1.10194〜1.10203 日々の憂鬱〜2002年4月第1週〜


1.10294(2002/04/01) 他人と関わりをもつことの難しさについて

 今日がエイプリルフールだということをすっかり忘れていた。サラリーマンにとって4月1日といえば会計年度の初日であり、人事異動の辞令交付日である。そんな日に「今日は嘘をついてもいいんだよ」と言われても意味がない。もう少し落ち着いてからでないと、とてもそんな余裕がない。そういうわけで、エイプリルフールにちなんだ事を書くつもりは全くない。

 昨日の文章の補足。「リンクするのが面倒」と書いたのは、単にリンク先URLを調べたりアンカータグを打ったりするのが面倒だということではない。「この文脈でリンクをはっていいのだろうか?」とか「トップページにリンクすべきか、それとも関連する話題のページのほうにすべきか?」などと考えるのが面倒だということ。
 たとえば、
 ビールを一杯飲んだだけで酔ってしまい、悪ノリして初対面の妙齢の人妻と「浣腸プレイ」を演じたりもした。
などと書いて文中リンクすると、洒落がわからない人が妙な誤解をする可能性がある。では、ひねった事を書かずに、
 そこで○○さんに出会った。○○さんと会うのは5年ぶりだった。また××さんにも会った。××さんのサイトは毎日見ているのだけど、実際にお会いするのはこれが初めてだった。さらに、あの□□先生と△△先生にも会った。
というふうに書いていけばいいのかもしれないが、これでは全然面白くない。いや、面白くないだけならまだいいが、名前を間違えたり、漏れがあったりすると、ご本人が見たときに不快になるだろう。そんなふうに考えると、何も書けなくなってしまう。考えすぎだと思うのだけど。
 そういうわけで、やっぱり「何事もなかったかのように」振る舞うのがいちばんだ。誰も傷つけることはないし、なにより私自身が傷つくことがない。

 なんだか、事情を知らない人にとっては何のことだかさっぱりわからない文章だが、これ以上説明しない。

 さて、見出しの件について。
 人には「社交エネルギー」というものがあって、それが充実していれば他人と積極的に話をしたり交流したりできるが、それが枯れるとひきこもりがちになる、という仮説を立てた。いや、「エネルギー」という言葉は問題があるかもしれない(別に運動エネルギーや位置エネルギーに転化することはないのだから)ので「社交ポイント」と言い換えよう。
 社交ポイントをうまく振り分けてまんべんなく他人と応対できるのが理想だが、振り分けようにも社交ポイントの絶対量が不足している人もいるだろうし、ある一場面にほとんどすべての社交ポイントをつぎ込んでしまう人もいるだろう。最近よく話題になる「押しかけ厨」(主として同人作家に対して、「自分は作家さんと大の仲良しである」という思い込みを抱いて手紙やメールを送りつけ、さらに住所を調べて勝手にずかずかと家に上がり込む輩のこと。一時期流行したストーカーとも類似しているが、彼らの生態についてはまだ研究が進んでおらず、不明な点が多い)などは、社交ポイントの使い方が常軌を逸している例だと思う。
 さて、私は社交ポイントの使い方が下手な部類に属する。もともと社交ポイントがあまり多くないのだが、突発的に社交ポイントを大量に使う(オフ会とか大勢の人が集まるイベントとか)機会があると、手持ちのポイントを使い果たしてしまい、その後しばらくの間メールのやりとりとか掲示板への書き込みとかが全くできなくなってしまう。
 で、そのまますっこんでいれば問題はないのだけれど、少し時間がたつと徐々に社交ポイントが回復する。回復してくると、動き回りたくなってくる。動き回りたくなってくると、周囲の事情とか場の流れとか頓着せずに突っ走ってしまう。そこで社交ポイントを消耗し、また落ち込んで引きこもる。この繰り返しだ。ひどくムラのある行動パターンだと思うが、なかなか改まらない。なんとかならないものだろうか。

