聖闘士星矢
ドラゴンウォーズ

第6章


 

 気絶から回復し、3階の廊下を走っていた氷河は、突然激しい揺れを感じて足を止めた。
 次の瞬間、コスモが爆発するのを感じたかと思うと、再び大きな縦揺れが襲ってきた。と同時に、紫龍の声が聞こえたような気がした。
「い、今のは!?」
 目を大きく見開いて、コスモを感じた方向を見た。
「紫龍……まさかまたあれを使ったのか!?」
 絶対の力を得る変わりに、自らをも滅ぼすという盧山亢龍覇(ろざんこうりゅうは)を、紫龍は十二宮での戦いの折に使った。その時の現象とよく似ている。
 だが、先ほど感じたコスモは紫龍のものではなかった。
「いったい、どういうことなんだ……」
 氷河は戸惑いを覚えながらも、再び走り出した。

「紫龍!?」
 紫龍の声は、遙か遠く、五老峰(ごろうほう)にいる春麗にも届いていた。
 顔を上げた春麗は、北の空に、一筋の黄色い流れ星が昇っていくのを見た。
「あれはまさか紫龍!? ……紫龍!!」
 泣き叫びながら、春麗はその流れ星を追うのだった。

 そしてもう一人……ウロボロスの塔最上階にて、涙する者がいた。
 黄金龍(ゴールドドラゴン)のティアである。
「レイン……。貴女は、私のために……」
 流れ落ちる涙を拭おうともせず、彼女は続けた。
「ラン……メイファ……アリア……レイン……。私は大切な仲間を失い、多くの聖闘士(セイント)を傷つけてしまった。そしてなお女神(アテナ)を殺そうとしている。そんなにしてまで私は……」
 見上げた彼女の目に、レインのほほ笑みが映った。

