聖闘士星矢
ドラゴンウォーズ

最終章


 

 階下から感じた揺れと轟音……そして、肌を震わすほどの強烈なコスモに、瞬はビクンと身を震わせた。
 同時にティアもはっとなって目を見開いた。
 大きな揺れはすぐに収まったが、微震がしばらく続き、天井から粉がばらばらと振り落ちてきた。
「に、兄さん!?」
「あれほど激しく燃え盛っていたミーアとフェニックスの小宇宙(コスモ)が、微塵も感じられなくなった……。まさか相打ちになったとでも……!?」
「に、兄さん……」
 どこを探っても、一輝のコスモを感じ取ることはできない。
 一輝は消滅してしまったのだ。
 瞬の目から涙がしたたり落ちる。
「いや……兄さんは生きている。兄さんが死ぬはずがない。きっとまた、再び会える!」
 顔を上げ、涙をぬぐった瞬のコスモが、いやが上にも高まっていく。
「だから僕も死ぬわけにはいかない! 黄金龍(ゴールドドラゴン)! あなたを倒し、沙織さんを助け出す!」
「ミーア……まさか貴女ほどの人が相打ちとは……」
 信じられないといった様子でつぶやくティアの体を、瞬の生み出した気流(ストリーム)が取り巻く。
 ティアは驚いた様子もなく、瞬に目を向けた。
「ようやくその気になりましたか。しかし……」
 ストリームの渦の中でも、彼女の動きはまったく損なわれていなかった。
「さ、さすがは最強の龍闘士(ドラグーン)……このストリームの中で動けるなんて。でも、星雲気流(ネビュラストリーム)はこれで終わりじゃない。激しさを増し、最後には嵐(ストーム)に変わるのだ。そうなれば、あなたの命はない」
 そこまで言って、瞬は目を閉じた。
「ここに来ても、僕は貴女を死なせたくはない。アリアにも言われた。僕の考えは甘いと。でも、できることなら、僕は誰一人として傷つけることなくこの戦いを終わらせたいんだ。だからティア! 頼む! そこをどいてくれ!」
 瞬の必死の頼みを、ティアは笑みで受け流した。
「心配は要りません。いかなる技をもってしても、私を殺すことなど不可能ですから。龍闘士(ドラグーン)が私一人となった今、私は、絶対に死ぬわけにはいかない」
「く……仕方がない。僕は全力を持ってあなたを倒す!! 高まれ、僕のコスモよ!!」
 気流が著しく激しさを増す。
 瞬はその手からすべてのコスモを解き放った。
「ネビュラストーーーム!!」
 気流が嵐となってティアを捉えた。ティアの体は螺旋を描きながら棒きれのように舞い上がる。
「うあああああああっ」
 ドガアッ
 ティアの体は天井を貫き、瞬の視界から消えた。
「か、勝った……」
 全力を出しきり、瞬は膝をついてその場に倒れそうになった。
 だが、手を床について倒れるのをこらえ、再び立ち上がる。
「寝ている暇なんてない……。女神(アテナ)を……沙織さんを救わなきゃ……」
 一歩踏み出した、その瞬間。
 ピシィッ
 黄金色の光線が、瞬を後頭部から貫いた。
「な……」
 倒れる間際、なんとか首だけ後ろに向けた瞬は、空中に浮かぶティアの姿を見た。
 ところどころ龍衣(メイル)が破損し、ティア自身も青ざめた顔をしている。だが、彼女は背中の翼をはためかせ、気丈な表情で指先を瞬に向けていた。
(ごめん……兄さん……)
 瞬がドサリと崩れ落ちると、ティアは床に降りたって翼をたたんだ。
「これで、女神(アテナ)を救いに来た聖闘士(セイント)は全滅した……後は……」
 扉を振り返った時、背後から声が聞こえた。
「ま……待てよ」
 のどの奥からしぼりだしたような声だった。
 その声を発したのは星矢である。。
 彼は、残りカスのようだったコスモを燃え滾らせながら起きあがろうとしていた。
「俺はまだ戦えるぜ……」
 ティアは眉をしかめて星矢をにらみつけた。
「もう女神(アテナ)は死んだも同然。そこでおとなしく寝ていれば、無駄に傷つくこともないわ」
「バ、バカなことを言うな……」
 今度は氷河がよろめきながらも立ち上がる。
「な……貴方まで……」
 しっかりと二本足で立った星矢が、力強い声で言い放つ。
「アテナも俺達も、まだ命の炎は燃え尽きちゃいない。それなのに諦めることなんてできるか」
「そうだよ……」
 二人に続き、瞬も起き上がった。
「僕達はあきらめるわけにはいかないんだ……。僕達に、アテナと正義を託して死んでいった、多くの聖闘士(セイント)たちのためにも……!」
 並び立ったセイント三人がコスモを高め始める。
 それを見て、ティアはわずかに動揺の色を見せた。
「これまでの戦いで全身傷だらけになり、なおかつ私のゴールデン・レイを受けて。それでも立ち上がってくるなんて……。これが、アテナのセイント……!」
「瞬、氷河! 行くぞ! 三人が一つになれば、倒せないはずはない!」
「おお!」
「うん!」
 三人が攻撃体勢に出る。が、ティアは構えらしき構えも取らずにそれを見守っている。
「ま、まただ……またあの人は……」
「行くぞ! ペガサス彗星拳!!」
「オーロラ・エクスキューション!!」
「く……星雲嵐(ネビュラストーム)!!」
 彗星が、凍気が、嵐が、一つの巨大なコスモの塊となってティアに襲いかかる。
 バアアアアアアアアアアン!!
「ああああああああっ!!」
「なにぃっ!?」
 星矢達は絶句した。ティアはコスモの塊を両手で受け止めたのだ。
 胸と腕を守る龍衣(メイル)が吹き飛ぶ。三人の放ったコスモはその力を解放できず、ティアの手の中でくすぶっている。
「まずい!」
「そのままでは、お前の体は粉々になるぞ!!」
「おおおおおおおお!!」
 ドオオオオオオン!!
 ティアはコスモを上に向けて投げ飛ばした。天井がさらに砕け、残骸がばらばらと降り落ちる。
「はあ、はあ、はあ……」
「そ、そんな……。あれだけのエネルギーを受け流すなんて」
「ふ、不死身か……」
「私も、負けるわけにはいかない。どれだけ傷つこうとも、何度でも耐えてみせる」
 ティアのコスモが著しく高まり、オーラとなって黄金龍の姿をなした。
 神々しささえ感じられるその姿に、星矢達は畏怖の念さえ覚える。
「な、なんてコスモだ……!」
「来るぞ……!」
「受けよ、これが神殺しと呼ばれる所以(ゆえん)だ! ゴッド・スレイヤー!!」
 なぎ払うように横に振ったティアの手から、長大な光の刃が放たれた。
 ザンッ!!!
「うわああああっ」
 かわすことはできず、防御も役に立たずに、星矢達はまともにそれを受けた。
 三人の胸が横一文字に避け、神聖衣(ゴッドクロス)が鮮血に染まる。
「う……あ……」
「ち、力が……」
 まず瞬が、次いで氷河が倒れた。
 そして星矢も。
「もう……」
 ドシャアッ
 星矢はなんとか意識を保とうとしたが、叶わなかった。
 出血が止まらない。血の流れとともに、体の感覚が失せていく。
「う……星矢……」
 シャイナが弱々しく呼びかけるも、その声は星矢の耳には届かない。
(何も聞こえない。何も感じない……俺は、死ぬのか……)
 星矢の意識は暗闇の深淵へと落ちていった……。

