聖闘士星矢
ドラゴンウォーズ

第1章


 

 星矢が意気揚々と扉に触れた、その瞬間だった。
 扉からまばゆい光が放たれ、星矢達の体を包み込む。
「うあああっ!?」
 次の瞬間、星矢は扉を押そうとしていた勢いのままに前のめりに倒れそうになった。
「うおっとっとっ」
 とっさに体制を立て直し、顔を上げる。
 そこには、先ほどとはまるで違う光景が広がっていた。
 石の壁で覆われた、男2人が通れるほどの広さの廊下がまっすぐに延びている。
 薄汚れてはいるが埃はさほど積もっていない。ここ最近の内に人が通った気配があった。
「な、なんだ!? 扉は!?」
 慌てて振り返ると、すぐ後ろに紫龍達がいて、さらに後ろに、両開きの扉があった。
「こ……この扉は……さっき目の前にあった扉か!? 扉をすり抜けたっていうのか」
「いや……というより、あの目映い光に引き込まれたような……」
 氷河がそう言った後、瞬が扉に手をかけた。
「あ、開かない」
「なに」
 紫龍も扉を押してみるが、扉はビクともしない。
「一方通行……というわけか」
「ちょうどいい。どのみち、沙織さんを救わない限り、ここから出るつもりはないんだ。出るときは壁をぶち破ってでも出てやるさ」
 コンコンと壁を叩きながら星矢が言う。
「相変わらず乱暴だね、星矢は」
「うるせえ」
 その時だった。
 星矢達は頭上から、かすかにだが温かい小宇宙(コスモ)が舞い降りてくるのを感じた。
「……っ!」
「感じたか!?」
「感じた!」
「沙織さんのコスモだ……!」
「かすかにだが、間違いない。最上階の方からだ」
「やっぱり、沙織さんはここにいる!」
「そして、まだ生きている!」
と、今度はそのコスモが感じられないようになっていく。
「あ……」
「沙織さんのコスモが消えかかっている……」
「あいつ、本当に女神(アテナ)の命を……」
「急ごう!! 一刻も早く沙織さんを救わねば!」
「おう!!」
 4人は一斉に廊下を駆け出した。
 少し行ったところで、道は二手に分かれていた。
「広い塔だ。別れた方がいいだろう。もし上に行く階段があったら、後の者はかまわず先に昇って沙織さんを救うんだ」
「わかった」
 まず星矢と紫龍、氷河と瞬の二手に分かれた。
 さらに行ったところで、星矢は紫龍とも別れて一人になった。
「思っていたよりも広い塔だな……。みんなが迷子になっていなければいいが……」
 そうつぶやきながら走る星矢。
 その頃他の三人が、三人揃って「星矢が迷子にならなければいいが」と思っていることなど、知るよしもなかった。

 塔の中には人の気配はまったく感じられなかった。いくつもの部屋があるが、どこももぬけの殻だった。
 そうしてしばらく……感覚的に塔の中心付近に来たところで、今まででもっとも大きな部屋に出た。
 部屋の奥にある階段が、星矢の視界に飛び込んでくる。
「あった、階段だっ」
 階段に向かって走り出そうとした星矢は、人の気配を感じて慌てて足を止めた。
「誰だ!?」
 階段の隅の暗がりから、人影が姿を現す。
 それは一人の少女だった。
 燃えさかる炎のように赤いショートヘア。猫のように目尻の上がった瞳が、星矢をにらみつけている。
 その身には、髪同様に真っ赤な色をした鎧を身にまとっていた。
「現れたか……龍闘士(ドラグーン)!」
「あたしは炎龍(サラマンダー)のラン。ここから先には進ませない」
「また女か……やりづらいな」
「当然よ。ドラグーンは全員女なんだから」
「な、なんだって!? 女を戦わせるなんて、何を考えてるんだ」
 星矢の言葉に、ドラグーンはキッと眉をつり上げると、手に持った槍を突き出しながら星矢に迫ってきた。
「っと、危ないっ」
 軽くその槍を避ける星矢。
「女の子がそんな物騒な物、振り回すもんじゃないぜ」
「さっきから女、女と……っ。男と女にどれくらいの違いがあるって言うのよ!」
 ランは矢継ぎ早に槍を突き出してくるが、星矢はすべてそれをかわす。
「違うだろう! 女ってのは男が守るもんだ! 戦いなんかするべきじゃない!」
(って言ったら、魔鈴さんやシャイナさんに怒られるかな)
 心の中でそうつぶやく星矢。
 魔鈴もシャイナも白銀聖闘士(シルバーセイント)の中では上位の実力を持つセイントだ。それは星矢も認めるところではある。
 しかし、先ほどの言葉は本心だ。今や実力の上で魔鈴達を超えた以上、魔鈴達も自分の手で守るべきだと、そう思っている。
 ましてや女子に拳を振るうことなど、考えられないことだった。
「そう……ならばその女の力、見せてあげるわ」
 ランは槍を左手に持って引くと、右手を前に突きだした。
「はああああああっ!!」
 その体から強烈な小宇宙(コスモ)が感じられ始める。
「なっ、このコスモは……!? 黄金聖闘士(ゴールドセイント)にも勝るとも劣らない……! まさか、こんな女の子から!?」
「くらえっ!!」
 ランの右手の先に、灼熱の炎が生まれた。
「ヴァイオレント・ブラスト!!」
 ゴオオッ!!
