1.10160〜1.10163 日々の憂鬱〜2002年2月第5週〜


1.10260(2002/02/25) 読書計画遂行中!

 最近、すっかり読書系サイトになってしまった。だが、私のことだ、長続きするはずがない。そのうち元にに戻るだろう。「元に戻る」というのがどういう意味かはわからないが。

 さて、昨夜から読み始めた『指輪物語』(文庫版)だが、第一巻を読み終え、今は第二巻を読んでいる。具体的に言えば「八 霧の塚山丘陵」まで読んだところだ。予想していたほど読みにくい本ではなかった。主要登場人物はそれほど多くはないし、「壮大な世界観」に振り回されることもない。ただ、ものすごく地味で、幻想のかけらも感じられないのが辛い。「ファンタジー」という言葉から私が連想するのは『シルヴィーとブルーノ』、『白髪小僧』、『十月はたそがれの国』(順に、ルイス・キャロル、夢野久作、レイ・ブラッドベリの作品)などだが、全然雰囲気が違っている。当たり前か。
 ともあれ、一旦読むと決めたからには読む。
 そんなわけで、今日も手抜きをする。またしても、『空の境界』の感想文だ。ファンページでも何でもないのに、どうしてこんなに執着しているのか、自分でもよくわからないのだが、たぶんものの弾みというものだろう。
 今日紹介するのは、知人からメールで寄せられた感想文だ。わざわざここに掲載するために書いてもらった。感謝する。
 でもって感想ですが、総合的にいって傑作だと思います。京極夏彦が〈ブギーポッ プ〉を書いたような物語――という印象もあるんですが、そういえば読後感は『絡新 婦の理』に近いですね。読む前に想像したほどには全体が束ねられておらず、バラバ ラの話を並べたようだと感じたのは、こちらの先入観が良くなかったのでしょう。あ と、ミステリ的な要素があるのは確かですが、そのほとんどは〈一般小説の技巧〉と いうレベルで捉えたほうが妥当なものだと思います。建物のトリックについては別格 ということで。
 観念的な単語から雰囲気を作るのは上手いのに、理屈を語りだすと冗長になるのも 気になりました。これは京極夏彦の作品にもいえることですが、要するに登場人物が うるさいんですよ。彼らのパーソナリティが古めかしいのも共通点。それが持ち味だ という認識はアリだし、実際問題として、商業出版も十分に可能な内容だとは思うん ですけど。とりわけ『矛盾螺旋』のバトルは燃えますね。
 この知人は私の10倍以上本を読んでいる。京極夏彦や上遠野浩平の小説はほとんど全部読んでいるはずだ。確認してはいないけれど。『月姫』も一通りプレイしているという。それ以上、特に付け加える必要はないだろう。

 今日はなんとか『旅の仲間』(上)を読み終えたいなぁ。あと160ページか……。

(追記)
 先ほどものすごく地味で、幻想のかけらも感じられないと書いたが、続きを読むと、あまり適切な表現ではなかったような気がしてきた。今、ちょうど『旅の仲間』(上)を読み終えたところ(そう、今晩中に読むという目標を達成したのだ!)だが、徐々に物語は核心へと近づいているような雰囲気だ。決して地味で退屈なわけではない。
 もう一つの「幻想のかけらも感じられない」という点については、たぶん私の感性に大きな問題があるのではないかと思う。感性には学習が必要であり、私はファンタジーにはまだ馴染んでいない。あるいは感性が摩耗してしまい、物語から幻想を感じ取る力をすでに失っているのかもしれない。いずれにせよ、私のこの妄言にも近いコメントをあまり真面目に受け止めないように願う。

1.10261(2002/02/26) 誤解を招く表現

 ちょっと前の話になるが、「学校の色覚検査、03年度から廃止」というニュースがあった。そのアサヒ・コムの記事(本紙のほうは確認していない)を読んでちょっと気になった点があった。
 小学4年の健康診断で行われている色覚検査が03年度から廃止される。文部科学省が学校保健法施行規則の改正案をまとめた。

(略)