 塔の外にいる邪武達の表情に、焦りの色が浮かび始めていた。
「もう月はかなり西に傾いているぞ……。女神(アテナ)は大丈夫なのか!?」
「シャイナさんが中に入ってから随分経つザンスが……」
「中の様子を探ってみるよ」
 疲労困憊の様子の貴鬼が言った。
 貴鬼は先ほどシャイナを塔内にテレポートさせたことで体力を消耗しており、まだ回復しきってはいない。
「大丈夫か?」
「このくらいなら……うううううううんっ」
 貴鬼は精神を集中して、意識を時空の間にあるウロボロスの塔の中へと飛ばす。
「あ、ああ……」
 もともと青ざめていた貴鬼の顔からさらに血の気が引き、その体が震え始めた。
「ど、どうしたんだ!?」
「星矢達の小宇宙(コスモ)が……まったく感じられなくないよ!」
「なにっ!?」
「ということは、塔に入ったセイント達は全滅……?」
 その場にいたセイント全員が言葉を失った。
 そんな中、邪武が怒りの声を上げる。
「ど〜しちまったんだよ、星矢ぁ! 沙織さんを死なせるつもりかぁ!!」
「氷河! 瞬! 立ち上がってくれえ!!」
「星矢ア!!」
「うろたえるんじゃないよ!!」
 魔鈴の鶴の一声により、皆一斉に静まりかえった。
「星矢達がアテナを見捨てて死んだりするものか。それは、お前達もよく知っているだろう。信じるんだよ。星矢達は必ずアテナを救い出して帰ってくるってね」
「魔鈴さん……」
「私達にできることは、それしかないだろ?」
 マスクで顔を隠していても、その穏やかな口調から、魔鈴が微笑んでいることがわかった。
 魔鈴は6年間星矢をセイントとして鍛え上げた師匠である。星矢を誰よりも信頼しているのは彼女なのだ。
「そうだよ、星矢達がそう簡単に死んだりするもんか!」
「俺は信じるぜ! あいつらは必ずアテナを助けるって!!」
「ミーもザンスよ!」
「がんばれ、星矢!!」
「お前らは神であるハーデスさえも倒したんだ! 龍闘士(ドラグーン)がなんだってんだ!」
「星矢!」
「星矢ー!!」
 広大な砂漠に、セイント達の熱い思いが漂流する。

 その頃。
 日本は東京……城戸邸。
 中庭に面した一室の窓が、まだ世も明けていないというのに、開け放たれていた。
 その窓辺に立ち、西の空を見上げる少女が一人。
 聖華。星矢のたった一人の姉である。
 聖華は星矢がセイントになるべくギリシャに送られたその日に、星矢を追ってギリシャに飛んだ。
 だが幼い少女一人では聖域(サンクチュアリ)にたどり着くことはできず、がけから落ちて記憶を失い、以来サンクチュアリの近くの村で静かに暮らしていたのである。
 聖華はつい先日記憶を取り戻した。だが、冥界から帰ってきてから星矢はずっと意識を失っており、今また新たな戦いに赴いているため、姉弟の再会はまだ果たせていないも同然だった。
 聖華は今、胸の前で手を組み、祈りを捧げている。その表情は、心配そうではあるが穏やかであった。
 彼女の後ろから静かに歩み寄って来る者がいた。
 足音に気づき、聖華が振り返る。
「美保ちゃん……」
 星矢の幼なじみであり、星矢を想う少女、美保の表情には、星矢を心配する思いがありありと浮かんでいた。
 美保は聖華の隣に来ると、聖華がそうしていたように、西の空を眺める。
「やっぱり、聖華さんも……」
「ええ……辰巳さんは誤魔化していたけれど、星矢達はまた戦いの場へ……」
「せっかく帰ってきたっていうのに。星矢ちゃんなんか、本当に死にそうだったっていうし……」
「けれど……心配はしていません」
 強い表情で、聖華は西の空に輝く星達を見ながら言った。
「え?」
「わたしは信じています。星矢達は、きっと無事に帰ってくると」
「……」
 美保はじっと聖華の横顔を見つめた。
(そんな風に信じ切ることができるなんて……わたしは聖華さんがうらやましい。やっぱり、姉弟だから……?)
(ううん、わたしも信じよう。星矢ちゃんはきっと帰ってくるって)
「星矢」
「星矢ちゃん」
 二人が心の底からの祈りを捧げる……。