 炎が渦を巻きながら迫ってきて、星矢の体を包み込む。
「なにっ!? なんて熱さだ! こんな熱い炎は……ううっ! うああああっ!!」
 星矢の体は完全に炎に飲み込まれた。
 星矢の絶叫が部屋中に響く。
「はぁああああっ!!」
 ランが一気に炎を押し出す。
 炎の嵐に巻かれた星矢の体が吹き飛ばされ、後ろの壁まで押しつけられた。
 バンッ!!
 壁に跳ね返された星矢の体が床に沈む。
「あっけない……」
 言いながら、ランが右手を下ろす。
「セイントと言ってもこの程度……。お姉様。塔に入り込んできたセイントは皆私が倒してみせます」
「た、確かに……」
「っ!?」
 星矢が震えた声を出しながら立ち上がる。
「油断していた。まさか、ゴールドセイント以上の実力を持っているとは……」
「そんな……まだ、生きて……」
「けれど、そっちこそセイントを見くびってもらっちゃ困る。この程度でやられたりはしない!」
「あたしたちは、神にも匹敵する龍の力を受け継いでいるのよ。なのに……」
「俺たちだって神であるタナトスやハーデスを倒したんだぜ。悪いことは言わない。俺が本気を出す前に、そこをどくんだ」
「フ……見せてみなさい。その本気ってやつを」
「出したいところだが……女の子相手に拳は振るえない。女の子の顔に傷をつけたら、シャイナさんに怒鳴られちまう」
「く……なめるのもたいがいにして!! いいわ、だったら、あたしが先に本気を出してあげる! はああああああっ!!」
 ランが再びコスモを高め始める。
 慎重にに身構える星矢。ランのコスモは、先ほどよりも遙かに大きくなっていく。
「く……っ」
「今度こそ、この炎で燃え尽きてしまいなさい! くらえ、サラマンダーの息吹を!! ヴァイオレント・ブラスト!!」
 ゴオオオオッ!!
 さっきよりも大きく、熱く勢いのある炎が星矢を襲う。それは星矢の想像以上に強烈なものだった。
「うおっ!? うわあああああああっ!!」
 ズガアアッ!
 再び壁に叩きつけられる星矢。
 ドサリと床に崩れ落ち、今度はピクリとも動かなくなる。
(う……く……)
 星矢は一命を取り留めたが、指先一つ動かせない状態だった。
(ま、まさかここまでとは……紫龍達の言っていたとおり、神殺しの龍の名は伊達じゃない……)
(けれど、俺は……こんなところで死ぬわけにはいかないんだ。沙織さんを……アテナを救わなきゃ……)
(それに……俺には……会いたい人が……いるんだ……!)
 ピクッ
 星矢の指先が、小さく動いた。
「う……」
「え……っ」
 細かく震える星矢を見て、ランが目を見開く。
「そんな……あれだけの炎を浴びて、生きているなんて……」
「俺は、まだ……死ねない……死ねないんだ……!」
 星矢がゆっくりと起き上がり、二本の足で地面を踏む。
「ど、どうして……」
「以前までのクロスだったら……今の一撃で、いや、最初の一撃で焼け死んでいたかもしれない……。
けれど、この聖衣(クロス)……神聖衣(ゴッドクロス)だったからこそ……!」
「ゴッドクロス……神が着る神衣(カムイ)にもっとも近いと言われるクロス……。た、確かに、あれだけの炎を浴びて、クロスには火傷一つない……」
「そうだ。アテナの血を受けて蘇ったこのクロス。これを着ている限り、俺は死なない……!」
「……っ」
 きつい表情をしてランをにらみつける星矢。
(これど、このまま攻撃を受けてばかりじゃいつかはやられる……。やるしか……やるしかないのか)
 ググ……と星矢の拳が握りしめられる。
「なら、貴方のその自慢のクロスを灰に変えてやるまで。この炎で!!」
 ゴオッ!