 紫龍が死んだ……?
 そんな不安を抱きながらも、氷河は足を止めることができなかった。
 仲間の死を乗り越えてでも前に進む。そう誓い合ったからだ。
 この先で、星矢と瞬の小宇宙(コスモ)が感じられなくなったのも気にかかる。
「今、この塔の中で自由に動き回っている聖闘士(セイント)は俺だけだ。俺が沙織さんを助けなければ」
 氷河は足を速めた。
 そして、いよいよ五階に続く階段の近くまできた。
 そこで彼は見た。破壊され、大きく穴を開けた壁と、床に倒れ伏す星矢と瞬の姿を。
「せ、星矢! 瞬!」
 氷河はまず星矢のそばに駆けより、上体を抱き起こした。
「むぅ……相当大きなダメージを負ったらしい。しかもどうやら一撃で……。ここまでの力を持った敵とは」
「──!」
 背後に凄まじい殺気を感じた。
 氷河は振り向くより先に、星矢を抱えたまま前に飛んだ。
 何かが彼の背中をかすめる。
 ガッ
「うわあああああっ」
 それだけで彼の体は数メートル前に押し飛ばされた。受身も取れず、星矢とともに地面に叩きつけられてしまう。
「くっ……。い、いったい……」
 やむを得ず気絶した星矢をその場に寝かせ、氷河は立ち上がった。
 振り返ると、大きな翼と尻尾のある龍衣(メイル)を着た女──ミーアが彼を睨みつけていた。
「お前がこの階を守る龍闘士(ドラグーン)か。俺は白鳥座(キグナス)の──」
 言い終わらないうちに、ミーアが目の前まで迫っていた。
「なっ!?」
──なんて速さだ!!
 ドボッ
 強烈なボディブローを受け、氷河は吹っ飛ばされた。
「ぐあっ」
 ドカッ ドカアッ
 1つ目の壁は貫通し、2つ目の壁が氷河の体を受け止めた。
 腹に激痛が走るが、氷河はなんとか倒れるのはこらえた。
「星矢達もこれにやられたのか……くっ!」
 両腕を翼がはためくように動かしながら、氷河はコスモを高めた。
 そして絶対零度の凍気をその拳から放つ。
「ホーロドニー・スメルチ!」
 氷の嵐が吹き荒れる。だが、ミーアはすべてを凍り付かせる絶対零度の凍気の中にあって、微動だにしない。
「な、なにぃ!?」
 しかも、ホーロドニー・スメルチをまともに浴び続けながら、彼女は真っ直ぐ氷河に歩み寄ってきた。
「バカな……!」
 とうとう、氷河の目の前まで来た。だが、攻撃するそぶりすら見せない。
 次の瞬間。
 ドガッ
「おわあああああっ!!」
 今度は下から尻尾の一撃を受け、氷河の体は天井まで突き上げられた。
 ドカアアアッ!
 氷河の体が天井に突き刺さる。
 パラパラと小石が落ちた後、氷河もそれを追うようにして床に突っ伏した。
 うつぶせに倒れたまま動かなくなった氷河を見て、ミーアは鼻で息をついた。
「う……」
 後ろの方で小さくうめく声が聞こえた。
 眉をピクリと動かし、ミーアは振り返る。
 瞬の体が震えている。意識を取り戻しつつあるらしい。
 ミーアは無表情のまま、彼のそばまで近づいていった。
 瞬のすぐ前まで来ると、ミーアは右手を手刀にして振り上げた。
 そして表情一つ変えずに、その手を、瞬の顔めがけ振り下ろした。
 ガッ
 横から衝撃を受け、ミーアの手は弾かれた。その手が浅く傷付き、たらりと血が流れる。
 ミーアの手を傷つけたのは鳥の羽だった。ただの羽ではない。金属光沢を放つそれは、聖衣(クロス)の一部であった。
 ミーアは無言で羽の飛んできた方向を見る。
 通路の奥で、強大なコスモが沸きあがり、オーラとなってある生き物の姿をなした。
 紅蓮の炎を雄々しく広げて舞い上がるそれは、不死鳥……フェニックス。
「俺の兄弟をそこまでやった以上、その程度の傷ではすまさんぞ」
 怒気をはらんだ声を発し、一人の男が姿を現した。
 燃えさかる炎のような色の聖衣(クロス)に身を包み、黒髪もまた彼の怒りの炎を表すかのように天を刺している。
 深く刻まれた眉間の傷と、地獄の修羅のような鋭い眼差しが、見る者を萎縮させる。
 彼の名は。
「不死鳥……フェニックスの一輝(いっき)。お前にこの世の地獄を見せてやる」
 一輝の言葉に、ミーアの表情が初めて動いた。
 言葉は発しないが、こわばっていたその口元に、不適な笑みが浮かぶ。
「フッ……問答無用というわけか。いいだろう」
 笑みを浮かべてそう言うと、一輝は笑みを消してコスモを高め始めた。
 ミーアも同様に、一輝をにらみつけながら静かにコスモを燃焼させる。
 コスモの大きさは一輝と互角だった。
(この女……今まで戦ってきたどの敵よりも……強い)
 一輝は瞬時にそう悟った。だが、それで弱腰になるような彼ではない。
「……っ!」
 二人が走り出したのは同時だった。
 普通の人間には追うことのできない、コンマ数秒の動き。
 一瞬の後、拳を繰り出しながら通り過ぎていた。
 二人は拳を放った体勢のまま、動きを止めた。
「ぐはっ」
 血を吐き、膝をついたのは一輝だった。
 一方、ミーアも無傷というわけにはいかなかった。といっても、頬に薄く切り傷がついただけである。
 口もとの血を拭い、一輝は再びミーアと向き合った。
(手ごわい。黄金聖闘士(ゴールドセイント)のサガさえ凌駕(りょうが)するやもしれん)
 その時、一輝の背後から弱々しい声が聞こえた。
「に、兄さん……」
 震える体を押して瞬が起き上がる。
「その人は……飛龍(ワイバーン)のミーアは、僕が相手をするよ。なにしろ、彼女の妹を倒したのは、この僕なんだから」
「お前ではこの女は倒せん。星矢達を連れて女神(アテナ)の元へ急げ」
「でも」
 瞬が戸惑っていると、ミーアの目が鋭く光った。一輝はそれを見逃さなかった。
 ガシィッ
 瞬に向けて放たれた拳を、一輝は間一髪のところで受け止める。
「妹の仇を討ちたいのなら、まず兄であるこの俺を倒せ!」
 言い放つ彼を、ミーアは正面から見据えた。瞬のほうに意識は向けられていない。一輝との一騎討ちに応じるようだ。
 瞬はその間に星矢達を介抱しにいった。
「くらえ! 鳳凰の羽ばたきを! 鳳翼天翔(ほうよくてんしょう)!!」
 ゴオオオオオッ
 炎を伴った烈風がミーアに迫る。
 が、彼女はやはり避けようともせずにそれを受けた。星矢達の技と同様、ミーアには傷一つつけることができない。
「うっ。俺の最大の拳が!?」
 動揺する一輝の背後に、ミーアは瞬時にして移動した。
 ドカッ
 尻尾の一撃を受け、一輝は派手に吹っ飛ばされた。
 ズザアアアアッ
 床に頭から突っ伏した状態で、一輝は10メートル以上も床の上を這いずらされた。
「兄さん! ……くっ」
 瞬が慌ててチェーンを構える。
 ミーアが瞬を振り返り、右手にコスモを集めた瞬間、彼女の背後で炎が噴き上がった。
「待て。お前の相手は俺がすると言ったはずだ」
 一輝が悠然と立ち上がる。大きなダメージを追ったにも関わらず、彼の放つコスモは、先ほどよりも激しくなっている。
「俺の心の炎が燃え尽きるまで、俺は何度でも拳を撃つ! そして最後にはお前を倒す! 鳳翼天翔!!」
 ゴオオオオオオオッ!
 先ほどより勢いの増した炎の嵐がミーアを襲う。ミーアは今度はそれを片手で受けとめた。
 それだけでなく、一輝の技のエネルギーをそのまま一輝に押し返した。
「なにっ!?」
 バアアアアアンッ!!
「うおあああああーーーーっ」
 ドシャアアッ
 自分の技で吹っ飛ばされ、一輝は壁にしたたかに打ち付けられた。
「兄さん!」
「何をしている。さっさと行け」
 一輝は壁を支えにしながら立ち上がる。
 瞬は星矢を起こすべく、名を呼んだ。
「瞬……。う、一輝!」
 一輝の姿を見つけ、星矢はその目を輝かせた。
「やっぱり来てくれたのか!」
「星矢。ここは兄さんに任せて、僕らは上に行こう」
「しかし、この女の強さは桁外れだぞ。いくら一輝でも……」
「早く行け。傷ついたお前達では足手まといだ」
 目を閉じ、薄ら笑みを浮かべて一輝は言った。
「む……わかった……」
 星矢は瞬とともに、氷河のところに行った。そして、気絶したままの氷河の腕を両脇から抱えて起こす。
「死ぬなよ、一輝」
 それだけ言って、星矢は歩き出した。
 その星矢達を、ミーアが刺すように睨みつける。
「お前の相手は俺がすると言ったはずだ! 鳳翼天翔!!」
 渾身の力を込め、一輝は三度目の拳を放った。
 バシィッ
 ミーアはまたもや手で受け止めた。そして、さっきと同じように押し返そうとする。だが。
「……っ?」
 技の威力が微動だにせず、ミーアはけげんそうな顔をした。
「むおおおおっ!!」
 一輝はさらにコスモを叩きつける。ミーアの顔が初めてしかめられた。
「……っ!」
 バーーーンッ
 ミーアの右手が弾かれ、鳳翼天翔の威力がまともにミーアの体に及んだ。
 龍衣(メイル)の一部が欠けて飛んだが、生身の体に傷を着けることはできなかった。
 一輝のコスモは明らかに疑いようもなく増大している。ミーアはそれを認め、正面から彼を見据えて初めて構えらしき構えをとった。
 その間に、星矢達は奥の階段を昇っていく。一輝が彼らを一瞥(いちべつ)した瞬間、ミーアが突進してきた。
 ガッ
 最初の一撃を右手で防ぐ。一輝の右手にずしりと重い衝撃がのしかかってきた。次の蹴りを左手で受け止めると、一輝も蹴りで反撃を試みた。ミーアは軽く飛んでそれをかわす。
 ガシッ ドカッ ガッ バキッ
 一進一退の攻防が続く。互いの速度は五分と五分。技の威力も拮抗していた。
 ガシィッ
「むぅっ」
 重い蹴りを受けきれず、一輝の体勢が崩れた。そこに、尻尾がうなりを上げて襲いかかる。
 ズンッ
「むおおおっ!」
「!」
 一輝は、尻尾を両手で受け止めていた。ミーアが驚きの表情を見せる。
「なるほど、これがお前の技というわけか。だが、聖闘士(セイント)に同じ技は二度通用せん!」
 尻尾を振り回し、壁に向けてミーアを投げつけた。
 ミーアはその巨大な翼を広げ、壁への激突を免れる。が、一輝はそのすきに拳を繰り出した。
「おおおおっ!!」
 一撃だけ与え、一輝は彼女の横を通り過ぎる。
 一輝の拳はマスクを飛ばし、眉間に浅い傷をつけただけで、さしたるダメージは与えていないように見えた。
 だが……。
「……う……」
 ミーアは飛ぶ力を無くし、地面に降りて片膝をついた。
 その体がこまやかに震え出す。
「鳳凰幻魔拳。言ったはずだ。お前に地獄を見せてやると」
 言って一輝は振り返る。
 一輝の技は、ミーアの体でなく脳にダメージを与え、彼女の脳の奥底深くに眠る過去の記憶を呼び覚ました。
 それは、彼女にとっての「地獄の記憶」であった。

