聖闘士星矢
ドラゴンウォーズ

序章


 

柔らかな木漏れ日が差し、優しい風が吹く森の中を、紫龍は一人歩いていた。
ここは、城戸邸の裏にある小さな森。
木々を行き交う鳥たちを眺め、落ち葉軽く踏みしめながら歩く紫龍の頬に、笑みが浮かぶ。
彼は今、命を賭した戦いの果てに得た平和と、自然の美しさを満喫していた。

この夜に邪悪がはびこる時、必ずや現れるという希望の闘士、聖闘士(セイント)。
冥王ハーデスが108の冥闘士(スペクター)とともに復活し、地上を我が物にせんとした。
だが、セイントの活躍によりハーデスは倒され、地上は平和を取り戻したのである。

紫龍は、ハーデスを倒した内の一人、龍座(ドラゴン)のセイントである。
あの激闘の中で最大限にまでコスモを燃焼させたたためか、彼は一度失った視力を取り戻していた。
だが紫龍には一つの懸念があった。
(あとは……星矢の意識が回復してくれれば……)
天馬座(ペガサス)のセイント、星矢は、ハーデスとの戦いの折、女神アテナを守るためにその身にハーデスの剣を受けた。
一命を取り留めたものの、意識はまだ回復していない。
だが紫龍は信じている。幾多もの試練を乗り越えてきた星矢のことだ。必ず意識を取り戻して元気になると。
何より星矢には、会いたい人がいるのだから……。
そのことを思い、紫龍は、自分にも会いたい人がいることを思い出して、西の空を見上げた。
「春麗(シュンレイ)……」
紫龍がセイントとなるために修行した地、五老峰にて、ともに過ごした女性である。
いつも紫龍の無事を祈ってくれている、紫龍にとってもっとも大事な存在であった。
星矢のこと以外にも、アテナである城戸沙織が気がかりで、紫龍はここしばらく城戸邸に身を置いていた。あの過酷な戦いが終わったばかりなのだ。神の化身とはいえ、その身はわずか13歳の少女である。
しかし、城戸邸には一角星座(ユニコーン)の邪武がいるし、明日にはアンドロメダ座のセイント、瞬が戻ってくる。
白鳥座(キグナス)のセイント氷河は、今日故郷であるシベリアに発ち、不死鳥座(フェニックス)の一輝にいたっては、地上に戻るやいなや、姿を消してしまっている。
(俺も、明日にでもここを発つことにしよう)
そう決めて、城戸邸に戻ろうとした、その時だった。
 バサバサバサッ
 鳥たちが一斉に飛び立ち、リスたちが一目散に逃げていった。
「なに……?」
(こ、これは……コスモ!?)
 強大なコスモを感じ、紫龍は慌てて振り返った。
(このコスモは!? 黄金聖闘士(ゴールドセイント)にも勝るとも劣らない……!
 それに、どうしたことだ、これは……。このコスモから、懐かしさのようなものを覚えるのは……)
 戸惑いながらコスモの感じる方を見ていると、太陽の光を背にし、紫龍に近づいてくる人影があった。
 光に紛れて見えなかったその姿が、一歩近づいてくるごとに明らかになっていく。
 その者は黄色に輝く鎧を身にまとっていた。胸の中央に獅子の顔があり、背中には大きな翼と尻尾を擁している。その神々しい輝きは、黄金聖衣(ゴールドクロス)でさえかすむほどであった。
(聖衣(クロス)? いや、違う)
 紫龍達セイントは星座を模した鎧、クロスを着て戦う。だが、目の前にいる者が着ている鎧は、クロスではない。このような形をした鎧は88の星座の中には存在しない。
 さらに紫龍を驚かせたのは、その人物が少女であるということだった。
「バ、バカな……。この少女から、これほどまでのコスモを感じるとは、一体……」
(燐衣(スケイル)や冥衣(サープリス)にも、これほどの神々しさを持つものはないはずだ……。こ、この少女は……)