 ランが横にのばした左手を、紅蓮の炎がまとう。
「クロスごと焼け死んでしまえ──うっ!?」
 星矢から感じた闘志に、ランはピクッと眉を動かした。
「俺は、女に振るう拳を持っていない……けど、俺はセイントだ。このままやられて、アテナを死なせるわけにはいかないんだ!! うおおおおおっ!!」
 両腕をハの字に広げた星矢の体から凄まじいコスモが放たれ、その背中に天馬の姿が浮かび上がる。
「やっとその気になったわね」
 炎を収め、身構えるラン。
 星矢は両手を交差させては広げ、また交差させて斜めに下ろす。そうしてコスモを高めていく。
(手加減のできる相手じゃない……死なせない程度にと言うのは難しいが……やるしかないっ)
「うおおおおおっ! ペガサス流星拳!!」
 秒間1万発を超える拳が放たれ、衝撃波となってランを襲う。
「ふっ」
 ランは驚きもせずに右手に持った槍を前に差し出した。そしてそれを指の動きだけで回転させる。
 ガガガガガガガガッ!!
 衝撃波が槍に辺り、轟音を響かせる。時間にしてわずか数秒。
 その数秒の間に、ランの槍は星矢の拳すべてを受け止めた。
「な……なに……!? 一発残らず弾くとはっ!?」
「これでわかったでしょ。貴方とあたしの実力の差が。まさか、今更女だから手加減した、なんて言わないわよね?」
「グ……」
(確かに……手加減なんてしていない……。な、なのに……)
「さあ、そろそろ引導を渡してあげるわ」
とその時、部屋に近づいてくる足音が二つ聞こえた。
「むっ」
「この足音は……」
 バンッ
 部屋に飛び込んできたのは、ピンクと白のゴッドクロスを身につけたセイントが二人。
 瞬と氷河である。
「星矢ぁ!」
「無事か!」
「瞬……氷河!」
 二人は星矢の両脇に立ち、ランと相対する。
 敵は3人になったが、ランはまるで動じていない。
「火の龍……サラマンダーか」
 そう言って、瞬が身構える。
 氷河が一歩前に出た。
「火を使うなら、俺が適任だな」
「いや、こいつの相手は俺がする。二人は先に行ってくれ」
 その言葉を聞いて、ランがピクリと眉を動かした。
「強がりを……。3人同時に相手してもいいのよ」
「見くびるなって言ってるだろ。女の子一人に3人がかりなんて、セイントの名折れだぜ」
「星矢の言うとおりだ。瞬、先に行くぞ」
「うん!」
 瞬と氷河が、ランの背後にある階段に向かって走り出す。
「行かせはしない!!」
「言ったはずだぜ、お前の相手は俺がすると! ペガサス流星拳!!」
 再び、星矢は秒間一万発の拳を放つ。
「くっ!」
 スピアで防ぐラン。そのすきに瞬と氷河はランの横をすり抜ける。
「待てっ!」
 二人が二階へ駆け上がっていく。
 その背を悔しげに見送ってから、ランは星矢を見た。
「まだそんな体力があったなんて、驚きね……。仕方ない、あの二人は上にいる人に任せるわ。ただし……」
 ランは槍の先を星矢に突きつけ、星矢をにらみつけた。
「貴方だけは、あたしが確実にとどめをさす!」
「そうはいかない。お前を倒し、氷河達を追いかける。アテナを助けるために! おおおおっ!」
 コスモを高めた星矢が、三度目のペガサス流星拳を放つ。
「フッ、性懲りもなく!」
 ランは余裕の表情で槍ですべて防ぐ。が、星矢は動じることなく拳を放ち続けた。
「おおおおおおおっ!」
「しつこいわね……貴方の拳など通用しないと……。えっ」
 ガッ
 ランの顔がしかめられる。その手に予想外の衝撃がかかり、槍を持つ手が痺れたのだ。
「き、気のせい……? いえ、違う。こ、これは……」
「おおおおおおおおおっ!」
 ガガガガガガッ!!
