭にダイブして死ぬことにしよう。屋上へと通じる扉の錠はしばらく前から壊れていたのだ、都合よく。

でもって、これをどうやって殺人に見せかけるかといえば、いちばん安直なのは目撃証言だ。「ええ、あたしは確かに見たんです。A子ちゃんが屋上で誰かともみ合っているのを。そう、あの子は自殺なんかじゃありません。殺されたのっ」とクラスメイトのC美さん(仮)は語る。実はC美は生前のA子のことをどちらかといえば疎ましく感じていて、B夫がチョコを踏みつぶしたときにも陰でくすくす笑っていたのだが、いざA子が死ぬとそんな自分の気持ちにやましさを感じていたのだ。C美が実際に目撃したのは、A子が屋上から墜落した姿と、その後で屋上の手すりから身を乗り出して校庭を見ていた人影だけなのだが、知らず知らずのうちに彼女は自分の都合のいいように記憶を改変していたのだ。

では、C美が見た人影とは何か? この人物は屋上が隠れて煙草を吸っていたD吉(仮)だ。えっ、今どきの中学生は隠れたりせず堂々と煙草を吸うって? そりゃ困った。でもこれは私が中学生の頃に書いた小説だという設定なのだから、目くじらを立てないでほしい。

D吉は実は密かにA子に憧れていた。そのA子が目の前で自殺した。屋上にはきちんと揃えた靴がのこされ、その下には遺書が敷かれていたが、D吉は遺書と靴を現場から持ち去る。家に帰って遺書を読み、A子の自殺の動機を知ったD吉は何とかしてB夫を懲らしめようと決意する。

折しもC美の証言で事件が紛糾し、さらに遺体が履いていた靴下には汚れがほとんどないのに屋上に靴がないことから他殺説が浮上する。そこでD吉はB夫を苦しめるため、屋上へと至る階段付近でB夫の姿を見かけたと嘘の証言をする。B夫にはアリバイがなく、窮地に立たされる。一旦疑われ始めると、殺人の動機らしきものは次々とあらわれる。他方、D吉は単にB夫を容疑者にするだけでは足りず、もっと苦しめようと画策する。じとじとと雨の降る夜に自らA子に変装してB夫の家に赴き、恨み節をひとしきり聞かせる。翌日、B夫が家の庭を調べると、そこにはA子の靴跡が……。

だが、これはやり過ぎだった。名探偵が登場し、足跡を見て「幽霊には足がない」と身も蓋もないことを言う。「これは生きている人間がつけた足跡に違いない!」そして探索が始まる。A子と背格好が似ていて、靴のサイズが合致する者が仕掛け人だ。A子の靴跡を石膏で型取り、特注のガラスの靴を靴屋に作らせる。そして、そのガラスの靴がぴったりとはまる足の持ち主を捜して回る。足が小さければ無理矢理引き伸ばし、大きければ削り落とす。だが、サイズがぴったりの女子生徒は校内にはいない。そこで探索の範囲を男子生徒にまで広げるが、やっぱり誰も靴が合わない。

そう、D吉は生徒ではなく教師だったのだっ!

読者諸氏はここで不思議に思われただろう。教師といえばとうに二十歳を過ぎているはず。なのに、どうして屋上で人目を忍んで煙草を吸う必要があったのか、と。だが、その認識は古い。前世紀の遺物だ。21世紀は科学万能の夢世紀、あんなこといいなできたらいいな。2002年に和歌山県のすべての公立学校が敷地内全面禁煙となったのを皮切りに学校禁煙化の動きは全国に広がりつつある。また、健康増進法(平成十四年八月二日法律第百三号)第二十五条により受動喫煙防止が義務づけられている学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設の筆頭にも学校が掲げられているではないか。もはや煙草は大人の嗜みではなく、哀れなニコチン中毒者の納税アイテムに過ぎないのだ。意志堅固なる者は禁煙せよ。さもなければ隠れて吸え。いや、別に私が煙にまかれさえしなければ、歩き煙草だろうが吸い殻のポイ捨てだろうが、勝手にやってもらっていいんだけど。

というわけで、世を騒がしたロリコン教師は教壇を追われ、学校には平和が訪れた。B夫はA子の墓にまいり、そっとつぶやく。「ごめん、今さら許してくれないだろうけど、君のくれたチョコレート、あのあと拾って食べたよ。美味しかった……」これにて『中学殺人事件(仮)』はめでたく閉幕。

で、問題はこれをどうやって読者に見せるか、だ。今書いた内容をそのまま膨らませて小説にしても当然のことながらミステリにはならないわけで。適当に伏線を張りながら、そのものずばりを書かずに話を進めるとなると相当面倒だし、400字詰め原稿用紙30枚程度という制限枚数内には収まらないだろう。「もっと書きてえよ!」と言う方はご相談ください。とも書かれているが、今の私の心境を率直に言えば「もう書きたくねえよ!

