【日々の憂鬱】投票率の低さを天候のせいにするのはいかがなものか。【2004年9月下旬】


1.11170(2004/09/21) 幻日

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今日、私は幻日という気象現象があることを知った。空気中に浮遊する氷の粒子が光を反射して、太陽が複数あるように見える現象だという。南極で観測された幻日の写真を見たのだが、なるほど太陽が3つあるように見えた。

幻日は日本でも稀に観測されることがあるらしいが、原理から考えて寒い地方特有のものだろう。できれば一度じかに見てみたいものだが、一生無理かもしれない。そういえば、私はオーロラも蜃気楼も見たことがない。逃げ水なら見たことがあるが、あれを蜃気楼と言ってしまっては、魚津の人が怒るかもしれない。

さて、幻日について私が興味を惹かれたのは、その事象そのものばかりではなく、事象を表す言葉、すなわち「幻日」という語のせいでもある。これは「げんじつ」と読む。広辞苑で調べてみると、「幻日」は「現実」の隣の項目だった。読みが同じなのだから当然であり別段驚くことではないのだが、この発見は私をしばらく有頂天にさせた。大げさな言い方をすれば、これだけで今日一日生きていた甲斐があったような、そんな気がしたものだ。

「幻日」と「現実」が隣り合わせだからといって、それでお金が手に入るわけでもなければ、腹が膨れるわけでもない。仕事はつまらないし、人間関係はぎくしゃくしているし、不安も悩みもいっぱい抱えていることに違いはない。幻日、もとい、現実は厳しいものだ。けれど、こんな馬鹿馬鹿しい事柄でも人はいっときの幸せを味わうことができる。いや、他人はどうだがわからないが。これもまた一つの現実ではある。

1.11171(2004/09/23) 掘った芋いじるな

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相変わらずネットへの接続不良が続いている。毎年9月下旬になると徐々に回復するのだが、今年は暑い日が続くせいか、いよいよパソコンが壊れてきたせいか、一向に接続状態がよくならない。

朝方は比較的繋がりやすい(といってもせいぜい数分程度)のだが、日中や夜はほとんど繋がらず。メールの送受信にも四苦八苦するほどだ。他サイトの閲覧もほぼ不可能となっているし、「たそがれSpringPoint」の更新も困難だ。

だが、物事なんでも両面があるもので、ネット接続環境の不具合のせいで、私はネット廃人にならずに済んでいる。もっとも、それで浮いた時間でゲームばかりやってゲーム廃人になりかかっている。ダメ人間はどうやってもダメ、ということなのかもしれない。

こんなことではいけない。なんとか更正して真人間に戻らなくてはならない。いや、そもそも私が真人間だったことが過去に一度でもあっただろうか? そんな疑問がふと脳裏をよぎる。だが、ひるんではいけない。本当は別にひるんでも構わないような気もするのだが、それでは今日の話の流れが止まってしまうので、ひるまず更正への道を進むことにしたということにしていただきたい。

さて、今日は秋分の日だ。秋分の日は昼と夜の長さが同じだと言われる。実は必ずしもそういうわけではない。というのは、日の出というのは太陽が少し頭を出した時のことで、日の入りというのは太陽が完全に姿を消した時のことだからだ。太陽の中心が地平線にさしかかった時を基準にしているのではないので、昼の長さのほうが少し長くなるらしい。と、知ったかぶったことを書いたが、間違っていたらごめん。

ともあれ、今日は秋分の日で休みだったので、久しぶりに外に出て身体を動かすことにした。といっても、私はスポーツは好きではないので、畑仕事をすることにした。収穫の秋に畑で芋掘りをしようと試みたのである。

芋にもいろいろあるが、我が家の畑で栽培しているのはじゃが芋、里芋、薩摩芋の三種類だ。そのうち、じゃが芋は今は収穫の時期ではないので、残る二種類の芋を掘ることにした。

「芋蔓式」という言葉があるが、どんな芋でも蔓を引っ張れば地中からずるずると出てくるわけではない。そもそも里芋には蔓がない。茎があって、葉があって、根っこの部分に芋があるだけだ。そういえば、じゃが芋、里芋、薩摩芋のそれぞれの芋は植物学的には全く別の部位だと聞いたことがある。根が変化したもの、茎が変化したもの、葉が変化したものだったと思うが、それぞれの芋がどの部位に相当するのかは忘れた。もしかしたら花が変化した芋もあったかもしれない。

