http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0308c.html#p030821a
さて、8/15(金)がやって来た。豪雨をものともせずに早朝から一般参加の行列にならび、午前10時の開場時には全身濡れ鼠となったが、気にせず会場に突入して企業ブースやら大手サークルやらを殲滅して回ることにした……なら、たぶん二日目以降はホテルで臥せることになっていただろう。私にはそれだけの気力と体力はないので、一日目は切り捨てることにした。
コミケのかわりに私が向かったのは上野だ。数多くの博物館や美術館が建ち並んでいるが、今回のターゲットは国立科学博物館。特別展ふたつ、『江戸大博覧会−モノづくり日本−』と『THE 地震展−その時のために!−』をあわせて見てやろうと欲張ったのだ。最近どうも博物館見物に走ってばかりいるが、なに深川拓氏の映画鑑賞のペースに比べれば大したことはない。そういえば、深川氏にはここ数年コミケに行くたびに必ず会っていたのに、今回は諸般の事情により会うことができなかった。残念だが、この世にはコミケよりも大事なこと(註)があるから仕方がない。
閑話休題。特別展をふたつ続けてみるとかなり時間を食ってしまい、常設展を見る余裕がなくなってしまった。数年前に夏コミで雨が降ったときにも科学博物館を見に行ったが、その時も時間が足りず駆け足で見て回った記憶がある。本当はゆっくりと時間をかけて展示物をのんびりと眺めたいのだが、東京旅行中の1時間の価値はふだんの数倍になるので、どうしてもせかせかと行動してしまう。
時間の価値というのはなかなか計量できないものだが、私は概ね次のように考えることにしている。10時〜20時の価値は私の給料を勤務時間数で割った数字で、6時〜10時と20時〜22時はその半分、22時〜6時はゼロ。私の勤務時間は10時〜20時ではないので本当はこんな区割りではいけないのだが、多くの店の営業時間をもとにするとだいたいこんな感じになる。なお、旅行中の時間単価には旅行費用が加算されることになる。仮に3日で45000円使ったとすると、1日あたり15000円となり、10時〜20時は1時間あたり1000円加算、6時〜10時及び20時〜22時は1時間あたり500円加算ということになる。
いつもはなんとなく漠然と考えていることをこうやって書き出してみると、計算方法がおかしいのが丸わかりだ。能率中心に物事を考えるのなら、もっと精密な計算式が必要だ。だが、あまり式が複雑になると、個々の事例に適用するのが難しくなる。もともと机上の空論なのだから、この程度でいいのかもしれない。
また脱線した。話を元に戻す。
午後2時前に科学博物館を出て、大井町でりんかい線に乗り換え、いよいよコミケ会場へと向かった。一度は切り捨てるつもりだったが、砂雪氏に会いに行くという重大な用件を思い出したのだ。砂雪氏とは以前からウェブ上では何度か議論の応酬があったが、まだ直に会ったことは一度もなかった。そこで、LEGIOん評価オフin大崎に招いて確率に関する珍説を厳しく糾弾しようと思い、茗荷丸氏とともにいろいろ画策していたのだが、土壇場になって不参加ということになると困る。そこで砂雪氏のサークルに押し掛けたわけである。
砂雪氏のサークルで売り子をしていた茗荷丸氏の証言。
「人間、お前はオフ会に何を求めてるゲラ?」
「ときめきさ」
――そんなわけで、本日はLEGIOん評価オフだったわけですが。
その前に、コミケというものがありました。解りやすく言うと、毎年夏と冬に開かれる、世界最大のマンガ祭です。生憎の豪雨の中を、今回が「はじめてのサークルさんか」だった砂雪くんからサークルチケットをもらって会場入り。そのスペースで、読書の片手間に売り子をして時間をつぶしていました。するとそこに現れたのは、見まごうことなき滅・こぉるさんではありませんか。聞くと、博物館見学をされてから有明の煉獄へこられたとの由。夜の再会を約して別れました。そうそう、全国の滅・こぉるファンのためにあえて書いておきますと、本日の服装は動きやすいパンツルックでした。そういえば僕は今まで一度も、この人がスカートをはいているところを見たことがありません。
そういえば私は今までスカートをはいてコミケへ行ったことがない。別に私はスカートが嫌いなわけではないのだが、旅行のときには動きやすい格好のほうがいい。もっとも、いちいちそんな事を考えて服装を選んでいるわけではなくて、ほとんど習慣的に行動しているだけなのだが。