1.11009(2004/03/23) 抽象的な話

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040323a

前にも書いたことがあるような気もするが、過去ログを探してリンクするのが面倒なので、もう一度書いておこう。

昔、私の知り合い(仮にL氏と呼ぶことにする)に「抽象的」という言葉を誤解している人がいた。L氏は「抽象的」を「あいまい」の類義語だと思っていたのだ。

確かに「君の話は抽象的過ぎて理解できない。もっと具体的に話してほしい」というような場面では「抽象的」を「あいまい」に置き換えても意味が通じる。だが、「抽象的」と「あいまい」は類義語でもなんでもなくて、全然別の意味の言葉だ。そこで私はL氏の誤解を解くべく、「抽象的であるとはどういうことか」という説明をひとしきり行った。

私の説明が終わると、L氏は言った。「もっと具体的に話してくれないと理解できない」と。

私は結局L氏に抽象性について理解させることができなかった。

「抽象的」という言葉は「具体的」の対義語だ。具体例でしか物事を考えることができない人にとっては、具体的であるということははっきりしているということであり、逆に抽象的であるということはあいまいであるということになるだろう。それは自らの思考能力の欠如を語義に投射しているだけに過ぎない。だが、もし世間一般の人々の抽象的思考能力が今より衰退していったなら、いずれ「抽象的」に「あいまい」という意味が付与されてしまうかもしれない。憂うべき事態である。

ところで「アプリオリ」という言葉を「無根拠」または「無批判」という意味だと誤解して用いてる人が増えているように思う。これも憂うべきことだ。「アプリオリ」は哲学用語であり、それ以外の場面で強いて用いる必要はないのだから、無根拠だと言いたいなら「無根拠」と言えばいいのだし無批判だと言いたいなら「無批判」と言えばいい。


昨日張り切りすぎて疲れたので、今日はこれだけ。

1.11010(2004/03/24) Aの次はH

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040324a

英語とドイツ語の音名が違うというネタを使ったミステリを読んだ。ずっと昔に同じネタのミステリを読んだ気がするが、誰の何という作品だったか思い出せない。

音名と階名、移動ド法と固定ド法、ト音記号とヘ音記号とハ音記号。昔は一日中飽きることなく、こんなことばかり考えていた。


日刊海燕(3/24付)から。

人間は時に自分が見たいものしか見ず、信じたいものしか信じない。だからある種類の人々には、女は生まれつき男より劣った存在に見え、ユダヤ人は世界を滅ぼす陰謀をたくらむ邪悪な民族に見え、オタクは現実と虚構の区別がつかない犯罪者予備軍に見える。かれらは決して真実を知ろうとはしない。知りたくないからだ。残念なことに、ゴキブリを駆除する薬はあっても、こういった低能を駆逐する薬品はまだ発明されていない。

ある種の人々には、オタクに対して偏見をもっている人々は決して真実を知ろうしない低能に見えるらしい。批判の矛先に向かって「低能」などという言葉を投げかけて、いったいどうしようというのだろう? リンク先の記事の筆者がそれを読んで自己批判することを期待しているのだろうか。

海燕氏のこの種の文章を読むと、優れた洞察やビジョンが細部の不用意な記述により台無しにされていることが多いように思われる。


もうひとつ。

ペドファイルは危険だけどオタクは安全だ、3次元への欲望は危険だけれど2次元へのそれは安全だ、こんな論調はようするにオタク自身がさらなる少数者を差別しているにすぎない。重要なのはオタクは普通だと主張することではなく、「普通」などという思想はただの幻想だということを認識することではありませんか。

重要なのは、「ペドファイルが危険かどうかはさておきオタクは安全だ、3次元への欲望が危険かどうかはともかく2次元へのそれは安全だ」と主張することではないだろうか? もし「普通」というのが幻想だとしても(私はそうは思わないが)、さしあたり「オタクは普通だ」と言っておくべきだろう。

1.11011(2004/03/25) 超短編『世界で最も長い小説』

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040325a

これから小説を書こう。さあ書いているぞ。そろそろ終わりだ。よし終わった。あとは、同じ文章を56億8千万回繰り返そう。(58×5680000000文字)


