聖闘士星矢
ドラゴンウォーズ

第4章


 

 その頃――塔の外では。
 月が真南を過ぎ去り、塔は姿を消していた。
 その代わり、塔があった場所には、呆然とたたずむ聖闘士(セイント)達の姿があった。
「本当にここであっているのかい」
 白銀聖闘士(シルバーセイント)、蛇使い座(オピュクス)のシャイナが疑わしげに言う。
 シャイナは白いマスクをつけて素顔を隠している。セイントの世界は女人禁制であるため、女性がセイントとなるには素顔を常に隠す必要があるのだ。
「辰巳さんから聞いた話では、ここであってるはずなんだが……」
 青銅聖闘士(ブロンズセイント)、大熊座(ベアー)の激(げき)が答える。
「塔なんて影も形もないじゃないか」
「うむ……」
 同じくブロンズセイント、狼座(ウルフ)の那智が相槌を打つ。
「早く加勢に行かなければ。神をも超える力を持つ奴らが相手では、今度ばかりは、星矢達も、女神(アテナ)も……」
 シャイナは右手をきつく握り締めた。
「くそっ! 一体星矢達はどこに行ったんだ」」
 一角獣座(ユニコーン)の邪武が自らの掌に拳を叩きつける。
「ここでじっとしていても無駄だよ、シャイナ」
 そう言って近づいてきたのは、シャイナと同じシルバーセイント、鷲座(イーグル)の魔鈴(マリン)、そして貴鬼(きき)であった。
 魔鈴も当然マスクをかぶっている。
「魔鈴‥‥。じゃああんたは、ここで手をこまねいていろって言うのかい!?」
「そうは言ってないさ。ウロボロスの塔は、月が南中した時にしか姿を現さないと聞いたことがある。塔に入るには、明日の南中を待つしかないんだよ」
「なんだって!? 明日まで待っていたら、星矢達は!」
「そう焦らないでよ、シャイナさん」
 おどけた口調で貴鬼が言った。
「貴鬼」
「さっきまで貴鬼の超能力で、星矢達の居場所を探っていたのさ」
「ほんとかい!? それで、星矢達は!?」
 シャイナが尋ねると、貴鬼は両手を広げて肩をすくめて見せた。
「見つけるには見つけたんだけど……。ウロボロスの塔は今、次元の歪んだ厄介なところにあるんだ。僕の力じゃ、人一人をそこに瞬間移動(テレポーテーション)させるので精一杯だよ。それだけで力を使い果たしちゃう」
「ムウ様だったら、きっと‥‥」
 言ってしょんぼりとなる貴鬼。
 貴鬼の師匠であり、セイントの中でも最強の念動力(サイコキネシス)を持っていた黄金聖闘士(ゴールドセイント)、牡羊座(アリエス)のムウ。残念ながら彼もハーデスとの戦いの折りに帰らぬ人となっている。
「それだけでもたいしたものさ! ……魔鈴」
 シャイナは魔鈴を見つめた。
「頼む。あたしに行かせてくれ!」
 魔鈴は黙って首肯(しゅこう)した。
「頼んだぜ、シャイナさん!」
 邪武達も異論はなく、シャイナに激励の言葉を贈った。
「さあ、貴鬼」
「ああ」
 真剣な表情でうなずくと、貴鬼は目をつむってコスモを高め始めた。
「んんんんんんんんっ。はあああああっ」
 貴鬼が気合のこもった声を放つとともに両手を広げると、シャイナの体が光に包まれた。
 そして次の瞬間には、光の中に溶け込むように、その場から姿を消した。
「う、うまくいったよ‥‥」
 疲れた表情でそうつぶやいた後、貴鬼はがくりと崩れた。
「貴鬼っ」
「だいじょうぶか?」
「平気だよ……このくらい……。中で戦ってる星矢達にくらべたら、なんてことないや……」
 貴鬼がそう言う横で、魔鈴は空を見上げて、祈るようにつぶやいた。
「みんな……死ぬんじゃないよ」

 大理石の壁に囲まれた廊下に、目映い光が生まれた。
 その光の中に人影が現れる。
 光が弾けて消えると、シャイナの姿がはっきり見えるようになった。
 シャイナが左右を見回す。
「無事塔の中にテレポーテーションすることが出来たか‥‥。しかし塔というより、まるで神殿のようだね‥‥ハッ!?」
 下の階からコスモを感じ、シャイナははっと顔を上げた。
「これは‥‥紫龍のコスモか!? もう一つ感じられるコスモの、なんと強大なことか‥‥これが、ドラグーンのコスモ‥‥」
「星矢は!? 星矢のコスモは‥‥」
 シャイナは慌てて星矢のコスモを探る。
「よかった、まだ生きている‥‥。だが、かなりコスモが弱くなっている。瞬も、氷河もだ。一刻も早く加勢してドラグーンを倒さねば‥‥」
 そう言って走り出そうとした、その時だった。
 誰もいないと思っていたのに、背後から声が聞こえた。
「まさか、この塔にテレポーテーションして来れる者がいるとは‥‥」
「‥‥!?」
(なっ!? 気配などまるで感じなかったのに!?)