 厚生労働省も昨年秋、労働安全衛生法に基づき、会社側に義務づけていた新入社員の健康診断時の色覚検査を廃止している。
 以前私は「色覚特性」と「色盲」について書いたことがあるが、別に特にこの領域の話題に詳しいわけではない。この記事で気にかかったのは、別の点だ。
 唐突だが、ここで問題。上の文章から読みとれる「労働安全衛生法に基づき」会社に義務づけられている事とは次のうちのどれか?
  1. 健康診断
  2. 色覚検査
  3. 朝日新聞の定期購読
 うだうだと解説するよりも現物にあたるほうが話が早い。(以下、法令へのリンクがいくつかある。当初、「鬱の蠅取壺」収録時にリンクをはずすつもりで該当箇所を引用したのだが、よく考えてみると電子政府の法令データベースに掲載されているものなので、そう簡単にはリンク切れにならないはずだ。よって、予定を変更してリンクはそのまま残しておくことにした)労働安全衛生法(昭和47年法律第57号)を繙いてみよう。その第66条に次のような規定がある。
(健康診断)
第六十六条  事業者は、労働者に対し、厚生労働省令で定めるところにより、医師による健康診断を行なわなければならない。
(第2項以下略) 
 これだけだ。労働安全衛生法のどこにも「色覚」という言葉は出てこない。健康診断の具体的な内容は「厚生労働省令」すなわち労働安全衛生規則 (昭和47年労働省令第32号)で規定されている。第43条が新入社員の健康診断に関する条項である。
(雇入時の健康診断)
第四十三条  事業者は、常時使用する労働者を雇い入れるときは、当該労働者に対し、次の項目について医師による健康診断を行わなければならない。ただし、医師による健康診断を受けた後、三月を経過しない者を雇い入れる場合において、その者が当該健康診断の結果を証明する書面を提出したときは、当該健康診断の項目に相当する項目については、この限りでない。
 一  既往歴及び業務歴の調査
 二  自覚症状及び他覚症状の有無の検査
 三  身長、体重、視力、色覚及び聴力(千ヘルツ及び四千ヘルツの音に係る聴力をいう。次条第一項第三号において同じ。)の検査
 四  胸部エックス線検査
 五  血圧の測定
 六  血色素量及び赤血球数の検査(次条第一項第六号において「貧血検査」という。)
 七  血清グルタミックオキサロアセチックトランスアミナーゼ(GOT)、血清グルタミックピルビックトランスアミナーゼ(GPT)及びガンマ―グルタミルトランスペプチダーゼ(γ―GTP)の検査(次条第一項第七号において「肝機能検査」という。)
 八  血清総コレステロール、高比重リポ蛋白コレステロール(HDLコレステロール)及び血清トリグリセライドの量の検査(次条第一項第八号において「血中脂質検査」という。)
 九  血糖検査
 十  尿中の糖及び蛋白の有無の検査(次条第一項第十号において「尿検査」という。)
 十一  心電図検査
 この第三号から「、色覚」が削除された(平成13年7月16日厚生労働省令第172号)わけだ。
 さて、会社に新入社員の色覚検査を義務づける直接の法令は労働安全衛生規則であって、労働安全衛生法ではない。もちろん「法律から委任を受けて制定された省令に規定があるのだから『労働安全衛生法に基づき』と書いて何が悪い」と主張することはできるだろう。だが、上の記事は学校保健法施行規則(昭和33年文部省令第18号)の改正の話題を扱っているのだから、それと対比されるべきは労働安全衛生法ではなく、労働安全衛生規則のほうがふさわしい。
 ところで、「雇入時健康診断」は事業者の義務ではあるのだが、ただし書きにあるように雇い入れる前3か月以内に被雇用者が健康診断を受けていれば、その義務は免除される。ということは「おめでとう! 君は4月から我が社の社員だ。ついては君の健康状況を把握しておきたいので、入社前に健康診断を受けてきてくれたまえ」と言っておけば本来会社が負担すべき健診費用を本人にひっかぶせることができるということになる。そこで「いいえ、私は自発的に健康診断を受ける気はありません。会社で実施する雇入時健康診断を受診するつもりですから」と言った突っぱねたらどうなるのか? 誰か試しにやってみてほしいものだ。

 毎日、読書のことばかり書いていてもつまらないので、たまには目先の変わったことを書こうと思ったが、なんだかほんとにもうどうでもいいことを書いてしまったような気がする。でも、これでいいのだ。これでこそ、滅・こぉる。これでこそ「たそがれSpringPoint」だ。

 『指輪物語』は第3巻174ページまで読んだ。今晩中に3巻を読み、明日で第一部『旅の仲間』にケリをつける予定。

1.10262(2002/02/27) 亀がアキレスに言わなかったこと

 今日はいよいよネタが尽きてきたので、先日予告だけしておいた「月をなめるな」について書くことにする。この話はSF系の人々の間ではかなり有名らしいが、私はSF系サイトをほとんど見ないので、知ったのは今世紀に入ってからだったと思う。まだ知らない人は以下の文章を読む前に上のリンク先の文章を読んでほしい。こんな書き方をすると、あとでこの文章を鬱の蠅取壺のコーナーに収録する際にリンクをはずせなくなってしまうので困るのだが、全文引用するわけにもいかないから、やむを得ない(というわけで、リンクをそのまま残しておく。リンク先ウェブサイトが移転したり閉鎖したりするとこの文章全体が意味不明になってしまうが、仕方がない)