 町にはしんしんと雪が降り積もっていた。
 しかし、暖炉のあるそのリビングには、外にはない温かさがあった。
 優しい両親と、仲の良い姉妹。
 それを象徴するかのような、バースディケーキと豪勢な手料理がテーブルの上に置かれていた。
「お誕生日おめでとう、アリア」
「これは、父さんと母さんからだ」
 父親はひげをたくわえたあごを揺らしながら、大きな紙袋をアリアに渡した。
 アリアが大きく広げた目を輝かせながら袋を開けると、中には粋なデザインの手提げかばんが入っていた。
「もうじきアリアも学校に行くことになるからな。そのためのかばんだ」
「ありがとう、お父さん、お母さん!」
 うれしそうにかばんを抱きしめるアリア。
 今日は、アリアの7歳の誕生日だった。
「わたしからは、はい」
 ミーアがプレゼントしたのは、クマのぬいぐるみだった。アリアがちゅうど胸の中に抱きかかえられる大きさの、とても愛らしいぬいぐるみである。
「それ、欲しがってたものね」
「うん! 覚えてくれてたんだ……ありがとう!」
 ミーアとアリアの生まれだ家は、ごくありふれた、裕福ではなくても貧しくもない、平凡な家庭だった。
 二人は厳格な父と優しい母のもと、幸せな生活を送っていた。
 ……あの日までは。
 アリアの誕生日から数日後。
 大統領選で自由党の候補者が当選して間もなく、共和党の過激派が内乱を起こしたのである。そして、アリアとミーアの父、ロイドは、自由党を支持していた。ロイドだけでなく、この町の住民のほとんどがそうであった。この町自体が、自由党の議員が優遇して予算を回し、栄えさせていたためである。そのためにこの街は真っ先に戦場と化した。
 過激派達は武力に訴え、容赦なく自由党派の者達を殺していった。内乱が勃発して以来、銃声と悲鳴がひっきりなしに続いている。要人であろうと、一般人であろうと、女子供であろうと、容赦はなかった。
 幼い子供達は一歩も家の外に出ることは出来なかった。
 アリアとミーアもまた、銃声が聞こえるごとに怯え、抱き合いながら全身をぶるぶると震わせていた。
 家のすぐ前の道を、雪を踏み散らかしながら兵士が駆け、号令を飛ばし、射撃する。
 悲鳴が響き、時には手榴弾が爆発して家全体を軋ませるきこともあった。
「心配するな。父さんが必ず守ってやる」
 そういう父親を、二人は今ほど頼もしく思ったことはなかった。
 ふと、銃声がやみ、辺りに静寂が訪れた。
 しばらく黙って様子を見ていたが、外は静かなままである。
 二人は恐る恐る顔を上げた。
 ロイドが険しい表情のまま立ち上がる。
「ここでじっとしていろ。様子を見てくる」
「あなた」
「なに。心配はいらんよ」
 ロイドはそう言って、リビングを出た。
 そして玄関に向かう。その時だった。
 バン!
 突然、玄関の扉が蹴破られ、武装した兵士達が踊りこんできた。
 無防備なロイドに対し、一斉にマシンガンの銃口が突きつけられる。
「まっ──」
 ダダダダダダッ
 マシンガンが火を吹き、ロイドは蜂の巣にされた。
 ボロ切れのようにロイドの体が舞い、血しぶきを上げながら廊下に倒れる。
「あ、あなたー!!」
 夫の死を予感し、思わずマリアはリビングから飛び出した。
 ダーン
 ミーアとアリアの目の前で、一発の銃弾がマリアの胸の中央を貫いた。
「父さん……母さん!!」
 仰向きに倒れるマリア。彼女はまだ生きていた。
 胸から血を流し、口からも血の塊をはき出しながら、愛する我が娘に手を伸ばした。
「アリ……ア……ミーア……逃げ……て……」
 そこまで言って、マリアは事切れた。
「う……そ……母、さん……?」
 幼い二人は、突然襲いかかってきた惨状を現実として受け入れられず、呆然となって動かぬ母を見つめた。
 物々しい装備をした男達が、二人のいるリビングまで踏み込んでくる。
 先頭に立つ男が、二人を見ると躊躇もせずに銃口を向けた。
 ミーアとアリアは強く抱き締め合いながら、がくがくと震える。
「子供がいます。どうしますか?」
 男のうちの一人が、無線機で何者かの指示を仰いだ。
『殺せ』
 無線機の向こう側の男は、ただ一言、感情のない声でそう返した。
「わかりました」
 男もその命令を何の疑問も持たずに受け入れた。
「親を亡くした子供は、生きていても不幸な目に遭うだけだ。一緒に死んだほうが幸せだろう」
 そう言う男の声と目には、人間らしい感情などまるで感じられなかった。
「ねえさん……!!」
 泣きながら、アリアは姉の腕をひしとつかむ。
 その腕を握り替えしながら、ミーアは思った。
(殺される……わたしとアリアも、父さんや母さんと同じように……)
(アリアが……死ぬ……!!)
 その瞬間、ミーアの中で何かが弾けた。
 ミーアはすっと立ち上がり、今までとは別人のような形相で男をにらみつけた。
「な、なんだこのガキは!」
 若干8歳の少女の放つ異様な気配に、武装した男達は気圧され、後ずさった。
 彼女の放っているものが、人間の奥底に秘められた奇跡を起こす力──小宇宙(コスモ)と呼ばれるものであることを、彼らは知る由もなかった。
 知っていたならば、何の訓練も受けていない少女がコスモを燃焼させていることにさらなる動揺を覚えていただろう。
「お姉ちゃん……」
 豹変した姉を、妹のアリアも困惑しながらも見入っていた。
「許さない……」
 ミーアは低い声で言って、目を閉じた。
「妹を傷つける者は、絶対に許さない!!」
 咆吼のような声を上げ、かっと目を見開いた、その瞬間。
 ゴオッ!!
 突然起きた衝撃波に兵士達は吹っ飛ばされ、壁や床に叩きつけられた。
 バキッ ボキッと鈍い音が響く。首や骨が折れ、男達の体はあらぬ方向に曲げられていた。
「う、うう……」
 即死を免れた者も、起きあがれないほどにダメージを受け、うめき声を上げるだけだった。
 ミーア達に、危害を加えようとする者はいなくなった。
 それでもなお、ミーアは歯を剥き出しにして、倒れた男を睨み続けていた。
「お姉……ちゃん……」
 震える妹の声に、彼女ははっと我に返った。
 慌てて振り返り、愛する妹の肩を抱く。
「アリアッ!」
「お姉ちゃーん!」
 アリアはミーアの胸に顔をうずめ、泣きじゃくった。
 ミーアはその小さな体をぎゅっと抱きしめる。
(これからは、わたしが守らなければ……。この先、何があっても……)
 そう強く決意し、ミーアはアリアの髪に顔を埋めた。
 ズッ ズズ……ッ
 背後で、何かが這いずるような音が聞こえた。
「……っ」
 兵士が性懲りもなく私達を殺そうとしているのか。ミーアはそう思いながら振り返ったが、そうではなかった。
 床を這いずってきているのは、動くはずのない死体だった。
 それも、蜂の巣にされて、血まみれになって息絶えた、父、ロイドの死体である。
「……!!」
 二人の全身を恐怖がかけぬけた。
 たとえ父親であっても、何十発もの銃弾をその身に受け、夥しい量の血と、肉片をこぼしながら近寄ってくる様は、不気味という他なかった。
 母のマリアも、ロイドと同じく起きあがり、ミーア達に歩み寄ろうとしている。その口から発せられた言葉は。
「ミーア……アリア……」
「お前も……こちらに来るんだ……」
「ひ……っ」
 恐怖に顔を歪めて後ずさるミーアとアリア。だが、狭い部屋の中ですぐに逃げ場を失ってしまう。
「苦しい……お前達に……この苦しみを……」
「父さん……母さん!? いやっ、いやあああああっ」
 アリアが絶叫を上げる。
 部屋の隅に追いやられた二人は、ぶるぶると震えながら両親だったものを見た。
「ミーアァァァアアアア!!」
 ロイドがミーアに飛びかかってきた。
「ああああああああああっ!!」
 グシャアッ
 思わず放ったミーアの拳が、ロイドの頭を砕いた。
 少女の力とは思えぬ破壊力で、顔面の骨が砕け、目玉が飛び散る。
 ロイドの体はがくっと崩れたが、動きが止まることはなく、血にまみれた手がミーアの肩に置かれた。
「いやあああああっ。来ないでえええええっ」
 アリアの絶叫が響く中、ミーアは顔面蒼白になり、首を横に振ることしか出来なかった。