 シャイナは驚き振り返る。
 そこにはドレスをまとった金髪の女性がいた。
「そうか、あんたがアテナをさらった、ドラグーンのティアか!」
 ティアは金色の瞳に、憂いを湛えてシャイナを見つめる。
「ゴールドセイントがいない今、そこまでのサイキック能力を持つセイントなどいないと思っていましたが」
「そのゴールドセイントの遺志を受け継ぐ者が、多く残っているんだ。死んで行ったセイント達のためにも、お前達の好きにはさせないよ!」
「貴方のようなセイントが出る幕ではありません。下がってください」
「ふざけるな! このシャイナ、一人の敵も倒さずに引き下がるものか!」
 右腕を掲げて走り出すシャイナ。右手の爪が鋭く伸びる。
「あたしは相手が素手だろうが女だろうが手加減はしないよ! くらえ、サンダークロウ!!」
 シャイナの体から稲妻が走るとともに、背後に毒蛇のオーラが浮かび上がる。
「仕方ありません」
 ティアがすっと右腕を上げ、人差し指をシャイナに向けた。その瞬間。
 ピッ
 指先から光が放たれ、額に衝撃を受けた――シャイナに理解できたのはそれだけだった。
 シャイナの仮面(マスク)が割れ、素顔が露になる。
「え……」
 意識が急速に遠のいていく。全身の力が抜け、シャイナは前のめりに倒れた。
(何の役にも立てないなんて……ごめん、星矢……星矢ああああああっ!)

「!」
 4階に上がったばかりの星矢は、はっとなって顔を上げた。
「どうしたの、星矢」
 星矢に肩を借りて歩いている瞬が尋ねる。
 瞬は先ほど目を覚ましたものの、まだ自分の足で歩けるほどには回復していなかった。
「今のは……シャイナさんのコスモだ!」
「なんだって?」
「けど‥‥一瞬弾けた後、すぐに感じられなくなった‥‥。シャイナさんの身に何かあったんだ!」
「星矢、僕ならもう構わない。一刻も早くシャイナさんのもとへ急ごう」
「ああ」
 瞬の腕を放し、星矢が走り始める。
 瞬もその後を追った。
「けど、シャイナさんは一体どうやってここに‥‥」
「‥‥あっ」
 瞬が何かに気付いたように声を上げた。
「どうした!?」
「ひょっとして、貴鬼にテレポートしてもらったんじゃ‥‥」
「そうか、貴鬼か! シャイナさんは貴鬼にテレポートしてもらって、このウロボロスの塔に乗り込んだんだ!」
「けど、ドラグーンに見つかって‥‥」
「くっ‥‥、今行くぞ、シャイナさん!」
 星矢と瞬はさらにスピードを上げて廊下を駆けていった。

 フラッシュ・ロアーをまともに浴びた紫龍だったが、なんとか倒れることなく踏ん張った。
 レインはすかさず接近攻撃を仕掛けてくる。
「うっ!?」
 ドガッ!
 レインの蹴りを盾で防ぐこともできず、まともに浴びて後ろに吹っ飛ばされた。
 レインはその速度よりもさらに速く滑空して間をつめ、連続攻撃を放つ。
 ガッ ベキッ
「ぐあっ、がはっ」
 両手と両足、そして尻尾を駆使した攻撃が立て続けに紫龍を襲う。
「はああああっ!」
 レインは紫龍の腹に鋭い蹴りを埋め込んだまま、滑空を続けた。
「ぐああああっ!」
 紫龍の背後に壁が迫る。
 ドカアッ!
 紫龍の体が壁を粉砕した。レインはなおもその状態のまま飛び続ける。
 ガッ! ドガッ!
