【日々の憂鬱】風俗といえば性風俗のことだと思うのはいかがなものか。【2004年3月中旬】


1.10996(2004/03/14) 帰宅

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403b.html#p040314a

眠気で意識が朦朧としているので、MYSCONレポはパス。気力と体力が回復したら、とりあえず天城一の新刊情報を書く予定だが、それ以外は永久に忘却の彼方に置き去りにするかもしれない。


旅行中に某氏からメールが届いていた。サイトが身内にばれたので閉鎖したそうだ。なお、リンクを貼る際に、以前のサイトへの言及は勘弁してください。とのことなので、閉鎖したサイトがどこだったかは書かない。ただ新サイトにリンクしておく。


今回の旅行の収穫(達成順)。

  1. 常磐線に一輌しかない二階建て車輌に乗車した。
  2. 上野〜いわき間を乗り通し、既乗区間と併せて常磐線を完乗した。
  3. 「十王」に改称する前日の川尻駅に下車した。
  4. 日立電鉄に初乗車した。もちろん、全線完乗。
  5. 茨城交通も初乗車で完乗。
  6. (臨)偕楽園駅に下車した。

常磐線に乗って意外だったのは、比較的長大編成だったこと。上野発着の普通(列車線のほう)で最長15輌編成というのはわかるが、水戸付近でも11輌編成の普通列車が平然と走っている。いわき駅付近で、概ね1時間に2本程度の運転間隔なのに9輌の電車が走っていて、ほとんど空気を輸送していたのには呆れた。ほとんど国鉄だ。有人駅で自動改札機が導入されていないところも多く、昔ながらの国鉄型2面3線のホームと相まって、昭和の終わり頃にタイムスリップしたかのようだった。

今回の旅行では事前にあまり詳細な計画を立てず、時間に余裕があれば千葉方面も訪れてみたいと思っていたのだが、運悪くストライキ中だった。そこで、空いた時間に偕楽園とその周辺を見て回った。旅行に出て観光地に行くなどとは私も焼きが回った。としはとりたくないものだ。


意識朦朧のわりには、少し文章が長くなった。

1.10997(2004/03/15) 近刊情報

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403b.html#p040315a

MYSCONについては多くを語らないことにしようと思う。現場の雰囲気を知らない人にも面白さが伝わるような臨場感溢れる文章など書けるわけがないし、誰と何の話をしたのか正確に記述できるほど物覚えがよくない。

そういうわけで、MYSCONレポは書かないことにするが、昨日予告しておいたとおり、天城一の新刊情報だけ書いておく。

既にご存じの方も多いと思うが、今度日本評論社から天城一の本が出版される。天城一の本職は数学者であり、本名での著作は既にあるそうだが、天城一名義での単著はこれが初めてのはずだ。余技作家とはいえ、半世紀も前にデビューした作家の本がこれまで一冊もなかったというのはひどい話だ。

さて、以下はMYSCON会場でお会いした日本評論社の編集者Q氏(本名を書いていいものかどうかわからないので、とりあえず仮名にしておく。「Q」というのはもちろん頭文字ではない)から聞いた話である。ただし、深夜3時頃に聞いたので、もしかしたら記憶違いもあるかもしれない。

まず、本のタイトルだが……訊くのを忘れた。まあ、そのうち明らかになるだろう。タイトルなどというのはレッテルに過ぎないわけで、本当に大切なのは内容のほうだ。

内容は大きく3部構成となっている。第1部は「密室犯罪学教程・実践編」、第2部は「同・理論編」、そして第3部は摩耶正シリーズ全集である。当初摩耶ものとして書かれ、のちに改稿されて「密室犯罪学教程」に収録された作品は、ふたつのヴァージョンを読み比べることができる。また、附録として「密室作法」も収録される予定。解説は山沢晴雄、解題は日下三蔵。