 この愉快なエピソードを読んで、あなたはどのように感じただろうか? 上記のとおり私はリアルタイムでは読んでいないのだが、今なお残るいくつかのウェブサイトの過去ログを見ると、この話が多くの人々に大きな衝撃を与えたことが窺える。もっとも私は「今の大学生は……」とか「日本の理科系教育は……」などと一席ぶつ気があって、この話を引き合いに出したわけではない。私が言いたいのは全く別のことだ。
 このエピソードに登場する(筆者以外の)大学生たちは無知である。では、彼らは一体何に関する知識が欠けているのだろうか? もちろん月面に関する知識である。それでたぶん間違いはないと思う。月面には空気がないし、水もない。月面上の重力は地球上の約6分の1である。これらの知識が欠如しているために、あのような頓珍漢な意見が続出したのだろう。
 だが、ちょっとひねって考えてみよう。もし彼らがこれらの知識を持ち合わせていたならば、設問に対して適切な答えを返すことができたと言い切れるだろうか、と。ここで便宜上、パラシュートの例だけに限ることにする。「月面上ではパラシュートは役に立たない」(これを(Z)とする)という結論を導くためには、次の二つのことを知っている必要がある。
(A) 月面上には空気がない。
(B) 空気のないところではパラシュートは役に立たない。
この二つの知識があって、はじめて
(Z) 月面上にではパラシュートは役に立たない。
ということがわかる。ということは、仮に(A)を知っていても、(B)を知らなかったら(Z)を知ることもできないということになる。パラシュートを使うとどうして落下の衝撃を和らげることができるのかという理屈を知らなければ、月面に関していかに正確で詳細な知識を持っていたとしても意味がない。
 誤解を避けるためにちょっと言い足しておくが、別に私は実際にこのエピソードに登場する大学生が(A)を知っていたかもしれないと言いたいわけではない。あくまでも仮定の話だ。
 さて、さらにひねって考えてみることにしよう。もし彼らが(A)と(B)の両方を知っていたなら、正しく(Z)に到達することができただろうか? 常識的には「然り」と答えるべきだろう。だが油断してはならない。彼らはおよそ人智を越えた存在なのだから。(A)と(B)の両方を知りつつ、その上で「パラシュートはあったほうがいいでしょう」などと言う者はきっと(A)と(B)から論理的に(Z)が出てくるということを知らないに違いない。こんな事はおよそありそうな事とは思えない。だが、「ありそうではない事」は「ありえない事」とは違う。そこで、我々はこの暗黙の条件を明文化しよう。
(C) もし(A)と(B)が共に成り立っているならば、(Z)も成り立っている。
 しつこいようだが、もう一度言っておく。このエピソードの登場人物たちが実際に(A)と(B)を知っていて、かつ、(C)だけ知らなかったために頓珍漢なことを言った、と私は主張したいわけではなく、それをほのめかすつもりもない。もっとも彼らが(A)と(B)を知らず、さらに(C)も知らなかった、ということはあり得るが。
 ここでちょっとした疑問を抱いた人もいるだろう。A,B,Cときて、その次がどうしてDではなくZなのか、と。だが、そんな事を訝しがる奴はろくな人間ではないので放っておく。
 さて、これまでのところをまとめよう。正しく(Z)に到達するためには、3つのことを知っていなければならない。すなわち、
(A) 月面上には空気がない。
(B) 空気のないところではパラシュートは役に立たない。
(C) もし(A)と(B)が共に成り立っているならば、(Z)も成り立っている。
の3つである。では、これら3つをすべて知っていれば、必ず(Z)に辿り着くことができるのだろうか? 残念ながらそうではない。(A),(B),(C)を知っていても、それらから(Z)が論理的に出てくるということを知らないという異形の者どもが存在しないとは誰にも証明できないのだ! 我らが大学生たちの前にはもう一つのハードルが待ちかまえている。それを明示しよう。
(D) もし(A)と(B)と(C)がすべて成り立っているならば、(Z)も成り立っている。
 ここまでくると、彼ら人智を越えた異形の者どもが永久に真理に到達できないかもしれないということがおぼろげにわかってくるのではないだろうか。我々にとっては目と鼻の先にある真理も、彼らにとっては絶望的な闇の彼方なのだ。そして、おそらく彼らは自らが闇に包まれているということさえ知らないのだ。光を未だ見たことがない故に。