 さらに二つの壁に穴を開けた後、紫龍の体はようやく壁に受け止められた。
 レインは容赦なく尻尾を振り回す。
 ドカアッ!!
 強烈な尻尾の一撃を受け、紫龍の体はまた壁ごと吹っ飛ばされた。
 ズザアアアアッ
 床に落ちてもまだ勢いは落ちず、紫龍は数メートル床の上を引きずられる。
 奥の壁に当たってようやく紫龍の体は止まった。
「‥‥‥‥」
 紫龍はピクリとも動かない。
 レインは無表情に紫龍を見ると、地面に降り立ってゆっくりと紫龍に歩み寄っていった。
 紫龍の右手の人差し指がピクリと震える。
(つ、強い‥‥なんという強さだ‥‥。だ、だが‥‥)
 気力を振り絞り、紫龍は立ち上がった。
 それを見て、レインはわずかに戸惑いの表情を見せた。
「私の攻撃をあれだけ浴びて、まだ立ち上がって来るなんて‥‥」
「お‥‥俺は、ここで倒れるわけにはいかん‥‥。俺達には、アテナを救うという使命がある‥‥!」
 レインは目を細くして、紫龍を見た。
「そのクロス‥‥ゴッドクロスという名は伊達ではないようね。本来なら貴方の体はとうに砕け散っているものを」
「アテナの血で蘇ったこのクロスは、神々の着る神衣(カムイ)にもっとも近いクロスだ。俺達はこのクロスを身に纏ってハーデスの野望を打ち砕いた。今度も必ずアテナを救ってみせる!」
「ならばその自慢のクロスごと、貴方を粉砕してあげるわ」
 レインが右足を後ろに引いて身構えた、その時だった。
 ゴオオオオオオッ!!
 西の方でコスモが激しくぶつかり合うのを感じ、二人は同時にそちらを振り返った。
「なっ!?」
「これは、アリアのコスモ‥‥!」
「もう一人は瞬だ‥‥!」
 爆発的に高まったコスモが、急速に弱まっていくのを感じる。
 レインは顔を青ざめさせ、声を震わせて言った。
「アリアのコスモが‥‥消えた‥‥!?」
「相打ちか‥‥!? い、いや‥‥感じる‥‥瞬はまだ生きている‥‥!」
 瞬のコスモが、かすかながらも消えずに残っているのを感じ取り、紫龍はほっと息をついた。
「そ、そんな‥‥ラン、メイファに続き、アリアまで倒されるなんて‥‥」
 レインは激しく動揺していた。
 単に驚いているだけでなく、仲間の身を案じているのが見て取れる。
 そんなレインを、紫龍は意外そうな目で見た。
(仲間が倒されて動揺している‥‥。俺がこれまで戦ってきた相手とは違う)
 双子の弟でさえ戦いの道具としか見ていなかった、ブラックドラゴン。女子供を殺すことに何の罪の意識も抱いていなかった、蟹座(キャンサー)のデスマスク‥‥彼らとは雲泥の差であった。
「アリアという者のことなら心配は要らない。瞬が女の子の命を奪うことなど、決してないからな」
「なに‥‥」
 レインが振り返り、紫龍に厳しい視線を突きつける。
「ならばその瞬という男は、アリアを死なせぬよう、手加減した上でアリアを倒したというのか」
「おそらくな。瞬はそういう男だ」
「馬鹿な‥‥ドラグーン相手に‥‥」
「仲間の身を案ずるならば、今すぐこの戦いを終わらせるんだ。これ以上、無駄に血を流すことはない」
「‥‥っ!」
 レインは眉間に深くしわを刻み、紫龍をきつく睨み付けた。
「無駄? 貴方達にとってはそうであっても、私達にとっては、必要な戦いなのよ」
「そうまでして、君達が戦う理由とはいったい何なのだ。なぜダークドラゴンを復活させようなどとする!?」
 その言葉を聞いて、レインはけげんそうに眉根を寄せた。
「どこでそれを‥‥」
「青龍のメイファから聞いた話だ」
「メイファが!? なぜ‥‥」
「青龍は、ティアを止めてくれと言っていた」
 レインは目を伏せると、ため息混じりの声で小さくつぶやいた。
「そう‥‥メイファ、貴女はそういう判断を下したの」
「ダークドラゴンなどを復活させてどうするつもりだ。伝承に寄れば、ダークドラゴンはこの世を地獄と化してしまうというぞ」
 目を開いたレインは、静かに紫龍を見つめた。
「私が成すべきことは、塔に入り込んだセイントを一人残らず倒すことのみ」
 レインは両手を八の字に広げ、再びコスモを高め始める。
「はあああああああああっ!」
「く‥‥戦うしかないのか‥‥っ」
 紫龍が慌てて身構える。
「はあっ!」
 レインが地面を蹴り、また空中を滑空してきた。
 紫龍は盾を構えて攻撃に備える。
 次の瞬間、紫龍の目前からレインの姿が一瞬にして消えた。
「なにっ!?」
「ここよ」
 レインの声が頭上から聞こえた。上を向いたその瞬間には、レインは蹴りを繰り出しながら急降下してきていた。
「はあっ!」
 ガッ!!