発売時期は5月頃だということだが、まだ著者校正が終わっていない段階なので予定は流動的だそうだ。それと、「密室犯罪学教程」に収録されている昭和33年4月の時刻表が見つからず、苦慮している由。「密室犯罪学教程」の元版からコピーをとればいいのだが、そのためには本をばらばらにしなければならない。もし「密室犯罪学教程」を提供してくれれば今度出る本を一冊進呈してもよい、とQ氏に言われたが、さすがにそれは惜しいので私は断った。もし、自分の手持ちの「密室犯罪学教程」を分解されても構わないという人がいれば、是非申し出ていただきたい。もちろん、時刻表の当該号でも可。

さて、気になるお値段だが、3000円台になる見込みだそうだ。400ページのハードカバーの値段としてはそれほど高くはない。限定版で7000円くらいだと予想していたので、この値段は意外だった。

もう一つ気になるのは刷り部数だが、正確な部数は教えてくれなかった。話の端々から私が想像した部数では、政令指定都市の大書店ならおそらく入手可能だが、中核都市程度だとちょっと厳しそうだ。三大都市圏以外の人は素直にネット通販で購入することをお勧めする。また、運良く書店でこの本に巡り会えた人は、速やかに購入すること。一度機会を逃したら、二度目はないものと思ったほうがいい。

……私が今思い出せるのはこれくらい。これ以上のことが知りたい人はこのあたりで質問すると、もしかすると親切な名無しのオプが教えてくれるかも。

ところで、本題とは関係はないが、Q氏は以前、評論系のサークルで同人活動をしていたことがあるそうだ。綾辻行人や法月綸太郎のロングインタビューを掲載した同人誌といえば「ああ、あれか」と頷く人もいることだろう。私はふと懐かしい晴海の日々を思い出した。

1.10998(2004/03/16) 本当は恐ろしい「シャボン玉」

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野口雨情の「シャボン玉」は、無邪気な子供の姿を描いた作品で、一説では生後すぐに亡くなった我が子への思いをこめたうたとも言われている(参考1参考2)が、発表後80余年を経て、「シャボン玉」に隠されたおそるべき真実がこのたび明らかとなった。

真実を知りたい人はここをクリックnepenthe3/14付「歌の中の一つの真実」)せよ。ただし、これまで安住してきた世界を壊したくない人には無理にお勧めはしない。あくまでも自己責任でどうぞ。

1.10999(2004/03/16) 徳川慶喜は水戸黄門ではないが、一時期確かに中納言だった

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403b.html#p040316b

私の旅行中に水没クローゼットに次のように書かれていた(3/11付)のを見落としていたことに気づいた(引用にあたってタグを変更した)。

私は後期ウィトゲンシュタインにも竹田現象学にも通じていないので、このような比喩(?)が当たっているかどうかはわからないが、少なくともここで私の立場が倫理に対する反実在論だと捉えられていることだけは理解できる。

さて、私はそんなことを言っただろうか? ちょっと考えて思い至ったのは、少し前に書いたどうして人を殺してはいけないのか?という文章だ。こせけい氏はそれについて言及しているのだと思う。だが、私がそこで言ったのは、「どうして人を殺してはいけないのか?」という問いを素朴な問いとして立てた場合トリヴィアルな解答しか与えられないだろう、ということであり、倫理が実在するかどうかということには踏み込んでいない。とはいえ、私は知らず知らずのうちに反実在論にコミットしていたのかもしれない。ちょっと考えてみよう。

すぐにわけがわからなくなった。

私には「倫理が実在する」という言い回しがいったい何を意味するのかがよくわからない。倫理が実在するのと実在しないのとでは何がどう違うのだろうか?

こんな初歩的な疑問に悩まされるのは、私が倫理についてあまりよく知らないからだ。人によっては「倫理」と「道徳」を使い分けるが、それは単に言葉の上での区別に過ぎないのか、それらが言い表している事柄に歴然とした違いがあるのか、それすらわからない。

それでもわかっていることがまったくないわけではない(当たり前だ)。倫理とは規範である。「……すべし」または「……すべからず」という言葉で言い表される事柄である。規範にもいろいろあるが、倫理は実践に関する規範である。そこが論理と違うところだ。また、同じく実践に関する規範には法があるが、倫理と法は同じではない。どこがどう違うのかはうまく言えないし、きっとどこかで関連があるのだろうとは思うのだが、それでも倫理と法は同じものではない。ある種の法は議会で制定されるが、議会で制定された倫理などというものはない。そもそも倫理は制定されるものではない。

では、倫理の起源はどこに求められるのだろうか? いや、倫理に起源などあるのだろうか?

