日々の憂鬱〜2002年9月下旬〜


1.10377(2002/09/22) もうワルツは踊れない

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0209c.html#p020922a

 昨日、ワルツ堂跡地巡礼を行った。
 ワルツ堂は全部で13店舗あったらしいが、そのうち難波付近の3店舗と、堂島店を見に行った。どの店もシャッターが閉まっていて、裁判所執行官の公告文と破産管財人の告示文がべったりと貼られていた。
 堂島アバンザビル1階にある堂島店の正面入口で手を合わせた後、同じ建物の奥にあるジュンク堂大阪本店へと向かった。その途中、正面入口とは別にあるドア越しに店内の様子が見えた。暗い店の中にヨー・ヨー・マのポスターが見えた。
 生きていることにうんざりしながら、丸ビルのタワーレコードに立ち寄り、そこでショスタコーヴィッチの交響曲全集(11枚組)を買った。Rudolf Barshai指揮WDR Sinfonieorchesterの演奏だが、私は指揮者、演奏団体とも全然知らない。税抜き2890円だったから別にいいけれど。ブックオフでも3枚くらいしか買えないだろう。
 余談だが、ブックオフのCDの値段は高くないだろうか? ナクソスやアルテノヴァの中古盤に平気で900円などという値段をつけているのを見かけるのだが。

 『言語哲学大全IV』(飯田隆/勁草書房)を買った。もしかしたら永久に完結しないのではないか、とも言われていた"大河入門書"の最終巻だ。著者の飯田隆教授(慶応義塾大学)は"論理学で武装した重戦車"(タイトルは忘れたが、別冊宝島の大学選びガイドでそう紹介されていた)という異名をとる人で、『言語哲学大全』シリーズは一般読者向けの主著である。私は既刊3冊を何度も読み返し心酔して勝手に"脳内師匠"に認定してしまった(が、まだ"押し掛け"をするほどではない)くらいで、文字通り"待ちに待った"新刊である。
 ここで『言語哲学大全』完結への道のりを簡単に年表にまとめておこう。しかし、ただ各巻の刊行年を記すだけでは感覚的にピンとこない人も多いだろうから、田中芳樹の『夏(春)の魔術』シリーズの初刊本の出版年(このリストをもとにした)も合わせて書いておく。

1987『言語哲学大全I 論理と言語』(10月)
1988『夏の魔術』(4月)
1989『言語哲学大全II 意味と様相(上)』(10月)
1990『窓辺には夜の歌 夏の魔術 2』(7月)
1991なし
1992なし
1993なし
1994『白い迷宮 夏の魔術 3』(7月)
1995『言語哲学大全III 意味と様相(下)』(11月)
1996なし
1997なし
1998なし
1999なし
2000なし
2001なし
2002『春の魔術』(9月)
『言語哲学大全IV 真理と意味』(9月)

 ペインキラー氏から私の新ハンドルとして「ベルマーク」を提案された。「滅・こぉる」と語呂が似ているので連想したのだと思うが、ふつうのポイントカードや応募券の類とは違っていくら集めても集めても自分の手には何も入らないというのが、なかなかいい感じだ。
 某掲示板でもこの話題が出ているが、口頭で私に伝えることが最低条件なので、すべて却下。「却下」などという言葉を使うと、また「態度がでかい」とか言われそうだけど……。なお「減・こぉる」は既出(2/1付)だ。
 LEGIOん氏の提案(9/22付)も同じ理由で却下する。ところで、タヒボベビーダは香味料と甘味料をぶち込んだ怪しいブレンドのせいで、もはや健康飲料としてふつうに売られているタヒボ茶とは別物だと思う。

1.10378(2002/09/23) 驚くほど本を読んでいない、という話

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0209c.html#p020923a

 翻訳SFファン度調査で挙げられている250タイトル中、私が読んでいるのはわずか3作品だった。

 海外SFは一年に一冊読むかどうかという程度で、今年は『愛はさだめ、さだめは死』を読んでいたのだが、表題作に至る前に中断したままになっている。『エンダーのゲーム』は短編版では読んでいる(短編集のタイトルが『無伴奏ソナタ』だというだけの理由で買った)が、調査対象になっているのは長編版のほうだから、該当しない。
 そのうちソウヤーでも読んでみようかな。