「!」
 気づけば、そこは塔の中……。
 ミーアはワイバーンのメイルを身につけ、フェニックスの一輝と相対している。
 今のは一輝の幻魔拳が見せた幻だった。もっとも、一輝が作った部分は最後の両親に襲われるところだけで、後は現実に起こった出来事である。
「美しき姉妹愛、と言いたいところだろうが……。笑止! 女神(アテナ)を殺し、暗黒龍(ダークドラゴン)を復活させようとしているお前達は、お前の両親を殺した男達と同じ。ただの悪鬼に過ぎん」
 一輝が言ってのけるが、ミーアは無反応だった。
「……ふっ……言っても無駄か……」
 一輝は不敵な笑みを浮かべた。
 鳳凰幻魔拳を受けた者は、全身の神経を破壊され、指先一つ動かすことができなくなるのだ。
 しかし……。
 ドガアッ
「なにぃっ」
 強烈な拳圧を受け、一輝は床に倒れた。
「ま、まだ動けるとは……」
「お前に壊されるまでもなく、わたしの心は最愛の両親を殺された時に壊れていた……」
 ミーアの口から、初めて言葉が漏れた。
 その声はバイオリンのように、美しくもあり、また胃の腑まで響くような重さがあった。
「言葉が話せぬわけではないのか」
 そうつぶやく一輝を、ミーアは血走った目でにらみつける。
「お前達は、わたしの妹を傷つけた上、両親までをも穢した。もう容赦はしない。地獄を見るのは、お前の方だ!!」
 ミーアの背後に、巨大な翼を持った龍、ワイバーンの姿が浮かび上がった。