 少女は、数歩手前まで来たところで足を止めた。
 大きな瞳。澄んだ肌。滑らかなプラチナブロンドの髪……。
 鎧など身につけず、若者らしい服に着替えれば、すれ違う男が振り返らずにはいられないほどの美少女であった。
 マスクを着けていないことからも、少女がセイントでないことは明らか。女人禁制のセイントの世界では、セイントの女子は、マスクで顔を隠して過ごさなければならないからだ。しかし、少女のマスクは額と頬を覆うだけの物だった。
 その少女が口を開き、透き通るような声で言った。
「貴方がドラゴンのセイント、紫龍ね」
「なに……俺をセイントだと知って……。一体、君は」
「私は、龍闘士(ドラグーン)が一人……獅子龍(ドラゴンヌ)のレイン」
「ドラグーンだって!?」
 紫龍は師匠である老師から聞いたその名を戦慄とともに思い出した。
 神話の時代、神々とともに、「龍(ドラゴン)」と呼ばれる生き物もこの世に実在した。
 龍の一族は神にも匹敵する力を持っていた。龍達は、その命つきた後も、鎧──龍衣(メイル)となってその力を遺した。そして、そのメイルを来て戦う闘士が、ドラグーンである。
 だが、あの老師でさえも、ドラグーンを目にしたことはなかった。
「歴史の表舞台には決して出てこなかったドラグーン……それゆえに、その存在は噂だけのものではないかと言われていたが……実在したとは……」
(間違いない……このレインという名の少女から感じるコスモは、並大抵のものではない。神に匹敵すると言われるその力も、あながち……。
 この少女のコスモに懐かしさのようなものを感じたのは、同じ龍であるゆえか)
「そ、そのドラグーンが、俺に何のようだ」
「セイントの力を試しに来た」
「何……それはどういう……」
「問答無用」
 静かにそう言うと、レインは軽く地面を蹴った。
 次の瞬間には、地面を低く滑空し、紫龍の目の前に迫っていた。
「なっ」
 目にもとまらぬ速さで蹴りが放たれ、紫龍は防御する間もなくその蹴りを受けた。
「うあああああああーーーーっ!!」
 ベキッ バキィッ
 途中にあった巨木を何本もなぎ倒しながら吹き飛ばされた紫龍は、太い木の幹に受け止められて、ようやく止まることが出来た。
 ズズ……ズシャッ
 木の幹をずり落ち、紫龍は木の根の間に身を沈める。
「バ……バカな……。これほど、とは……」
 紫龍には信じられなかった。
 紫龍とて、あの、神であるハーデスを倒したセイントの内の一人である。それが、クロスをまとっていないとはいえ、敵の攻撃をかわすことも防ぐことも出来ず、たったの一撃でここまで追いやられるとは。
 ザッ…… ザッ……
 レインがゆっくりと歩み寄ってくる。
「勘違いしないで。貴方がクロスを身につけていたとしても、結果は同じこと」
「なにぃ……」
 ガクガクと震えながら、紫龍は立ち上がる。
 拳を握りしめるが、その拳を振り上げようとはしない。
(こ、このままではやられる……。だが、相手は女だ。女相手に、セイントの拳は……)
「貴方……まさか、私が女だから、拳を振るうことをためらっているのではないでしょうね」
「と、当然だ。俺たちはセイント……この拳は正義のためのもの! 罪のない少女に振るう拳は持たない」
 言い放つ紫龍に、レインは冷たい視線を向けた。
「なるほど……聞いていたとおりの男ね。私たちに罪が必要というのならば教えてあげるわ。私たちの目的を」
「目的……?」
「そう……私たちの目的は……。
 女神アテナの命……!!」
「な……っ!?」
 その時紫龍は、城戸邸の方から大きくコスモが燃え上がるのを感じた。
「ま、まさか……アテナーーッ!!」