1.10379(2002/09/23) リンクフリー

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0209c.html#p020923b

 リンクフリーというのはウェブサイト運営者の承諾なしに誰でも自由にリンクを張っていいということだ。私はそのように理解している。
 では「このサイトはリンクフリーですが、リンクを張ったらメールで連絡して下さい」というのはどうか。これが単なる"お願い"なら構わないが、"要求"であるならどうか。もちろん法的には何の強制力もないのだが、サイト運営者がリンクを張ろうとする他サイトの運営者に対し、事後連絡を義務づけようとするなら、これは「リンクフリー」の名に値しないのではないか。そのように考えることもできる。だが、事後連絡が強制であろうと任意であろうとも、少なくともリンクを張るという行為には何の制約もつけていないのだから、やはりリンクフリーのうちに入るのではないかという気もする。こんなふうに考えてみると「リンクフリー」というウェブ巡回者にとっては馴染みの深い言葉であっても、厳密な線引きは難しいということがわかる。
 もう少し別の例を考えてみよう。「血液型がA型の人に限りリンクフリーです」というのはどうか。これでもリンクフリーなのか。また「五十日以外の日に限りリンクフリーです」というのは? あるウェブサイトから別のウェブサイトにリンクを張るという行為に関するどのような条件が「リンクフリー」の理念に反するものなのか。
 この種の問題は途方もなく難しくて、なかなか答えが出せない。「リンクフリー」という語の定義に照らして判断すればいいだけのことだ、と軽く考える人もいるかもしれないが、語の定義に訴える解法は、定義そのものの妥当性をいかにして判断するか、という問題を生む。これはもとの問題を別のレベルで再現したものに過ぎない。

 ここでちょっと余談。
 先日私は大阪の新名物(らしいが全然知らなかった)の「大阪みたらし団子」を買って食べた。大阪府泉佐野市に本店がある「むか新」という会社が出している製品で、関西空港などで土産物としてよく売れているらしい。普通のみたらし団子は、串に刺した団子にべったりとたれをつけてあるのだが、この「大阪みたらし団子」は逆に団子の中にたれが入っている。指でつまんで食べても汚れない(ただし一口で食べないと団子の中からたれが出てきて口の周りを汚すおそれがある)という利点がある。なかなかいいアイディアだ。
 だが、私はちょっと首を傾げた。この団子と本当にみたらし団子なのだろうか。ただ名前に「みたらし」がついているだけなのではないだろうか、と。
 私は和菓子にも土産物にも詳しくないのでたまたま知らないが、もしかしたら実は「団子の中にたれが入ったみたらし団子」というのは他のメーカーでも作っているのかもしれない。また、もしかしたら「団子の中にたれが入ったみたらし団子」は大昔から伝わるもので、串刺しになったみたらし団子ほどではないがそれなりによく知られたものなのかもしれない。だとすれば私は無知のせいで非常に馬鹿げた疑問を提示したことになる。
 だが、そうでないとすれば(つまり、この「大阪みたらし団子」以外に同趣向の団子はなく、しかもこの団子は比較的最近に考案されたものだとすれば)どうか。はたしてこれはみたらし団子なのか否か?
 団子に甘辛い醤油だれがべっとりとついているというのが典型的なみたらし団子の特徴だろう。だが、これは「みたらし団子」の定義ではない。たとえば醤油だれのかわりにデミグラスソースを使った洋風団子があったとしても、やはりそれを「みたらし団子」と呼んでいいのではないかと思う。では、チョコレートソースならどうか? ナンプラーなら? コールタールは? どこまでがみたらし団子で、どこからがみたらし団子以外の"何か"になるのかは私にはわからない。
 「大阪みたらし団子」に話を戻そう。これについては二通りの考え方ができると思う。

  1. 「大阪みたらし団子」はもちろんみたらし団子である。その証拠に普通我々が「みたらし団子」と呼ぶお菓子と同じ素材から出来ていると、味も(たれの絡み具合のせいでやや違った味わいがないでもないが)ほぼ同じだ。たれが団子の表面についているか中に入っているかは外見的な特徴の違いに過ぎない。
  2. 「大阪みたらし団子」は名前に「みたらし」が含まれているものの、実はみたらし団子ではない。なぜならばみたらし団子をみたらし団子たらしめているものは、その素材ではなく、たれが団子の表面についているという外見的な特徴そのものにあるのだから。「大阪みたらし団子」は餡入り団子の餡の代わりに醤油だれを用いたものであり、みたらし団子とは似て非なるお菓子である。
 さて、どちらが正しいのだろう? いや、そもそもどちらかが正しくてどちらかが間違った考え方だといえるのだろうか?