 ティアはまた謁見の間に足を踏み入れ、陰鬱な表情で女神(アテナ)を見つめていた。
「とうとう5階まで来た。レインがいない今、5階を守る者は誰もいない。ほどなくして彼らはここにやって来る」
 沙織の体からは白く輝く光が抜き取られるように漂い、真下にいる少年へと注ぎ込まれている。沙織の流す汗の量が増し、うめき声も大きくなっていた。
 玉座に腰掛けた銀髪の少年は、瞳を閉じたまま身じろぎ一つしない。一見すれば死んでいるかのようであった。
「ミーアの実力であれば聖闘士(セイント)を全滅に追いやることができると思っていたのに……。今ミーアと戦っている男の小宇宙(コスモ)の、なんと強大で威圧的か。一対一でなければ倒せないと、ミーアが判断したのも無理はない」
「いえ……フェニックスだけではない。ペガサスも、キグナスも、アンドロメダも、ドラゴンも……。まさか、セイント達相手に、神殺しの龍を受け継ぐ龍闘士(ドラグーン)が一人でも倒されると思ってもみなかった」
「でも、ここには入らせない。絶対に」
 ォオオオオオオオ……
 突然、唸り声のような重い声が響いた。室内の空気が脅えるように震える。
 ティアははっと顔を上げて少年を見た。
 うなり声は、目の前の少年が上げたものであった。正確には声ではない。コスモが声となって響いたのだ。
 眠ったままの少年から不気味なコスモが靄のように放たれ始めている。
「レオニス様……いよいよ……!」
 ティアの金色の瞳が潤み、涙の膜で覆われる。
 少年のコスモは黒いオーラとなり、生き物のようにうごめいて、沙織の体を取り巻いた。
 沙織の体から白い光が放たれる速さが増す。
「う……うう……っ!」
 それを見て、ティアは固唾を飲んだ。
 大きく目を見開いて少年を見つめる。
 やがて、少年の髪の毛が逆立ち、炎のようにゆらめき始めた。
 オオオオオオオオッ
 再び発せられた少年のうなり声は、塔全体にまで響き渡った。

 瞬は幾度となく後ろを振り返り、星矢や氷河より遅れていた。
「一輝のことが気にかかるのか」
「う、うん……」
「あいつが死ぬことなんてあるもんか。必ずミーアを倒して、追いついてくるさ」
「……うん、そうだね」
 瞬は力強くうなずいた。
「さあ、行くぞ。もう時間がない」
 オオオオオオオオッ
「なんだ!?」
 頭上から聞こえた不気味な声に、星矢達は思わず足を止めた。
「今の声は!?」
「と、とても不気味な……。まるで悪魔が吠えているかのような声だ……」
「上から聞こえたぞ……」
 三人が上の階に意識を集中させていると。
「!!!」
「今のは!?」
 星矢達は驚愕の表情で顔を見合わせた。
「感じたか!?」
「感じた!」
 今度はアテナのコスモを感じたのだ。しかも、それは徐々に弱くなりつつある。
 これではっきりした。沙織は6階にいる。そして今、彼女は生命の危機に瀕している。
 誰からとでもなく、言い合わせたわけでもなく、星矢達は全速力で走り出した。
「今行くぞっ。待っててくれ、沙織さん!!」