 さらに無数の拳を打ち続ける星矢。その拳の速度が、一発ごとに増していっているのだ。
「そ、そんな……うっ、く……っ!」
「おおおおおおおおおおおおっ!!」
「こ、これ以上防ぐことは──うっ、うああああああっ!!」
 ドカアッ!!
 防ぎきれなくなったランは、星矢の拳をまともに浴びて吹っ飛ばされ、後ろの壁に叩きつけられた。
 マスクが外れ、カラカラと音を立てて地面を転がる。
「うっ……こんな……まさか」
 小さなうめき声とともに、ランが倒れる。
「しまった、やり過ぎたか! おい、大丈夫か!?」
 慌てて駆け寄る星矢。だが、その顔面に矛先が突きつけられる。
「うっ」
 星矢はすんでのところでそれをかわした。
 ランが素早く立ち上がって槍を突き出したのだ。
「まぐれ当たりの拳を数発当てたところで、あたしを倒せるなんて思わないことね」
「そのゴッドクロスがどれほどの物かは知らないけれど、あたしたちのまとう龍衣(メイル)の足下にも及ばない。貴方達のセイントの拳で、このメイルを破壊することは不可能よ!」
 そう豪語するとおり、ランのメイルには流星拳を無数に浴びたにも関わらず、傷一つついていなかった。
「く……」
「これでわかったでしょう。あたしに勝つことなんて不可能だということが。さあ、大人しくサラマンダーの炎に焼かれて、息絶えなさい! ヴァイオレント・ブラスト!」
 紅蓮の炎が、うなりを上げて星矢に迫る。星矢はカッと目を見開いた。
「こんなところで負けるわけはいかないんだぁぁあっ!」
 バーーーンッ!!
 星矢の両手が、迫り来る炎を受け止めた。
「なっ!? 受け止めた!? そんなっ! でも、そこまでが精一杯よ! まだヴァイオレント・ブラストの威力が貴方の手の中で燻っている! 耐えきれずに吹き飛ばされるのがオチよ!」
「おおおおおっ!!」
「無駄だと──」
「うおおおおおおおおおっ!!」
 バアアアアアアアンッ!!
 炎の塊が四散し、星矢の前から弾け散った。
 炎の粉を浴びながら、ランは立ち尽くす。
「ま、まさか!! ヴァイオレントブラストを防ぎきるなんて……!」
「へへっ、知らなかったのか……」
 星矢がにこっと笑みを浮かべる。
「セイントに同じ技は何度も通用しないんだぜ」
「……っ」
 ランは星矢をキッとにらみつけると、左手の槍を地面に突き立てた。
「……?」
「確かに……セイントを見くびっていたようね」
「ようやく気づいたか。さあ、そこをどけ。やっぱり女の子を傷つけたくはない」
「まさか、セイントごときにこれを使うとは思ってもみなかったけど……」
 そう言うて、ランは目をつむり、胸の前で腕を交差させた。
 そして勢いよく目を開く。
「はぁぁぁぁぁぁああっ!」
 低い声が放たれ、ランの全身からコスモが吹き上がった。
「こ、これは……なんという強大なコスモ!」
「はああああああああっ!!」
 ランが両手を八の字に広げると、オーラの炎が立ち上り、火蜥蜴の姿をなした。
「一欠片も残さず燃え尽きれ!! クリムゾン・イラプション!!」
 両手を前に突きだして交差させると、全身の炎が星矢の足下に向かって放たれた。
「なっ、なにっ!?」
 星矢は逃げる間もなく、周囲を炎で囲まれる。次の瞬間、灼熱の炎が間欠泉のように吹き上がった。
 ゴオオオオオッ!!
「うあああああああああああっ!!」
 ドンッ!!