 彼女達の祈りが、邪武達のコスモが、距離を超え、時空をも超える。

(声が……聞こえる……)
 力を使い果たし、すべての感覚をなくした星矢。
 だが、彼の心のコスモは、呼びかける声を感じ取っていた。
(魔鈴さん……シャイナさん……美保ちゃん……みんな……そして……そしてこの温かく俺を包み込んでくれるのは……姉さん!!)
『そうです。みんなが貴方を励ましてくれているのです』
 一際大きく優しいコスモが、星矢を包み込んだ。
(ア……アテナ……!!)
 意識のない星矢の心のビジョンに、優雅な微笑みを称えたアテナの姿が浮かび上がる。
『諦めてはいけません。心のコスモの燃やすのです。熱く……熱く……!』
 倒れたままの星矢の体から、炎のようなオーラが立ち上る。
 それを見て、ティアは大きく目を見開いた。
「なっ……。こ、これは……! ペガサスのコスモが、どんどん大きくなっていく……! もはや死にかけのはずのペガサスから、どうして!?」
 部屋の隅では、シャイナが微笑みながらつぶやいていた。
「信じていたよ、星矢……!」
「こ、このコスモは、ペガサス自身の物だけじゃない……。ここにはいない聖闘士(セイント)のコスモが、ペガサスの体に流れ込んでいるのを感じる。そして、この極めてビッグでグレートなコスモは……まさか!?」
 ティアは勢いよく背後にある両開きの扉を振り返った。
「女神(アテナ)!? そんな……その生命力は暗黒龍(ダークドラゴン)にほとんど吸収されて、手助けする力など残っていないはずなのに!」
 星矢だけでなく、そばで倒れる瞬と氷河からもコスモが感じられるようになった。
 二人はそのコスモを立ち上がるためでなく、星矢を力づけるために費やす。
(立て、星矢! 俺の残ったコスモすべてを、お前に託す……!)
(星矢……僕の命を君に……!)
 星矢の心に、また別のコスモが語りかける。
『立て、星矢よ。お前は私との戦いの時にも、何度倒れてもその度に立ち上がってきたはずだ。アテナを救うために!』
 星矢の体を金色のオーラが包んだ。
(この声は……サガ!!)
『そうだ、立て、星矢!』
『ゴールドセイントを超えたセイントよ。今こそ立ってアテナを救うのだ!』
(アイオリア! アイオロスまで……!)
「そうだ……寝てなんかいられない……。こんなところで弱気を吐いたら……ゴールドセイント達に笑われる……!!」
 投げ出されていた星矢の手が握りしめられる。
「俺にはまだやらなきゃならないことがある……そして、会いたい人がいる! う……おおお……おおおおおおおおっ!!」
 ゴオオオッ
 コスモの炎を燃え上がらせながら、星矢は立ち上がった。
 その両手は力なく垂れ下がっているが、大きな瞳には闘士と生命力がみなぎっていた。
「俺には、多くの友がいる……信じてくれる仲間がいる。愛してくれる人がいる!! だから、俺は負けない!!」
「う……」
 星矢が立ち上がったこと……そして彼の発した言葉に、ティアは大きな動揺を見せていた。
「確かに、6人いた龍闘士(ドラグーン)も、もはや私だけになってしまった。でも……だからこそ……私のために倒れていった彼女達のために、私も負けるわけにはいかない!」
 左上に伸ばした右手に、コスモが集約する。
「たとえ一人きりでも……私は……! ゴッドスレイヤー!」
 ズアアアアアアアッ!!
 ティアのすべてのコスモがこめられた拳が、大きな刃と化して星矢に襲いかかる。
「はあっ!」
 星矢は翼を広げて高く跳躍し、それをかわした。
「なにっ!?」
「行くぞ! これが最後の拳だ!!」
 星矢の背後に、雄々しく天空を翔るペガサスの姿が浮かび上がった。
「ペガサス! 彗星拳!!」
 多くのセイントの想いとコスモのこもった彗星が、ティアに迫る。
 ティアはそれを避けることも防ぐこともできずに胸に受けた。
「うあああああああああーーーーーっ!!」
 メイルが次々と破壊され、ティアの体が勢いよく吹き飛ぶ。
 バーンッ
 扉を押し開き、ティアは奥にあった部屋に仰向きに倒れた。
「やったか!?」
 床に降り立った星矢は、開け放たれた扉の向こうに目を向ける。
 謁見の間に似た部屋の奥、玉座に座る少年の頭上を見て、星矢は声を上げた。
 その部屋の奥には……。
「あれは……アテナ!!」
 空中に浮かぶ沙織の体からコスモが抜き取られるように放たれ、少年の体に吸いこまれている。
「アテナーーー!!」
 慌てて星矢が駆け出す。だが。
 ザッ
 星矢の行く手を、立ちあがったティアがさえぎった。
「なっ!? お前まだ──」
 メイルの大半が破損し、全身から血を流している。だが、その瞳に宿る意志の力は微塵も衰えていない。
「邪魔はさせない……。ダークドラゴン……いえ、レオニス様の体には、絶対に触れさせない」
「レオニス……? あの少年の名前か。一体何なんだ、あの少年は。彼に何をさせようとしているんだ!?」
「何も……。私はただ、彼に目を覚ましてもらいたいだけ」
「なんだって……」
「レオニス様は、神話の時代より何億年もの間、ああして眠ったままなのよ」
「なに?」
「幾星霜を超えた遙か昔……神話の時代の話。レオニス様は、ある国の王子だった……」
 その遙か昔に思いをはせるように遠い目をしながら、ティアは言った。

 銀髪の少年、レオニスは、様々な色の花が息づく花園を、蝶を追って走っていた。
 羽が金色を輝く、珍しい蝶であった。
 赤く燃えるような色をした花びらでその羽を休めると、金色が一層映えた。
 パン
 手のひらを合わせ、レオニスはその蝶を両手の中に閉じ込めた。
 少しだけ手を開いて見ると、蝶はレオニスの手の中で傷付くことなくじっと触覚を揺らせていた。
「ほら見て、ティア!」
 レオニスは後ろからゆっくりと歩いて追ってきていた金髪の女性を振り返る。
 レオニスより頭一つ分背の高いその女性──ティアが、微笑んでレオニスの手の中を見つめた。
「綺麗な蝶ですね」
「すごいよ、この蝶。羽が金色なんだ。まるでティアの瞳みたいに綺麗だね」
「……」
 ティアはほのかに頬を染め、今褒められた金色の瞳を揺らしてレオニスを見た。
「またそのようなことを……」
「ほんとだよ」
 そう言って、レオニスは両手を開いて蝶を放した。
 自由を取り戻した金色の蝶は、右に左にと揺れながら空へと舞い飛んでいった。
「あら、放すのですか?」
「ティアに見せたかっただけだから。かごの中で死なせるのは、可哀想だよ」
「お優しいですね、レオニス様は」
 レオニスは蝶の行く先を追いながら、少し寂しげにつぶやいた。
「僕は、どうして王子として生まれたのだろう……そうでなかったら、僕は……」
「レオニス様……」
 レオニスはまだ13歳ながら、自分の立場というものをわかっていた。
 筆頭次女であるティアに淡い恋心を抱きながらも、その思いを実らせることはできないということを。
「でも……王子として生まれなかったら、ティアと出会えなかったかも知れない」
「そうですね……。レオニス様がこの国の王子として生まれたのも……私が、筆頭次女として使えるようになったのも。すべては、神のお導きかもしれません」
「神か……」
「あーあ、神様でさえも倒せるくらいの力があったらなあ」
「レオニス様、めったなことを言うものではありませんよ」
 そう言うティアを、レオニスは微笑んで振り返った。
「僕はこうしてティアと一緒にいられるだけで幸せだよ」
「私もです。レオニス様」
 見つめ合う二人の心に、嘘はなかった。
 ただ、そばにいられるだけでよかった。
 だが……。
 そんな二人の慎ましい幸せを、運命という名の刃が切り裂いた。