元ネタはサティの『ヴェクサシオン』だが、840回程度の繰り返しではお話にならないので水増しした。

1.11012(2004/03/26) 地方博の悲哀

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040326a

1年先の愛知万博のことばかり話題になって、開幕直前の浜名湖花博が無視されているのは可哀想だ。

1.11013(2004/03/26) 春は卒業と退学の季節

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040326b

久しぶりに読んだ本の話をしよう。

『きむら式 童話のつくり方』(木村裕一/講談社現代新書)を読んだ。著者は有名な童話作家らしいが、私は現代童話にあまり関心がないので、この本を手に取るまで著者のことは全く知らなかった。

最近、多忙で読書の時間がとれない(と言いつつ、このサイトの更新にはそれなりに時間をかけている。だが、ここ二、三日はかなり手を抜いてしまった)ので、この本を読むのに一週間近くかかった。ふつうに読めばたぶん1時間半程度ですんだと思うが、細切れに読むと時間のロスが大きく、なかなか読み進めることができなかった。決して読みにくい本ではないのだが、きっと文章のリズムが私にあわなかったのだろう。

タイトルにもなっている童話のつくり方については、あまり興味を惹かれる話題はなかった。童話作家志望の人には参考になるのだろうが、私は童話作家を目指しているわけではない。「では、どうしてこの本を買ったのか?」と訊かれても「なんとなく」としか答えようがない。

もっとも、全然面白くなかったというわけでもない。たとえば、次の一節などは非常に興味深かった。

この間、五歳ぐらいの女の子と二歳ぐらいの男の子がいて、五歳ぐらいの女の子があめをなめていた。二歳ぐらいの男の子が「ちょうだい」といったら、女の子が「ダーメ」と言う。でもそれで終わらない。なんと女の子は、「もう一回ちょうだいって言って」と言う。男の子が「ちょうだい」というと、「ダーメ。もう一回言って」、それを繰り返しやっているのを見ていて、そうか、五歳と二歳でも男と女をやってるんだと思った。

こんな感じの文章をコンスタントに書ければ、人気テキストサイトを運営することができるだろう。私のように「『ホームページ』と『公図訂正』は語呂が似ている」などと言っているようでは駄目なのだ。やはりプロの物書きにはかなわない。

1.11014(2004/03/27) 死国

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040327a

列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜(情報もと:おかpのどーんと行くページ2003)のルートに四国が含まれているのはなぜだろう? どう考えても本四備讃線を二度通ることになると思うのだが。

1.11015(2004/03/28) 恋人以上、友達未満

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040328a

Diary -Spaghetti Source-(3/18付)「それ以上でもそれ以下でも」から。

天皇は象徴であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

「天皇 ≦ 象徴」ではなく、「天皇 ≧ 象徴」でもない。……値域がなくなっちゃった。

言いたい意味はなんとなくわかるので、正しくは「天皇は象徴であり、それ超過でもそれ未満でもない」と言えばよいのです。

しまった、引用文中に引用文があることが見た目ではわからない。だが、スタイルシートの設定をいじるのが面倒なので、このままにしておこう。天皇は象徴であり、それ以上でもそれ以下でもありません。という一文は、NaokiTakahashiの日記その2(今は過去ログのこのページ)3/18付「参考資料」コメント欄の2(筆者は高橋直樹氏本人ではない)からの引用文の再引用だ。

さて、以下の文章を読む前に、まず、上で引用した文章に対して私が入れたツッコミとそれに対する応答も読んでおいてほしい。

準備はできただろうか?

では開始する。


私は「それ以上でもなければそれ以上でもない」という表現をあまり使わない。その理由はT.Maehara氏と同じだ。それ以上でもそれ以下でもなければ、それ自身ですらなくなるような気がしてしまうからだ。多少とも数学を学んだことのある人(「以上」「以下」の話がどこで出てくるのかは知らないが、中学卒業までには教わっているはずだ)なら、みな一度くらいは同じことを考えたことがあるだろう。

ただ、私は日常生活で「以上」とか「以下」という言葉をいつも厳密に数学的な用法で使っているわけではない。たとえば、つい先ほど以下の文章を読む前にと書いたが、この表現が指示している「以下の文章」とは、横線から下の文章(つまり今あなたが読んでいるこの文章)であり、この表現を含む一節自身は含んでいない。もし含んでいるとすればそこで述べた指示に読者が従うためには、その指示を読む前に指示に従う必要があり、非常に不合理なことになる。

そういうわけで、「以上/以下」という語の取り扱いについて、私は一貫した方針を持っているわけではない。これは、単に私がふらふらしているだけとも言えるが、そう言ってしまうと話が終わってしまうので、ここでは日常言語ではもともと「以上/以下」は二義的な語であると主張しておくことにしよう。

