第2章
ドシャアッ 自らが生み出した氷のかけらを浴びながら、氷河は床に叩きつけられた。 「ば……ばかな……。こうも安々と破壊するとは……」 動揺の表情を見せながら氷河が立ち上がる。 「私達は神をも恐れぬ龍の力を受け継いでいるのですよ。黄金聖闘士(ゴールドセイント)の実力など、足元にも及びません」 その実力を誇るわけでもなく、メイファは淡々とそう告げた。 「く‥‥」 (確かに、紫龍から聞いていた通りだ。ドラグーンの実力は伊達ではない‥‥) 「この程度では、貴方の師、水瓶座(アクエリアス)のカミュとやらもたかが知れている」 「な‥‥っ。俺の師を愚弄することは許さん!」 氷河は彼女を睨み付けながら、顔の横で拳を握り締めた。 「たとえ相手が女でも、俺はクールに敵を倒す! はーーーーーーっ!!」 氷河は低く腰を屈め、両手を大きく横に広げた。 そして、右手、左手と優雅に動かす。まるで白鳥が翼を羽ばたかせるかのように。 氷河の身体から放たれる凍気が、周囲の空気を凍り付かせ、一体を白く染めていく。 メイファはそれを見ても、まるで動じはしない。 「無駄なことを‥‥」 「受けよ、我が師カミュから譲り受けしこの拳を! ダイヤモンド・ダストーーーー!!」 ゴオオオオオッ 零下200度を超える凍気が、メイファに襲いかかる。 しかし、メイファはその凍気を浴びながら微動だにしない。まるで涼風を受けているかのように平然としている。 変化と言えば、全身にわずかに霜が張った程度であった。 「バ‥‥バカな‥‥ダイヤモンド・ダストをまともに受けながら‥‥」 「この程度では、龍の鱗一枚凍り付かせることはできません」 斜め向きに氷河を見ていたメイファが、氷河に正面に向けた。 一瞬彼女の体からコスモが放たれ、その身についた霜が蒸発した。 「その身をもって思い知りなさい。私と貴方の実力の差を」 メイファは両手を前に出すと、右手を上に、左手を下にして手首を重ねた。両手が龍の口の形をなす。 その手の中にメイファの小宇宙(コスモ)が集約していった。 「な‥‥なんというコスモだ!」 「蒼龍炎!!」 ゴオオオオオッ 両手の中に生まれた青い炎が、咆吼を上げながら太い槍となって氷河に襲いかかる。 「なに!? これは……うあああっ!」 炎の槍をまともに受け、氷河は炎に撒かれながら吹き飛ばされた。 「おああああああああっ!」 ドシャアアアッ したたかに地面に叩きつけられる氷河。 立ち上がろうとするものの、ダメージが大きく、すぐに起き上がることは出来ない。 その顔には、単に炎の威力に驚いている以外の理由の同様があった。 「い、今の技は‥‥まさか‥‥」 「そう‥‥そのまさかです。この蒼い炎に、貴方は見覚えがあるはずです」 「な、ならば‥‥あの時の炎は、お前が放ったものだったというのか!」 あの時――それは、氷河が紫龍とともに冥界に置いて窮地に立たされた時のことだった。 冥界―― 氷河と紫龍は陰気さに満ちる薄暗い道をひた走っていた。 「はあ、はあっ、一刻も早く追いつかねば‥‥っ」 氷河達青銅聖闘士(ブロンズセイント)は、冥王ハーデスを打ち倒すため冥界に乗り込んだ。 だが氷河と紫龍は冥闘士(スペクター)の一人、リュカオンのフレギアスの一撃を受けて倒れ、出遅れてしまったのである。 二人はリュカオンを倒し先行するゴールドセイント、双子座(ジェミニ)のカノンに追いつこうと、足場の悪い道を駆ける。 ザザザアッ 二人の前を、数人の影が遮った。 「待て!」 「ここから先は通さんぞ、セイントども!」 冥界の戦士、スペクターが、前方に4人現れる。さらに、後方にも4人も現れ、二人を挟んだ。 「くっ‥‥囲まれたか!」 「クク‥‥これだけの数を相手にするつもりか?」 8人のスペクターを見やる二人。 一人一人はさほど強敵には見えない。だが、これほどの数となると苦戦をしいられるのは間違いない。下手をすれば命を落とすこともあり得る。 だが二人は脅えた表情を見せなかった。 「俺達には、立ち止まるという選択肢はない。前に進むのみだ」 「そうか‥‥なら、ここで死ねえ!!」 スペクター達が一斉に襲いかかってきた。 二人が身構えた、その時。 ゴオオオオオオッ! 「なにっ!?」 