里芋掘りは地味で退屈な作業だった。爽快感がない。芋掘りの爽快感などといったものには一文の値打ちもないので、なくて困るものではないが、やはりないよりあるほうがよい。あまり続けても面白くないので適当なところで切りあげて、次に薩摩芋畑へと向かった。

薩摩芋にはもちろん蔓がある。引っ張れば地中からぞろぞろと芋が繋がって顔を出す。予め株のまわりをスコップで掘って柔らかくしておかないと、蔓が途中で切れて芋が掘れずじまいになってしまうのだが、その程度の手間は惜しんではならない。それで、芋の蔓を引っ張って芋蔓式に芋を掘り出すという快感が得られるのだから。

考えてみれば、第三次産業従事者が圧倒的多数を占める現代日本において、芋蔓式に芋を掘った経験のある人は少ないだろう。路傍に雑草を見かけても、道草を食う人は少ないだろうし、狂言師以外の人が狂言を行うこともほとんどないはずだ。自画自讃や自作自演もめったにあることではない。そんなことを考えてもどうなるというものでもないが。

芋掘りで疲れたので、今日の文章にはオチはない。

1.11172(2004/09/25) 神戸名物 らんぷミュージアムせんべい

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昨日、神戸へ行ってきた。目的は神戸市立博物館の特別展「栄光のオランダ・フランドル絵画展」である。

この展覧会にはフェルメールの「画家のアトリエ(絵画芸術)」が出品されており、各地のポスターや看板などでもこれが目玉扱いになっている。私は美術に疎いので、フェルメールがレンブラントやルーベンスを凌ぐ画家なのかどうか知らないのだが、フェルメールの絵は数少ない(現存する真作はわずか32枚と言われている)ので、この機会を逃すと一生フェルメールなど見ることもなかろうと思い、展覧会に足を運ぶことにしたのである。数年前に大阪市立美術館でフェルメール展が開催されたときには、行こう行こうと思いつつずるずると先延ばしにしているうちにどんどん観客が増えていき、最後のほうになると入場まで4時間待ちというとんでもない騒ぎになってしまったので、結局見に行けなかったのだ。

三宮駅から地下街を通って南へ下ると地下駐車場の京町筋入口があり、そこで地上に出てさらに港の方角に数分歩いたところに市立博物館がある。この博物館ではよく国際的な巡回展が開催されるが、常設展示室もなかなか楽しいので、時間に余裕のある人は是非一通り鑑賞してみるといいだろう。だが、私は常設展は何度か見ているので、今回は特別展のみに焦点を絞ることにした。

が、博物館の建物が見えてきたところで、ふと、この近くに神戸らんぷミュージアムがあることを思い出した。前にどこかで割引券を貰ってあったので、そこに記された略図を見ると、市立博物館の入口から京町筋を挟んだ並びの隣の区間、すなわち市立博物館の斜め向かいにらんぷミュージアムがあることがわかった。先に本来の目的であるオランダ・フランドル絵画展を見るのが筋というものかもしれないが、市立博物館の出口は入口の反対側にあり、そこかららんぷミュージアムへ引き返すのは面倒なので、先にらんぷミュージアムから見ることにした。

正直いってさほど期待していたわけではないが、まあ入場料金400円(ちなみにオランダ・フランドル絵画展は当日券1500円だった。会期中もあちこちで1300円の前売券を売っていたが、特別展にしても比較的値段が高い)だし、割引券があれば320円になる。320円なら牛丼屋の豚丼一杯くらいだから、展示がしょぼくても自らの不運を呪うほどのことはない。

ところで、豚丼の話が出たので、神戸らんぷミュージアムとは全然関係ないが、少し思うところを述べておく。昔から「豚丼」といえば帯広を中心とした北海道で食されている料理であり、豚肉を焼いて丼にのせ、鰻丼に使うようなタレをかけて、山椒粉を振りかけたものである。

本州ではほとんど見かけない料理なので、私は先日北海道旅行へ行くまで一度もこの本来の豚丼を一度も食べたことがなかったが、例の狂牛病騒ぎが始まった頃に大阪で「豚丼」と称する料理を出す店に一度だけ入って食べたことがある。後から振り返ってみれば帯広の豚丼とはかなり違うものだったが、いちおう焼いた豚を用いていたので、本来の豚丼の系統に連なる料理だったと言ってよい。去年までは「豚丼」といえば基本的に焼いた豚肉を用いる料理のことだという一般共通認識があったのではないか。

