http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/q/0111a.html#q011101
11月になった。先月は毎日更新を果たしたが、そろそろ息切れしてきた。たぶん今月は何度かサボることになると思う。
書きたい話題がないわけではない。が、似たテーマが連続するとよくないだろうとか、ある程度資料を調べておかないと書けないなとか、書いても面白くないだろうなとか、これは一生の秘密にせねばとか思っていると、なかなか書けない。そのわりに、毎回どうでもいいネタで書いていると思われるかもしれないが、世の中下には下があるものだ。
今考えている話題を疑問形でいくつか羅列してみよう。
こうやって挙げてみると、私の関心は主に食べ物と言葉に向いていることがわかる。これでは似たような話題ばかりになってしまうのも仕方がない。そのわりに、深く掘り下げて考えることができないのは困ったものだ。
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全文削除。
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今日は、アリバイの話をする。アリバイといっても、「最近の『たそがれSpringPoint』はアリバイみたいな文章ばっかりだな〜」というような比喩的な意味ではない。何か犯罪が発生したときに、関係者が刑事から「形式的な質問」として訊かれることになっている、あのアリバイのことだ。ミステリでは、密室と並ぶ大きなテーマになっているが、多くの場合は真犯人がいかにして偽アリバイを作ったかということ、すなわちアリバイトリックがテーマとなっている。
ここで、「アリバイ」を次のように定義しておこう。
非常に持って回った言い方だが、これは単に奇をてらっただけで、別に大したことは言っていない。また、当然のことだが、全然厳密な定義にはなっていないし、抜け穴もいくらでもある。だが、アリバイトリックを原理的に分類するための叩き台としては、このくらいでいいだろう。
上の定義に基づいて、容疑者にアリバイが成立する状況や条件を箇条書きで示す。
少し補足しておく。私は「アリバイ」を少し狭い意味で解釈している。「現場不在証明」の字義からすれば、犯行現場にいなかったことを証拠立てる方法は2以外にもあり得る。たとえば、犯行現場が高いビルの屋上で、容疑者が誰もが認める高所恐怖症であったなら、ある意味でアリバイが成立したといえる。また、密室状況で発生した事件の場合、その現場に立ち入ることができなかった世界中のすべての人にアリバイがあることになる。また犯行現場であれ、他の場所であれ、事件発生時に容疑者がどこにもいなかったということが証明できれば、当然アリバイは成立する。要するに、容疑者が事件発生以前に死んでいたか、事件発生時にまだ生まれていなかった場合だ。
とはいえ、ここではそのような事例は排除することにする。というのは私はアリバイトリックに焦点を合わせて考察を行いたいからだ。密室トリックは普通アリバイトリックのうちには含めない(アリバイトリックを応用した密室トリックというのはあるが、それは密室トリック全体の真部分集合に過ぎない)し、高所恐怖症の人物が何らかの方法で犯行を可能にしたとしても、それをアリバイトリックとは呼ばないだろう。
さて、いよいよアリバイトリックの分類にかかることにしよう。といっても、実はすでに半分終わったも同然だ。上の1〜4のどれかに錯誤を生じさせることができれば、アリバイトリックの出来上がりとなるからだ。すなわち、
この4つですべてが尽くされるのだ。このうち4についてはアリバイトリックに含んでいいものかどうか少し迷う。これは偽アリバイではないからだ。しかし謎の提示の仕方(「彼女が犯人に違いない。だが、彼女には完璧なアリバイがあり、犯行は不可能に思われる。では、どうやって彼女は不可能を可能にしたのか?」)は同じだ。また、密室トリックのうちには犯人が犯行時に現場に立ち入らなかったパターンを含むのだから、同様に考えてもいいのではないか。
というわけで、この4つをアリバイトリックの基本的な型とみなすことにしよう。さらに細かく分類したいところだか、個別の例によって条件が違ってくるので、あまり整然とした演繹的分類は期待できそうにない。