 私はこれまで他人のサイトにリンクを張るときに許可を求めたことがない。なぜなら、どのようなサイトもリンクフリーであるべきだと思っているから……というわけではなくて、単に面倒だからだ。「このサイトはリンクフリーです」と書いてあればそのままリンクを張るし、「このサイトはリンクフリーです。ただしリンク先はトップページにして下さい」と書いてあっても直リンクを張ることもある。「このサイトはリンクフリーではありません」と書いてあればちょっと考えるが、後々面倒になりそうならリンクを張らないだけのことでねわざわざウェブサイト管理人にメールで許可をもらおうなどとは思わない。
 もちろんこの「たそがれSpringPoint」もリンクフリーである。各文章にはアンカーを埋め込んであるので、言及したい文章があれば直リンクで結構、という立場をとっている。こっそり本音を言うと、このやり方はちょっと失敗したかもしれないと思っている。というのは、トップページ以外にどこからリンクが張られたのかがわからないし、一体どれくらいの人が私の文章を読んでいるのかもわからないからだ。だが、強制的にトップに移動させるなどといった力業はあまり使いたくないので、しばらくこのままでいこうと思う。
 さて、最近よく見かけるのが「私はウェブサイトはリンクフリーであるべきだと思うので、リンクフリーとは書きません」という注意書きである。似たような文言のページがいくつもあるから、もしかしたら何かの運動でもやっているのかもしれない。
 だが、これは非常に奇妙な注意書きだ。一見したところ矛盾しているように思われる。ちょうど「貼り紙禁止の貼り紙」のように。「リンクフリーとは書きません」と書くことが本当に矛盾しているのかどうかはわからない(私はこのサイトでは「本格ミステリ」という言葉を使わないことにしているが、そう書いたからといって矛盾したことを言ったことにはならないだろう)が、本当に「ウェブサイトはリンクフリーであるべきだむと思っているなら「私はウェブサイトはリンクフリーであるべきだと思っているので、リンクフリーと書いておきます」と書いてもいいのではないだろうか。これも奇妙だが。
 「私はウェブサイトはリンクフリーであるべきだと思うので、リンクフリーとは書きません」という書き方は、ある種の奇妙さを回避するものだろうと思う。たとえばサイトのトップページのいちばん目立つところに「このウェブサイトのすべての文章は横書きです。左から右に向かって読み、いちばん右まで来たら一つ下の行の左端に移って下さい」と書いてあったら相当奇妙だろう。だが、「ほとんどのウェブサイトは横書きなので、このページが横書きであるとは書きません」と書くのはもっと奇妙だ。「リンクフリーとは書きません」というのは、「横書きであるとは書きません」に似ている。
 では、どう書けばいいのか。ウェブサイト運営者が閲覧者に伝えたい情報は、

  1. 自分(運営者)はすべてのウェブサイトはリンクフリーであるべきだと思っている。
  2. 当該サイトはリンクフリーである。
ということなのだから、「私はウェブサイトはリンクフリーであるべきだと思っているので、このサイトも当然リンクフリーです」とでも書いておけば十分ではないか。「思っている」と書くのが腰が引けているように思われるのなら、別に「すべてのウェブサイトはリンクフリーであるべきです。よってこのサイトもリンクフリーです」と書いても構わない。
 と、ここまで書いたところで、私自身はどのような注意書きをしていたのか、ちょっと気になった。で、ここを見ると、長々と書いてあった。要するにリンクフリーだと言いたかったらしい。