ところが、去年末の米国産牛肉輸入禁止以来、状況は大幅に変わった。大手牛丼チェーン店が「豚丼」ないし「豚めし」という名称で、豚を用いた牛丼に似た料理を販売するようになった。帯広では確認できなかったが、札幌のすすきの近辺でもその種の"豚丼"があった。今では本州だけでなく北海道でも量的には牛丼屋の"豚丼"のほうが優勢なのではないだろうか。

だが、牛丼屋の"豚丼"が本来の豚丼とは全く別の料理であることは自明である。ここで私は料理のアイデンティティについての哲学的議論に足を踏み入れるつもりはない。常識的に考えて、焼いた豚と煮込んだ豚では別物でしょう、と言いたいだけだ。

盛岡冷麺は朝鮮の冷麺を日本風にアレンジしたものだから「冷麺」と名乗っても何の問題もないが、冷やし中華を「冷麺」と呼ぶのは混乱のもとになる。多くの人が冷やし中華を「冷麺」と呼んでおり、その語法が誤りであるときめつけることはできないが、少なくとも私は冷やし中華を「冷麺」とは呼ばないことにしている。なお、冷麺にはそば粉を用いるので、同一名称にかかる誤解がもとでへたをすれば人の生死に関わる事故が発生することもあり得るということに注意されたい。

豚丼の場合には言葉の上の混乱がもとで大きな事故が発生することは想像しにくいが、それでも冷麺の場合と似た構造の問題があることは間違いない。ただ、「冷やし中華」に相当する言葉が、牛丼屋の"豚丼"にはない。この文章では「豚丼」という言葉そのものに言及するときには「」で囲み、帯広の豚丼を指すときには何も括弧を付けず、牛丼屋で「豚丼」と称する料理を指すときには""で囲んで区別しているが、このような表記法は一般的ではないし、説明しないとわからないだろう。さらに説明しても紛らわしいし、自分自身でも括弧の使い方が適切かどうか、「豚丼」という言葉が出てくるたびに考え込んでしまう。

そこで私は提案したい。これから牛丼屋の"豚丼"のことを「代用牛丼」と呼ぶことにしよう。今のところ、牛丼屋は"豚丼"は単なる牛丼の代用品ではなく、牛丼と並び立つ基幹メニューと位置づけているが、そんなのはポーズに過ぎないことは明らかだ。米国牛の輸入が再開されたら、"豚丼"はメニューの片隅に追いやられてしまうだろうし、牛肉の安定供給のめどが経てば、完全に消滅してしまうかもしれない。そんなメニューなら「代用牛丼」で十分だ。百年の歴史をもつ帯広の豚丼文化に敬意を表するため、皆さんもこれからはぜひ牛丼屋で注文するときには「代用牛丼、並!」と言っていただきたい。

大いに脱線した。豚丼から神戸らんぷミュージアムに話を戻さなければ。でも、どうやって?

うん、こうしよう。

吉野家や松屋ほどではないが、比較的大手の牛丼チェーン店に神戸らんぷ亭がある。店の名前に「神戸」が入っているのだから神戸が本拠地なのだろうと思う人も多いが、それは大きな間違いだ。神戸らんぷ亭は関東の会社だ。私が知る限り、関西には出店していない。

では、どうして「神戸」を冠しているのか? たぶん海よりも高く山よりも深い理由があるのだろう。神戸らんぷ亭のサイトを見れば書いてあるかもしれないが、残念ながら今の私はあまりインターネットに接続することができない。この文章をアップロードするのがいつになるのかすら定かではないくらいだ。そこで、勝手に想像してみたのだが、神戸といえば神戸牛が有名なので、店の名前に「神戸」をつけることで、消費者に神戸牛をイメージさせようとしたのではないかと思う。実際に神戸牛を使っているかどうかは知らない。たぶん使ってはいないだろうと思うが、「神戸牛」という言葉が丸ごと入っているわけではないので、看板に偽りありとは言えない。東急グループと何の関係もない東横インみたいなものだ。