「ぐっ!」
 とっさに盾で防いだものの、勢いを殺しきれずに左腕を体の外側に流されてしまう。
 体制を整えようとしたその瞬間には、レインは既に両手を胸の前で向かい合わせていた。
「しまっ――」
「フラッシュ・ロアー!!」
 カッ!!
「うあああああああああっ!!」
 光の衝撃波をまともに浴び、紫龍の体が後ろに押し下げられる。
 ズザザザザザザッ
 クロスの一部が破損して破片が飛び散る中、紫龍はなんとか倒れることなく持ちこたえた。
「な‥‥フラッシュ・ロアーをまともに浴びて、持ちこたえるなんて」
「言ったはずだ‥‥俺はここで倒れるわけにはいかんと‥‥! 廬山! 龍飛翔!!」
 紫龍の放ったコスモが龍となってレインに迫る。
「うっ!?」
 バシイッ!!
 レインはとっさに腕を交差させて直撃を免れたが、技の威力を完全に削ぐことはできずにマスクを飛ばされた。
「そんな‥‥満身創痍のこの男のどこにまだこんな力が残って‥‥」
「俺の心のコスモはまだ燃え尽きてはいない。命ある限り俺は戦う!」
「く‥‥このっ!」
 レインは今度は光の速さで地面を駆けて間を詰めてきた。
「はああああっ!」
 強烈な一撃を、紫龍は危うげ無く盾で受け止めた。
「よく止めたわね。でも、これは受け止められる!?」
 間髪入れず、うなりを上げて尻尾が紫龍に襲いかかる。
 紫龍は顔の横で右手の指を揃えてまっすぐ伸ばした。
「おおおおおっ!!」
 紫龍は気合いの入った声とともに手刀を振り下ろす。
 カシャーンッ!
「なにっ!?」
 紫龍の手刀により尻尾が切り落とされ、大きな音を立てて床に落ちる。
 レインは唖然となって切り落とされた尻尾を見た。
「そんな‥‥メイルをたかが手刀一つで切り落とすなんて‥‥!」
「たかが手刀ではない……。この剣はいかなる者をも切り裂く、聖剣エクスカリバーだ」
 紫龍は顔の横で手刀を構えながら言った。
「我々青銅聖闘士(ブロンズセイント)には、黄金聖闘士(ゴールドセイント)が残してくれた数多くの遺産がある。地上の平和と女神(アテナ)を我々に託して逝ったゴールドセイント達のためにも、ダークドラゴンを復活させるわけにはいかんのだ! おおおおおおおおっ!!」
「く‥‥っ」
 紫龍の背後に、龍の姿が浮かび上がった。紫龍はコスモを集約させた拳を腰の横に構える。
「廬山! 昇龍覇!!」
「その技は効かないと何度――はっ!?」
 龍の形をした衝撃波が、今までにないスピードでレインに迫る。
「何っ!?」
 バーーーンッ!!