1.10380(2002/09/24) 散漫なる雑文

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0209c.html#p020924a

 前に勤めていた会社の先輩に久しぶりに会った。たわいもない雑談をしているうちに「たそがれSpringPoint」の話になった。先日の文章は「なかなか気合いが入っている」と誉めてくれて、嬉しかった。この文章は最近ではいちばんよく書けたと自分では思っていた(構想から約一ヶ月半、9/19付で書くことに決めてずっと寝かしていたネタだった。いざ書き始めるとその場の勢いで、当日に初めて知ったページにリンクしたりもしているが)のだが、ネット上ではほとんど言及した人がいなくて、ちょっと寂しく思っていたところだったのだ。
 ネット上で誰かが私の文章を誉めてくれていても、めったにリンクを張り返すことはない。それをやってしまうと、「仲良しこよし」のぬるま湯に浸かってしまいそうで怖いのだ。批判なら応答ができる(もっとも喧嘩腰の悪口だと、下手に応答するとネットバトルに発展しかねないので黙殺する)が、誉められても「どうもありがとうございました」と書くだけで、そこから話が進まない。「ありがとう」「どういたしまして」というやりとりを第三者が読んでも面白くないだろう。そこで私は、誉めてくれた人に対する謝辞は書かないということと、謝辞以外に差し当たり書くべきことがない場合にはリンクを張ったり言及したりはしない(つまり無視する)という方針を立てている。他人から笑顔で挨拶をされたのに仏頂面でそっぽを向いているような気まずさを感じることもあるのだが、仕方がない。
 そういうわけでリンク返しはしないけれど、私の定期巡回サイト(たそがれアンテナに登録されているページ)で言及された場合にはたいてい読んでいるし、それ以外のページでもリンク先がトップページならアクセスログから辿っていってチェックしている。誉められたら嬉しいし、貶されたら悲しい。私が増長しない程度にぜひぜひ誉めてほしい。

 気合い全開で書いた文章のあと、その反動で何日か低調な状態が続いている。『言語哲学大全』と『夏(春)の魔術』の刊行年比較など、もうちょっと捻りようがあったのではないかと思うのだが、ネタを捻るといってもせいぜい西暦年で表記するかわりに「主体××年」とか「民國××年」とか書く程度で、それがどうした、と言われると何とも言い訳も反論もできないので、まあこれはこれでよかったのかもしれない。
 いや、よかったのかもしれない、などと安易に肯定してしまうとそこでおしまいになってしまう。まあ、この話題はおしまいにしてもいいか。
 こんな具合でテンションが上がらないこと甚だしいのだが、その間に二点ほど補足をしておこう。まず一つめは翻訳SFファン度調査について。ここで書いたように私は3作品しか読んでいないので、当然投票はしていない。いや、「当然」ということはないか。別に最低読破冊数の制限があるわけではないのだから。このことについてもう少し突っ込んで考えてみると何か面白い結果が出るかもしれないという予感があるのだが、この話題はしばらく寝かせて熟成させたほうがよさそうだ。
 もう一つはここで言及したショスタコーヴィッチの交響曲全集について。以前政宗九氏が全曲レビューを書いていたと記憶しているのだが、私はあまりこの作曲家に思い入れがないので、ただ聴き流しているだけだ。1番から順に11番まで聴いたが、5番『革命』の第4楽章(昔懐かし関西ローカルのテレビ番組『部長刑事』を思い出した)と7番『レニングラード』の第1楽章(打楽器でリズムをとりながら同じメロディーを延々と繰り返していくのがラヴェルの『ボレロ』に似ている)しか記憶に残っていない。

 今日、久しぶりにメッコー○(念のため一部伏せ字にしておく)を飲んだ。たまに立ち寄る本屋の前にメッコ○ルの自販機があるのだが、今年3月以来ずっと売り切れ状態で、ちゃんと補充していないのか、たまたま私が通りかかったときに売り切れていただけなのかは定かではないが、ともあれ約半年間まったくメッ○ールにありつけなかったのだ。
 これも埋め草記事のネタくらいにはなるだろうと思って久々に飲んだメ○コールの味は以前と全く変わっておらず、体の中に禍々しくもおぞましい毒素が流れ込むかのような気分になった。その後しばらく軽い吐き気が続き、口直しのために別の自販機(缶飲料ではなくてカップ入り)で買ったのが「ウッシッシ牧場のミルク感たっぷりコーヒー」という代物で、ひどく甘ったるかった。○ッコールの口直しにはなったけれど。コーヒー牛乳、フルーツ牛乳、全部禁止のせいだろうが、命名者は「ウッシッシ牧場」から大橋巨泉を連想する人がいるかもしれないと考えなかったのだろうか?

