1(総タイトル) たそがれSpringPoint

1.x 鬱の蝿取壺


1.10041(2001/10/29) 分岐器

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/q/0110e.html#q011029

今朝、アクセスログを見ていると、なぜかニフティの鉄道フォーラム経由のアクセスがあった。ざっと見たところ別にリンクを貼っているようではないが、単にこのページを見る直前に見ていたページがそれだったということなのだろうか? それにしても、別にここは鉄道系でも何でもないので、誰が何の目的で見に来たのか、ちょっと気になる。もしかしたらサイト名を見て、鉄道を扱っているページだと勘違いしたのかもしれないが、もしそうだとすると申し訳ないことだ。ごめんなさい。

というわけで、今日はサイト名の話。

先月の中頃、ウェブサイトを立ち上げようと思い立ったとき、何事も深く考えずに思いつきで勝負しようと考えた。深く掘り下げて考えてよい文章が書ければ、それにこしたことはない。だが、実際には、考えれば考えるほど自己嫌悪に陥り、何も書けなくなる。なら、あまり考えずに駄文を書き飛ばそうと思ったわけだ。見るのも勝手、見ないのも勝手、見物人から金を取るわけじゃなし、どんなに下らなく愚かな文章を発表しても、誰にも非難される筋合いはない(とはいえ、他人を誹謗・中傷したり、プライバシーを侵害したりするのが許されるわけではない。いちおう、その点には気を使っているつもりだ)。読むに耐えないと思ったら削除すればいいのだし、言葉が足りないと思えば書き足せばいい。最初から完全なものを提示する必要はなく、何らかの完成形を念頭においてサイト運営をする必要もない。

ただ、サイト名はそう頻繁に変えるわけにはいかない。そこでどんなタイトルにしようかと考えたのだが、やはり深く考えれば考えるほど訳が分からなくなってくる。やはり思いつきで決めたほうがよさそうだ。こうして「たそがれSpringPoint」というタイトルが決まった。

私は後ろ向きでネガティブな人間だ。相田みつをみたいな発想はできない。どうせ人はいつか死ぬのだし、死んでしまったらすべての夢や希望は潰えてしまう。物事を前向きにしか考えられない人は気付かないふりをしているかもしれないが、そんな人にも黄昏は訪れる……などと考えたわけではなくて、ブラッドベリの名著『十月はたそがれの国』(創元推理文庫、いや今は創元SF文庫か)からタイトルの一部をとった。10月1日にサイトを正式公開することに決めていたので、ちょうど都合がいい。

「たそがれ」というやまとことばを平仮名で書いたら、その後には横文字がほしい。なぜほしいのか訊かれても困るが、私の言語感覚ではそうなる。語呂がよく、あまり意味のない言葉(意味があるとサイトの雰囲気が引きずられてしまうから)がないものか。そこで思いついたのが「スプリングポイント」だった。ローマ字で書く(前にも書いたが、ここで言う「ローマ字」は日本語のローマ字表記のことではない)と「spring point」だが、大文字と小文字を混ぜたほうが感じがいい。なぜ感じがいいのか訊かれても困るが、私の言語感覚ではそうなる。単語と単語の間にスペースを空けるのは危険だ。全角と半角がごっちゃにになってしまう。そこで間を詰めて「SpringPoint」とした。「JavaScript」みたいだ。なぜ「JavaScript」みたいなのか訊かれても困るが、私の言語感覚ではそうなんだってば。

では、スプリングポイントとは何か。「spring」といっても春のことではない。また泉のことでもなく、これはバネのこと。「point」にもいろいろな意味があるが、これは鉄道で用いる分岐器のことだ。人生はいわばレールの上を走る列車のようなものだ。ところどころにポイントがあって、選択を迫られる。ポイントを過ぎると二本の線路は徐々に離れてゆき、ついには全く別のところに辿り着く……などという含みを持たせようと思ったのではない。そもそもスプリングポイントでは進行方向を選ぶことはできないのだから。線路が分岐しているのに、その一方にしか進むことができない、それがスプリングポイントの特徴だ。