「お前達は、わたしの妹を傷つけ、両親までをも穢した。もう容赦はしない。地獄を見るのはお前の方だ!!」
 ミーアの小宇宙(コスモ)が、今までとは桁違いに膨れ上がる。
「まだこれほどの力を秘めていたとは……」
 一輝は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
 その時。
 オオオオオオッ。
 上の方から声が聞こえるとともに、塔全体が揺れるのを感じた。
「これは……まさか!」
「いよいよ暗黒龍(ダークドラゴン)が復活する時が来たか。ダークドラゴンの手にかかれば、お前達など虫けらのように殺されるだろう。だが、お前だけはこのわたしの手で殺す」
 ミーアのコスモは完全に一輝のそれを覆い尽くした。
「死ね、フェニックス! ウォオオオオオオオオ!!」
 ミーアは耳をつんざくほどの雄叫びを上げた。
 それは衝撃波となって一輝に襲いかかる。
「な、なにぃっ!?」
 彼女の息の波動によって、一輝の聖衣(クロス)が次々と破壊されていく。
「叫び声にこれほどの破壊力が……ぐ……うおわーーーーーーっ!!」
 クロスがすべて砕け散り、次に息吹は一輝の体を蝕み始めた。
「ウオオオオオオオオオーーーー!!」
 ドーンッ
 一輝を中心に爆発が起こり、火柱が立って天井を砕いた。
 一輝の体は跡形もなくその場から消えさっていた。
 大きく穴の空いた天井から、欠片がバラバラとこぼれ落ちる。
「……」
 一輝は消えた。が、ミーアの目は警戒を解いていない。
 彼女は踵(きびす)を返し、虚空を睨みつけた。
「そこか」
 何もなかった場所に炎が噴き上がる。
 炎が大きく膨れ上がると、その中から一輝が姿を現した。
「俺に地獄を見せるだと。教えてやる。俺は地獄など何度も見てきた。そして、その度に這い上がってきた。フェニックスの翼によってな!」
 豪語する一輝に対し、ミーアはふっと笑みをこぼした。
「見え見えな強がりだな……。かわしたつもりだろうが……」
「なに? ……ぐはあっ」
 一輝は口から血を吐き、がくっと崩れ落ちた。
 ミーアの技は確実に一輝にヒットしていたのだ。
「く……。話せないわけでもないのに、口を開かなかったのは、コスモを高めるためか……。黄金聖闘士(ゴールドセイント)、乙女座(バルゴ)のシャカは、終始目を閉じることによってコスモを高めていた。どうやらお前も同じらしいな」
「この力のおかげで、わたしは両親の仇を討つことができた。だがその時わたしの心も死んでしまっていたのだ。もはや怒りに燃えて力を解放することもないと思っていた。だからわたしは、言葉を封じるとともに、自分の強過ぎる力をも封じた」
「その蓄積されていた力が、今解き放たれたわけか……。ぐぅっ」
 立ちあがろうとする一輝だが、かなわず、逆に床に体を預けてしまう。
「だが今、再びこの力を使うときが来たのだ。セイントを抹殺し、日の当たる場所に出る時が! フェニックス! 今止めを刺してやる。すぐにお前の弟も後を追わせてやる。そして二人でアリアに詫びろ!!」
 ゴオッ!!
 突然、一輝の全身から炎が噴出した。
「むっ……」
 炎が不死鳥の姿を形作る。立ちあがった一輝の体には、不死鳥座(フェニックス)の神聖衣(ゴッドクロス)が装着されていた。
「なに……粉々に砕けたはずのクロスが」
「その名の通り、フェニックスのクロスは不死身なのだ。何度破壊されようと、その度に蘇る。より強度と輝きを増してな」
「日の当たるところに出るだと……。不幸な運命を呪い、他人を怨むのみ。そんなめめしい根性しか持ち合わせていないお前に、このフェニックスが倒せるか!」
 一輝の体を業火がまとう。一輝は両腕を広げてその炎を両腕に集め、両腕を前方に投げ出した。
「鳳翼天翔!!」
 先ほどまでとはくらべものにならないほど威力を増した一輝の拳が、ミーアを襲った。
「なにっ。うっ、うわあーーーーっ!!」