倫理の起源を歴史学的に説明することは可能なのかどうか? もし可能なのだとすれば、倫理の起源は先史時代にまでは遡らないことになるだろう。だが、文字を持たない文化であっても倫理がないことはないのだから、先史時代にも倫理があったのではないだろうか?

もしかすると、こせけい氏は「歴史学的説明」ということばを、たとえば民俗学的な、或いは考古学的なアプローチも含むような、広い意味で用いているのかもしれない。それらすべてを含む探究により、倫理の起源が解明される可能性を否定することはできない。原始時代の遺跡から発掘された人骨に花粉の化石が付着していたことから、当時すでに死者に花を手向ける風習があったことが知られ、そこから太古の人々の死生観を考察することが可能なのだから。

ただ、そのような(広い意味での)歴史学的探究が成功したとしても、そのことから倫理が絶対的なものではないという結論は導かれないと思う。倫理が人類の歴史により基礎づけられるということは、それが確固たる根拠をもつことが明らかとなるということだから、むしろ倫理の絶対性を擁護する立場の人にとって有利なのではないだろうか。少なくとも、独立/依存の対比と絶対/相対の対比は区別されなくてはならないだろう。


手探りで考えながら文章を書くのは疲れる。全然まとまっていないが、今日はこれでおしまい。

1.11000(2004/03/17) 華氏マイナス40度

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403b.html#p040317a

昨日の続き。ただし、どのように続いているのかは諸賢の想像にお任せする。


「摂氏」と「華氏」で検索して見つけたページから。

その1

「「まず、華氏はFahrenheit(ファ−レンハイト)が考えた目盛で、健康な人間の血液の温度を96度、氷と食塩の混合物の温度を0度に定めたんだ。

それまでは基準がないから、暑い、うんと暑い、寒い、うんと寒い...としか表現しようがなかったんだね」

「血液の温度を選んだのは面白いと思うけど、でもどうして100度じゃなくて96度としたのかしら」

「う〜ん。良くわからないけど、最初は羊の体温を100度とした..という説もあるよ」

「ああ、その目盛で計ったら人間の体温が96だったという訳ね」

その2

Fahrenheit(1686−1736)はドイツの科学者であるが、岩波理科学辞典を見ると、彼は水の氷点を32度、沸点を212度と定めたと、全く味気無く記載している。こんな風にして決められた温度が摂氏(Celcius 1701−1744)より少し古いからといって、人々を捕らえて離さないものだろうか。そこには何か人間の本性に根ざした理由があるに違いない。

Fahrenheitの温度の決め方は、科学的というより人間の感性に訴えるものをもっている。彼は実験室で人間が作りうる最も低い温度を0度、子羊の体温を100度と定めた。当時、人間が作りうる最低の温度とは雪と塩を混ぜることで、摂氏では一17.8度である。

子羊とは神の子を意味し、聖書の中でヨハネはキリストを見てBehold the Lamb of God ,which taketh away the sin of world(見よ神の子羊を、世の中の罪を取り除く方だ)と述べている。

すなわちキリストの体温が100度ということである。

さらに氷点32度F、沸点212度Fとは、摂氏では100の間隔が華氏では180となり、丁度、半円の角度180度になり、温度の度と角度の度が一致することになる。

その3(摂氏・華氏換算スクリプトあり)