 体調不良で昼間からずっと喉が痛かったのだが、夜になって鼻水が止まらなくなってきた。まとまりのない文章で恐縮だが、今日はこれでおしまい。明日、まだ文章を書く気力と体力が残っていればいいのだけれど。

1.10295(2002/04/02) down,down,down またはアクセス数減少キャンペーンについて

 新年度早々熱を出してしまい、会社を休んだ。本当は事務の引き継ぎとか、昨年度の仕事の整理とか、挨拶回りとか、いろいろやることがあるのだが、ここでこじらせてしまうと大変なので、大事をとった次第。

 真っ昼間に布団をかぶって寝ているときに、ふと考えた。いま「たそがれSpringPoint」は一日に約50〜70アクセスくらいあるのだが、はたしてそれだけの人に見てもらう価値のあるサイトなのかどうか、と。これは個人サイトを運営している人なら誰もが一度や二度は考えることだと思う(いや、「俺はそんな事は全然考えたことがないぞ!」と主張する人もいるかもしれないが、今日はそのことが話題の中心ではないので深く考えないことにする)が、サイトの価値に相当する適正アクセス数などというものは誰も知らないのだし、そもそも読者は好きで見に来ているのだからサイト運営者がそれをどうこう言うのはある意味傲慢で失礼なことなのかもしれない。それで、いつもなら特にそれ以上考えを進めずにおしまいにするのだが、今日はちょっと具合が違っていて、そりゃ風邪で熱を出しているのだからふだんと考えることが違っているのも当たり前だ、と言い訳しておいて話を進める。
 今日、考えたのは『アクセス数減少キャンペーン』である。読んで字のごとく、「たそがれSpringPoint」のアクセス数を下げようという試みだ。具体的にはこうだ。アクセスログを見ると、最近ここに来る人の大半は「ミステリ系更新されてますリンク」から辿ってきている。リンク先の更新時刻データを取得するタイプのリンク集(一言で言い表す言葉があったと思うのだが、忘れた)には私の知る限りあと2箇所登録されているのだが、それらからのアクセスはほとんどない。ということは、「たそがれSpringPoint」の閲読者の大半は、ミステリ、読書、感想文などに関心のある人ということになるだろう。そこで、これからしばらくの間、これらの話題を全く扱わないことにしようと思う。ミステリについて語らず、読書感想文を一切アップしない。ただし、更新ペースは変えず、できるだけ毎日一回更新することにする。これを一週間くらい続けたら、いったいどれくらいの人が逃げていくだろうか?
 こんな実験をやっても、あまり意味がない。というか全然意味がない。私はアクセス数至上主義者ではないが、アクセス数は少ないよりは多いほうがいいと考えている。今回の「アクセス数減少キャンペーン」は私の基本的な立場に反する。では、なんでこんな変なことをするのかといえば、それは私が変人だからとしか言いようがない。もしかしたら自己破壊衝動のなせるわざなのかもしれない。
 もう少し合理的な理由を考えてみる。「たそがれSpringPoint」を正式公開してから半年が経って、だんだんマンネリ化してきた。もともと私は話題の引き出しが多いほうではなく、数少ない引き出しはどれもこれも底が浅く奥行きがない。さらに、その引き出しの中にはがらくたしか入っていない。そんな状態でほぼ毎日更新を続けてきたのはひとえに惰性のたまものであるが、さすがにそろそろ限界だと思う。壁にぶつかったとき人はいったいどうすべきか? 壁をぶちこわしてさらに先へ進むほど私には行動力がないし、方向転換してもと来た道を帰ることもできない。だから、せいぜい壁に落書きでもして鬱憤ばらしをしようと思っているのである。
 全然合理的じゃない? あっ、そう。
 ともあれ、今日から一週間、私はミステリまたはその周辺の本(できればすべての本)について一切のコメントを断つことにする。当然、ミステリ系サイトへのリンクとか言及も避ける。そして来週の火曜日にはどれくらいアクセス数が減っているかを確かめたいと思う。それで激減していたら、取り返しのつかない行動を後悔することにしよう。微減程度なら、抵抗できない現実世界のひちゃねちゃ感を嘆くことにしよう。逆に増加していたら……修行して出直すことにしよう。