 城戸沙織──。
 地上の平和と正義を守る女神アテナの化身であり、若干13歳でありながら、邪悪と戦うことを宿命づけられた少女。事実、彼女はこれまで幾多の試練にさらされた。しかしそのすべてをセイント達とともに耐え抜き、この地上を守り抜いてきた。
 そんな彼女も、神話よりの宿敵ハーデスを倒した今、ひとときの安らぎに身を浸していた。
「ふぅ……」
 城戸邸の自室で、沙織は詩集に視線を落としながら、やわらかなため息を漏らした。
 そして、テーブルの上の紅茶を手に取る。
 これほど落ち着いた時間を過ごすのは、一体いつぶりだろうか……。
 しかし、落ち着いてばかりはいられない。気になるのは、やはり星矢のことだ。
 沙織は詩集とカップを置き、胸の前で手を合わせた。
(星矢……一刻も早く意識を取り戻すことを、祈ってます……)
 その時、沙織の長い髪を風が揺らした。
 ゆっくりとまぶたを開いた沙織は、はっとなって顔を上げた。
 おかしい。窓は閉めてあったはず。風が吹くはずはないのだ。
 慌てて振り向いた沙織は、窓際に一人の女性が立っていることに気づいた。
「いつの間に……!?」
 その金髪の女性は、黄色と白を基調としたドレスを身にまとっていた。
 腰まである髪は黄金(きん)色に流れ、白磁器のような肌には染み一つない。切れ長の目の奥の瞳はサファイアのごとく透き通っている。
 稀に見る美貌の持ち主であるものの、女性のまとっているドレスは、侍女が着るような質素なデザインであった。
「あ、あなたは……」
 沙織の知らない女性だった。
 一目見ただけでは、怪しいところは一切見受けられない。
 だが、この部屋に沙織の見知らぬ人間が、沙織の許可もなしに来ることなどあり得ない。この屋敷は常にセイントによって守られているからだ。
「突然のご無礼、ご容赦ください」
 金髪の女性は、凛と通る声でそう言って頭を下げた。
「私は、ドラグーンが一人……黄金龍(ゴールドドラゴン)のティアと申します」
「ドラグーン……!」
 沙織もまた、ドラグーンの伝承については聞いたことがあった。しかし、紫龍と同じく、あくまで神話の中の存在だと思っていた。それほど、ドラグーンが表舞台に出てきたことはなかったのだ。
「まさか……実在していたとは……。
 そのティアが、私に何の用なのですか」
 目をつむり、ティアは答えた。
「私の目的は、ただ一つ……。
 アテナ。貴女の命」
 まぶたを開き、打って変わって沙織に鋭い眼光を向けるティア。
 それまでどこにでもいる普通の女性と変わらなかった彼女から、コスモが放たれ始める。
 それはアテナである沙織さえ威圧するほどの、とてつもなくビッグなコスモだった。
 険しい顔をして、沙織はその目を見つめ返す。
 この目、このコスモ……彼女は本気だ。本気で自分の命を狙っている。
 タタタタッ
 廊下を駆ける、誰かの足音が聞こえてきた。
 バンッ!
「お嬢さん!!」
 扉を開け、血気盛んに駆け込んできたのは、若い男だった。
 青銅聖闘士(ブロンズセイント)の一人、一角馬座(ユニコーン)の邪武。その身にはユニコーンのクロスをまとっている。
 邪武はティアを見て、驚きに目を見開いた。
「こ、このコスモは……しかも、こんな女から!?」
「怪我をしたくなければ引いてください」
「な、なにぃ……お前は、一体」
 ティアは答えず、沙織の方へと歩いていく。
 ハッとなった邪武は、慌てて沙織とティアの間に立った。
 信じられないほど強大なコスモだが、友好的なコスモではないことははっきりしている。
「邪武……っ」
「忠告はしたはずです」
「お嬢さんに何の用だ!?」
「私の用……それは、アテナの命」
「なにいっ!?」
「引くつもりはありませんか?」
「当たり前だ! オレはアテナのセイントだぞ!
 そんなことを聞いて引くわけねえだろ!!」
「ならば仕方ありません」
 ティアが白い手を伸ばし、指先を邪武に向ける。
「やろうってのか!? 素手の女を相手にしたくはないが──」
 キラッ
 一瞬、ティアの指先が光ったかと思うと、そこから放たれた光線が邪武の額を貫いた。
「……っ」
 邪武の動きがぴたりと止まる。
 その次には、邪武は前のめりになって倒れていた。
(ば……バカな……)
 自分の身に起こった現実を認められないまま、邪武は意識を失った。