 先日の予告で並べて書いておいたので気がついている人も多いと思うが、私はルイス・キャロルの「亀がアキレスに言ったこと」をもとにこの文章を書いた。本当はアキレスと亀の対話を模して書きたかったのだが、私はそれができるほど芸達者ではないので、いつもの文体で書いた。原文(または邦訳(このリンクもやはり残しておく。原文はすでに著作権が切れているし、邦訳は「プロジェクト杉田玄白」に参加しているので、転載しても著作権法上の問題はないと思うが、さすがに全文ともなると分量が多いので控えておく)と読み比べてみればわかることだが、二つほど注意書きをしておく。まず第一に、キャロルは「(A)」「(B)」などの記号を文の名前として用いているが、私はそれらを文の省略形として用いている。まあ、別にこれはどうということはないが。
 もう一点はもう少し重要である。私の文章は論理を前提として知識のひび割れを誇張したものだが、キャロルは論理そのもののひび割れに焦点をあてている。これは恐ろしい。ちょっとでも真面目に考えようとすると、恐怖と悪夢の世界に引きずり込まれそうになる。
 私が「ファンタジー」とか「幻想」という言葉を思い浮かべるとき、いつも念頭にあるのが、この幼女ヌード写真家の残した作品の数々(もちろん写真ではなく、文章作品のほう)だ。世界が、概念が、ひび割れて、死線がみえる、そんな錯覚。それは『指輪物語』とは無縁だ。それが悪いというわけではないけれど。
 ともあれ、せっかく強引に『指輪物語』に話を持っていったので、現在の状況を記しておく。今日も予定どおり読み進めて、ようやく第一部『旅の仲間』を読み終えた。長い長い旅路だったような気がする。だが、まだ折り返し地点にも達していない。めげそう。
 これから第二部『二つの塔』に取りかかる。明日のうちに第5巻を読んでしまいたい。

1.10263(2002/02/28) 滅・こぉる、東へ

 久しぶりに東京へ行くことになった。今回の目的は「一般人無双」の10万hit記念オフ会だ。「一般人無双」のBBSに書き込みをしたことは数えるほどしかないのだけれど、なんとなくもののはずみと勢いで参加申し込みをしてしまった。ひきこもり傾向の強い私にとっては珍しいことだ。
 案内をよく見ると、オフ会の内容は「飲みとカラオケ」となっている。私は酒は飲めないし、歌も歌えない。しまった! ちゃんと見ていなかった。でも、夜行バスのきっぷを買い、ホテルの予約もしたし、オフ会翌日の月曜日の休みまでとってしまった。もう後にはひけない。「この流れにそって死のう」と囁く声がどこからか聞こえてくる。
 さて、思い起こせば、東京へ遊びに行くのは久しぶりだ。去年の年末には恒例の有明巡礼の旅に出かけたが、ほとんどそれだけで終わってしまったので、ちょっと別。その前は11月に社内旅行で浦安ネズミ池遊園に行ったときに、居たたまれなくなって途中で抜け出し、秋葉原を徘徊したことがあるが、たかだか2時間程度だった。さらにその前は去年の9月、まだ私が「滅・こぉる」ではなかった頃だった。