 ここから全然別の話。
 昨日はあちこちのサイトでエイプリルフールネタがあった。単に「○○(←サイト名)は閉鎖しました」というものから、技巧的すぎて一見したところホラだとわからないものまで。その中で私がもっとも面白いと思ったのは、某氏が恋愛シミュレーションゲームツクール2を駆使して作った「18禁アドヴェンチャーゲーム『襲撃CHU!』予告編」だった。非常によく出来ているので、ぜひ多くの人に見てもらいたいのだが、残念ながら某氏のページはリンクフリーではない。もったいない。もったいないので、以下、「あらすじ」だけ無断コピペしておく。

主人公は同人作家4年目の大学生3年生。
ようやく中規模イベントなら壁サークルと、中堅にさしかかり人気も安定。
今までの売れない時代が嘘のように、絶好調で、今月の超CITYでは
ついに500部の大台を完売。通販依頼も殺到。
あまりの量に辟易した主人公、これを機にショップ委託にしようと思いつつ、
最後の自宅通販を発送しおえたが、時は既に遅かった。

当然のごとく載せた奥付の自宅住所に連日連夜、

厨房が大挙して来襲。

今日も主人公の安眠は妨げられるのだった

 このあと「キャラクター紹介」があって「真性厨/レズ思い込み厨/ムー大陸前世厨/危険物取り扱い厨/転生巫女厨」などなど愉快な仲間達が紹介される。いちいちツッコミを入れたくなるのだが、省略。
 某氏はほかに「若桜木先生なりきり日記」を用意していたそうだが、「やりすぎ」たことに気づいてアップロードを断念したという。そちらもぜひ読んでみたいものだ。というか、ファイルを送ってほしい。そしたら、ここにアップするから……と書いたが、よく考えればもろに本の話題になってしまう。あかんやん。

1.10296(2002/04/02) リンク集の手入れ

 知人のU村氏のサイト「なんとなく劇場」が「UME研究所」と名前を変えたそうなので、リンク集の手入れをすることにした。そこでちょっと困ったのが、ただそれだけの更新でも「ミステリ系更新されてますリンク」ほかに反映されてしまうということだ。いや、別に困ったことではないかもしれないが、なんとなく申し訳ないような気がしてしまう。そういうわけで、ちょっと雑談。
 U村氏によれば、
 UMEとは、『Unidentified Mysterious Emothion』の略であり、日本語で記すならば未確認感情とでもなるだろうか。  当研究所では、文字通りそういった未知の感情について研究している。……のだが、実際にその研究成果が発表される場であるかどうかは、不明だったりする。ていうか、今までと内容は変わらない。外観が変化しただけでしかないのです。
だそうだが、「未確認感情」では「Mysterious」がすっぽ抜けているような気がする。それを補うと「未確認神秘的感情」か? いや、ちょっと大げさだ。「Mysterious」は確かに「神秘的」とか「謎めいた」という意味ではあるのだけれど、ここでは「よくわからない」という程度で十分だと思う。だが「よくわからない」ということを漢字でどう表せばいいのか。「不明」か? 少し違うような感じだ。いっそそのまま「未確認よくわからない感情」と訳してしまおうか。そんな事を考えてみる。
 ところで、「UMA」って日本語でいうと何だったっけ? 単に「未確認生物」?