私とスカートの微妙な関係についてはこれくらいにしておこう。どうも脱線が多くて話が前に進まない。
砂雪氏にオフ会参加の意思を確認したので、コミケ1日目の予定はほぼ達成したのだが、いちおうもう一つチェックしてあったサークルにも行っておくことにした。「いちおう」というのは、時間的にまず買えないだろうと思ってのことだが、案の定完売していた。
企業ブースに行く気力もなく、私は速やかに撤収を図った。夏コミ1日目の会場滞在時間はおよそ20分だった。
その後、国際展示場駅前で、某宗教団体の小冊子をかき集めたのだが、それはまた別の話。
むろん映画鑑賞のことではない。たぶん来月くらいには深川氏の日記で告知されるはずなので、今はそっとしておく。
『銀盤カレイドスコープ』vol.1読了。引き続きvol.2に取りかかる。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0308c.html#p030824a
2日ほど間が空いたので、どこまで書いたのか忘れてしまった……。ええと、8/15の途中までだったか。
8/15といえば終戦記念日だ。日本にとっては敗戦記念日だが、韓国にとっては解放記念日で、「光復節」と呼ばれる。同じ「光復節」が台湾では10/25だという(参照)。韓国の「光復節」にもいろいろと大人の事情があったようだ(参照)。
……いきなり脱線してしまった。
前回の続きに話を戻す。コミケ会場で一冊も同人誌を買わずに退散した私は、りんかい線の国際展示場駅前で某宗教団体から某有名マンガ家の作品が掲載された小冊子をもらった。私は別にそのマンガ家が好きなわけではないのだが、どうせ無料だから、と思い、何度も某宗教団体の人々の前を行ったり来たりした。本当はLEGIOん評価オフの参加者全員分が欲しかったのだが、雨の中うろうろするのが面倒になったので、8冊もらったところで打ち切った。
周遊きっぷのおかげできっぷ購入行列に並ばずにすんだが、地下ホームに降りると人がいっぱいで非常に不快になった。そこで新木場行きの電車に乗って東雲で降りて、大崎方面行きの電車に乗り換えることにした。普通のきっぷだと不正乗車になるので、やってはいけない。
東雲は相対式ホームなので同一平面上で逆方向の電車に乗り換えることができない。一旦階段を下りてなんとなく改札口から外に出て、コンビニで飲み物を買って、もう一度入って階段を上って、大崎方面行きの電車を待った……というようなことを細かく書いても仕方がないので以下一部省略。一旦ホテルに戻って風呂に入り、さっぱりしてから大崎へと向かった。午後6時過ぎにオフ会会場に到着。
さて、オフ会の参加者は20人弱いたと思うが、全参加者を把握しているわけではないし、結局一度も話さなかった人もいたくらいなので、詳細なレポートは書けない。また、そろそろ眠たくなってきたので、いちいち文中リンクを張るのも面倒だ。そこで、以下印象に残った事柄をリンクなしに列挙するだけにとどめておく。
いかん。眠気が……。
『銀盤カレイドスコープ』vol.2読了。感想はこの旅行記が終わってから。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0308c.html#p030825a
今日はコミケ旅行記を中断して、見出しのとおり『銀盤カレイドスコープ』(海原零/集英社スーパーダッシュ文庫)の感想を書く。昨日感想はこの旅行記が終わってから。
と言ったばかりだが、どうでもいい旅行記をだらだらと書き続けるのはいい加減しんどくなってきた。このまま永遠に続きを書かないかもしれないが、まあ、別に誰も困らないだろう。
さて、既に多くの人々がウェブ上に感想文をアップしているので、今さら私が付け加えるべきことは何もないのだが、以前、まだ私がこの小説を読む気が全然なかった頃に思いつきだけで書いた文章の補足をしておこうと思う。題して「ピート・パンプスは桜野タズサと性感を共有できるか?」。石野休日氏の感想文をもとに、再度あれこれ考えてみようというわけだ。主に取り上げるのは、
もし主人公の女の子がムラムラしてしまった時はどうなるのでしょうか? そういうことに興味を抱きがちな年頃の女の子、当然そういった事態はありえるはずです。この場合、取り憑いた男の子は男の子としてのムラムラ感を覚えるのか、それとも今まで味わったことのない女の子としてのムラムラ感を覚えるのか、すっげえ気になる。