 日曜日に千葉県で某ゲーム会社のシナリオライター&原画家のサイン会があるという話を聞き込み、なんとなくもののはずみと勢いで行くことにした。私の旅行はこんなのばっかりだ。金曜の夜に夜行バスで発ち、土曜の夜は定宿で一泊、夜行バスで月曜の朝に帰着、という三泊二日の予定だけ決めて、あとはほとんどぶっつけ本番、何も考えずに旅立った。東京は新宿に土曜午前六時半頃に到着したが、何もすることがない。とりあえず吉野家で牛丼を食べてから山手線で日暮里へ。そこで常磐線に乗り換え金町で下車。すぐそばの京成金町から京成上野に出た。しばらく公園を散歩しているうちに上野動物園が開園したので、生まれて初めて入園し、生まれて初めてパンダの実物を見た。と、そこに東京在住の友人から電話が入り、秋葉原で待ち合わせて徒歩で神田古書街へ。行くたびに古書店が減っていて悲しくなってくる。夜行バス明けにかなり歩いたせいで疲れてダウン。友人と別れてホテルに向かった。
 三時前にホテルに到着、おひるね開始。わざわざ大枚はたいて東京まで行っておきながら昼寝とは情けないが、まだ後の予定があるのでここで体調を崩すわけにはいかない。六時過ぎまで寝てから風呂に入り、服を着替えて外出。午後八時に数寄屋橋で別の友人たちと待ち合わせて、イタリア料理店で夕食。再びホテルに帰り着いたのは午後十一時。
 翌日曜日は午前十時半に日暮里で同行する知人と落ち合い、京成電車で千葉へ。ネット上の地図に騙されて「最寄り駅」から延々と歩かされて正午近くにサイン会場の書店に到着。すでにオタクたちの行列が出来ていた。サイン会に行くのが目的でありながら、別にサインを貰っても貰わなくても構わないという、自分でもいったい何を考えているのかわからない妙な構えで行列を見守る。そこに知人の知人が登場し、初対面ながら話が弾む。オタクの行列はなかなか途切れず、不思議に思って覗いてみると、なんとサインだけでなく一枚一枚にイラストを描いていた。ファンサービス精神に頭が下がる。
 二時間以上かかってサイン会は終了し、場違いなオタクの群も消え去った。「貰っても貰わなくても構わない」と言いつつも、やっぱりその場まで足を運びながらサインを貰わないのも損だと思い、最後のほうでサインをお願いする。これで用事は終わり、あとは帰りのバスまで時間を潰すだけ……のはずが、なぜかなりゆきでシナリオライター氏の車に乗ってゲーム会社の作業場へ。さらに飲み屋にまで同行してしまった。
「あなたは何のためにゲームを作っているのですか?」という私の愚問に対し、「世界のためです」とさらりと返すライター氏。なかなか愉快なひとときであった。
 いよいよバスの発車時刻が迫り、私と知人と知人の知人は一路東京へ。ふと「飲み屋の勘定は誰が払ったのだろう?」と気になったが、どうやらゲーム会社の人がおごってくれたらしい。この場を借りてお礼を申し上げます……と書いてもたぶん読んでいないだろうな。
 と、これが前回の東京旅行の顛末だ。「友人」とか「知人」とか「某」ばかりで読みにくくて申し訳ない。別に隠さなくてはいけない理由があるわけではないので、訊かれれば答えるつもりだが……。このような文章の書き方に私のひきこもり体質が滲み出ているような気がする。
 で、これだけ書いておきながら別に何もオチはない。前回は行き当たりばったりのわりには充実した旅行でよかったなぁ、ということを書きたかっただけ。今回の旅行も往復夜行バスで三泊二日という日程だが、前回と同じく楽しい旅行になるといいな、と願っている。

 今日はマンガを五冊買った。
  1. 『成恵の世界』(4)(丸川トモヒロ/角川コミックス・エース)
  2. 『わたしの狼さん。THE OTHER SIDE OF LYCANTHROPE』(藤原ここあ/エニックスGANGAN WING COMICS)
  3. 『坂物語り』(大蔵らいた・たなか友基・甲斐智久/角川コミックス・エース)
  4. 『超伝脳パラタクシス』(駕籠真太郎/集英社ヤングジャンプ・コミックス)
  5. 『時の添乗員』(岡崎二郎/小学館ビッグコミックス)
 1は1巻の頃からずっと買っている。どの巻だったか忘れたが、成恵がメッコー○(あまり意味はないがいちおう伏字)を飲んでいるイラストがあった。
 2は『わたしの狼さん。』の番外編……というのも変か。まだちゃんと読んでいないので位置づけがよくわからない。
 3は、知人の某氏が「私を笑い殺しにするつもりでしょうか、この恥ずかしい話は。電車の中で読めません」とか「つーか、ごめんなさい。私が買って読んだこと自体が間違いだったと気が付きました。背筋が冷たくなるような、オタ願望充足物語りが好きな人だけ買うものですね。次からは柄にもないものには手を出さず、『快感フレーズ』でも買うことにします」などと書いていたので、興味をひかれて買ってしまった。これも、もののはずみ。
 4は特にコメントなし。
 5は岡崎二郎待望の新作。『アフター0』をリアルタイムで読んでいた私にとっては郷愁さえ感じる。といっても私は『国立博物館物語』の2巻以降は読んでいないのだが。
 今いちばんほしいマンガは『どきどき姉弟ライフ』(2)(後藤羽矢子/竹書房BAMBOO COMICS)なのだが、私の行きつけの書店には入荷していなかった。残念だ。

 今日は『指輪物語』をあまり読むことができなかった。予定では今日中に第5巻を読み終えるはずだったが、まだ111ページまでしか達していない。これを読めばだいたい全体の半分くらいだと思うが、ちょっと息切れ気味だ。さっさと更新をすませて読めるところまで読むことにする。

(追記)
 その後、約1時間で5巻の残りを読み、そのまま6巻に突入した。今日は「六 黄金館の王」まで読んだ。エオウィン姫、ちょっとベタだ。