 ああ、本当にどうでもいい事を書いてしまった。ついでに、さらにどうでもいい事を書いてみる。
 私のハンドルの「滅・こぉる」の由来についてはずっと前に書いたとおりだが、以外とネタ元の飲物を知らない人が多いらしいということを最近知った。確かにメッコー○(←あまり意味はないが伏せ字にしておく)を売っている自販機はかなり減ってしまった。昔はドクターペッパー程度にはありふれた飲物だったはずなのだが。
 ところで、最近○○○(←差し障りがあるといけないので、完全に伏せ字にする。カタカナ3文字)というハンドルの人に会って、その由来を尋ねると、たまたま○○○のキーホルダーが目の前にあるときにハンドルを決めたという話だった。私とほとんど同じ決め方だ。ただ違っているのは、メ○コールは○○○ほど一般的ではない(カテゴリーが全然違うので比べても仕方がないのだが)ということと、ネタ元をそのまま使っているわけではないということだ。なるべくなら同じハンドルを使う人がほかにいないようにしようと思ったからである。そのまま「メッ○ール」というハンドルを使っている人はいるようだが、私が知る限り「滅・こぉる」は私以外にはいない。というか、ハンドルに「滅」などという字を使っている人は稀だろう。
 そういうわけで、インパクトだけは無意味に強いハンドルで、それなりに気に入っていたのだが、最近ちょっとうっとうしくなってきた。なんか私のキャラに合わないのだ。ありふれたものでもいいから、もう少し落ち着いた名前はないものか。こんな事を考えるのは年をとったせいかもしれない。
 で、なんでまたこんな話題を取り上げたかというと、今日いきつけのサイトを見ると、私の本名がハンドルと全然違っている、というような事が書いてあったからだ。ハンドルの付け方は人それぞれだが、やはりいちばん多いのは本名のもじりだろう。その意味でも「滅・こぉる」は少数派に属するハンドルであることは間違いない。
 ところで、この文章で私は一貫して「ハンドル」という言葉を使っているが、どちらかといえば「ハンドルネーム」あるいは省略して「HN」というほうがふつうだろう。「ハンドル」にはそれだけで名前という意味が含まれているので、「ハンドルネーム」というと意味がだぶってしまうから間違いだ、という話をどこかで聞き込んできてからずっとそうしているのだが、本当なのだろうか? これが嘘なら、私はかなり滑稽なことをしていることになる。

 そんなこんなで11時。まだ体調が回復していないので、これをアップしたら薬を飲んでさっさと寝ることにする。

1.10297(2002/04/03) 聴破

 「読破」という言葉があるのだから「聴破」という言葉があってもいいと思うのだが、たぶんそんな言葉はない。

 さて、昨日から始めた「アクセス数減少キャンペーン」のせいで、しばらく本の話題を扱うことができない。そこで、かわりに考えたのが「一日一枚バッハ全曲聴破マラソン」という企画である。上にも書いたように「聴破」という言葉はないのだが、ほかに書きようがないので仕方がない。
 ルールは簡単だ。「ブリリアント版バッハ・エディション」(ブリリアントはオランダのCDレーベル。あちこちから音源を安く買いたたいて廉価盤を出している。ただし、バッハ・エディションはカンタータの大部分が新録音で、かなり頑張っている。2000年のバッハ没後250年記念に出た)に収録されている全160枚のCDを今日から毎日一枚ずつ聴いていくというだけ。160枚のCDがどれくらいの量になるのかは、こちら(これは言葉では説明できないのでリンクを残した。リンク切れ御免)を参照されたい。なお、リンク先の写真ではCDは紙ケースに入っているだが、私が買ったのはプラスティックケース入りだったので、写真の2倍以上のかさがある。はっきり言って、ものすごく嵩張る。できれば今持っているCDを売り払って紙ケース仕様のものを買い直したいくらいだ。
 私がこれを買ったのは去年の2月だったが、今日まで手つかずのままだった。いつでも聴けると思うと、かえっていつになっても聴くことができないわけで、昨日の晩まで玄関脇でほこりをかぶっていたのだが、このたびのネタ切れに際し、ようやく開封したという次第。で、今日は全23巻中第1巻からCD1を取り出してプレイヤーにかけた。『ブランデンブルク協奏曲』第1〜3番(BWV1046〜1048)である。演奏はロバート・ヘイドン・クラーク指揮コンソート・オヴ・ロンドン……と書き写してみたが識者も演奏団体も全然知らない。上のリンク先のリストには載っていないが第3番の演奏にあたっては第2楽章をバッハの別の曲で補完しており、2分1秒となっている。北村薫ファンならよく知っていることと思うが、この楽章はとにかく短い。あまりに短すぎて新妻千秋にキスをする間もないくらいだが、この演奏だと相当のことができそうである。おっと、ミステリの話題は書かないことにしていたのを忘れていた。
 ところで、第2楽章に挿入された曲だが、CDケースを見ると「from Trio Sonata in G major BWV1048」と書かれている。だがBWV1048というのは『ブランデンブルク協奏曲第3番』そのものなので、これは誤植だろう。初っ端からこれでは先が思いやられる。バッハはトリオソナタをごく数曲しか遺していないから調べればどの曲から引用したのかがわかると思うが、面倒なので調べない。