「その頃、神界では正義の神と邪悪な神が、いつ終わるとも知れない争いを続けていた。神を殺す力を持つといわれる龍(ドラゴン)達は、龍の長神龍(シェンロン)のもと、正義の神につき、邪神達と戦っていた。だが、邪神の企みにより、神龍(シェンロン)は悪の心を植え付けられ、暗黒龍(ダークドラゴン)と化してしまった。心強かった味方が、最大の敵となり、正義の神達は窮地に立たされた。しかし、天界ゼウスの策が功を奏し、ダークドラゴンを弱らせ、その魂をある人間の体内に封じ込めることに成功した。その人間が、レオニス様。以来、彼は深い眠りにつき、老いることも死ぬこともなくなった」
「黄金龍(ゴールドドラゴン)は、シェンロンの片腕を務めていた。彼女はシェンロンを救いたいと願いながらも、かなわず、命尽きた。その想いは、龍衣(メイル)となって龍闘士(ドラグーン)に引き継がれることとなった。そのゴールドドラゴンが選んだのは私……。私は彼女と同じ想いだった。なぜなら、レオニス様の筆頭侍女を務めていた私は、レオニス様のことを愛していたから。ドラグーンとなった私はレオニス様の眠りを覚ます方法を求めた。たとえ命尽きようとも、数え切れないほどの輪廻転生を繰り返し、その度にドラグーンとなり、レオニス様を見つけ……彼を目覚めさせる方法を探した」
「その方法というのが、アテナの命をレオニスに与えるというものだったのか……」
「そう。その方法は早くにわかっていた。けれどそれで蘇るのはダークドラゴンだけ……。シェンロンに戻るわけではない」
「なに。それを知っていてどうして!? ダークドラゴンはアテナの命を奪ったあげく、この世を破滅させるんだぞ!」
 必死に訴える星矢を、ティアは悲しげに見つめる。
「誰にも犠牲を払わず彼を救う方法があるなら、そうしたかった……。けれど、気の遠くなるような長い年月、私は探し続けた。けれど、見つからなかった……!」
 ティアの目から涙が溢れ出す。
「私はレオニス様を目覚めさせたい……彼ともう一度話しがしたい!! その心はダークドラゴンであっても、レオニス様の声を聞きたい!!」
「たとえ世界中を敵に回しても……貫き通したい愛があるのよ!!」
「…………!!」
(たとえ、世界中を敵に回しても……)
 ティアの言葉が、星矢の心に衝撃をもたらしていた。
「お、俺には、そんな風に人を好きになったことがないから、わからない……けど……」
(もし姉さんの命を救うために、アテナの命が必要だと言われたら、俺はどうするだろうか……)
 その答えを、星矢はすぐに出すことはできなかった。
 いや、いくら時間をかけても、答えを出せるとは思えなかった。
「あなたにわかってもらおうなんて思っていない……。わたし自身、神を殺すなんてことが……それも女神(アテナ)のような、地上を守る神を殺すことが、許されるはずがないと思っている」
「ティア……」
「もはや話し合っていても無意味……。そろそろ決着をつけましょう」
 両腕を八の字に広げ、ティアはコスモを高め始める。
「く……お、俺は、セイントだ。アテナを守るのが、俺達セイントの使命だ!」
 星矢もコスモを燃焼させる。
 だがその時。
「待って!!」
 星矢の背後から、凛とした女性の声が響いた。
 ティアははっとなって、声の聞こえた方に目を向ける。
「この声は……まさか!?」
 星矢も後ろを振り返ってみると、後ろの扉にもたれかかるようにして、金髪の少女が立っていた。
「レイン!!」
「レイン? 獅子龍(ドラゴンヌ)のレインか!」
「貴女、アルティメット・ライズを使ったはずじゃ……」
「ええ……。わたしはこの身を犠牲にしてでも龍座(ドラゴン)の紫龍を倒そうと、アルティメット・ライズを使った……。けれど、わたしは一命を取り留めた」
 レインが中に入ってくる。彼女に続いて、聖衣(クロス)を身に纏った黒髪の男が現れた。
「この、紫龍のおかげでね」
「紫龍!」
 仲間の姿を見て、星矢の顔に満面の笑みが浮かぶ。
「!? 敵であるにドラゴンに助けられたですって……。でも、アルティメット・ライズの中でどうやって……」
「間一髪だった……」
 紫龍は、ドラゴンヌ・アルティメット・ライズを受けた後のことを語った。

 アルティメット・ライズによって生じた凄まじい上昇気流に巻かれ、紫龍とレインは大気圏に突入しようとしていた。
 大気圏に入れば、摩擦熱による炎に巻かれ、ともに命を落としてしまうだろう。
 紫龍は逃げようにも、この技に打ち勝つ力は残っていなかった。
(もはや、これまでか……)
 全身の感覚はなくなり、紫龍は死を意識していた。
 この技を使えばどうなるか、紫龍自身がよくわかっている。
 以前自分が使った時には、シュラの黄金聖衣(ゴールドクロス)によって救われた。
 ゴールドクロスをもしのぐ神聖衣(ゴッドクロス)を纏っていればまだ救いはあったかもしれないが、頼みのクロスは破壊されてしまっている。
 だがその時、彼をあたたかい小宇宙(コスモ)が包み込んだ。
「こ、これは……!」
「何なの、この温かいコスモは……」
 後ろから紫龍を羽交い締めにしているレインも、そのコスモを感じけげんそうな顔をした。
『あきらめてはなりません』
「女神(アテナ)……!」
 この慈愛に満ちたコスモと声は、まさしくアテナ沙織のものであった。
『貴方にはまだ、やるべきことが残っているのですよ』
「やるべきこと……。し、しかし……」
『そうじゃ、この程度で諦めてなんとする、紫龍』
 今度は男の声が聞こえ、紫龍を包むコスモに新たな力がくわわる。
 それは猛々しい虎を彷彿とさせる、力強いコスモであった。
「……老師!」
『言ったはずじゃ。レインの想いに応えよと。友のために命を賭してまで敵を討とうとするレインの心。その心はお前が一番よくわかるはずじゃ。そして、そんな時こそ、生き延びねばならんということも』
「レインの心……」
『それにこんなところで死んでしまっては、春麗が哀しむぞ』
「ああ……春麗……」
 春麗に思いをはせた時、紫龍は今なお春麗の祈りが感じられることに気づいた。
 そしてさらに、紫龍の体が金色のコスモに包まれる。
『アテナを見捨てて死ぬつもりか、紫龍! そんな男に、俺はアテナと聖剣(エクスカリバー)を託した覚えはないぞ』
「シュラ!」
 驚きの中に、喜びのこもった声を上げる紫龍。
 そんな紫龍を、レインは不思議そうな目で見つめた。
「いったい誰と話しているの……。紫龍を包む三つのコスモ、これらの持ち主……? しかし、このうちの一つ……とてもビッグでグレートで……それでいてとても優しい……このコスモは、まさか……」
「俺はなんと幸せだろうか……。一度は諦めた俺を、叱咤激励してくれる人がいる。死してなお見守ってくれている老師、シュラ……。そしていつも俺のために祈ってくれている春麗……。俺は死ぬわけにはいかん! おおおおおっ!!」
 蝋燭の炎のように弱々しくなっていた紫龍のコスモが、今また熱く燃焼する。
「い、いまさらそんなことをしても無駄よ! もうすぐ大気圏に突入する。聖衣(クロス)を着ていない貴方の体は、摩擦熱に耐え切れず燃え尽きるわ!」
「あきらめてなるものか。俺は帰らねばならん。星矢達のもとに。アテナのもとに!!」
 カッ!!
 紫龍の体から、まばゆい光が放たれた。
「う……なっ、バカな!?」
 光が収まると、紫龍の体はゴッドクロスをまとっていた。
 バサアッ
 翼が広がり、上昇にブレーキをかける。翼に押し飛ばされ、レインは手を放してしまった。
「きゃあああっ!」
「くっ」
 紫龍は腕を伸ばし、とっさのところでレインの手をつかんだ。
「なっ……どうして!? あなた一人なら助かるかもしれないのに、どうしてわたしを……!?」
「君を死なせるわけにはいかない。君も生き延びるんだ!」
「なんですって……」
「俺には、やはり君が悪人には思えない。君がそうまで慕うゴールドドラゴンも。そうでなければ、自分を犠牲にしてまで、敵を倒そうとなどとするものか」
 紫龍の真摯(しんし)な目を受け止めきれず、レインの瞳が揺れ動く。
「死んではいけない。生きて、やられねばならないことがあるはずだ!」
「紫龍……けど、アルティメット・ライズを止めることなんて……」
「信じるのだ。信じれば、必ず奇跡は起こる!」
 紫龍の強い言葉を聞いて、レインの表情が変わった。
 レインも翼を開き、上昇を食い止めようとする。紫龍だけでなく、レインの体をも、三つのコスモが包み込む。
「これが、紫龍を守っているコスモか……なんと温かく、心強い……。わたし達に勝てないわけね……」
 紫龍はレインを引き寄せ、うなずき合うと、ともにコスモを高めあった。
「おおおおおおおおっ!!」
「はあああああああっ!!」
 バアアアアアアアンッ!!!
 紫龍とレインのコスモが、アルティメット・ライズの力を打ち破った。
 二人の体は雲の上でゆっくりと下降し始める。
「と……止まった……本当に……」
「うむ……さあ、帰ろう。仲間の元へ……」
「ええ……」
 アテナのコスモに導かれ、二人はウロボロスの塔へと戻ってきたのである。