 城戸邸の方を見ながら、紫龍は愕然としていた。
「一つのコスモが消えた!? 邪武か!?」
 紫龍は城戸邸に向けて走り出そうとしたが、レインが素早く回り込んだ。
「行けると思っているの」
「く……アテナの命を取らせるなど……! 仕方あるまい……っ。はぁあああああっ!!」
 紫龍は己のコスモを燃焼させ始めた。
 紫龍の体から、燐気──龍が天に昇るときに放つと言われる──が立ち上る。龍の力を持つ、紫龍特有のコスモだ。
 炎のようにオーラが放たれ、紫龍の後ろにドラゴンの姿が浮かび上がった。
 だがレインは冷ややかな目をしてそれを見守る。
「受けよ! ドラゴン最大の奥義!」
 左手に体重を乗せ、引いた右手に極限にまで高めたコスモを集約させる。
「盧山昇龍覇!!」
 振り上げた拳から、コスモが龍となって放たれた。
 その龍は咆哮を上げながら、凄まじい勢いでレインに迫る。
「フッ」
 レインが笑みを浮かべた……と思った瞬間、その姿が消えた。
「何、消えた!?」
(いや、違う!!)
 紫龍は慌てて上空を見上げる。レインは飛んでいたのだ。背中の翼を大きくはためかせて。
 跳躍したのではない。実際にその翼を使って飛んでいるのだ。
「飛んでいる……!? バカな……!」
「貴方たちのクロスとは違い、わたしたちのメイルは伊達じゃない!」
 叫び、レインは胸の前で両手を向かい合わせた。
「ドラグーンの力、思い知れ! はああああっ!」
 両手の間に、強大なコスモが集約していく。
「こ、これはっ!」
「フラッシュロアー!」
 獅子の口が開かれ、そこからまばゆい光が放たれた。
 その光とともに、強烈なエネルギー波が紫龍を襲う。
「うあああああああああああーーーーっ!!!」
 光が衝撃となり、紫龍の全身を打ちのめす。
 吹き飛ばされ、上空に舞い上がる紫龍。
 数秒経ってから、紫龍の体は頭から地面に激突した。
「う、うぅ……アテ、ナ……」
 震える手を伸ばし、立ち上がろうとする紫龍。
 先に見えるレインの姿がぼやける。
 力及ばず、紫龍は倒れた。