では、なぜ「らんぷ亭」なのか? 神戸にはほかにもいろいろ名物があるだろう。「神戸マッチ亭」では駄目なのか? これも想像だが、マッチはすぐに燃えつきるが、ランプなら長く光り続けるからかもしれない。ともあれ、神戸とランプは切っても切れない関係にある……というのはちょっと大げさだが、硬いことは言いっこなしだ。

で、神戸らんぷミュージアムだが、同じ神戸の北野に昭和56年に設立された「北野らんぷ博物館」が母体となっている。これは赤木清士氏の個人コレクションによるものだったが、昭和63年に関西電力株式会社がそのコレクションを受け継ぎ、さらに拡充して現在に至る。ランプといえばガラス製のものが多く、よく阪神大震災を生き延びられたなぁ、と感心したが、図録『神戸らんぷミュージアム――関西電力あかりコレクション』(神戸らんぷミュージアム)の巻末年譜を見ると阪神大震災の頃には大阪市立科学館で展示していたらしい。神戸らんぷミュージアムの開館は1999年なので、今から5年前のことになる。

ランプといえば石油かガスだから電力会社がランプの博物館を経営するのはいかがなものか、という気がしないでもない。ランプは電灯によって克服された、という進歩史観がどうしても前面に出てしまう。全体を通してみた感じでは、照明の通史を辿った博物館というイメージが強く、ランプコレクションはやや埋没気味という印象を受けた。工芸品としてのランプに興味のある人には、むしろ同時代の他の美術工芸と関連づけた展示のほうが好ましいだろう。私はどちらかといえば美術よりも産業のほうに関心があるのだが、こんな事を考えてしまったのは、北海道旅行の際に道立近代美術館で見たガラス工芸品の数々が記憶に残っていたからかもしれない。

と、ケチをつけてはみたものの、数多くの展示品には感心したし、入場料にも全く不満はない。むしろ安すぎるくらいではないかと思った。展示替えとか企画展とかはなさそうなので一度行けば十分だとは思うが、まだ一度も見たことがない人にはお薦めだ。

個人的には、からくり儀右衛門こと田中久重の弟子に田中儀左衛門という人がいたことと、時計ランプとランプ時計が並べて展示してあったことに興味を惹かれた。

さて、神戸らんぷミュージアムでほどよく満足したものの、「栄光のオランダ・フランドル絵画展」も前売入場券を買ってあるので、続けて鑑賞することにした。

人がいっぱいいた。

日本にも西洋絵画は多数入ってきているものの、19世紀以降の作品が多く、この展覧会の出展作品のように16世紀や17世紀の作品をまとめて見る機会はなかなかない。まあ、ヨーロッパの美術館に行けばいいだけの話だが、私は日本語が通じない土地に行くのが嫌なので、将来EUの共通語が日本語になるまで、ヨーロッパに行くことはないだろう。

この展覧会の展示作品はオーストリアのウィーン美術史美術館の所蔵品だ。ネーデルラント地方の画家の作品がオーストリアの美術館が持っているのかというと、昔ハプスブルク家がこの地方を支配していたときに集めたものだそうだ。ただしフェルメールは別で、これはヒトラーが買ったものだそうである。

それにしても「ウィーン美術史美術館」というのは微妙に違和感のある館名だ。これが定訳なのだから文句を言っても仕方がないが、原語では"Kunsthistorischen Museums Wien"で、必ずしも狭義の美術専門の博物館ではないようだ。なお、ドイツ語の"Kunst"は、美術、芸術という意味ももちろんあるけれど、より広く技術、工芸という意味も含んでいる。バッハの"Die Kunst der Fuge"は『フーガの技法』と訳される(戦前は『遁走曲奥義』というすごい訳題もあった)。

さて、展覧会場には素人目には芸術的価値などさっぱり見当もつかない見事な絵がたくさん並んでいたが、肝心のフェルメールがなかなか出てこない。いったいどこに飾ってあるのかと思いきや、順路のいちばん最後に、他の作品とは別の場所に一点だけの展示室を設けて麗々しく展示してあった。まるで秘仏のご開帳のようだった。感動した。

他の作品で特に印象に残ったのは、ヤン・ステーンの「農民の結婚式(騙された花婿)」である。これは、絵を見ただけではわからないのだが、年配の新郎が、間男の子を宿した若い新婦と結婚する場面を描いたものだそうだ。結婚式の出席者は皆そのことを知っていて、知らぬは亭主ばかりなり、というひどい画題である。