 長い階段を昇り終え、星矢は声を上げた。
「とうとう6階に来たぞ」
 5階を守るドラグーンはいず、星矢達は4階から一気に6階までたどり着くことが出来た。
 大理石でできた廊下が星矢達を迎える。
「これが塔の中か? まるで神殿だな……」
「造りだけでなく、何か神聖な空気が漂っているね」
「とにかく急ごう。アテナはもうすぐだ」
 三人が再び走り出す。
 先ほどの不気味なうなり声は鳴り止んでいたが、弱まっていくアテナのコスモは相変わらず感じることが出来た。
 おかげでアテナの居場所は探りやすくなったが、彼らの不安と焦りは増す一方だった。
 そして、彼らは階の中央に位置する広い部屋に足を踏み入れた。
 この部屋は6階の中でも特に厳かな造りになっていた。部屋の奥には、芸術性の高い装飾が施された両開きの扉がある。
 アテナのコスモは、扉の向こうから感じられた。
「この奥だ! この奥にアテナが……うっ」
 部屋の中には、一人の女性が彼らを待ち構えるように立っていた。
 黄色と白を基調色としたドレスに、長い金色の髪が映える。肌の色は透き通るように白く、金色の瞳はまるで宝石のような輝きを放っていた。
「出たな……黄金龍(ゴールドドラゴン)のティア」
 ティアは答えず、金色の瞳で星矢達一人一人を眺めた。
「この人が、アテナをさらった……」
「そして、この戦いの元凶だ」
「でも、どうしてだろう……この人から、とてつもない悲しさを感じるような……それにこれは……」
「そんなことよりも、ティア! 暗黒龍(ダークドラゴン)を復活させて、どうしようって言うんだ!?」
「どうもするつもりはないわ……。ただ、ダークドラゴン様を蘇らせて差し上げたい。ただそれだけ」
「なに」
 つぶやいたその時、星矢は部屋の隅に倒れる一人の女性の姿を見つけた。
「シャ、シャイナさん!」
 星矢が慌てて駆け寄り、シャイナの体を起こす。
「シャイナさん……やっぱり来てくれたのか」
 星矢の声に、シャイナが意識を取り戻した。
「せ、星矢……無事で、良かった」
「いったいどうやってここまで」
「貴鬼(きき)にテレポートしてもらったのさ。星矢達の援護をするつもりだったけど……何の役にも立てなくて、ごめんね……」
「いいんだ。シャイナさん。シャイナさんは、ここでしばらく休んでいてくれ」
 シャイナを寝かせると、星矢は立ち上がってティアを睨み付けた。
「お前が何をしようとしているかはわからないけど、女神(アテナ)を殺そうとしていることは事実なんだ。アテナを守るのが俺達聖闘士(セイント)。ここは通させてもらうぞ」
「通りたければ、私を倒していきなさい。もうおわかりでしょうが、私達は神殺しの龍の力を持つ龍闘士(ドラグーン)。その中でも私は最強を自負しています。貴方はそれを身を持って知ったはず。遠慮することはありません。最初から全力でかかってきなさい!」
 ティアの体から黄金のオーラが放たれ、着ていたドレスがびりびりと破けて下着姿となった。
 彼女の背後で光が弾ける。光が消えてなくなると、そこには金色に輝く四本足の龍(ドラゴン)の姿があった。
 カシャーン
 黄金龍(ゴールドドラゴン)のメイルが分解、変形し、ティアの体に装着された。と、同時に彼女の小宇宙(コスモ)が飛躍的に高まっていく。彼女の言うとおり、そのコスモは今まで出会ったどのドラグーンよりもの強大であった。
「ほんとは女に拳を振るいたくはない……けど、君らが手加減できる相手でないことは承知済みだ。最初から全力で行くぜ! おおおおっ」
 星矢もコスモを高め、必殺の拳を繰り出した。
「屋敷の時のようにはいかない! ペガサス流星拳!!」
 何万発もの光速の流星が、ティアに向けて放たれる。だが、ティアはそれを避けようともしなかった。
「えっ……」
 ガガガガガガガッ
 全身に拳を受け、ティアの体が押し飛ばされる。
「く……っ!」
 後ろの壁に受け止められ、ティアの体は止まった。
 ワイバーンの時とは違い、無傷というわけではなかった。致命傷と呼ぶには遠いが、ダメージを与えたことは確かだ。
 だが、星矢には腑に落ちないことがあった。
(なぜ防御行動を取らなかったんだ……俺の拳が予想より速かったからか? いや、そうは思えない……)
「くっ、どちらにせよ、今のうちに──」
 星矢が扉に向かって走りだそうとしたその時、ティアはまっすぐに星矢に向かって腕を伸ばし、人差し指で星矢を指した。
「あれは……!」
「ゴールデン・レイ!」
 ビシィッ
「うっ……」
 気づいた時には遅かった。
 ティアの指先から放たれた一条の光が、星矢の脳天を貫いた。
(そ、そんな……またも……)
 屋敷の時と同様、星矢はその一撃で意識を失い、その場に倒れた。
「星矢!」
「なんだ、今の光線は……星矢がたったの一撃で……」
「まるで、海王ポセイドンのような……で、でもポセイドンは神だ。その神と同じことを……」
「今更何を驚いているのです。私達は神をも殺す龍の力を受け継いでいると言ったはず」
 言い放ち、ティアはゆっくりと腕を下ろした。
「つ、強い……桁外れの強さだ」
 青ざめた顔で瞬が言う。
「確かに強い……。だが、こいつを倒さなければ、女神(アテナ)は死ぬ。何としてでも倒してみせる!」
 氷河は両手を組み合せて、頭上にかざした。両手にコスモが集約し、周囲の空気が凍り付いていく。
「初めから最大の秘技をもって臨むとは、賢明な判断です。しかし……」
「受けよ、我が師水瓶座(アクエリアス)のカミュ最大の拳!! オーロラ・エクスキューション!!」
 ゴオオオオオオオオッ!!
 振り下ろした両手の先から、絶対零度の凍気が放たれる。
 星矢の流星拳同様、ティアはかわそうともせずにそれを全身で受けた。
 ピキッ ピキィッ
「うっ、くっ……」
 ティアが足元から凍り付いていく。
 ほどなくして、ティアは全身を氷漬けにされた。
 両開きの扉の前で、金色に輝く美しい氷像が出来上がった。
「やった!」
「最強の龍闘士(ドラグーン)も、絶対零度の前では敵ではなかったようだな。よし、行くぞ、瞬!」
「うん!」
 二人が走り出そうとした、その瞬間。
 ピキィッ
 氷柱に縦に亀裂が走った。
「なにっ」
 目を見張る二人の目の前で、氷に次々と亀裂が走っていき、最後にすべての氷が一気に蒸発して消えた。
「すべての物を凍りつかせる絶対零度……ですが、私の心の炎まで凍りつかせることはできません」
 ティアは指先を氷河に向けた。氷河はとっさに身構え、攻撃を避けようとした。しかし。
 ピシィッ
「う……あ……」
 まさに目にも止まらぬ速さの光線を、避けることはかなわなかった。
「氷河!」
 瞬の目の前で、氷河がどさりと倒れる。
 瞬は鎖(チェーン)を構えてティアを見据えた。
「はあ……はあ……」
 先ほどまでとは違い、ティアの呼吸が荒くなっている。もともと白かった顔は、彫像のように青ざめていた。
 氷河のオーロラ・エクスキューションもまた、ティアにダメージを負わせていたのだ。
 だが、その小宇宙(コスモ)は衰えるどころか増すばかりである。
 そんなティアを見て、瞬は違和感を覚えた。
(これほどのコスモを持っているなら、星矢の流星拳も、氷河のオーロラ・エクスキューションもかわすことができたんじゃないか。けれど、僕には彼女があえてそれらを受けたようにしか見えた。僕の気のせいか、それとも……)
「どうしました。攻撃して来ないのですか。こうしている間にも、アテナの死は刻一刻と近づいているというのに」
「く……考えている時間はない。しばらくじっとしていてもらうよ! グレートキャプチャー!」
 円形鎖(サークルチェーン)がティアの体に巻きつき、動きを封じた。
「僕は貴方を倒そうとは思わない。僕は、ただ沙織さんを救えれば、それでいいんだ」
 そう言うと、ティアはあきれたようにうつむいてかぶりを振った。
「虫のいい話ですね。今更そんな甘い考えが通用するとお思いですか。言ったはずです! アテナを救うには、私を倒すしかないと! はああああっ!」
 ガシャアアッ
 ティアはサークルチェーンを引き千切り、戒めを解いた。
「くっ。やるしかないのか……!」
 瞬は今度は三角鎖(スクエアチェーン)を握りしめ、コスモを高めた。
「行け、チェーンよ! サンダーウェーブ!!」
 放たれたチェーンが、ジグザグを描きながらティアに迫る。
 ガシィ
 やはりティアはかわそうとせず、それを頭に受けた。マスクが飛ばされ、傷付いた額から血が流れ落ちる。
(やっぱり……。この人はあえて僕達のわざを受けている。いったいなぜ……)
 ティアは流れる血をぬぐおうともせずに、瞬に厳しい視線を向けた。
「これがあなたの全力ですか。違うでしょう、私にはわかります。貴方はもっと大きな力を秘めている。それを出しなさい。でなければ、貴方が死ぬことになる……!」
「うっ……」
(確かに、チェーンによる攻撃では彼女を退かせることはできないだろう。全力を込めた拳でなければ……)
(でも、もし今の彼女が星雲嵐(ネビュラストーム)をまともに浴びたら、彼女は、彼女の命は……)
 アテナを救わなければならない。だが、彼女の命まで奪いたくない。瞬は答えの出せない選択を迫られていた。