実は、続けてもう少し細かい話をしようと思っていたが、準備不足でちゃんと書けないことがわかったので放り出してある。もしかしたら、軽い雑談としてそのうち再度取り上げるかもしれないが、別に新しい知見があるわけではないので、迷っているところだ。
ああ、またアリバイ文章を書いてしまった……。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/q/0111a.html#q011104
昨日の毎日新聞に「ジェンダーの視点」という囲み記事があった。筆者は北川純子氏(大阪芸術大学非常勤講師・音楽社会学、ポピュラー音楽論)。映画『キング・コング』やアニメ『鉄腕アトム』を例に挙げて、トラッペットに結びつけられた「男性性」について語っている。たとえば、
アトムのテーマ曲は、主題歌としてもおなじみの、高らかなトランペットによるものだ。妹の「お転婆」なウランのテーマ曲は、キラキラした鉄琴や柔らかな木管の音によって奏される。
などという指摘がある。言われてみれば全くその通りで、誰でも自分の知っているアニメや映画から類似した例を挙げることができるだろうが、なかなか自分では気付きにくい事でもある。私は感心した。
が、その後がいけない。続いて筆者は古代エジプトや西洋でトランペットに与えられたイメージについて語った後、日本に場面を移すのだが、
インターネットで「女性トランペッター」「男性トランペッター」の語を検索してみると、前者では数十のページが得られるのに対して、後者はゼロに近い。男性トランペッターが「標準」であるがゆえに、あえてそこに「男性」をつける必要はない、という用語法が確立していることがわかる。
という一節を読んで私は一気にげんなりした。この部分だけを見れば何もおかしい事はない。私も実際にgoogleで検索してみたが、確かに「女性トランペッター」は多く、「男性トランペッター」は少なかった。では、何が問題か?
問題は、トランペットの音色に付与された男性性の話が、いつの間にかトラッペット演奏に関する男性優位の話にすり替わっているということだ。いや、「すり替わっている」というのは言い過ぎかもしれない。同じトランペットという楽器に関わる二つの側面について論じただけだ、と反論することもできるだろう。だが、両者は直ちに結びつくものではない。たとえば、私は「女性フルーティスト」と「男性フルーティスト」も検索してみたが、結果は「女性フルーティスト」が多く、「男性フルーティスト」が少なかった。興味がある人は「ピアニスト」でも「ヴァイオリニスト」でもなんでもいいから、同じように検索してみてほしい。
筆者は最後に
トランペット一つとっても、ジェンダーの力はさまざまに作用している。私たちは、そうした力がゆきかう場でつくられる「音楽への感じかた」を、「自由な・自分の・自然な」感性だと信じこみつつ、今日も音楽に聴き入ったり音楽を聞き流したりしている。
と述べて締めくくっている。いい結びだと思う。それだけに、インターネットの検索結果を引き合いに出した一節が惜しまれる。
さて、今日のもう一つの話題も、同じく検索に関する事柄だ。
今朝、私は「たそがれSpringPoint」のアクセスログを見ていて、googleの検索結果をもとにアクセスした人がいたことを知った。毎日アクセスログは欠かさずに見ているのだが、検索エンジン経由はこれが初めてだった。
で、その検索語は「板場広」だった。たぶん、検索した人は「板場広し」と「板場広志」の両方の検索結果を知りたかったために、このような中途半端な検索語を選んだのだと思う。
「たそがれSpringPoint」でこの名前に言及したのは、今のところ一回きりなのだが、さすがはgoogle、こんな細かいところまでちゃんとチェックしているとは大したものだ。もちろん順位はかなり下のほうで、506件中178件目だった。そこで私は疑問に思うのだが、いったい、この人は、検索結果の何番目までを見たのだろうか?
どういう目的があって検索したのかは知らないが、リンクを辿ってやってくると、求めていたのと全然違うアリバイトリックの原理的分類などという話題が出てきてびっくりしたことだろう。