 この調子で毎日感想文を書いていけば160日間はネタに困ることがない。これは楽だ。よーし、次回予告もしちゃうぞ。明日は『ブランデンブルク協奏曲』の残り3曲、第4〜6番を一気に聴破だ!

1.10298(2002/04/04) 二日目

 一日一枚バッハ全曲聴破マラソン」二日目だが、もうどうでもよくなってきた。今日は『ブランデンブルク協奏曲』の残り3曲を聴いたのだが、今までに何度となく聴いた曲だし、他の演奏に比べて特にこれといった特徴があるわけではないので、何も書くことがない。
 あ、そうだ。「全曲」というのは言葉の綾で、本当に現存するバッハの音楽すべてを聴くわけではない。たとえば『ブランデンブルク協奏曲』のいくつかの曲には複数のヴァージョンが存在するが、ブリリアント版では異版を並録するようなマニアックな構成になっていない。バッハ没後250周年(2000年)記念でいくつかのバッハ全集が出たが、中にはCD170枚以上のものもあったはず。私がブリリアント版を買ったのは単に安かったからだ。確か4万円くらいだったと思う。

 一昨日の「UMA」を検索して調べてみた。「UMA」だけだと、競馬とか乗馬関係のページが上位にくるので「未確認」を足したところ、「未確認動物」「未確認生物」「未確認生命体」などの訳語が出てきた。どうも「Mysterious」は無視されているようだ。もっとも私は最初のページしか見ていないし、リンク先にアクセスしていないので、かなりいい加減である。

 今日も引き続き体調が思わしくなく、会社を早退して昼寝をした。どうも肩が妙に凝っていて、おまれに喉にものが詰まったような違和感がある。たぶん昼間は熱も少しあったのではないか。計っていないけど。夜になって多少気分が楽になってきたが、無理は禁物だ。今日も早めに寝ることにする。

1.10299(2002/04/05) ジャーゴン

 私は「たそがれSpringPoint」ではなるべくジャーゴン(専門用語とか、ごく限られた人々の間でしか通用しない隠語の類)を使わないことにしている。ジャーゴンを使うと読者を選別することになってしまうことはあまり気にしていない(もともとあまり一般受けする話題を扱っているわけではないので)が、「私はこんなジャーゴンを知っているんだ。凄いでしょ」という自慢をしているかのように受け取られるのが嫌だからだ。「こいつ、偉そうにジャーゴンなんか使ってやがる。バカじゃないの」と蔑まれるのは恥ずかしいし、「おお、こんなジャーゴンを知っているなのて、なんて物知りなんだ!」などと賞賛されるのはもっと不愉快だ。
 もっとも、時にはあえてジャーゴンを文章に混ぜることもある。たとえば、今まさにジャーゴンを使って文章を書いている(もし「ジャーゴン」がジャーゴンだとすれば、だが)。ただし、意図的にジャーゴンを使うのはこのような例外的な場合だけなので、もしあなたが「こいつ、こんなジャーゴンを使ってやがる。どういう了見だ?」と思うことがあるとしても、多くの場合、単に私がうっかりしているか、それがジャーゴンであることに気づいていないかのどちらかである。
 実際、ジャーゴンとそうでないものとを区別するのは難しい。無作為抽出した人々を対象にアンケート調査をすれば、客観的に区別できるかもしれない(ただし、どれくらいの人が知っていればジャーゴンではないのかという線引きは難しい)が、文章を書くときにいちいち聞き取り調査をするわけにもいかない。ネットで検索して大まかな雰囲気を掴むのが精一杯だ。だが、ネット上にはジャーゴンがあふれかえっているのだから、このような方法が妥当であるはずがない。結局は恣意的な思い込みで判断するしかない。困ったことである。