「うああああああああっ!!」
 昇龍覇を防ぎきれず、レインの体が吹っ飛ばされた。
 メイルの一部が破損して、かけらが飛び散る。
「くっ!」
 レインはとっさに翼を広げ、壁にぶつかる前にブレーキをかけた。
「し‥‥紫龍のコスモが、さっきまでとはまるで別人のように強大になっている‥‥」
「はああああああああ……っ」
 低い息をもらしながら、紫龍はさらにコスモを高める。
「セイントがここまで私達を追いつめるとは‥‥。私達ドラグーンに奢りがあったことは認めるわ。そして‥‥私自身に、まだ迷いがあったことも。今、それらをすべて消し去る! はああああああああっ!!」
 レインの体から、今までにない強大なコスモが放たれ始める。
 著しく高まったそれは、瞬く間に紫龍の全身を包み込むほどになった。
「な‥‥ま、まだここまでのコスモが‥‥今まで全力を出していなかったというのか‥‥!」
 戦慄を覚える紫龍。
 レインがそのつもりならば、紫龍はとっくに死んでいただろう。
 紫龍の目の前で、レインはゆっくりと両手を横に広げた。
 両手の間に生まれたエネルギーの余波のため、周りの壁や床に亀裂が走った。
(仕掛けてくる‥‥だが、この技はフラッシュ・ロアーではない‥‥!)
「この技は初めて貴方に放つ。貴方は防ぐことも避けることも出来ない。そして、貴方は確実に‥‥死ぬ!」
「‥‥っ」
 紫龍は慎重に盾を構えた。
「光の奔流に巻かれ、粉々に砕け散って逝け、紫龍!! ライト・オブ・ディスインテグレイション!!」
 ガカアアッ!!
 レインの全身から、フラッシュ・ロアーを遥かに凌ぐ閃光が放たれた。
「うおおおおおおっ!!」
 紫龍はその衝撃を盾で受け止める。だが。
 ビキッ
「な、何!? 最強を誇るドラゴンの盾に亀裂が!?」
 バキッ ベキィッ!
 凄まじい光の奔流の中、紫龍のゴッドクロスが破壊されていく。
「盾だけではない、クロスが次々と‥‥。いかん、このままでは!」
「はああああああああああっ!!」
 ガキッ バキイッ!!
 肩当ても、胸当ても、上半身を覆うクロスのほとんどが粉々になって砕け散った。
 そして衝撃が紫龍自身の体に襲いかかる。
「おわああーーーーーーーーーー!!!」
 ドガアアアアッ
 紫龍のクロスだけでなく、周囲の壁も粉砕しながら、衝撃波は紫龍の体を紙切れのように吹き飛ばした。
 大量の砂埃に撒かれ、紫龍の体が見えなくなる。
 壁の崩壊が終わり、周囲に静けさが戻った。パラパラと壁の破片が落ちる音だけが廊下に響く。
 レインは広げていた両手をゆっくりと下ろすと、ふうと息をついた。
「まさか、この技を使うことになるなんて‥‥。けれど、紫龍の体は砕け散った。そのクロスとともに」
 そうつぶやくレインの目は哀しげであった。レインがきびすを返そうとした、その時。
 カツン‥‥
 誰かの足音が、暗い廊下の向こうで響いた。
「!?」
 カツン‥‥ カツン‥‥
 足音が近付いてくる。
 レインは大きく目を見開いた。
「ま‥‥まさか‥‥」
「ライト・オブ・ディスインテグレーション‥‥凄まじい技だった。だが‥‥」
 低くよく通る声が聞こえた。
 暗闇の中から紫龍が姿を現す。
 クロスは脚甲を残すのみで、上半身は大量の血を流していた。
「俺の体を砕くまでにはいたらなかったようだな」
「そんな……あれを受けて、生きているなんて‥‥」
「く‥‥っ」
 紫龍の体が崩れ、その場に膝をついた。
 なんとか一命を取り留めたとはいえ、その身は満身創痍。立っているのもままならない状態である。
「ど、どうして‥‥どうしてそうまでして戦うの。生き延びたなら、どこかに隠れてでもいればその命だけは助かったものを‥‥!」「ふ‥‥敵を恐れて隠れるくらいであれば、俺は望んで死を受け入れよう」
「一体何が貴方をそこまで‥‥」
「言ったはずだ。地上の愛と正義のためだと。俺達は信じるもののためにならば、限りなく強くなることができる」
 紫龍が再び立ち上がる。
 レインにわずかに背を向けながら、静かにコスモを高め始めた。
「信じるもののため‥‥」
 レインはまるで噛み締めるようにその言葉をつぶやいた。