華氏はドイツのファレンハイト医学博士によって考案された温度尺で、人間のだいたいの体温を100°(約37℃)、血液や肉が凍る温度0°(約−18℃)としています。

その4

華氏は、アメリカで盛んに使用される温度の目盛り。水の凍る温度を32度、沸騰する温度を212度として、その間を180等分している。

その5

単に「摂氏」と「華氏」の違いだが、摂氏はもちろん「水の氷点が 0 度、沸点が 100 度」。では、「華氏」はどういう定義なのだろう。辞書サイトで調べてみた。「カ氏のことでカ氏温度の略」とか「水の氷点が 32 度、沸点が 212 度」とあった。本当にそんな定義なのか? これでは何の説明にもなっていない。困ったものである。

華氏とはドイツの物理学者ファーレンハイトが、1724年に考案した温度目盛りなのだ。当時考えられた最低温度を0F、人間の体温を96Fとした。ではなぜ 96 なのか。12進法を用いて 80等分したものが 10進数で 96 ということらしい。この説明で分かるだろうか。また、温度の変換を式で表すと華氏から摂氏は「(F-32)×5/9」で、その逆は「(C×9/5)+32 」。本当に分かるだろうか。まあ、人間の体温は、平熱で 96F 、100Fなら高熱だと覚えておけばいい。では、なぜ「摂氏」とか「華氏」というのか。これは中国音訳からきている。摂氏であるスウェーデンのセルシウスは「摂爾修」、ファーレンハイトは「華倫海」と書いたからである。

ほかにもいくつか見つけたが、ここまで挙げたのとほとんど説明は同じなので、省略。

私が子供の頃に読んだ本では、華氏は食塩水の凝固点(当時知られていた最低温度)と水の氷点を32等分したものだと説明されていた。どうして32等分かというと、温度計の目盛りがつけやすいからである。キリストとか二直角とかを持ち出すよりもずっとわかりやすく納得できる説明だと思うのだが……。ともあれ、少なくとも基準となる0度の決め方については異論はないようだ。

さて、仮に華氏が、食塩水の凝固点と子羊の体温により定められたのだとしよう。すると、もし仮に世界中の子羊たちが原因不明の奇病にかかり、その平均体温が上昇したなら、華氏温度計を作り直す必要が生じるだろうか?

もちろん、この問いは馬鹿げている。温度の単位はそのようなものではない。華氏100度が子羊の体温により定められているということは、子羊の体温の変動に伴い華氏100度も変動するということではない。

「華氏100度」という言語表現は、もしかしたら「子羊の体温」という言語表現の理解を通して理解されるべきものかもしれない。しかし、そのことは「子羊の体温」という表現により「華氏100度」という表現が定義されているということではない。

1.11001(2004/03/18) 失敗を恐れていては成功しない、失敗を恐れなければ必ず失敗する

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403b.html#p040318a

今週は旅行の疲れが出たせいか、何となく不調だ。読書が全然捗らないので感想文も書けない。そのかわりに、ほとんどの人にとっては関心が持てなさそうな話題ばかり扱っている。

自然体でMYSCONレポを書いている人々がうらやましい。私にはとてもそんなことはできない。なぜできないのかは自分でもよくわからないのだけれど。


全然関係ないが、最近読んで面白かった文章。Winter Hanabi3/13付「見合い話〜当日編〜」

私、ギャンブルってすごく嫌なんですよね。

「馬には興味ないですか?」

あまり…

「馬って見ているだけで幸せな気持ちになりません?」

スミマセン、よくわからないです。

「そういえば、大阪にもディズニーランドできたんですよね?」

えっ?大阪にあるのはUSJですよ。

「あーそうですよね、でもディズニーランドって二つあるんですよね?」

どこがどう面白いのか、うまく説明できないのだが……。


最後に会ったのがたぶん10年くらい前の知り合いが、某サイトの掲示板に書き込みしているのを見かけた。懐かしさのあまり思わず横レスをつけそうになったが、冷静になって考えてみると、その人とはさほど親しかったわけでもないし、たぶん向こうは私のことなど覚えてはいないだろう。それに、他人様のサイトの掲示板にずかずかと上がり込んで、勝手に文脈から外れた事を書くのは失礼なので、書き込みは控えることにした。