 全身を炎に巻かれた星矢が天井に叩きつけられる。そのまま、星矢は数万度の炎を浴び続けた。
「…………」
 ようやく炎が消え、星矢の体が天井から離れる。
 ズシャッ
 床にたたきつけられた星矢の体は、指先一つ動かなかった。
 ランは星矢を見下ろしながらふうと息をつく。
「ようやく倒した……まさか、ここまで手こずるなんて……」
 そう言うと、ランは槍を引き抜いた。
 そして星矢に歩み寄っていく。
「あのしぶとさ……またいつ蘇ってくるかわからない。とどめを刺させてもらうわ」
 星矢の頭の先まで来て、ランは槍を振り上げた。
「心臓を貫けば二度と立ち上がることは出来ない」
「すべてはティア様のため……死ね、ペガサスのセイント!!」
 炎をまとった槍が、星矢の心臓めがけ振り下ろされた。

 一足先に2階に上がった氷河と瞬は、やはり二手に分かれて3階への階段を探していた。
 2階は茶色のレンガ造りになっていおり、1階とは別の建物のような様相を呈していた。
 通路は一階より広く、分かれ道も部屋も少ない。だが塔自体の広さは相当なものがあり、氷河は未だ階段を見つけられずにいた。
「それにしても、何て広い塔なんだ……。いったい誰が、何のためにこんな塔を」
 そうつぶやいて右側の壁に手をついた時、氷河は手に湿り気を感じた。
「水……こんなところに?」
 よく見ると、壁一面に水が染み出していた。
「この壁の向こうに水が溜まっているというのか」
 バシャ バシャッ
「……!?」
 水がしぶく音が聞こえ、氷河は壁に耳を当てた。
「これは……中で何かが動いて──」
 バシャアッ バッシャアッ!!
「近づいてくる!? ハッ!」
 氷河はとっさに壁から離れる。
 ドガアッ
 壁が破壊され、大量の水とともに、何か青いものが飛び出してきた。
「うわっ!」
 水龍を浴びながら、氷河は飛び出てきた物をよく見てみた。
 それは巨大な蛇のように見えた。だが、全身が青い金属光沢を放っている。大きく開かれた口には鋭い牙が並んでおり、長いヒゲが生えている。頭から尻尾まで、鬣のような物も生えていた。
「これは……龍!? ドラグーンのメイルか!」
 水がすべて流れ去り、氷河と向かい合うと、龍は音を立てて分解した。
 カシャーン
 飛び出してきた部屋に戻っていたメイルが、部屋の奥にいた女の体に装着されていく。
「現れたな、ドラグーン!」
 メイルを装着し終えたドラグーンが氷河に歩み寄ってくる。
 女は流れるような美しい黒髪を持っていた。色白で、清楚な印象を受ける少女だった。
「ラン一人ではすべての聖闘士を食いとめることは無理でしたか……」
「私はドラグーンが一人、青龍(セイリュウ)のメイファ」
「青龍……!」
 メイファと名乗ったドラグーンは、切れ長の目で涼やかに氷河を見る。
「貴方も名乗っていただけますか。名も告げずに死に至るのはあまりにも不憫(ふびん)というものでしょう」
「この白鳥座(キグナス)のセイント、氷河を倒すと? 残念ながら君はそこから一歩も動くことは出来ない」
 氷河は指先をメイファにつきつけた。
「カリツォー」
 指先に白い靄が浮かんだ後、空気中の水蒸気が凍り付いて白い雪の結晶が生まれた。結晶が次々と増え、メイファのいるところにまで伸びていく。
 だがメイファは静かに目を閉じ、動こうとしない。
 結晶がメイファの体の周囲を覆っていく。
「こんな子供騙しの技で、私の動きを封じ込めるとでも……?」
 メイファはそう言って右腕を軽く上げた。それだけで結晶の輪は散ってしまう。
「なに……」
 氷河の目が厳しくなった。
「ならば、これでも子供騙しと言えるか」
 氷河は、今度は広げた手をメイファの手前の床に向けた。凄まじい勢いで水蒸気が凝固し、氷の壁を作り上げていく。
 メイファの眼前に、床から天井まで一部の隙もなく氷の障壁が張り巡らされた。
「その壁はフリージングコフィンの変形。たとえゴールドセイント数人の力を持ってしても壊せん。ましてや女のお前には傷一つつけることはできない」
 断言する氷河を見て、メイファは小さく息をついた。
「まだ私たちのことがわかっていないようですね……」
「なんだと」
「冥闘士(スペクター)ごときに破られた技が私たちドラグーンに通じるはずがない」
「な……っ。貴様、どうして冥界でのことを──」
 メイファが広げた手を氷の壁に向けた。次の瞬間。
 ドガアアアッ!!