「邪武!」
 邪武に駆け寄ろうとした沙織にティアが近づく。
「あまり手荒なことはしたくありません。来て頂けますね、アテナ」
「ティ、ティア……私の命を奪って、どうしようと言うのですか!?」
「来て頂ければわかります」
 額に汗を浮かべながら、ティアを見据える沙織。
 ティアがさらに一歩近づいた、その時。
「ペガサス流星拳!!」
 秒間一万発を超える拳の衝撃がティアを襲った。
 ティアの姿がその場から消える。
 ガガガガガガッ
 拳の衝撃は後ろにあった壁を粉々に打ち砕いた。
 自然にあふれた中庭の景色があらわになる。
 ティアは、軽く跳躍することでその攻撃をかわしていた。
 ドレスを舞わせながらふわりと降り立ち、部屋の扉の方に目を向ける。
 そこに立っている男……先ほど拳を放ったのは、天馬座(ペガサス)のセイント、星矢であった。
「せ、星矢!」
「ペガサス……ハーデスとの戦いで心臓に傷を負い、植物人間と化したと聞いていましたが……」
「星矢……貴方は私のピンチを救うために……」
「うっ……」
 星矢の体がぐらりと傾き、その場にうつぶせに倒れ込んだ。
「星矢!」
「アテナ」
 名を呼ばれ、沙織はティアの方を振り返った。
「せっかく命を取り留め、目を覚ましたペガサス……。そのペガサスを死なせたくなければ、私とともに来てください」
「…………」
 アテナはまっすぐにティアを見つめた。
 そして、星矢を一瞥する。
「わかりました」
 沙織は、ティアの方に歩き出した。
「だ、ダメだ……沙織さん……」
 ぶるぶると震えながら、星矢が顔を起こす。
「行っちゃダメだ、沙織さん……!」
「星矢、良かった……意識を取り戻して。私のことでしたら、心配要りません」
「さ、沙織さん……!」
「これで……ようやくお姉さんに会えますね」
 沙織はそう言ってニコ……と笑みを浮かべた。
「さあ、参りましょう、アテナ」
 ティアが沙織の額に手をかざすと、アテナは気を失った。
 倒れかけた沙織の体を、ティアが受け止める。
「ま、待て……」
 立ち上がろうとする星矢だが、上半身を起こすので精一杯だ。
 それに、この状態では拳を打つことは出来ない。沙織に当たる恐れがある。
 ティアは歩きだそうとして、ぴたりと足を止めた。
「アテナを救いたければ……満月の夜、ウロボロスの塔に来なさい」
「ウロ……ボロス……」
 ティアが再び歩き出す。
「さ……沙織……さん……っ。沙織さああああんっ!」
 アテナが連れ去られていくのを、星矢はただ見ていることしかできなかった。

 ICUの中で、星矢は人工呼吸器をつけられ、深い眠りについていた。
 それを厚いガラス越しに見つめる紫龍と瞬、そして氷河。
 紫龍もレインとの一戦で深手を負い、右腕を包帯で吊っている。
 邪武は別のICUで治療を受けていた。今は眠っているが、先ほど一時的に意識を取り戻し、沙織を連れ去ったのがティアという名のドラグーンであることを紫龍達に告げている。
「僕がもっと早く帰ってきていれば、こんなことには……」
「いや……ドラグーンの強さ、半端ではない。瞬がいたとして、守り切れたかどうかは……」
「星矢は、沙織さんを守るために、眠りの淵から目を覚ましたんだな」
「ああ。星矢は、真のセイントだ……」
 その星矢が、苦しげに眉根を寄せながらうめき声を漏らす。
「ウロ、ボロス……うぅ……満、月……」
「さっきから星矢が言っている、ウロボロスってなんだろう」
「おそらくは、ウロボロスの塔のことだろう。老師から聞いたことがある……」
「ウロボロスの塔?」
 3人はICUを出て、話を続けた。
「広大な砂漠の真ん中に立つ巨大な塔のことだ。かつては偉大な王の住まいだったと言われているが、実際にその塔を見たことがある者はいない。
 塔が姿を現すにはある条件が必要だいう……」
「紫龍、その条件っていうのが、もしかしたら満月なんじゃ」
「俺もそう考えていたところだ」
「沙織さんはそのウロボロスの塔に連れ去られたんだろうか」
「きっとそうに違いない」
「ならば、その塔に急ごう。今日はちょうどその満月だ」
「うむ」
 紫龍が腕の包帯をほどいたその時、ICUの扉が開かれた。
 ふらふらとしながらも、星矢が姿を現した。
「俺も行くぜ」
「星矢!!」
「星矢、大丈夫なの!? 心臓の傷は!?」
「かすり傷だぜ、こんなもの」
「かすり傷って……2週間も寝たきりだったんだよ」
「だからなんだってんだ。沙織さんが連れ去られたってのに、寝てなんかいられるか!」
「うむ……奴らはアテナの命が狙いだと、はっきり言ったのだからな……」
「そうと決まれば、今すぐに行くぜ!」
 星矢は頭の包帯をはぎ取り、先頭を切って走り出す。
「でも、いいの、星矢!? お姉さんに会って行かなくて!?」
「うっ……」
 星矢の足が止まる。
 星矢には、聖華という名の姉がいる。
 聖華は星矢がセイントになるべくギリシャに発ってすぐ、行方知れずとなった。
 セイントとなって日本に戻り、そのことを知った星矢は、以来ずっと聖華を探していた。
 ハーデスとの戦いの折り、星矢の師匠である魔鈴が、ギリシアの山村にいた聖華を見つけた。
 しかしハーデスとの一戦で倒れてしまった星矢は、今まで会えずじまいだったのである。
「お姉さんは、ずっと星矢のことを看病してたんだよ!? さっきまでだって……」
「言うな、瞬」
「…………っ」
「俺たちはセイントだ。アテナを助けるのが、セイントの役目だ」
「星矢……」
 紫龍と氷河が、神妙な顔つきで星矢を見つめる。
 二人も同じ立場だった。
 紫龍は愛する春麗を中国五老峰に一人置いてきている。
 氷河も、親友のヤコフや、氷海の奥底に沈んだ船に眠る母をシベリアに残してきた。
 だが、二人はここにいる。アテナのために。地上の正義と平和のために。
 星矢は瞬を振り返り、にこっと笑みを浮かべる。
「なに、沙織さんを連れて必ず帰って来るさ。姉さんにはすぐに会える」
 その言葉に応え、瞬も笑みを浮かべた。
「そうだね。よし行こう!」
 4人は病院を出、ウロボロスへの塔へと向かった。