問題:次の法律の条文を指示に従って書き直せ。

(派遣職員に関する地方公務員等共済組合法 の特例)

第七条  地方公務員等共済組合法 (昭和三十七年法律第百五十二号)第四十三条第二項 の規定及び同法 の短期給付に関する規定(同法第五十三条第十号の二 に掲げる育児休業手当金及び同条第十号の三 に掲げる介護休業手当金に係る部分を除く。以下この項において同じ。)は、派遣職員には適用しない。この場合において、同法 の短期給付に関する規定の適用を受ける職員(同法第二条第一項第一号 に規定する職員をいう。以下この項において同じ。)が派遣職員となったときは、同法 の短期給付に関する規定の適用については、そのなった日の前日に退職(同法第二条第一項第四号 に規定する退職をいう。)をしたものとみなし、派遣職員が同法 の短期給付に関する規定の適用を受ける職員となったときは、同法 の短期給付に関する規定の適用については、そのなった日に職員となったものとみなす。

2  派遣職員に対する地方公務員等共済組合法 の長期給付に関する規定の適用については、派遣先団体の業務を公務とみなす。

3  派遣職員は、地方公務員等共済組合法第百十二条第一項 各号に掲げる福祉事業を利用することができない。

4  派遣職員に関する地方公務員等共済組合法 の規定の適用については、同法第四章 中「給料」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定給料」と、「期末手当等」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定期末手当等」と、同法第八十七条第二項 中「地方公務員災害補償法第二条第二項 」とあるのは「労働者災害補償保険法 (昭和二十二年法律第五十号)第七条第二項 」と、同法第六章 中「給料」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定給料」と、「期末手当等」とあるのは「組合の運営規則で定める仮定期末手当等」と、同法第百十三条第二項 中「次の各号」とあるのは「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」と、「及び地方公共団体」とあるのは「、公益法人等への一般職の地方公務員の派遣等に関する法律(平成十二年法律第五十号)第二条第三項に規定する派遣先団体(以下「派遣先団体」という。)の負担金及び地方公共団体」と、同項第一号中「次号に掲げるものを除く」とあるのは「育児休業手当金及び介護休業手当金に要する費用に限る」と、「地方公共団体の負担金」とあるのは「派遣先団体の負担金」と、同項第二号及び第三号中「地方公共団体の負担金」とあるのは「派遣先団体の負担金」と、同法第百十六条第一項中「地方公共団体の機関又は職員団体」とあり、及び「地方公共団体又は職員団体」とあるのは「派遣先団体」と、「第百十三条第二項(同条第五項の規定により読み替えて適用する場合を含む。)」とあるのは「第百十三条第二項」と、同法附則第四十条の四第二項中「「次の各号」とあるのは「次の各号(第五号を除く。)」と、同条第四項中「第二項第五号」とあるのは「附則第四十条の四第一項」と、第百十六条第一項中「含む。)」とあるのは「含む。)及び附則第四十条の四第一項」」とあるのは「「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」とあるのは「次の各号(第一号の二、第四号及び第五号を除く。)」と、「、公益法人等への一般職の地方公務員の派遣等に関する法律(平成十二年法律第五十号)第二条第三項に規定する派遣先団体(以下「派遣先団体」という。)の負担金並びに地方公共団体(市町村立学校職員給与負担法第一条 又は第二条 の規定により都道府県がその給与を負担する者にあつては、都道府県。以下この条において同じ。)」とあるのは「及び公益法人等への一般職の地方公務員の派遣等に関する法律(平成十二年法律第五十号)第二条第三項に規定する派遣先団体(以下「派遣先団体」という。)」と、同条第四項中「第二項第五号」とあるのは「附則第四十条の四第一項」」とする。