という箇所である。結論を先に言えば、ピートは女の子のムラムラ感を味わうことはできない。また、もしかしたら男の子のムラムラ感も味わえないかもしれない。
この結論へと至る道筋を追う前に、タズサとピートの置かれた状況について確認しておこう。
この状況がタズサにとってどのような状況であるのかを想像するのはあまり難しくはない。ただ、頭の中から変な声が聞こえてくるという状況を考えればいい。誰でも脳内電波に「今晩の夕食は茄子の煮浸しにしなさい」と命令されたり、「『サザエさん』のワカメちゃんは覚醒剤でラリったことがあるんだって」などという無駄な知識を伝授されたりして閉口したことの一度や二度はあるだろう。タズサの場合は、それが二六時中または四六時中繰り返されるというだけのことだ。
一方、ピートにとって事態はどうなのか? これはなかなか想像しにくいことだ。なぜなら、幽霊になって他人にとりついた経験のある人はいないからだ。仕方がないので、本当はピートの身に起こったこととは全然別なのだが、なんとなく似ていそうな事例をもとに考えてみることにしよう。
自分の意志で動かせない他人の身体に寄生したことはなくても、自分の意志で自分の身体が動かせないという状況は想像できるだろう。金縛りにあったときのことを思い出せばいい。金縛りの経験がない人は……一度誰かに緊縛してもらってください。五感はすべて揃っている。平衡感覚もあって自分が立っているのか座っているのかもわかる。だが、体を動かそうとしても全く動かない。無理に動かそうとしても、脂汗が出るばかりで、体はぴくりともしない。ピートの場合には脂汗すら出ないのでちょっと違うが、それ以外では金縛りと似たようなものだろう。
次に考えなくてはならないのは、ピートにとってタズサの身体は馴染みのないものであり、生前の自分の身体感覚と異同があるということだ。具体的にいうと、
という2点だ。ほかにも、個人的な身体的特徴に依存する差異がいくつかあるが、数え上げるときりがないので性差に関わる感覚に焦点を絞ることにしよう。さて、これらはピートにとってどのようなことであるのか? これは難問だ。
ここでちょっと話を変える。『銀盤カレイドスコープ』vol.1のカバーにはトマトが4個描かれている。上から読んでもトマト、下から読んでもトマトだ。トマトはピートの弱点だ(vol.1,pp.50-51参照)。だが、タズサは別にトマトが嫌いなわけではない。二人は味覚を共有してはいるが、その「味覚」というのは、甘い・辛い・苦い・酸っぱいなどのような純然たる感覚のことであり、トマトを囓ったときに感じる(好悪の評価含みの)"トマトの味わい"を共有しているわけではない。
次に、梅干しについて考えてみよう。作中にはそんな場面はないが、もしタズサが梅干しを食べたなら、そのとき彼女の口腔内には唾液が他の食物を食べたとき以上に分泌されたことだろう。これは酸っぱい物を食べたときの生理的反応なので、生身のピートが梅干しを食べても同じように唾液が分泌されたはずだ。しかし、もしピートが生前に梅干しを一度も食べたことがなければ、梅干しを見た瞬間にタズサの口の中に唾液が溢れ出ても、彼にとっては梅干しとは何の脈絡もない現象ということになるだろう。もしかしたら、ピートは梅干しについて解説した本を読んでいて、それが酸っぱいものであるということを知っていたかもしれない。だが、それは単なる命題的知識に過ぎず、唾液の分泌を催すものではない。ピートにとってタズサの唾液の分泌は、いわば"宙に浮いている"のである。
もう一歩進めて考えよう。さっきは、生身のピートが梅干しを食べたなら唾液を分泌していただろうと言ったが、タズサが梅干しを食べたときにピートが彼女の唾液を分泌しているわけではない、ということに着目しよう。なるほど、ピートは梅干しの酸っぱさの感覚と唾液が分泌される感覚をタズサと共有してはいる。しかし、梅干しの酸っぱさの感覚が唾液の分泌を引き起こしているのは、あくまでもタズサの側の事柄であって、ピートはその因果関係を共有しているわけではない。彼にとっては、二種類の感覚(梅干しの酸っぱさ、唾液の分泌)が引き続いて起こるだけであり、ピートが感じた梅干しの味が、ピートが感じたタズサの唾液の分泌の原因ではないのだ。従って、梅干しを実際に食べた場合ですら、ピートにとってタズサの唾液の分泌は"宙に浮いている"。