ゆっくりと時間をかけておよそ2時間くらいで全作品をなめるように鑑賞して、神戸市立博物館を出たのは午後2時くらいだった。その後、旧外国人居留地のあたりを徘徊しているとなぜか「春の海」がエンドレスで流れている場所があったり、センター街に18禁の「大人の駄菓子屋」なる店があったので入ると本当にただの駄菓子屋だったりと無意味で楽しい休日の午後を過ごした。

「栄光のオランダ・フランドル絵画展」は10/11まで開催されているので、興味のある人は話の種に行ってみてもいいだろう。土日だとJR三ノ宮駅の中央改札口付近でメガホンを持った駅員が前売券を売っているが、もし買い忘れても会場で200円高い当日券を買うには及ばない。博物館の隣にあるローソンで売っているから。

1.11173(2004/09/28) 三周年を過ぎて

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最近、本が読めない。

この書き出しは過去に何度となく用いた覚えがある。私はムラの多い性格なので、ある時期には順調に本が読めたかと思えば、その直後に全然読書意欲が湧かない時期が来るということがよくあるからだ。

不眠症の人が「全然眠れないんです」と言う。「もう一箇月もちゃんと寝ていない」と。だが、いくら重度の不眠症でも一箇月も全く寝ていないわけがない。ある程度の睡眠はとっているのだが、浅く短く不規則なため、寝た気にならないのだ。

同様に、私も全く本を読んでいないわけではない。読みかけのまま放り出した本は何冊もある。面白くないわけではないのだが、続けて全部読もうという意欲が湧かないのだ。また、読み終えた本の印象も薄い。『暗黒館の殺人』を読み終えて疲れ果てた後、ラノベを2冊読んではいるのだが、どちらも感想文を書く気にならなかった。なお、ここでそれらのタイトルを挙げると、つまらない小説だと誤解されるおそれがあるので、何を読んだのかは内緒にしておく。

本を手にとっては放り投げ、あるいは、数日間本に見向きもせず、漫然と空想に浸ったり、パソコンでゲームをしたりして過ごしているうちに、徐々に倦怠感が薄らいでいき、そのうちに何となく本への興味が回復することがある。また、ときには、とてつもなく凄い本が現れて、その時の私の心理状態に関係なく、半ば引きずられるようにして読まされてしまうことがある。そんな時には弾みがついてさらに続けて別の本を手に取ることもあるのだが、そんな僥倖はごく稀だ。稀だからこそ僥倖というのだけれど。

いずれにせよ、今のところはまだ本が読めない状態であることに変わりはない。それはそれで別に困ることではないのだが、生活が全体的にのっぺらとして、ただ現実の中だけに生きているという空虚さ(なんだかおかしな言い回しだが、この感覚は言葉にしにくいので仕方がない)はあまり心地よいものではない。

せめて、このサイトの更新で気分を紛らすことができればいいのだけれど、ここ数日は特にネットに接続しづらくなっていて、それも叶わない。なんだか八方塞がりという感じだ。八方塞がりよりは八方破れのほうがましだ。八方美人よりは、ただの美人のほうがよい。

1.11174(2004/09/30) ファウスト風土記

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『ファスト風土化する日本』(三浦展/洋泉社新書y)という本を読んだ。面白かった。

この本を書店で見かけたとき、タイトルを「ファウスト風土化する日本」と見間違えた。へぇ、「ファウスト風土」か。何だかわからないけれど面白そうだ。もしかしたら「メフィスト風土」ってのもあるのかな。

勘違いはすぐに解けた。この本のタイトルはゲーテとも講談社とも何の関係もない。「ファスト風土」というのは「ファストフード」の捩りで、日本中どこに行っても郊外型チェーン店が立ち並ぶ画一化した風景があることをファストフードに喩えているのだった。

「ファストフード」を直訳すると「速い食べ物」ということになる。主にハンバーガーやフライドチキンなど、予め調理済みで客の注文に応じてすぐに出てくる食べ物のことだ。類似語に「ファーストフード」というのもあって、こちらは直訳すると「第一の食べ物」である。何はさておき最初に食べるものと解釈するか、それとも何よりも大切で基本的な食べ物と解釈するかによって「ファーストフード」の指すものは大幅に異なることになる。だが、この言葉を見聞きしたとき、いったいどちらの意味なのかと思い悩む必要はない。単なる書き間違い(言い間違い)であることはほとんどだから。