第七条第一項を削り、同条第二項中「地方公務員等共済組合法の長期給付に関する」を「地方公務員等共済組合法(昭和三十七年法律第百五十二号)の」に改め、同項を同条第一項とし、同条第三項中「第百十二条第一項各号に掲げる福祉事業を利用することができない」を「第三十九条第三項の規定にかかわらず、引き続き職員派遣をされた日の前日において所属していた地方公務員共済組合(同法第三条第一項に規定する地方公務員共済組合をいう。)の組合員であるものとする」に改め、同項を同条第二項とし、同条第四項中「第八十七条第二項中「地方公務員災害補償法第二条第二項」とあるのは「労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)第七条第二項」を「第四十三条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法(昭和二十二年法律第五十号)の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」と、同法第五十五条の二中「補償でこれらの給付に相当する通勤(同法第二条第二項の通勤」とあるのは「補償(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法の規定による補償)でこれらの給付に相当する通勤(地方公務員災害補償法第二条第二項の通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項の通勤)」と、同法第八十七条第二項中「通勤を」とあるのは「通勤(労働者災害補償保険法の規定の適用を受ける者にあつては、同法第七条第二項に規定する通勤)を」に、「第百十三条第二項中「次の各号」とあるのは「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」と、」を「第百十三条第二項各号列記以外の部分中」に、「同項第一号中「次号に掲げるものを除く」とあるのは「育児休業手当金及び介護休業手当金に要する費用に限る」と、」を「同項第一号から第四号までの規定中」に改め、「、同項第二号及び第三号中「地方公共団体の負担金」とあるのは「派遣先団体の負担金」と」を削り、「又は職員団体」を「、特定地方独立行政法人又は職員団体」に、「同条第五項」を「同条第五項から第七項まで」に、「附則第四十条の四第二項中「「次の各号」とあるのは」を「附則第四十条の四第二項中「」に改め、「「次の各号(第一号の二及び第四号を除く。)」とあるのは」を削り、同項を同条第三項とする。


日本推理作家協会会報1月号天城一の文章が掲載されているという話をMYSCONで教わった。内容はただの近況報告だが、同じ号に山沢晴雄宮原龍雄も寄稿しており、壮観だ。

先日紹介した日本評論社の天城本がそこそこ売れたなら、もしかするとこの二人のうちのどちらかの本が出るかもしれないので、山沢ファンも宮原ファンもぜひ買うように。出なくても私は責任を負わないが。

それにしても、鶴見俊輔から内藤みかまで、日本推理作家協会の人材の多彩さには驚かされる。

1.11002(2004/03/19) 共通感覚としての疎外感

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403b.html#p040319a

今日も憔悴している。他サイトからの引用とコメントでお茶を濁しておく。


まず、不壊の槍は折られましたが、何か?の3/18付「今年の桜は早いらしいが」から。

誤解を与えているかもしれないが、私はもっと人と喋りたいし、遊びたい。
だが喋るネタと、楽しめる遊びを持ち合わせないのである。
私以外のあらゆる人間は、コミュニケーション能力というものを持っている。
ただ私にだけ、それがない。

最初読んだときには、全く同感だ、と思った。だが、今読み直してみて考えがかわった。引用文の後半は間違っている。

真実はこうだ。私以外のあらゆる人間は、コミュニケーション能力というものを持っている。ただ私にだけ、それがない。


うたたねこやの同日付「ごす」から。

乙一の場合、1人称の主人公が男性の作品であっても女性の作品であっても、実際に言葉を発しているのはいつも同じ人格の「語り手」のように感じます。それはたとえば谷山浩子の歌で、物語の主人公が男性でも女性でも人間以外のものでも、「ぼく」や「わたし」という言葉を声にしているのは必ず谷山浩子という歌手だというのと同じような感覚です。つまり芝居で役者が主人公の役を演じているのと同じように、主人公の役をこの「語り手」が演じている小説を読んでいるような感覚があるのですよね。

乙一の小説の特質をこれほど的確かつ簡潔に言い表した言葉を私はほかに知らない。


2つのサイトの、全然別の文脈で述べられた文章を並べてみた。冒頭で書いたように、今日は憔悴しているので、ここから話を発展させるつもりはない。

1.11003(2004/03/20) 限定版

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403b.html#p040320a

『空の境界』特別限定版(7800円)(情報もと:appendix)には驚いた。調べたわけではないが、講談社ノベルス最高値ではないだろうか?