 紫龍の背に、龍の模様が浮かび上がる。
「その龍は……」
「俺の全身にコスモが満ちる時、背中に昇龍が浮かび上がる。その時こそ必ず敵を倒すという証だ!!」
 その言葉を証明するように、紫龍のコスモが今までとは桁違いに高まっていく。
 負けじとレインも心のコスモを燃やした。
「ならばわたしも、たとえこの命に替えても、貴方を倒す!!」

 土色の壁で構成された4階は、3階以下とくらべてさほど複雑なつくりではなく、一部屋が大きく、階段はすぐに見つけられそうであった。
 その予想通り、星矢と瞬は最北端に位置する部屋で、5階への階段を見付けることができた。
 だが、その階段の前には、一人のドラグーンが待ち構えていた。
 アンバーを基調色としたメイルには、広げれば3メートルを超えるであろう、巨大な翼がついていた。
 キメラやドラゴンヌのメイルにも羽があるが、あれはあくまで「羽」の形態をしているのに対し、このメイルの持っているのは明らかに「翼」であった。
 その翼で大空を舞い、巨大なモンスターを主食とするドラゴン‥‥飛龍(ワイバーン)。
 メイルを纏うのは、星矢達よりいくつか年上の、ショートの髪をした女性であった。
「お前が、ワイバーンのミーアか」
 瞬が苦戦を強いられたアリアの姉であり、上階を任されているところからも、今までのドラグーンより強敵であることは容易に予想できた。
「確かに、目元がアリアによく似ているね」
「瞬、お前はさっき戦ったばかりだ。こいつは俺に任せて、先に行け」
「でも、彼女は‥‥」
「気持ちはわかるが、時間がない。こいつを倒して、俺もすぐに追いつく」
「‥‥わかった」
 うなずき、瞬は階段に向かって走り出す。
「気をつけてね、星矢!」
 階段を上るためには、ミーアの横を通っていかなければならない。
 だが、彼女がそれを許すはずがない。瞬はいつでも左手のチェーンを飛ばせるよう心づもりをしていた。
 星矢もまた、一階でそうしたように、拳を放って瞬の援護をしようとしている。ミーアがわずかでも仕掛ける意志を見せたら、拳を打つつもりだ。
「‥‥」
 瞬の接近を前に、ミーアは身構えようともしない。
(‥‥?)
 けげんに思いながら通りすぎようとした、その時。
 ドボッ!
「‥‥ッ!?」
 腹に重い一撃を受け、瞬の体が後ろに吹き飛んだ。
「うああああっ!!」
 ドカアッ!
 壁を突き抜けた後、床にしたたかに叩きつけられ、瞬は気を失った。
「瞬!」
 瞬を見ていた星矢は、愕然となって震えながらミーアを振り返った。
「い、いつ攻撃したんだ‥‥まるで見えなかったぞ」
 今の出来事は、十二宮での戦いの折り、金牛宮を突破しようとして牡羊座(タウラス)のアルデバランに阻止された時の事を彷彿とさせた。
 彼の場合、まるで日本の居合いのように、独特の構えから瞬時に技を放つことで超人的な速さと威力を生み出していた。
 だが、ミーアはそれらしき構えさえとらず、目にも止まらぬ速さで攻撃し、瞬を一撃で倒したのだ。
 星矢は、先ほど一瞬だけ、ワイバーンの尻尾が動いたのを見た。
「尻尾か‥‥! しかしまさか、尻尾一つで瞬をあそこまで吹き飛ばすとは‥‥!」
 ミーアは何も語らず、星矢に向かってゆっくりと歩み寄ってくる。
「く‥‥、仕方ない、やらなければやられるっ。ペガサス流星拳!!」
 星矢はその右手から毎秒一万発を越える拳を放った。
 ミーアは避けようとも防ごうともしない。
「なに!?」
 バアアアアアアアンッ!!
 星矢の放った拳が、すべてミーアの体にヒットする。
 一撃で巨大な岩をも粉砕する拳を何万発も浴びながら、ミーアは無傷だった。
 星矢はさらなる衝撃を受けて、その場に立ちつくす。
「ば、馬鹿な‥‥まともに浴びて無傷だなんて」
 だが、気落ちしている暇はない。
 星矢はワイバーンの攻撃に備えて身構えた。
 フッ……
 ミーアが動いた……と思った瞬間には、ミーアの姿は消えていた。
「なっ、どこに――」
 ミーアが星矢の背後に現れる。
「いつの間に!?」
 ブオンッ
 太い尻尾がうなりを上げて星矢を襲った。
 ドボオオッ!!