 「一日一枚バッハ全曲聴破マラソン」三日目。今日は『管弦楽組曲』第1番と第2番。2曲あわせても40分足らずだ。CD160枚というのがハッタリのように感じられる。『ブランデンブルク協奏曲』と『管弦楽組曲』をあわせてCD3枚に収録したらよかったのではないか。
 こんな、音楽の内容と関係のない事を書くのは、感想らしい感想がない証拠だ。この企画で160日間ネタに苦労しないと思ったのは大間違いだった。

 ふと思いついたこと。「前世(「前生」と書くほうが正しい、と何かの本に書いてあったが、私はよく知らないのでとりあえず「前世」と書いておく)の記憶」が単なる妄想ではなく、本当に過去に起こった出来事の記憶であると仮定する。では、その記憶が前世の自分の記憶であるということは、一体何によって保証されるのか
 たとえば、クレオパトラの記憶をもつ人物Aと楊貴妃の記憶をもつ人物Bがいるとする。その場合に「Aはクレオパトラの生まれ変わりであり、Bは楊貴妃の生まれ変わりである」と断言するためには、少なくともAとBが互いに相手の記憶をもって転生したという可能性(ほかにもさまざまな可能性が考えられるが、とりあえずこの一つに話を絞る)が予め排除されている必要がある。この可能性は論理的に排除されるものなのか、それとも論理外の理由で排除されるものなのか。
 変な問いを立ててしまった。私が何を疑問に感じているのか、わからない人のほうが多いだろう。でも今はまだちゃんと説明できない。もう少し考えてから出直すことにする。
 この文章では「論理的」と「論理外の」を対義語として使っている。「論理的」という言葉は「筋道が通っている」とか「理路整然としている」というような意味で、しばしば正の価値を含んだ表現として用いられる。その対義語は「非論理的」であり、当然、負の価値を含みとしてもつ。しかし、ここで私は「論理的」という語を価値中立的な語として使っており、その対義語として「非論理的」を採用するのは誤解が大きいと判断し、あえて「論理外」という一般にはあまり馴染みのなさそうな語を使うことにした。

1.10300(2002/04/06) 前世と転生

 見出しの件について昨日メモ程度の文章を書いたが、その後この種の話題を扱っているサイトをいくつか巡回してみて、私ごときが気軽に取り上げられる話題ではないということがわかってきた。いや、本当は先に気づいていなければならなかったのだ。迂闊だった。
 もしかしたら昨日の続きを期待している人もいるかもしれない(いるのか?)が、そういうわけでしばらくこの話題を扱うことはない。ただ、話題を投げ出したままだと何となく居心地が悪いので、いま私が考えていることを箇条書きにしておく。  適当に思いつくまま書き並べたので全く秩序だっていない。いくつかの項目は言葉遣いのレベルで混乱していて、よく考えると全く無意味だったことが判明するかもしれない。また、明日になったら考えが変わっていることもあるだろう。

 今日もバッハを聴いた。『管弦楽組曲』第3番と第4番だ。第3番には有名な『G線上のアリア』の原曲が入っていて……というのは言わずもがなのことだろう。よって何も書くことがない。