 一輝は強敵・飛龍(ワイバーン)のミーアから初めてのダウンを奪った。
 だが一輝は油断することなくミーアを見据える。
「なるほど……。不死鳥(フェニックス)の名は伊達ではないということか」
 ミーアが立ち上がる。そのコスモは衰えていない。
「だが、お前自身が不死身というわけではあるまい。わたしの残った小宇宙(コスモ)すべて叩きつけてやる。全身をバラバラに引き裂けば、復活など不可能だろう! くらえ、フェニックス! ウオオオオオオ!!」
 ドガアッ
 一輝の姿が瞬時に消え、その後ろにあった壁が破壊された。
「逃がすかあっ! オオオオオオオーーーーーー!!」
 振り向き、ミーアは再び耳をつんざくほどの咆哮を上げる。
「ふっ。同じ技は二度と効かぬと……な、なにいっ!?」
 予想を上回る攻撃が、一輝をとらえた。
「ぐわあああーーーーっ」
 またもや聖衣(クロス)を砕かれ、一輝の体は壁をぶち抜き、さらに奥の部屋の壁にしたたかに打ちつけられた。
 だが一方のミーアも顔をしかめて片膝をつく。
「くっ」
 一輝から受けたダメージと、技を立て続けに放って体力を消耗したことが重なったのだ。
「ふっ……凄まじい技だが、俺の体まで砕くには至らなかったようだな」
 一輝が悠然と立ち上がる。
 床を闊歩してミーアに近づく一輝の体から、紅蓮の炎が吹き上がった。
「なぜだ……なぜ倒れん。わたしの攻撃をあれだけ浴びながら、なぜ……」
「簡単なことだ。貴様の汚れたコスモでは、俺を倒すことはできん。貴様の、怒りと憎しみに満ちたコスモではな」
「わたしのコスモが、汚れているだと……。怒りや憎しみを糧にして何が悪い!? わたしは両親を殺された怒りが、わたしの力を目覚めさせたんだ! この力がなかったら、父さんや母さんの仇を討つこともできなかった!!」
「仇を討って得たものはなんだ」
「う……」
 ミーアが言葉に詰まる。
「俺もかつては、自分の出生を恨み、自分の兄弟さえ手をかけたことがある。だが、俺は星矢達には勝てなかった。怒りや憎しみで生まれる力は、決して何も生みはしないのだ。正義と友情を信ずる心には勝てんのだ」
「正義だと……友情だと……そんなものがどれほどのものだと言うんだ。わたしはそんなものには頼らない! わたしが信じるのは妹のアリアと、わたし自身のみ!!」
「討たれなければわからぬか。俺がそうであったように」
 正面から対峙し、二人はコスモを高め始める。
「おおおおおおおおっ」
「むううううううううっ」
 オーラがワイバーンとフェニックスの姿をなし、二人の中央でぶつかり合う。
 二人の周囲で激しい風が渦を巻き、二人の髪や羽を舞い上がらせた。
「フェニックス! これで最後だ!!」
「望むところだ」
 ドクン ドクンッ
 心臓の鼓動の音が聞こえる。それは自分が発するものか、敵のものか判別がつかなかった。
 二人のコスモが最高潮に達した。二人が同時に仕掛ける。
「燃えろ!! わたしの怒りのコスモよ!! オオオオオオオオーーーッ!!」
「鳳翼天翔!!!」
 ゴオオオッ
 二人のコスモが爆発し、中央でぶつかり合った。その瞬間。
 ドゴオオオオオオオオオオッ
 二人の体は爆炎に包まれた。
 周囲の壁や天井が粉砕する。技がぶつかり合った余波は4階の3分の1にまで及んだ。
 塔全体が揺れ、瓦礫が3階へと降り注ぐ。
 5階に続く階段前の一室は、跡形もなくなっていた。
 そして……一輝とミーアの姿も、そこにはなかった。

 

最終章に続く