どうでもいい脱線話はこのくらいにして、本題に戻る。とはいえ、別に特に大した感想があるわけでもない。強いて挙げるなら、最近急増している青少年が加害者または被害者の凶悪犯罪の現場付近にはジャスコがある、という指摘は興味深かった。この本の第三章は「ジャスコ文明と流動化する地域社会」と題されており、その最初の節には「犯罪現場の近くにはなぜかジャスコがある」という、そのまんまの見出しがついていている。具体的に数々の事件を列挙して、その現場から何キロ離れたところにジャスコ(またはイオングループの他の店)があるのかを執拗に記述しているのだが、それを読んでいくうちにどんどん黒い笑いがこみ上げてきた。ケケケケケ。

著者は一通り具体例を挙げ終えたのち、次のように述べる。

事件、犯罪に限らず、社会事象に法則性や因果性を見いだすことは難しい。なんとなく相関がありそうだという仮説しか立たないのが通例だ。事件のあるところにジャスコがあるという仮説も、もちろん一定の傾向性を示す仮説の域を出ない。当たり前だが、事件があってもジャスコのないところもあるし、事件のないところにもジャスコはある。が、それにしても頻度が高い。なぜだろうか。

この文章はやや微妙だ。ジャスコの近くで犯罪が発生する傾向があるという仮説を立てているとも読める。だが、もしそうだとすると、問われるべきは「なぜだろうか」ではなくて「本当にそうだろうか」になるはずだ。むしろ、ジャスコの近くで犯罪が発生する傾向があるという事実をもとに、両者の間に何らかの相関関係(より踏み込んでいえば因果関係)があるという仮説を立てていると読みたい。

実際、この文章の前後では、流動化した地域にジャスコがよく出店し、また、ジャスコの出店により地域の流動化がより進むということを指摘している。一言でいえば、ジャスコは郊外に立地しているのである。現代日本では都市よりも郊外のほうが匿名性が高いという逆転が生じており、その匿名性が連れ去りなどの犯罪を誘発しているというのが著者の考えなのだから、ジャスコと犯罪の間の強い相関関係を示唆していることは間違いない。

ところが、しばらく読み進めると、次のような記述にぶつかり首を傾げる。

ジャスコを中心とするイオングループは、ジャスコ、サティという総合小売業だけでも三二七店舗持っている。国土面積三八万km2、平野部は一二〜一三万km2しかない日本に三二七店ということは、ほぼ三八〇km2弱に一店はあることになる。つまり、二〇キロ四方の範囲に一店はあるわけで、どこからでも一〇キロ行けば必ずジャスコかサティはあるという計算になる。だから、犯罪の起きた場所の近くにジャスコがあるというのは、その意味では当然だ。どこにだってジャスコはあるのだ。

だったら、これまで延々とジャスコと犯罪の関わりについて力説してきたのは何だったの? そんな疑問が持ち上がる。続いて、著者はだから、もちろんジャスコが犯罪と直接関係しているわけではない。と述べるのだが、上の論法がもし正しいとすれば、ジャスコと犯罪は間接的にも無関係だということになってしまうだろう。「ジャスコ文明」などという仰々しい言葉を持ち出すくらいジャスコに注目しているのなら、犯罪現場とジャスコとの距離についてより精査し、どこにだってジャスコはあるのだ。という一言では片づけられないほどの傾向性が見られることを示さなければならないはずだ。

と、少しケチをつけてはみたが、これは議論の本旨についてというより、部分的な言い回しについてのものであり、もちろんこの本の価値を減ずるものではない。日本の田舎がここ数十年でいかに荒廃し駄目になったかを容赦なく暴き立てる筆致には感動した。最後のほうでいちおう明るい展望の兆しのようなものを示してはいるのだが、地域社会の再生がそう簡単に為されるものではないことは著者もわかっているはずで、なんとなくとってつけたような空々しい感じがして、非常に愉快だった。

この本で描写されている日本のロードサイドを『珍日本紀行』(都築響一/ちくま文庫)のそれと比較してみると興味深いかもしれない。全然趣旨が異なる本だが、いまや都市ではなく郊外にこそ魑魅魍魎が跋扈する異形の空間が出現しているのだということを我々に教えてくれるという共通点がある。一時期、都市論ブームが巻き起こったことがあるが、これからは郊外に目を向ける時代だ。書を捨てて、田舎へ行こう。