「ティア。わたしは貴女を止める。貴女の友として」
「レイン……」
 ティアは、悲しげな目をしてレインを見つめた。
「ティア。わたしは貴女にあこがれに近い念を抱いていた。深い悲しみを背負いながらも、誰にも優しく、家族のように接する貴女が好きだった。そんな貴女の願いを叶えさせてあげたかった。本当の笑顔を取り戻させてあげたかった……。でも、貴女のことが好きだからこそ、これ以上罪を重ねさせたくない」
 ティアは友であるレインに厳しい視線を向ける。
「何を言われても、止めるつもりはないわ」
「貴女だってわかっているはずよ。だから聖闘士(セイント)達にこの塔のことを教えた。そして、そんなに傷つくまでセイント達の技を受け続けた。懺悔の意味を込めて」
 ティアは答える代わりに、拳を構えた。
「ティア……!」
「聖闘士(セイント)の味方をするというのなら、貴女とて容赦しない……!」
 そういうティアの瞳は涙で潤んでいた。
「本気か、ティア」
 星矢が問いかけるが、ティアは何も答えなかった。
「レインが頼んでも駄目ですか……」
 レインの後ろから聞こえた女性の声に、一同が振り返った。
 青く輝くメイルを身につけた、長い黒髪の女性……メイファがそこにいた。
「め、メイファ!」
「貴女も生きていたの!?」
「ええ……氷河は、私を殺そうとはしなかった」
 そう言って、メイファは倒れたままの氷河のところに歩み寄り、彼の頭を抱え起こした。
 氷河の顔に手をかざし、温かなコスモを放つ。
「う……君は……」
 目を覚ました氷河は、驚きの目でメイファを見つめた。
「メイファ……貴女まで、私の敵に回るというの」
「レインの言う通りですよ、ティア。その手をお引きなさい……。貴女の拳は、こんなことのために使うものではないでしょう」
「ティア、信じれば、願いはきっと叶うはずよ。信じましょう。レオニスを目覚めさせる方法はきっとある。誰の命も犠牲にせずに、暗黒龍(ダークドラゴン)を封じたまま、レオニスだけを目覚めさせる方法が、きっと!」
「そ、そんなことできるわけ……」
「そうよ。そんな虫のいい話があるはずがない!」
 そう言って室内に入ってきたのは、アリアだった。
「あたしは姉さんを奪ったこいつらを、絶対に許すわけにはいかない!」
「う……」
 アリアの声に刺激されたのか、瞬も目を覚ました。
「ア、アリア……」
「こっちだって一輝をやられたんだぞ」
 いきりたつ星矢を、紫龍が制する。
「そう……今更引くわけにはいかない。あと少しでダークドラゴン様が復活する。あと少しなのよ!」
「ティア、どうしてもわかってもらえないの」
 レインが悲しげに言う横で、メイファが神妙な顔つきで星矢に言った。
「ここは私達に任せて、貴方達はアテナを救い出してください」
「わかった!」
「任せたぞ、レイン、メイファ!」
 星矢、紫龍、氷河が奥の部屋に向かって走り出す。
「させるかっ!」
 追いかけようとしたアリアの前に、メイファが立ちはだかった。
 そして、ティアの前にはレインが相対する。
「まさか、龍闘士(ドラグーン)どうしが戦うことになるなんて……」
「こうなることだけは避けたかった……でも、仕方がない。行くわよ、レイン! はああああっ!」
 ドラグーン達がコスモを高め始めた、その時。
『もう……遅い!!』
 突然塔全体に声が響き渡った。
 身の毛がよだつほど邪悪な意思のこもった声に、星矢達は思わず身震いし、動きを止めた。
「な……今の声は……」
「いや、声というよりも、コスモ……コスモが俺達に直接──」
 そのコスモを放ったのは。
 全員が、レオニスの方を振り返る。
 眠っていたはずの彼が、立ち上がっていた。全身から黒いオーラを発し、髪の毛が逆立っている。銀髪だったはずの彼の髪が、漆黒に染まっていた。
「ダ……ダークドラゴン!!」
「遅かったか……!」
「アテナは!? 沙織さんは!?」
 空中に浮かんだままのアテナの体は青白く、生気がまるで感じられない。
「ア……アテナ……!」
『黄金龍(ゴールドドラゴン)よ。よくぞ女神(アテナ)の命を我に捧げた。誉めてつかわす』
「あ……」
 ダークドラゴンの復活。これこそがティアの望んだ結果。
 だが名を呼ばれたティアは、全身を震わせ、声を出すこともできずにいた。
 地獄の底から響くような声、赤く光る瞳。レオニスの面影などどこにもない。そこにいるのは、まさに世界を破滅に導くという、邪悪な龍。
「わたしは……こんなものを蘇らせてしまったの……」
 予測していたことではあった。
 だが、現実は想像を超えていた。
『幾星霜もの間、我は深い眠りについていた……。我はゼウスを憎んだ。生きとし生きるものすべてを憎んだ。だが今、我は蘇った。我が力を持って、地上を破壊と恐怖で埋め尽くしてやろう。アテナだけでなく、天界のゼウスも殺し、オリンポスを支配してやろう』
 ダークドラゴンのコスモがさらに大きくなり、星矢達を圧倒する。
「か、体が動かない……」
「これは、恐怖……? 恐怖が私達の体を支配しているの……?」
「このままでは、なすすべ無くやられる……!」
『そうは参りません』
 ダークドラゴンの物とは相反した、慈愛に満ちたコスモが全員の心に響いた。
 星矢達がはっと顔を上げる。
「い、今の声は……!」
 コスモを吸い尽くされ、すでに死したと思われていた沙織の体から、白いオーラが放たれている。
 横向きになっていた体が直立になり、ゆっくりと地面に降り立った。
「沙織さん!!」
「生きていたの!?」
 星矢達はもちろんのこと、レインやメイファも安堵のため息をもらした。
「星矢、紫龍、氷河、瞬。心配をかけました。私は大丈夫です」
「いえ、俺達こそ、あなたのコスモに助けられました」
『ふふ……はははははっ』
 ダークドラゴンがあざけりの笑みを漏らす。
『コスモのほとんどを我に奪われ、虫の息も同然。頼みの聖闘士(セイント)達も満身創痍。それでどうやって我を倒すというのだ』
「倒すつもりはありません」
『なに……?』
「目覚めさせるのです。本当の貴方を」
 その言葉に、ティアがはっとなった。
「貴方のその邪悪な魂は、邪神によって植え付けられたもの。本当の自分を思い出すのです。神龍(シェンロン)であった自分を。そして、レオニスの魂を開放するのです……!」