さて、「以上/以下」には、それ自身を含む用法それ自身を含まない用法があるわけだが、どちらのほうがより本来的な用法なのだろうか? 「以上/以下」がもともと数学用語だったのならそれ自身を含む用法が主であり、それ自身を含まない用法はよく言えば俗用、悪くいえば誤用ということになるだろう。だが、逆に「以上/以下」がもともと日常語だったとすれば、数学では混乱を避けるために特化した用い方をしているだけだということになる。この場合、どちらの用法が本来的なのかは、別の考察によることになる。

語源や用例を追いかけていく知識は私にはないので、ここでは問題を提起するだけに留めておかざるをえないが、もしかしたら参考になるかもしれない事柄を二点述べておくことにする。一つは、Spaghetti Sourceのツッコミ欄でも述べたことだが、日常言語ではそれ自身を含む用法よりそれ自身を含まない用法のほうが優勢であるということ。もう一つは「以外」という語にはそれ自身を含む用法がないということ。


さらに続けていろいろ書いてみたのだが、わけがわからなくなったので全部消した。

相変わらず不調だ。

1.11016(2004/03/28) 意欲減退につき

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040328b

不壊の槍は折られましたが、何か?の『さよなら妖精』(米澤穂信/東京創元社)の感想文(3/27付)を読むと、末尾に最近にしては珍しくこちらが本気で感想を書いている。と私の感想文に言及されていた。

……。

本気で感想文を書こうとすると、本を読むのと同じくらい、いや、場合によってはそれ以上に時間がかかる。そこまで時間をかける気にさせてくれる本は滅多にないので、私の感想文も手を抜きがちになるのだ。そういうことにしておこう。


前回の記事に対するコメント。

895 :名無しのオプ :04/03/28 16:07
滅たん>数学をかじる者は日常生活でも以上、以下は≧、≦(どちらも含む)であって、
それ以外ではありえません。
>、<は「より大きい」、「より小さい(未満)」と、厳密に使い分けられます。
注意してというより、もう遺伝子に刷り込まれています。
そんなことよりも、「天皇 ≦ 象徴」、「天皇 ≧ 象徴」という表記の方が
身の毛のよだつほど違和感のあるものだと思いますが。
「天皇 ⊂ 象徴」、「天皇 ⊃ 象徴」なら大丈夫。

前半部分については、「へえ、そんなものなのか」という程度以上の感想はない。ところで、私は上下方向のことを日常生活でも決して「垂直」とは言わず「鉛直」と言う(「垂直跳び」のように熟語になっている場合は除く)ことにしている。どうでもいいことだけど。

後半の「≦」や「≧」という記号の使い方に関する件については、もともと数学的な文脈ではないところで発せられた言葉をあえて数学的に分析しているのだから違和感があって当然だと考える。しかし天皇と象徴が同じ順序集合の元とはとても思えないのですけれどねえ。と書かれていることだし。

「⊂」とか「⊃」という記号のことはあまりよくは知らないが、確か集合の包含関係を表す記号だったと思う。たとえば「人間 ⊂ 哺乳類」とか「犯罪者予備軍 ⊃ オタク」とか(あくまでも例示なので怒らないように!)。「⊃」は論理学で条件法の「ならば」を表すときに用いることもあるが、ここではそういう意味ではないだろう。

もし名無しのオプ氏が「⊂」や「⊃」を集合の包含関係を表す記号として用いているのだとすると、「天皇 ⊃ 象徴」は象徴集合が天皇集合の真部分集合だということになるのだが、これはこれでかなり違和感がある。「天皇は象徴以上のものである」と主張する人は、たとえば天皇が国家元首であるとか、現人神(「あらひとがみ」と読んで下さい。「げんじんしん」ではありません)であるとか言いたいのだろうけれど、そのような主張を「天皇 ⊃ 象徴」と表記するとおかしなことになるのではないだろうか?

もっとも私のこの疑問は、名無しのオプ氏が「⊂」や「⊃」を集合の包含関係を表す記号として用いていないならば空回りする事柄なので、あまり深く考えるつもりはない。

ところで「あたしとアイツは恋人どうしなんかじゃない。ただの友達だって。それ以上でもそれ以下でもないってば」と言うとき、比較されているのは何と何だろうか?