 尻尾を胸に受け、星矢の体も吹き飛ばされた。
 壁を二つ貫き、奧の壁に当たってようやく星矢の体は止まった。
「さ‥‥沙織、さん……」
 守るべきアテナの名をつぶやきながら、星矢はその場に崩れ落ちた。

「はあああああああっ!!」
 レインの凄まじい連続攻撃を、紫龍はすべてギリギリのところでかわしていた。
 尻尾があれば防ぎきれなかったかもしれないが、尻尾は先ほど切り落としている。
「なぜ当たらないの!? 盾がない今、一撃でも致命傷を負わせられるというのに‥‥!」
「君の動きはもはや見切った」
「馬鹿な‥‥! やああああっ!」
 鋭い蹴りを屈んでかわし、紫龍は反撃に出た。
 紫龍のアッパーを、レインは空中で後宙返りをしてかわす。
 レインは翼を大きく広げながら、床に降り立った。
 そんなレインを見据えながら、紫龍は眉間にしわを寄せた。
「どうも腑(ふ)に落ちん‥‥。俺には、お前達がこの世に邪悪をもたらすために戦っているとは思えない。その目を見、そのコスモを感じていると‥‥」
「そう……。けれど、貴方達にとって、女神(アテナ)の命を奪おうとしているわたし達はどうあっても邪悪。この戦いを避けることなどとできない」
「むう‥‥。一体、そうまでして何をしようとしているのだ。お前達の目的は一体何なのだ!?」
「答える必要なないわ」
「‥‥」
 紫龍は釈然としないものを感じていた。
「やはり俺には、君が討つべき邪悪だとは思えない‥‥。心の底では、俺達と同じように平和と正義をこよなく愛しているように思えてならないのだ」
「‥‥‥‥」
 レインは何も答えない。
 その時、紫龍の心のコスモに呼びかけるものがあった。
──迷うな、紫龍よ!
 紫龍がはっとなって顔を上げる。
(この声は……老師!)
 紫龍の師であり、紫龍にセイントとしてのあり方を示し、セイントの技を教えた、天秤座(ライブラ)の黄金聖闘士(ゴールドセイント)、童虎(どうこ)。
 ハーデスとの戦いの折りに惜しくも散ってしまったが、その魂は紫龍の中に生き続けている。
 その証拠に、童虎は命尽きてもなお、紫龍に道を示そうとしているのだ。
──全力で拳を放て、紫龍! それがドラゴンヌの想いに応えるということじゃ。
「レインの想い……」
 紫龍はレインの瞳を見つめた。
(彼女が何か信じることのために戦っていることはひしひしと感じる‥‥そのために、レインは俺に全力でぶつかってきている)
(そうだ‥‥俺はかつての戦いにおいて常に全力でぶつかってきた。星矢とも、シュラとも。だからこそわかり合うことができたんだ‥‥!)
(わかりました、老師。この紫龍、全身全霊を持ってレインと戦います!)
――うむ、それでこそ我が弟子。ドラゴンのセイントじゃ。
 老師の微笑む顔が思い浮かび、紫龍はふっと笑みをこぼした。
「おおおおおおっ」
 紫龍は気合のこもった声を上げ、コスモを高める。
 オーラが吹き上がり、紫龍の髪を逆立たせて激しく波打たせた。
「レインよ! 俺は俺の持つすべてをお前にぶつける!」
「望む……ところよ!」
 レインは両手を胸の前で向き合わせた。
──あれは、フラッシュロアー? なぜ今更。
 不思議に思ったが、紫龍は構わず両手を前に突き出した。
「受けよ、レイン! これが俺のすべて‥‥老師から授かった技の究極だ! 盧山! 百龍覇!!」
 紫龍の両手から、無数の龍が飛び出す。そして、地を揺るがすほどの凄まじい咆哮を上げて咆哮をレインに襲いかかる。
「フラッシュロアー!」
 レインが閃光を放つ。それによっていくつかの龍はかき消されたが、半分以上残った龍が光の矢となって放ったレインの体に突き刺さっていった。
「ぐっ……ううっ……」
 メイルが次々と破壊されていく。レインの体が大きく仰け反った。
「うああああああーーーーーーっ」
 レインが一歩、二歩と後ずさる。
 大きく後ろにのけぞり、そのまま倒れるかと思われた……だが、レインは倒れなかった。
 足は震え、腕は力なく下がり、口から血を流してはいるが、その目は戦う意志を失っていない。
「バカな! 百龍覇を受けて倒れんとは……」