 強大な衝撃波が氷の壁を粉砕し、さらに氷河の体を襲った。
「おわああああーーーーーーっ!!」

 ガッ
 星矢はすんでのところで目を覚まし、槍をつかんだ。
「貴方、まだ……!」
「うおおおおおっ!」
 起き上がりざま、星矢は蹴りを放った。
「この程度の蹴りで──はっ!?」
 ランは星矢の蹴りの予想以上の速さを察し、慌てて後ろに飛んだ。
 空中で宙返りをして、階段の前に着地する。
 ビシッ
「う……っ」
 胸当てにヒビが入り、ランはそのまま膝をついた。
「く……ヴァイオレント・ブラストを何度も浴びて……その上クリムゾン・イラプションを受けて……一体どこにまだこんな力が!?」
「言ったろ……俺は、負けるわけにはいかないんだ!」
「あ……あたしにだって、負けられない理由がある!」
「何……お前達の目的は一体何なんだ。何故アテナの命を狙う!? アテナが死ねば、この世は闇に包まれるんだぞ。それでもいいのか!?」
 ランはうつむき、小さく、低い声でつぶやいた。
「それでもいい……」
「なんだって……!?」
 ランは顔を上げて叫んだ。
「ティアお姉様の願いが叶うなら、それでもいい!」
「ティア……あのゴールドドラゴンか……!」
 お姉様と呼んでいるが、二人の顔はまったく似ていない。本当の姉ではないのだろう。
 何か事情があるのだろうと、星矢は思った。
「彼女の目的は、一体なんなんだ!?」
「うるさい! お前達には関係ない! うおおおおおおおおおっ!!」
 ランがコスモを高め、全身に紅蓮の炎をまとう。
 凄まじい熱気が室内を包んだ。
「な、なんて熱気だ……!」
「これで最後よ! 私の残りの全てのコスモを燃やして、貴方を焼き尽くす!!」
「そうはいかない! うおおおおおおっ!!」
 星矢も両腕を振ってコスモを高める。
 二人の背中に、ペガサスとサラマンダーのオーラが浮かんだ。
「はあああああああっ!!」
「うおおおおおおおっ!!」
 二人は同時に拳を繰り出す体勢に入った。
「クリムゾン・イラプション!!」
 ゴオオオオオオオッ!!
 数十万度の炎の塊が、星矢に迫る。しかし。
「ペガサス! 彗星拳!!」
 彗星と化した星矢の拳が、その炎を打ち砕きながらランに迫った。
「なっ!? きゃああああああああああっ!!」
 ドンッ! ドガアアアアッ!!
 彗星をまともに受けたランの体が吹き飛ばされ、背後の壁に叩きつけられた。
 そしてドサリと床に倒れ伏す。
「はあ、はあ……くっ」
 星矢ががくりと崩れ落ちて膝をつく。
「か……勝った……けど……」
 タタタタタッ
 そこに、紫龍が走り込んできた。
「すまん、星矢! 遅くなった!」
「し、紫龍か……」
 室内の様子を見て、紫龍は状況を悟った。
「勝ったのか」
「ああ……だ、だが……俺はなんてことを……」
 自分の両手を見つめながら、星矢はがくがくと震えた。
「いくら勝つためとはいえ……俺はこの手で女の子を……!!」
「星矢……」
 ザシャッ
「うっ!?」
 星矢が死んだと思い込んでいたランが立ち上がった。
 そして、階段の前で両手を横に広げる。
「ここは……通さない……!」
「君は、まだ……!」
「ティアお姉様の願いを……叶えるんだ……絶対に……。それがあたしにできる……お姉様への恩返し……」
 そうぶやくランの目から、涙の雫がこぼれ落ちた。
「サラマンダー……」
「……君らにも事情はあるかもしれない。だけど、どんな理由があろうとも、アテナを死なせるわけにはいかないんだ。……ここは、通させてもらうぞ」
 星矢が再び拳を握る。だが、その手を紫龍がつかんだ。
「待て星矢」
 言われ、星矢はランをよく見てみた。
「…………」
 ランの体が前のめりになり、倒れ伏す。
「ランッ!」
 二人はすぐさまランの元に駆け寄った。
 ランは意識を失っていた。
「ラン……ここまでして、アテナの命を狙う理由って……ティアの願いって、一体何なんだ」
「わからん……。だが、沙織さんの命を奪うことだけは阻止せねばならん……」
「ああ……そうだな。行こう」
 二人が駆け出す。
 階段を上る途中、星矢は一度立ち止まり、ランを振り返った。
「お姉さん、か……」
 星矢は再び階段を上り、二階へと向かった。

 

第2章に続く