MYSCON根子氏に貰った『よりぬきMISTERIOSO』を読み終えた。内容はここに書かれているとおりHMC--本格ミステリクラブ(似非)--に掲載された作品から6篇を選んだもの。私はパソコン画面上で小説を読むのが苦手なので、これまでHMC掲載作品も読んだことはなく、すべて『よりぬきMISTERIOSO』で読んだのが初めてだった。

以下、簡単に感想文を書いておく(この文の「以下」にはもちろんこの文自身は含まない)。リンク先はそれぞれの作品のウェブ版、作者名は省略。

呪いの魔石
シャーロック・ホームズのパロディやパスティーシュには同時代の有名人(実在人物も架空人物も)がゲスト出演することがよくあるが、この作品にもある有名人物が登場する。私はホームズファンではないので前例の有無はわからないが、着眼点はいいと思う。
和蘭石竹の密室
タイトルに反して密室がなかなか出てこないのでどういう話なのか戸惑ったのだが、最後まで読んで納得した。ウェブ版のあとがきによれば大正時代の話だそうだが、当時の北軽井沢は別荘地だったのだろうか? 調べてみるとこんなページこんなページが見つかった。
アナザー・ワン
考えてみれば当たり前のことだが、案外気づかない盲点を扱っている。ただ、最後のひねりはやや説明不足のような気がした。
少年の名は
一発ネタ。こういうのは大好きだ。犯人は1人でいいと思うが。オチの一言はウェブ版では背景色に同化させているが、『よりぬきMISTERIOSO』では付箋で隠してある。手間がかかったことだろう。
ファンレター
ストーカーものと思わせておいて意外な結末が……。ただ、残念ながら作品の内容とは別のところでネタに気づいてしまった。
完全“完全犯罪”マニュアル
『よりぬきMISTERIOSO』では最後の部分が袋とじになっているが、鋏で切ってしまうともったいないので、その箇所だけウェブで読んだ。小説ではなく軽妙なコラム。

MYSCON繋がりで思い出した話。

飛田甲が飛田甲名義で契約書を結ぶとやっかいなことにならないか不安だ。

飛田甲(以下乙とする)は……

この話をMYSCONで会った松本楽志氏にしたら、「飛田甲って誰?」と言われてしまった。


典型的な叙述トリックのひとつに「男女トリック」とか「性別トリック」とか呼ばれるものがある。ある人物の描写に仕掛けを施して、本当は女なのに男だと思わせる(またはその逆)トリックのことだ。鮎川哲也から奈須きのこまで多くの作家が取り組んでいて、いまやほとんど規定問題のようなものだが、こんなのはどうか?

彼は15歳の少年で、まだ童貞だった。

このように書き出して、最後にこの人物が女性だと明かすのだ。「彼」「少年」「童貞」はみな歴史的には女性にも適用されたことがある言葉なのだが……。


メモ:オタク/ロリコン関係の犯罪報道に関する膨大なリンク集hateneの日記

1.11017(2004/03/29) 隣の芝生

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040329a

問:あの和気藹々とした雰囲気は、やはり管理人の人徳からくるものなのだろうか。それとも隣の芝生が青く見えるだけのことか。

答:人徳。


ここここはよく似ている。画像だけだが。

1.11018(2004/03/30) スマイル霊園

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403c.html#p040330a

MYSCONで深夜にほどよく眠気が襲ってきた頃に人から聞いた小話(?)。

「いらっしゃいませ! 何になさいますか?」

「ええと、いちごシェイクと黒豚バーガーを単品で。あ、あとホットミルク」

「かしこまりました。いちごシェイクと黒豚バーガー、ホットミルクをそれぞれ単品でですね。ご一緒にコンドームもいかがでしょうか」

「はぁ? コンドーム?」

「お持ち帰りですか? それとも、こちらで、お・め・し・あ・が・り?」

誰から、どういう話の流れで聞いたのか全然覚えていない。たぶん、どこかに出典があるのだとは思うが……。ご存じの方はぜひご教示願いたい。


客観的世界実在論の、存在論的独我論に対する優位性について水没クローゼット)を読んで思ったこと。

  1. 「なぜ私はこの時代にこの場所でこの人間として生まれたのか」という問いは、私がこの時代にこの場所でこの人間として生まれたのでなければ空回りする。その点に懐疑の余地はないものだろうか?
  2. 客観的世界の実在を認めることと、還元的唯物論の立場をとることとは同じではない。
  3. 単なる確率の問題だからこそ、疑問が生じるのではないだろうか?
  4. 合理的でなければならないのは世界ではなく、問題に対する解決のプロセスだ。

明日、営団地下鉄は最後の日を迎える。4月からは首都地下鉄東京、じゃなくて、東京メトロという下らない名前になってしまう。東京の地下鉄などいつでも乗れると思って、これまで乗りつぶしを試みたことはないが、こんなことならもっと早く乗っておくのだった。

参考リンク