 紫龍ははっと気がついた。百龍覇が当たる寸前、レインが放ったフラッシュロアー……彼女は紫龍に当てるためにあれを放ったのではない。百龍覇の威力を軽減するためだったのだ。
(もはやフラッシュロアーは通じない。ライト・オブ・ディスインテグレイションでも、俺にとどめはさせなかった。なのに、レインから感じるこの気迫は一体……。いったい彼女にまだ何が残されているというのだ)
「わたし達が聖闘士(セイント)の中でただ一人、危惧していたのが貴方だった……」
「なに?」
「なぜなら、貴方はわたし達と同じ、龍の力を持っているから。だからわたしは、女神(アテナ)をさらう前に、あなたに勝負を挑んだ。結果はわたしが勝利した。貴方のことはただの杞憂に過ぎなかったと思った……。けど、やはり貴方の力は畏るべきものだった……」
 右手で左腕を押さえていたレインは、その手を放し、小宇宙(コスモ)を高め始めた。
「あの時とどめをさしておけばよかったのかもしれない……けど、こうなったことを後悔はしない」
 異様なほどにレインのコスモが強くなっていく。紫龍のコスモをしのぐほどに、強大に。
 いったいなにをしようというのか、紫龍には図りかねたが、このまま黙ってみているわけにはいかなかった。
(もはや俺にはあと一撃を打つ力しか残っていない。これで倒せなければ……)
 二人は静かにコスモを高め合う。
「はあ、はあ……っ」
「ぉぉぉぉぉぉぉぉ……っ」
 ともにコスモが頂点に達した。
 先に動いたのは紫龍だった。
「盧山! 昇龍覇(しょうりゅうは)!!」
 紫龍の拳から昇竜が放たれ、レインに牙を向く。
「はああああああっ」
 ガシィッ
 レインは昇龍覇を左腕で受けとめた。獅子龍(ドラゴンヌ)の手甲が粉々に砕け散る。
「なにっ!?」
 昇龍覇を防ぎきったレインは、次の瞬間に姿を消した。
「っ!?」
 紫龍は背後に気配を感じた。
 振り返った時には遅く、レインが後ろから紫龍の体を羽交い締めにした。
 レインのコスモが紫龍を完全にとらえ、身動きができなくなる。
「ば、ばかな……これはまさか!?」
「そうよ、そのまさかよ。あなたを倒すには、これしかない!」
 紫龍は驚愕した。
(レインも使えるというのか、あれを……盧山亢龍覇(こうりゅうは)を!?)
 盧山亢龍覇……それは、老師が紫龍に授けながら、禁じ手にして一生使うなと命じた技であった。
 亢龍とは、天に達した龍のこと。頂点に達した者に残された末路は落ちるのみ。
 亢龍覇を使った者はその時無敵の存在となるが、同時に亢龍覇は使用者の命さえも奪ってしまうのだ。
 紫龍は一度だけ、老師の戒めを破り、亢龍覇を使ったことがあった。黄金聖闘士(ゴールドセイント)、山羊座(カプリコーン)のシュラと戦った時である。強大なゴールドセイントを相手にし、勝利するには、亢龍覇を使うより他はなかった。その紫龍の捨て身の行動に、シュラは正義に目覚め、己を犠牲にして紫龍を助けたのである。
 今、その亢龍覇を、紫龍自身が受けようとしている。
「同じ龍の力を宿らせているゆえか……! レイン! わかっているのか、この技を使えばどうなるか!」
「もちろん……。貴方もわたしも、この世からいなくなってしまうでしょう。言ったはず。命に替えても貴方を倒すと」
「貴方達のように、この世の正義と、すべての人々の平和のために、と言えば納得できるのでしょうけど……。わたしは違う。わたしは、たった一人の幸せのために、この命を賭ける」
「たった一人……その一人というのは……」
 レインはふっと微笑み、紫龍の問いには答えなかった。
「さあ……行くわよ!」
 ゴゴゴゴコゴゴゴッ!
 際限なく高まっていくレインのコスモを受け、階全体が大きく揺れる。
(春麗……アテナ……みんな……すまん!!)
「はあああああああっ!! ドラゴンヌ・アルティメット・ライズ!!」
 ドガアアアアアアアアッ!!
 コスモの爆発とともに、周囲の壁や床、天井が粉砕された。そして、二人を包み込んだ光の塊が、一筋の光の矢となって、天空に向けて飛んで行った。

 

第6章に続く