 見渡す限りの広大な砂漠。
 砂以外何もなく、空には満月だけが不気味にその姿を見せている。
 夏は50度を超える砂漠……だが、夜になったからといって安心はできない。
 夜はマイナス数十度にまで気温が下がるからだ。
 特にこの砂漠は一日の寒暖の差が激しく、普通の人間ならば一度入って生きては帰ってこれない。
 ウロボロスの塔がこれまで見つからずにいたのは、この厳しい環境のためでもあったのだ。
 極寒の中、星矢たち4人は砂漠の中央に当たる場所にいた。
「う〜、寒ぃ……」
 クロスをまとったその身を抱えながら、星矢は震えていた。
 星矢たちのまとっているクロスは、ハーデス戦の折りに手に入れた神聖衣(ゴッドクロス)である。
 アテナの血と、最大限に燃やしたコスモによって蘇ったそのクロスは、青銅(ブロンズ)、白銀(シルバー)、黄金(ゴールド)を超えた最強最後のクロスである。
 4人のまとうそのクロスからは、神々しいまでの輝きが放たれていた。
「シベリアほどではない」
「氷河は慣れっこだものね」
「俺は風邪引きそうだぜ。せっかく助かった心臓が、また止まっちまう」
「それは大変だ」
 星矢と瞬が呑気に会話をしていると、ずっと月を見上げていた紫龍が声を上げた。
「南中するぞ!」
 満月が、北極星と真逆の位置に来た。
 と、その時。
「な、なにっ!?」
 星矢たちの目の前に、古ぼけた塔が突然姿を現した。
 塔と行っても細長くはなく、かなりの横幅があった。高さは普通のビルの10階分ほど。
 正面には両開きの扉があり、その扉には不気味な蛇の姿が描かれている。
「これが……ウロボロスの塔……!」
「この中に、沙織さんが……!」
「気をつけろ。中にはドラグーンが待ち構えているはずだ。ティアとレインだけではないだろう」
「わかっている」
 星矢がそうつぶやいた後、4人は向かい合い、手を重ね合った。
「ドラグーンの目的が何か知らないが、沙織さんを助け出して必ず生きて帰るぞ」
「ああ」
「わかっている」
「よし! 行くぞ、みんな!」
「おう!!」
 4人は一斉に、ウロボロスの塔に向かって駆けだした。


 星矢たちはドラグーンに勝利し、アテナを救うことができるのだろうか。
 セイント達の、アテナを守るための戦いが、今また幕を開けた。

 

第1章に続く