「ア、アテナ……!」
 ティアは両手を口に当て、大きく目を見開いた。その目に涙が滲む。
『まさか……貴様はそのために自ら望んで我に力を分け与えたとでもいうのではあるまいな』
「その通りです」
「ア、アテナ……貴女は何もかもご存じで……このようなお人を、私は殺そうとしていたの……!?」
「へへ……さすがは沙織さんだ」
 星矢が自慢げに言って鼻の下を擦る。
『愚か者め。シェンロンやレオニスの魂など、とっくに引き裂いてしまったわ!』
「いいえ。私は感じます。シェンロンのコスモを。レオニスの心を。貴女もそうですね、ティア」
「え……」
 不意に問われ、ティアは戸惑いの表情を浮かべた。
 まっすぐにティアを見つめ、微笑む沙織。
 その笑みを見ているうちに、ティアの表情は確信のそれに変わった。
「……私は……眠っているはずのレオニス様が、私を呼んでいるような気がして……。だからなんとしてでも目覚めさせようと……。でもそれは、私の単なる希望に過ぎないと──!」
「そうではありません。レオニスは確かに貴女に呼びかけていたのです。レオニスに命を分け与えながら、私も確かにそれを感じました」
「アテナ……」
『くだらぬ茶番はそこまでだ』
 ダークドラゴンの怒気をはらんだ声が響く。
『龍闘士(ドラグーン)よ。我が僕よ。アテナとセイント達を皆殺しにしろ!』
 ダークドラゴンが命令するが、ドラグーンの中で動こうとする者は一人としていなかった。
「何か勘違いしてないか?」
 アリアが怒りの表情を浮かべて言い放った。
「わたし達は、貴女の僕になどなったつもりはない」
「私達のリーダーはただ一人です」
 ティアのそばにレインとメイファ、アリアが歩み寄る。
「みんな……」
「さっきはすまなかった」
「いいのですよ」
 アリア達が小声で言い合う。
『我に刃向かうか。我を目覚めさせた褒美として、お前達は生かしておこうと思ったが……どうやらお前達も他の屑ども同様、地獄に落ちたいようだなる。だがその前にアテナ! 貴様から死んでもらおう!』
 ダークドラゴンの広げた手の先から、黒いコスモが放たれた。
「沙織さん!!」
 星矢達が飛び出そうとする。が、それより速く動いた者がいた。
 バシイィッ!!
「ぐぅ……っ!!」
 金色のメイルのかけらが飛び散る。
 真っ先に身を呈してアテナを守ったのは、ティアだった。
 ティアはがくっと崩れて床に膝をついた。
「ティア!?」
「こんなことで……私の罪が軽くなるとは思わない……。でも、私は女神(アテナ)を守る! 暗黒龍(ダークドラゴン)よ! レオニスの体を使っての悪行は決してさせない!!」
『どこまでも愚かな奴よ……ならば、お前から先に始末してくれる!』
 ダークドラゴンは、今度はティアを狙って小宇宙(コスモ)を放った。
「くっ」
「させるか!」
 今度は紫龍がティアの前に飛び出し、ダークドラゴンの攻撃を盾で防いだ。
 だがダークドラゴンの攻撃的コスモは消えず、盾にぶつかったまま燻っている。
「ぐぅう……っ!」
「紫龍!!」
「ヴァイオレント・ブラスト!」
 後方から飛んできた高熱の炎が、ダークドラゴンのコスモに横からぶつかり、壁へと向かわせた。
「ヴァイオレント・ブラスト? ってことは……」
 炎を放って紫龍を援護したのは、ランであった。
「ラン!」
「お姉様!」
 ランはティアのもとに駆けより、今にも崩れ落ちそうなティアの体を支えた。
「ランも……生きていたのね。よかった……」
「上からあたたかいコスモが降りてきて、あたしを癒してくれたんです」
「そのあたたかいコスモとは……」
 ティアは、沙織を見つめた。沙織は厳しい表情をダークドラゴンに向けている。
 ティアはランの肩を借りて立ち上がった。
 星矢と瞬、氷河が紫龍の横に並び、ティアやアテナを守る体勢を取る。
「これ以上好きにはさせん! おおおおっ」
 攻撃を仕掛けようとしたその時、アテナの凛とした声が飛んだ。
「いけません。彼に手出しはなりません!」
「え……っ」
「あの体はレオニスのものです。攻撃すれば、レオニスの体をいたずらに傷つけるだけです。言ったはずです。ダークドラゴンの邪悪な魂を打ち払い、神龍(シェンロン)を復活させると」
「しかし、どうやって!?」
「皆が信じ合えば、奇跡は起こります。セイント、そしてドラグーン、貴方達に不可能なことなどありません!!」
 その言葉に、ティア達はみな目を覚まされたように目を見開いていた。
「皆が信じれば……」
「奇跡は起こる……!」
「シェンロンは蘇る……!?」
 アリアがふっと笑みをこぼす。
「奇跡、か……。そんなもの、簡単に起こせるものか。でも……」
「そう、でも」
 隣に立ったレインが言う。
「何もせずに諦めることの方が、もっと愚かよね」
「私達は神をも超えるドラグーンです。ダークドラゴンのような邪悪一つに、何を恐れることがあるのです」
 並び立ってコスモを高め始めたアリア、レイン、メイファの三人を、ティアは頼もしげに見た。
 そしてランに視線を映す。
「ラン。貴女も手を貸してくれるかしら」
「もちろんです、お姉様!」
 ティアとランも、コスモを燃焼し始める。
『フン……笑止な。今すぐ終わらせてくれる』
 ダークドラゴンのコスモが急激に膨れ上がった。
 ダークドラゴンの両手にドス黒い炎が生まれる。その両手を前に突き出すと、その炎は巨大な黒い槍となって放たれた。
「そうはさせん! ペガサス流星拳!!」
「盧山昇龍覇(ろざんしょうりゅうは)!!」
「ダイヤモンド・ダストー!!」
「サンダーウェーブ!!」
 バシイイイイイイイッ!!
 星矢達の必殺技の威力が、ダークドラゴンの攻撃を食い止めた。
「ここは俺達に任せろ。今のうちにコスモを高めるんだ!」
「星矢、ありがとう。はあああああっ!」
 ティア達の体からオーラが立ち上り、それぞれのドラゴンの姿をなす。
 バアアアアアンッ!!
 星矢達のコスモが、完全にダークドラゴンのコスモを打ち消した。
「今だ!」
 星矢達が素早く左右に分かれる。
「いけえー!」
「蘇れ、シェンロン!」
「あたし達の願いを込めて!」