1.10301(2002/04/06) 無題

 今日は久しぶりに大阪へ行き、日本橋界隈を散策し、散財してきた。そこで早速断崖にて(しかし、なんでこんな見出しにしたのだろう?)を更新した。小説1冊(もう読んでしまったが、今アクセス数減少キャンペーン実施中なのでタイトルとか感想文とかは後日)、マンガ7冊(面倒なので個別にタイトルは挙げない)、CD20枚である。CDを一度に20枚買ったというと大層な事のようだが、実はそれほど大したことではない。輸入盤の安売りCDで20枚組4800円(税抜き)のものを一組買っただけだから。『WAGNER mania』タイトルで『ニーベルンクの指輪』全曲ほかいろいろ入っているようだ。私は別にワーグナーファンではないが、値段も手頃だし、「音のカタログ」として役立つかもしれないと思って買った次第。
 ワーグナーつながりでどこかにリンクしようと思って探している時にこんなサイトを見つけた。たぶんワーグナーと直接の関係はないと思うが、間に松本零士を挟めば全くつながりがないわけではない、と理屈をつけてみる。
 それはともかく、今日日本橋へ行ったのは特に用事があったわけではなくて、なんとなく最近のマンガとかゲームの動向を眺めてこようと思った程度なのだが、せっかくだから最近開店した店に行ってみることにした。信長書店? いや、そこにも寄ってはみたけれど、別にどうということもなかった。そうではなくて……えっと、店の名前(「しいがる日本橋店」という名前だった)を忘れてしまった。しばらく前にネット上のごくごく一部で少しだけ話題になったパソコンゲーム関係の店で、公式サイトも覗いてみたのだがブックマークをつけていなかった。まあいい。要するに「Studio e.go!」(18禁ゲームを作っているソフトハウス)のオフィスのあるビルの1階にできた店だ。道を挟んですぐ向かい側に大阪市立日東幼稚園があるという環境のせいか、昼間は営業していない。私が行ったのは午後一時半頃だったのでシャッターが下りていた。確か五時くらいには開店するはずなのでその頃にもう一度行ってみようかとも思ったのだが、空模様が怪しかったので結局四時前に日本橋を引き上げてしまい、店内には入っていない。

 さて、全然話題は変わる。先日某サイトが閉鎖して各方面に衝撃が走った。閉鎖直後にそのサイトを見に行って私自身びっくりしたのだけれど、その事についてあれこれコメントするのもどうかと思い、例によって「何事もなかったかのように」ふるまうつもりでいた。だが、一度きりとはいえ私もそのサイトの管理人氏にお会いしたことがあるのだし、それはつい先月のことなのだから、全く無視してしまうのもどうか、と考え直した。かといって「悲しみで胸がいっぱいです」とか「今はただ『おつかれさま』と言いたい気分です」などと書くのも妙に馴れ馴れしすぎるような感じがする(こんな事を書くと他サイトを批判しているかのように誤解されそうなので、大急ぎで補足しておくが、これは私自身と管理人氏の関係、またはたそがれSpringPointとそのサイトの関係をもとにして言っているだけで、一般論ではない)ので、どういうふうにコメントしたらいいのか迷っている。
 どうでもいいことで悩んでいると思われる方もいるだろう。その通りだ。私はこと対人関係にかけては瑣末な事で悩んだり迷ったりして、なかなか円滑な人間関係を築くことができない。たとえば、休日の午前十時半頃に家に誰かがやってきたら、「おはようございます」と挨拶をしたら「何だ、こいつ。まだ目が覚めていないのか」と軽蔑されそうだし、かといって「こんにちは」と言ったら「おいおい、もう昼かよ。気が早すぎるんじゃないの?」と嘲笑されそうな気がして、いや、たいていの人はそんなことは気にもしていないはずだ、と頭ではわかっていても、どうしても声が出なくて、無言で応対したらきっと「おかしい人」だと思われてしまうに違いないから、そっと奥の部屋に移動してじっと息を潜めて居留守を使ってしまうくらい、どうしようもなくダメダメな引きこもり体質なのだ。この文章で「某サイト」とか「管理人氏」とかわざと固有名詞を挙げずに話をしているのも、そのようなメンタリティの現れである。だが、このような回りくどい書き方は、それ自体が異様なことであって、どうせ見ている人にはバレバレなのだからむしろきっちりリンクした上ではっきり言及したほうがいいのかもしれないし、いや、そんな事をしたら検索エンジンとかアクセス解析でここに辿り着いた人がどう思うだろうか、などとうだうだ考えているうちにそろそろ日付がかわりそうになってきたので、とにかく今日中に決着をつけよう。どうでもいいことなのだから、深く考える必要はない。そう、軽く考えればいいんだ。気楽にやろうよ。気楽に、心を楽にして、リラックスして、重荷を下ろして、穏やかな気分で……ああっ、もう。
 考えても考えてもきりがないので、折衷策として、固有名詞を挙げての言及は避けて、リンクだけ張ることにした。(というわけで、当初この段落全体をアンカータグで囲んで盛大にリンクを張っておいた)この判断が妥当なものなのか、そうでないのかはわからないし、考えたくもない。また、追悼の言葉は一切述べない。だからといって私が何とも思っていないなどと早合点しないで行間を読んでほしい。と、いったい私は誰に向かって語りかけているのだろううか? いや、もうそんな事を考えるのもやめよう。とにかく、これで私は責任を果たしたのだ。責任? そんなものがそもそも課せられていたのか? ともあれ、今日の文章はこれでおしまいだ。おしまい。文句があれば、メールでお願いする。サイト持ちの人もできれば日記とか雑文とかで言及しないでいてくれるとありがたい。
 この文章全体が一種のジョークになっている。ミステリ系の老舗サイトであった「錦通信」(管理人:市川尚吾氏)が4/5に閉鎖したのだが、ちょっと「わけあり」の閉鎖だったこともあり、ミステリ系諸サイトの管理人たちがこぞって「錦通信」の閉鎖を悼むコメントを発表した。「たそがれSpringPoint」ではちょうど「アクセス数減少キャンペーン」実施中だったので、ミステリサイトの動向は無視することにしていたのだが、ふと悪戯心を出して、ミステリとは全く無関係の「バーチャル幼なじみアイドル名雪17歳」(管理人:BSG氏 4/4閉鎖、4/7再開)にリンクを張った。私は市川氏ともBSG氏とも3月に一度だけ(全く別の機会に)お会いしているので、上で書いたことに嘘はないわけである。