 ああ、今日もまた(以下略)。

1.10381(2002/09/25) 眠気に耐えて

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0209c.html#p020925a

 とりあえず形だけ更新しておこう。じきに更新を中断することになるのだから。

 他人まかせにするだけではいけないかもしれないと思い、自分でも「滅・こぉる」のかわりになるハンドルがないかどうか考えてみた。以前「免訴れーたむ」というのを考えたことがあるが、免訴になってどうするのかがうまく説明できないのでボツにした。「滅・こぉる」ほどのインパクトのある名前はなかなか考えつかないもので、たとえば「滅失トーキー」というのでは二番煎じのような感じがする。どうでもいいが、土地滅失登記は年間何件くらい実例があるものだろうか? もしかしたら生涯に一度も土地滅失登記を扱ったことのない登記官もいるかもしれない。ああ、そういえば「田原湾干潟訴訟」を素人にもわかりやすく解説してくれた本はないかなぁ。

 最近、全然本の話をしていない。先週の火曜日に『病院屋台』の感想文を書いたのが最後だ。そのあと『パイドン――魂の不死について――』(プラトン(著)/岩田靖夫(訳)/岩波文庫)と『超短編アンソロジー』(本間祐(編)/ちくま文庫)を並行して読んでいたのだが、どちらも薄い本なのになかなか読み進めることができず、『パイドン』は昨日、『超短編』は今日やっと読み終えたところだ。
 せっかく本を読んだのだから、多少とも感想を書いておいたほうがいいだろう。『超短編』はともかく『パイドン』なんてあまり関心のある人は少ないと思うが。

 『パイドン』はソクラテス最期の日に友人との間で交わされた(ということになっている)会話について述べた本である。そのいちばん最後の場面はなかなか印象的なので前に引用してみた
 全体は大きく5つの部分にわかれるが、その中心をなすのは「三 霊魂不滅の証明」である。ここでソクラテスは魂が不死で不滅である(「不死」と「不滅」がどう違うのか私にはよくわからなかったが、いちおう区別されているらしい)ということを証明してみせる。そして、魂は不滅なのだから死を恐れるのは愚かなことであると主張し、安心立命の境地で死んでゆくのだ。なんだか出来過ぎた話で、たぶんこれは事実ではないだろう。著者のプラトン自身は師匠の処刑の日には病気のせいで立ち会っていなかったというから、まさに「講釈師、見てきたような嘘をつき」である。
 まあ、歴史上のソクラテスが人生最後の日に本当は何を語ったのか、ということは実はたいして重要ではない。大事なのは、プラトンが描くところのソクラテスの証明が正しいかどうかということだろう。ここでその過程をいちいち説明していくことはできないし、いちいち反論を加えていくこともできない。ただ、私には全く説得力のない議論に思われた、とだけ書いておくことにする。けれど、「想起説」とか「イデア論」などという相当無理っぽい考え方をもとによくもここまで理屈を汲み上げられたものだと感心はする。現代のミステリ作家たちも見習ってほしいものだ。
 ああ、そういえばソクラテスを探偵役に起用したミステリもあったなぁ。
 ところで、『パイドン』には世界についての面白い仮説を立てている箇所(「四 神話」)がある。我々の住む大地は地球(「地球」という言葉は使っていないが、大地は球形であるとは想定している)の表面ではなくて実は窪地の底に過ぎないとソクラテスは言う。上方には「真の大地」があるのだそうだ。なかなか壮大で想像力をかき立てる設定である。