「奥底に眠る、レオニスの心に届け!!」
 ティア達のコスモが渦を巻いて一つとなり、光の束となってダークドラゴンに向かって飛んだ。
 バシイイイイィッ!!
「なっ!?」
 光の束は暗黒のオーラの壁に阻まれ、ダークドラゴンの──レオニスの体には届かなかった。
「そんな……」
「奴のコスモが障壁を作り上げているんだ」
「私達5人の力を持ってしても、打ち破れないなんて……」
「む、無理なの……。私達が力を合わせても」
 ティアががくっとうなだれる。
「お姉様っ」
「あきらめてはなりません。決して!」
 沙織が激励する。
「し、しかしっ……」
 ティアを見ながら、アリアは辛そうな声をもらした。
「せめて、姉さんがいれば……」
『ふっ……そんなものなのか。お前達の信念は』
 謁見の間全体に、男の声が響いた。
 その声に真っ先に反応したのは、瞬だった。
「こ……この声は……」
『アリア、言ったでしょう。貴女が必要とする時には、私は必ず貴女のそばにいると』
 今度は女の声が。
「まさか……」
「な……」
 ドーン
 天井に空いた穴から、部屋の中央に火柱が落ちた。
 煌々と燃えさかるその炎の中に、背中合わせに立つ人影が二つあった。
「ね……姉さん!!」
「一輝!!」
 炎が消え、二人の姿があらわになる。
 ワイバーンのメイルはボロボロになっていたが、フェニックスのクロスはその自己修復能力によって完全な状態に修復されている。
 アリアは泣きながら、姉の胸に飛び込んでいった。
「姉さん!」
「心配かけたね……すまない、アリア」
 一方、瞬も兄の元へ元に駆け寄った。
「信じていたよ、兄さん」
「フ……」
 ただ笑みを浮かべ、一輝は瞬の頭に手を乗せた。
「でも姉さん、よく無事で──」
「わたしと一輝は、技がぶつかり合った衝撃で異次元の彼方まで飛ばされた。けど、燃え盛る貴女達のコスモに呼び寄せられたのよ。そして何より……」
 ミーアはアテナに視線を送った。
「彼女の力がなければ、戻ってくることは不可能だった」
「俺一人であればなんとかなったのだがな」
「一輝は異次元には慣れてるからな」
「フ……ッ」
 ミーアはティアの前まで歩いていく。
「わたしはまだ死ぬわけにはいかない。自分の力を、憎しみを晴らせるためではなく、アリアを始めとする、多くの人を守るために使わなければならない」
「それじゃあ、ミーア……」
「ええ、わたしも力を貸すわ」
「……ありがとう」
「礼には及ばないわ。わたし達は、この時代に、同じ龍闘士(ドラグーン)として生を受けた、仲間でしょう」
 その言葉に、ティア達は大きく目を開いた。そしてすぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「ミーア……!」
『フ……今更何人増えようが大差はない』
 ダークドラゴンの邪悪に満ちた声が、雰囲気を一転させる。
「そんなことはない」
 気丈な口調でティアは言った。
「私達6人が力を合わせれば、できないこなどない」
 ティア達が再び、コスモを高め始める。
「俺達も負けてられないぜ」
「ああ」
 星矢達もまた、激しくコスモを燃焼させる。
 アテナを中心として、右手にセイント5人、左手にドラグーン6人がVの字に広がり、競い合うようにコスモを燃やした。
「正義を愛する者達のコスモが、ダークドラゴン一人の邪悪な魂にかなわないはずはありません。ドラグーン、そしてセイント達よ、今こそ皆の力を結集させるのです!」
 女神(アテナ)の声とコスモに励まされ、その場にいる者全てが、極限にまでコスモを高める。
『愛……正義……? そんなものは人間がこしらえたまやかしにすぎん。何の力にもならぬわ。それを教えてやろう!』
 ダークドラゴンの全身から黒い炎が放たれる。
「おおおおおおおおおっ!!!」
「はああああああああああっ!!!」
 星矢達の背後に、それぞれの星座とドラゴンの形をしたオーラが浮かび上がる。
 ダークドラゴンは全身の黒い炎を右手の先に集めた。
『死ねい!!』
「おおおおおおっ、ベガサス彗星拳!!」
「クリムゾン・イラプション!!」
「舞え、白鳥よ! オーロラ・エクスキューション!!」
「翔龍剄掌!!」
「ネビュラストーム!!」
「バウンドレス・ペイン!!」
「昇れ龍よ、天高く! 盧山百龍覇!!」
「吠えよ、ドラゴンヌ! ライト・オブ・ディスインテグレイション!!」
「鳳翼天翔!!」
「テリブル・ブレス! オオオオオオオオッ!!」
 10人の最大の必殺技が、一斉に放たれダークドラゴンのコスモとぶつかり合った。
 ドゴオオオオオオオオッ!!
 凄まじい衝撃波が放たれ、塔全体を揺るがす。
 双方の力は拮抗し、中央で激しく稲妻と火花を散らす。
『なに、互角だと!? このような者達が……!!』
「ティア、今です!」
「はい! はああああああああっ!!」
 ティアは両手を前に広げ、全身のコスモを放った。
 そのコスモを、アテナの白いコスモが包みこむ。
「わたしのコスモよ、レオニス様の心に届いて!!」
 ティアのコスモは一匹の黄金龍に姿を変え、ぶつかり合う巨大なエネルギーの塊をかわしてレオニスのもとに向かう。
『ふっ、このような貧弱な……な、何っ!?』
 アテナに守られたティアのコスモは、黒いオーラの障壁を突き抜けてレオニスの胸の中央に吸い込まれるように消えた。
『バ……バカな……!? なんだこれは、決して攻撃的ではないのに、熱い……胸が焼ける……!!』
「ダークドラゴンが苦しんでいる……!」
「やったか!?」
「ダークドラゴンよ。それが愛です。愛の力はなにものにも負けはしないのです。本当の貴方なら知っているはずです。その愛のすばらしさを。偉大な力を!」
『こんなもので……我が……ウオオオオオオオッ。』
 黒い障壁が星矢達の方に迫り、エネルギーの塊と同化する。すると、星矢達の技のエネルギーが力負けしてじりじりと後退を始めた。「お、押されている!?」
「だめだ、このままでは……!」
「あれをまともに受けては、皆粉々になって消えてしまうぞ!!」
 必死に押し返そうとする皆を一瞥した後、ティアは祈るような目をレオニスに向けた。
「お願い、目覚めて! 私の……私の大好きなレオニス!!」