そのような分岐器に何の意味があるのか、疑問に思う人もいるだろう。だが、一方にしか進めないということは、ポイント操作の必要がないということであり、転轍機を設けずにすむということでもある。これは田舎のローカル線や路面電車では非常に便利なことだ。というわけで、スプリングポイントは主に優等列車のない単線鉄道や軌道で用いられている。分岐点から先へは一方にしか進むことができないが、逆向きに走行する場合には、両方から合流点に走り込むことができる。う〜ん、構造は簡単なのだが、文章で説明するとえらくわかりにくい。だが、ここは分岐器のメカニズムを説明する場ではないので、これくらいで勘弁してほしい。どうしてもスプリングポイントの仕組みを知りたい人は、専門のサイトで調べてみるという手もある。図解入りでわかりやすく説明したページがいくつかある。面倒なのでリンクは張らないけれど。

1.10042(2001/10/30) 百問は一答に如かず

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/q/0110e.html#q011030

全文削除。

1.10043(2001/10/31) 読んだ本・読みかけの本・読めるかどうかわからない本

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/q/0110e.html#q011031

本は多く、人生は短い。人が一生の間に読める本は、毎日毎日出版される本の総数からすれば、ほんの一部に過ぎない。読書家と呼ばれる人々は日々数冊ずつ本を読むが、仮に一日あたり5冊の本を読むとしても一ヶ月で150冊、一年で2000冊足らず、80年間読み続けても20万冊に到達することはない。私など、その10分の1以下しか読めない。

今日は『大名たちの構造改革』(谷口研語・和崎晶/ベスト新書)を読んだ。この一冊を読むのに三日かかった。たかが新書一冊で、だ。速く読めばいいというものではない。しかし……。

いや、とりあえず、簡単に感想を書いておくことにしよう。

歴史をテーマにした本には大きくわけて二種類のものがあると思う。一つは、現代との差異を強調し、そこにロマンを見出すもの。もう一つは、さまざまな違いの中に現代との共通点を見出すものだ。この本はタイトルが示すように、後者の部類に属する。いわゆる「ビジネスマン」(たかが集合住宅を「マンション」と呼ぶのと同じ滑稽さがこの言葉にはあるように思えるが、それはまた別の話)向けの本には、わりと類書が多い。有名な上杉鷹山や徳川吉宗の伝記の形をとった通俗ビジネス書を書店で見かけたことがある人も多いだろう。別にそれが悪いというわけではない。現代の制度や価値観に引き寄せて記述しているので、読みやすいし、何となく賢くなったようなイメージを味わうこともできる。自分が歴史の実相に少しでも近づいたなどという自惚れを持たなければ、別に問題はない。

そのような心構えで『大名たちの構造改革』を読み始めたのだが、二宮尊徳とか調所広郷などお馴染みの人物も登場するものの、全体としては人物列伝というよりは政策のパターンに重点が置かれていた。ちょっと拍子抜けした。でもまあ、妙に物語仕立てにしたものを読むと白けるので、これくらいでいいのかもしれない。

さて、この本と並行して読んでいる本がある。先週から何度か言及している『とむらい機関車』(大阪圭吉/創元推理文庫)だ。一気に読んでしまうともったいないので、一篇読むごとに間を空けている。この分だと『銀座幽霊』(同)を読み終えるのはいつになるやら。

さらに積ん読状態の本が何冊もある。乙一の近作二冊がまだ全然手つかずになっているし、あえて作者名も作品名も伏せるが某ゲームのノベライズも半月ほど前に読みかけたまま止まっている。そんな状況なのに、先日知り合いから『建築屍材』(門前典之)を貰ってしまい、ちょっと困っている。その知り合いは別の人からこの本を貰ったが、既に読んでいた(本屋で立ち読み!)し、手元に持っておきたいとも思わなかったので、私にくれることにしたそうだ。そんな話を聞いてしまうと読む意欲が失せるのだが、ネットでの評価はそこそこ高いし、ただでくれるというものを断る必要もないので受け取ってしまったのだが、これもいつになったら取りかかれることか全く不明だ。それにしても、このタイトルはどうにかならないものか。もとのタイトルの『人を喰らう建物』のほうがましだと思うのだが。