 いよいよ眠気に耐えられなくなってきたので、『超短編アンソロジー』の感想は次回に。気が変わって何も書かないかもしれないが。

1.10382(2002/09/26) 巨星、墜つ

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0209c.html#p020926a

 しばらくの間、更新を中止します。再開時期は未定です。

 追記
 念のために書いておくが、20世紀最大の推理作家の逝去と「たそがれSpringPoint」の更新中止とは何の関係もない。

1.10383(2002/09/29) 更新再開

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0209c.html#p020929a

 更新を中断していた二日間は、まるで夢を見ていたようだった。その夢からさめて、私はまた平凡で退屈な日常生活へと戻ってきたが、まだ本調子ではない。
 とりあえず、思いつきで一句。

まだ続くのか 私の命は だらだらと
 字余り。

1.10384(2002/09/29) 夢の話を、少し

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0209c.html#p020929b

 こんな夢を見た。
 大勢の人々が集まっている。皆、うんざりしたような表情で壇上を見ている。
 壇上では誰かが長々と喋っている。自信溢れる口調で。言葉の端々に自慢と優越感が滲み出ている。
 私は壇上の人物から目をそらして脇に視線を向ける。そこには先日亡くなった偉大な推理作家の遺影が飾られている。
 とうとう夢にまで出てきたか。しかし、どうせ夢なら遺影じゃなくて本人が出てくればいいのに。
 「演説」はなおも続いている。早く食事にありつきたいのに。私はいらいらしている。みんないらいらしている。ただ一人、壇上の人物だけが自分の言葉に酔ったように話を続けている。
 思わず、ルナールの『博物誌』の一節を口ずさむ。その「蛇」の項を。

 『千年女優』を見た。いい映画だった。
 私は映画ファンではなく、年間に二、三本しか見ない。それも劇場だけでなくテレビやビデオで見た本数を含めてのことだ。当然日本映画史に通じているわけはなく、この映画に込められているであろう"含み"や"重み"をほとんど見逃しているはずだ。
 私は『千年女優』を勝手に脳内変換し、日本推理小説史を重ね合わせてみた。主人公の藤原千代子に相当するのが誰だかは言うまでもない。その人物は大正時代に東京に生まれ、その後大陸に渡った。戦後、特に昭和30年代に多くの傑作を発表した。映画の千代子のように突然失踪して引退したわけではないが、近年は作品を発表ることもなく、年若いミステリ読者の中には実作を読んだことがない人も多いという。
 時代は流れ、気ままな人々の好みは移り変わっても、一本の"鍵"を握りしめてひたすら求道者として生きた人物。その栄誉は千年経っても不滅であるに違いない。

1.10385(2002/09/30) 十年一昔

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0209c.html#p020930a

 教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史 Encyclopedia of Japanese Internet Culture(情報元あちこち)によると、今日は日本最初のホームページが発信されてちょうど10年になるそうだ。10年といえば長いようで短いようでやっぱり長いのだが、その間に私が何をしてきたかといえば、ただ10歳としをとっただけだ。あと10年後にもし私が生きているなら、きっと今より1さらに10歳としをとっているだけだろう。その頃には「たそがれSpringPoint」など影も形もなくなっていて、「滅・こぉる」という奇妙なハンドルの人間がいたことを覚えている人は稀だろう。そして私は「10年前には今より10歳若かったんだよなぁ」とぼやきながら、だらだらと生きていることだろう。
 なんだか憂鬱になってきた。話題を変えることにする。

 さて、先週末に私は政宗九の視点オフ会に参加した。出席者は全部で14人(深川氏の9/28付の日記に全員の名前が記載されている)と盛況だった。
 いろいろと面白い話題が飛び交っていた。私は歓談の輪から一歩退いて座敷の片隅で一人黙々と蕎麦を食べていたので、詳しいことは覚えていないが、朧気かつ断片的な記憶を辿ってみよう。聞き違いや覚え違いがあると思うが、ご容赦願いたい。

 ほかにもいろいろな話題が出たのだが、ほとんど忘れてしまったし、忘れてしまったほうが身のためだと思われるので、この程度でやめておく。

 この文章を書いてからもう一度ネット上を徘徊すると、教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史にリンクしているサイトが異様に増えているので冒頭の段落を削除してしまったほうがいいのかもしれないが、そうすると見出しが宙に浮いてしまうのでそのままにしておく。
 メールチェックをすると、意外な人物から意外なメールが届いていた。あとでじっくり読むことにする。