──誰かが僕を呼んでいる……。
 少年は、はるか遠い彼方から、誰かが自分を呼んでいるのを感じた。
──この声は……。とても懐かしくて……とてもいとおしい……。
 目を開けようとする。だが、真っ暗で何も見ることができない。いや、自分が目を開けているのかどうかさえ、はっきりとしなかった。
 見えないだけでない。何も聞こえない。何も感じない。
──ここは……どこだ……。僕は……誰なんだ……。
 その時、暗闇の中に小さな点が生まれた。その点は線となり、まっすぐ自分に近づいてくる。
──このあたたかい光……。そうだ……僕はずっとこれと同じものを感じていた。いつも、誰かがそばにいてくれて、僕を優しく包み込んでくれていた。
 声はその光の中から聞こえていた。
 遠い昔から、ずっと、ずっと、少年を呼び続けていた声。
 光の線は球となり、少年を優しく包み込む。
 今まで朧気だった声が、今はっきりと聞こえた。
『レオニス!』
──僕の一番大切な人……。僕のもっとも愛する人……。
「ティアアアッ!!」

 ドオオオオオオオオン!!
「うああああああああああっ!!」
 二つのエネルギーが爆発を起こし、星矢達の体は方々に吹き飛ばされた。
 謁見の間やその周りの部屋、廊下の壁と天井が破壊され、6階の大半が崩壊し、星空の元にさらされた。
「う……く……っ」
 星矢を初め、セイントやドラグーン達が起き上がり、玉座の方を見る。
 そこには漆黒の髪の少年が目をつむったまま立っていた。
「だ……だめだったのか」
「いや、あれほど強大だったコスモが感じられなくなっている」
「み、見ろ!」
 星矢達の目の前で、レオニスの体から暗黒のオーラが抜け出ていった。それにつれ、漆黒だった髪の色が銀色に変わる。
「あれは、瞬がハーデスに体をのっとられた時と逆の現象……」
「ということは……」
 レオニスの体から暗黒のコスモがすべて抜け出ていくと、彼の体はその場に倒れ伏した。
「レオ……ニス様……レオニス様」
 ティアが慌てて彼の元に駆けよった。
 ティアがレオニスの体に触れた瞬間、今度はレオニスの体から銀色のオーラが放たれ始めた。
「これは……」
 ダークドラゴンのものとはまるで反対の、神聖さと威厳に満ちた力強いコスモであった。
 レオニスが目を開き、立ち上がる。
「レオニス様……?」
「いえ、このコスモは……」
「神龍(シェンロン)……!」
 星矢達が呆けたように別人となったレオニスを見つめる中、レオニスは穏やかな笑みをティアに向けた。
「黄金龍(ゴールドドラゴン)よ……。私のために永い間お前を苦しませてしまった……。すまなかった」
 深い銀色の瞳でティアを見下ろしながら、レオニスは言った。
 いや、正確には今話しているのは、レオニスの体内に宿っている神龍(シェンロン)である。
「……いえ……そんな……」
 落胆の意をあらわにしてつぶやくティア。
 彼女が聞きたかったのはそんな言葉でなかった。
 ティアの龍衣(メイル)が一瞬、淡い光を放った。彼女の代わりに、ゴールドドラゴンがシェンロンに返事をしたのである。
 うつむいたままのティアの横を通り過ぎ、シェンロンは沙織の前まで歩いていった。そして、片膝を床について深深と頭を下げる。
「女神(アテナ)よ……。貴方には謝罪のしようもない。私はどんな罰も甘んじてこの身に受けよう」
 沙織は優しい笑みを浮かべ、首を横に振った。
「罰を与えるつもりなどありません。もっとも苦しんでいたのは貴方自身なのですから。それよりも、これからは地上の平和を守るために、力を貸して頂けますね?」
「私の力が必要とあらば」
 シェンロンはさらに深く頭を下げて一礼すると、立ち上がり、その場にいる聖闘士(セイント)と龍闘士(ドラグーン)達を見まわした。
「アテナのセイント……そして、ドラグーン達よ。本当にすまなかった」
「気にすることはないさ」
 鼻の下を擦りながら星矢が言った。
「いえ。それより……」
 レインが心配そうにティアを一瞥(いちべつ)する。
「レオニスは無事なのですか?」
「もちろんだ。むしろ、私がレオニスに助けられたと言ったほうが正しい」
 ティアははっと顔を上げる。
 ティアを振り返り、レオニスはこくっとうなずいた。
「ティアよ。レオニスを想う君の心が、レオニスを呼び覚ました。そしてレオニスの君を想う熱い魂が、私を目覚めさせたのだ」
「あ……ああ……」
 ティアの目から涙がこぼれ、光を放ちながら落ちていく。
「良かったですね、ティア」
 メイファの言葉に、ティアはかぶりを振った。
「みんなのおかげ……」
「悪の心から解き放たれたとは言え、私の力はまだ完全ではない。次の戦いまで、しばらく眠ることにしよう。そして、この体をレオニスに返すとしよう。ただ、その前に一つだけ力を……」
 シェンロンはすっと右手を横に伸ばした。手のひらの上に銀色に輝く光の玉が生み出される。
 それは、急激に大きさを増し、その場にいた者全員を包み込んだ。
「こ、これは……」
「傷ついていた体と聖衣(クロス)が回復していく……!」
 ボロボロになっていたクロスとメイルが修復し、元の状態に戻った。
 そして生命の息吹を吐き出すかのように光を放つ。
「では……」
 シェンロンが瞳を閉じると、それまで放たれていた銀色のオーラが、吸い込まれるように体の中に消えて行った。
 同時に、部屋を覆っていた神聖な気も薄れていった。
「再び、眠りについたか……」
「次に目覚めるときは、私達とともに正義のために戦ってくれることでしょう」
「心強い味方だね」
「わたし達ドラグーンももちろん、協力させていただきます」
 そんな会話を背中で聞きながら、ティアはまっすぐにレオニスを見つめていた。
 誰もが黙って見守る中、少年は目を開いた。
「レオニス様……?」
「……ティア」
 少年は無垢なほほ笑みで彼女を見つめ返した。
 それは、ティアの待ち望んでいたものであった。
「レオニス様!!」
 ティアは、歓喜の声を上げ、少年の体を抱きしめた。
 レオニスはそっと彼女を背中に腕を回し、自分より頭一つ分背の高いティアを抱き返す。
「ティア。君はいつも僕のそばにいてくれた。いつも僕を守ってくれていた。ありがとう」
 ティアはうれしさのあまり、泣き声を上げることしか出来ない。
「これからは僕が君を守る番だ……」
「レオニス様……!」
 レオニスがは、ティアの頭を優しくなでる。ティアはレオニスの胸の中で泣き続けていた。
 それを見守る星矢や瞬、レインとランももらい泣きしていた。他の者達は穏やかな笑みを浮かべている。
「さあ、降りましょう。みんなが待っています」
 沙織の言葉に、一同はうなずいた。

 カッ
 突然の閃光に、砂漠の真ん中にいた聖闘士(セイント)達は思わず後ずさった。
 光が消えた後には、それまで影も形もなかった塔が姿を現していた。
「これは……ウロボロスの塔!?」
「なぜだ。月は沈みかけているというのに」
「勝ったんだよ……星矢達が」
 立ち上がり、貴鬼(きき)が言った。
「それじゃあ……」
「女神(アテナ)は助かったんだ!」
 喜喜とした声を上げる激。
 魔鈴は、何もいわず塔の頂上を見上げた。
──よくやったね、星矢
 塔の正面にある大きな扉が光を放つ。
 その光の中に、沙織や星矢達の姿があった。笑顔に満ちた顔があった。


 たとえどのような邪悪な存在が現れようとも、地上を闇に染めることはできない。
 この世にセイントがいる限り。
 人々の心に、愛と希望がある限り。



 
聖闘士星矢
 ドラゴンウォーズ

 
Fin.