1.10302(2002/04/07) 春、厨萌え出づる春

 私はたった今気づいた。「飛翔」とは「少年ジャンプ」のことだということに。迂闊だった。どうして今まで気づかないままでいたのか、自らの不明を恥じる。

 昨日うだうだと書いた件で今日リンク先を見に行ったら……更新再開していた。おいおい。
 昨日の記事をどうしようか小一時間考えた。
  1. 「何事もなかったかのように」削除する。
  2. 更新再開に気づかなかったふりをして放置。
  3. リンクを外して、他のサイトに言及していたふりをしてごまかす。
 どれもこれも姑息な感じがしたので、とりあえずリンク先URIを手入れ(トップ→過去ログ)して存続させることにした。どうせ、今週の文章をまとめて鬱の蠅取壺へ叩き込む際に外部へのリンクは全部外すので、暫定的な処置である。

 ちょっと疲れたので「一日一枚バッハ全曲聴破マラソン」は夜に回すことにする。

1.10303(2002/04/07) 牛丼並盛250円

 150円の値引きで客が押し寄せるのならわかるが、わずか30円でもやっぱり客が増えるとは驚きだ。そんな事を言っている私自身が、ふだん行かない吉野家へ行ったわけなのだから、あまり他人のことは言えないのだが。

 それはそうと、昼間後回しにしておいた、今日の課題CDについて。今回は『ヴァイオリン協奏曲集』である。バッハの現存するヴァイオリン協奏曲3曲のうち独奏ヴァイオリンのための2曲(BWV1041,1042)と現存しないヴァイオリン協奏曲を3曲収録していて、総時間は79分57秒である。収録時間は長いに越したことはないのだけれど、『2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調』(BWV1043)が収録されていない(同じ巻のCD9に収録されている)のは不思議だ。ふつう、バッハのヴァイオリン協奏曲集のCDにはBWV1041〜1043を収録しているものだが……。独奏ヴァイオリンのための協奏曲だけでまとめたかったのなら話はわかるが、そうではなくて3つのヴァイオリンのための協奏曲が1曲(BWV1064からの復元)が入っているので、ますますわけがわからない。
 それはともかく、今日もノルマを果たしたので、これでよし。明日は『チェンバロ協奏曲集』だ。