通常版は上巻が980円下巻が1100円であわせて2080円だから、5720円も高い

いったい何が附録につくのだろうか? もしかしたら既に情報が出ているかもしれないが、勝手に予想してみた。

両儀式等身大フィギュア
限定版といえばフィギュアが定番だが、それだけで5000円以上も値が上がるとは考えにくい。よって、巨大フィギュアだと推測できる。完璧な推理だ。素晴らしい。ただ、等身大フィギュアを附録にすると、本を読む前に目に入ってしまい、ちょっと困ったことになるのが難点だ。
両儀式等身大××××××(自主規制で伏せ字)
いや、さすがにこれは5000円では無理か。というか、講談社がこんなことやっちゃいかんだろう。
『空の境界』オリジナルイメージアルバム
CD1枚で5000円は高いので、豪華2枚組ということにしておこう。1枚目には主題歌のショートバージョン・ロングバージョン・カラオケバージョンが、2枚目には奈須きのこのインタビューが収録されている。
『空の境界』ゲーム版
ただしTYPE-MOONではなく、どこかの外注スタジオ制作。一本道のノベルゲームだが、ところどころにバッドエンドあり。なぜかCD-ROM3枚組。
特製ファンブック『ぼくたちの好きな奈須きのこ』
ウェブ上で活躍する気鋭のネット書評家25人のクロスレビュー。原稿料のかわりに奈須きのこのサイン色紙を進呈します。
武内崇書き下ろし絵本『から の きょうかい』
豪華2000ページ! 『空の境界』が臨場感溢れる鮮やかな絵で蘇る。8歳から80歳までの子供にお薦め。半年後に単品で発売するのはここだけの秘密だ。
ブックガイド『奈須の100冊』
奈須きのこが影響を受けた100冊のお薦め本について熱く語る。さあ、全部読破してキミも小説家になろう!
『ヴァンパイヤー戦争』一式
なんとなく連想しただけ。特に意味はない。

そういえば、今の今まで忘れていたが、昔『空の境界』のドラマCDが出ていた。私は聴いたことがないが、確か部分的に抜き出してドラマ化したものだったはずなので、増補しておまけにつけるという手もある。あるいはいっそアニメ化とか……。う〜ん、でもそこまでやるなら別売するだろうなぁ。

ほかにもあれこれ考えたのだが、5000円以上の価値があり、かつ、単品では売りにくい品が思い浮かばない。ということは、複数のグッズをあわせて一本にするか、または本そのものを豪華版にするか(追記参照)どちらかではないだろうか。

さて、買うべきか買わざるべきか。いろいろ書いてはみたが、私は『空の境界』が大好きだ。どれくらい好きかといえば、Googleで検索したら約6460件中26番目(3/20現在のこのページ。トップページだと現在51番目)にヒットするくらいだ。あまり適切な尺度ではないが、まあ何となく雰囲気を掴んでもらえればそれでいい。ただ、私が好きなのは小説であって、本そのものではないし、ましてや関連グッズなどではない。増補か改稿がなければ通常版を買うのも躊躇する。


追記

某氏の予想を参考までに。

高級上質紙に見返し、カバーも何かしらの高級加工をしてくるとみた。

高級仕様なら採算分岐を予想すると7800円くらいは必要になると思います。『終戦のローレライ』が上・下巻で4,000円だから、そこにオタク向け高価格でも大丈夫という打算も入れると……。

(略)

もしかしたら、巻末で笠井が徹底解題してたりとか、あちこちに注釈が付いたりとかして、読者のレベルアップを促す仕様なのか??

1.11004(2004/03/20) 格変化

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0403b.html#p040320b

単数複数
第1格滅・こぉる滅・こぉら
第2格滅・こぉら滅・こぉらい
第3格滅・こぉりゃん滅・こぉらん
第4格滅・こぉる滅・こぉるゅうぶんげん