ここまでの議論を理解した人なら、次の展開はおおよそ予想がつくことだろう。そう、私は唾液の分泌に関するメカニズムを別の体液の分泌に応用しようとしているのだ。諸般の事情により細かな論証は抜きにして、要点だけを箇条書きしておく。
生まれつき全盲だった人が手術を受けて目が見えるようになったとしても、最初のうちは網膜が受けた光の刺激を映像として捉えることができないという。触覚によって得た物の形や聴覚によって与えられた方向感などとの対応づけを学習していって、徐々にちゃんと物が見えるようになってくるのだ。もしピートがタズサの身体を乗っ取ってしまい、自分の意のままに動かせるようになったなら、学習を経て女性の性感を得ることができただろう。また、ピートが憑依したのが男性だったなら、過去の自分の経験からの類推により性感を得ることは可能だったかもしれない。だが、ピートの置かれた状況は残念ながらそのどちらでもない。これが私が上で「ピートは女の子のムラムラ感を味わうことはできない」と述べた理由である。
では、「もしかしたら男の子のムラムラ感も味わえないかもしれない」と述べたのはなぜか。こっちのほうはわりと単純だ。男の子のムラムラ感を覚えるための器官がタズサの身体にはないからだ。もっとも、幻肢(幻覚肢)に似た症状(?)の助けを借りて男の子のムラムラ感を実現できる可能性がないわけではない。
結局前回書いたことを繰り返しただけに終わってしまった。ということは、私にとって『銀盤カレイドスコープ』は読んでも読まなくても同じ本だったということになる……というのはもちろん暴論だ。非常に面白かったので、読んでよかったと思っている。私はこの本を箕崎氏にただで貰ったのだが、作者に申し訳ないような気がするほどだ。とはいえ、今から同じ本をもう一冊ずつ買う気にもならない。前に転載した某氏の熱烈な感想文を読んで『銀盤カレイドスコープ』に手を出した人もいるかもしれないので、それで勘弁してもらいたい。
これで私の『銀盤カレイドスコープ』感想文はおしまい。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0308c.html#p030827a
特に意味はないがこんなところにリンク。
タグをちまちまと打っているだけで3分くらいすぐに経ってしまうなぁ。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0308c.html#p030827b
ウェブを巡回しようにも接続状況はずたずたでストレスが溜まる一方だし、自分のサイトの更新をする気も全然起こらないし、なんだかもうどうでもいいや、という気分になってきて、久しぶりにテレビを見ることにした。家でテレビを見るのは何週間ぶりだろう? 見たのはトリビアの泉だ。面白い番組だとは思うが、CMの前後に同じ映像を繰り返すのが苛立たしい。今のバラエティー番組はたいていこの手法をとっているそうだが。
もう一ついらいらしたのが、間の取り方。もったいぶって途中で間をとらずに、自然な紹介の仕方はできないものか。どうも私はこの種の大仰な演出が気にくわない。だいたい、あの次回予告はなんだ。「金メダルは」で止めて視聴者の興味をそそって、次回も見させようとする魂胆が丸わかりだ。どうせ、「金メダルは銅でできている」とか、その程度のことなのだろう(あー、私は適当に思いつきを書いているので、本気にしないように)。その手に乗るものか。頼まれたって見てやらないぞ。へへん。
最近、調子が出ないので、柄にもなくテレビ番組の感想など書いてみた。全然関係ないが、碁石茶が飲みたい。
http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/pp/0308c.html#p030829a
相変わらず更新意欲減退中。昨日、思わず衝動買いした『珍日本紀行』〔東日本編〕〔西日本編〕(都築響一/ちくま文庫)を読みながら、まだ見ぬ珍奇な観光地に思いをはせている。富士ガリバー王国とか鳥羽国際秘宝館・SF未来館などのように、すでに閉鎖・廃止されたスポットもあるので、「いつか、そのうち」などと言っていてはいけない。だが、私にはのんびりと旅行する時間もなければ金もない。
とりあえず、明日あたり近場のスパワールドへでも行ってみようか。1,000円ゴージャスキャンペーン開催だそうだし。