横合いから飛んできた青い炎の槍が、三人のスペクターをなぎ払った。 「ぎゃあああっ」 「ぐああああああっ!」 三人はその炎の一撃によってことごとく息絶える。 「ば‥‥馬鹿な! スペクターが一撃で!?」 「一体何者だ‥‥」 突然の加勢に、紫龍達も面食らっていた。だが、加勢の主を探すよりも先に、攻撃に転じた。 「誰かわからんが、助かった! この機に乗じない手はない!」 「ああ! ダイヤモンド・ダストー!!」 「廬山! 龍飛翔ー!!」 二人が繰り出した技を受け、一人ずつのスペクターが倒れた。 「な、なにぃっ」 これで二対三。残りのスペクターを倒すのは紫龍達にとって造作もないことだった。 スペクターがすべて息絶えていることを確認した後、二人は改めて周囲を見渡し、先ほどの炎を放った者を探した。 「さっきの炎をまとった者は――」 「紫龍、あそこを見ろ!」 氷河が指さした方を見ると、1kmほど離れた先に人影があった。 その人影がふっと消える。消える寸前、一瞬青い輝きが放たれた。 「消えた‥‥?」 「あ、あそこから、さっきの炎を放ったというのか‥‥この距離でこの威力……なんという強大なコスモだ」 「セイントか‥‥? いや、だがゴールドセイント以外にあそこまでの実力を持った者など――」 「気にはなるが、急ごう、紫龍。時は一刻を争う」 「あ、ああ」 氷河と紫龍は再びカノンを追って駆けだした。 「ま、まさか‥‥あの時加勢したのが、お前だったとは‥‥。だが、なぜ」 「知れたことです。この世を、ハーデスのような邪悪な神に支配させぬため」 「なに……?」 メイファは穏やかな口調で言葉を続ける。 「我々ドラグーンは、神話の時代より、地上の平和を脅かす邪悪を撃ち滅ぼしてきました。決して、表に出ることはなく。常に貴方がたセイントを始めとする、平和を守る戦士の影となって戦ってきたのです」 「伝承の通りということか‥‥ならば、今まで俺達が勝利して来られたのも、すべてお前達のおかげだったとでもいうのか」 「いえ。この時代において私達が手を下したのは冥界でのみです。それも、私の放ったあの一撃のみ。サガの反乱やポセイドンの覚醒など微々たるもの……。ただハーデスだけは、女神(アテナ)の力を持ってしても太刀打ちできるかどうか、危うかったため、私が出向いたのです。ですが、貴方がたの実力をこの目で見て、私達が関与する必要はないと判断しました。結果、貴方がたはハーデスに勝利し、地上に平和をもたらした」 氷河はメイファを睨み、人差し指を突きつけた。 「ならば、お前達が今しようとしていることはなんだ。地上の平和を守るアテナの命を奪い、この世を破滅に導くという邪悪な龍を蘇らせるなどと」 メイファはいったん目を細めて厳しくすると、冷めた目で氷河を見た。 「ハーデスの野望は断たれました。ですが‥‥貴方は、この地上がそれで本当に幸福と平和に満ちたと思っているのですか?」 「なに……?」 「相も変わらず、多くの人が己が欲望のために人を傷つけ、争っている。今もなお、世界中で子供達が飢えと病気で苦しみ、息絶えている。幼い子供を、実の母親が殺してしまう‥‥そんな世の中なのです」 「お、親が、だと‥‥違う! 母親の愛は無限だ!」 「知らないのですか。日本という国では、子供殺しの加害者で最も多いのは、母親なのですよ」 「‥‥!!」 「親が子に無尽の愛を与える、などということは、幻想――空虚なものに過ぎないのです」 そう言ってメイファは寂しげに目を伏せた。 「私達は運命に従い、これまで地上の平和を影ながら支えてきた‥‥ですが、私達は気付いたのです。エゴと欲に満ちた人間など、守るに値しないと」 「人間など滅んでしまった方が、この地上のためなのです」 「ぐ‥‥」 きつく握り締めた氷河の手が震える。 「だ‥‥黙れ!!」 氷河の脳裏に強く蘇るのは、かつてシベリアの海に船とともに沈んで息絶えた、愛する母ナターシャのことだった。 「マーマは‥‥マーマはたった一人で俺を育ててくれた‥‥。シベリアの極寒の地で‥‥限りなく温かい愛で俺を支えてくれた‥‥。死した今も、シベリアの海の底で眠りながら、俺を見守ってくれている」 「そのマーマの愛を‥‥幻想だ、空虚だなどと‥‥! この氷河、お前だけは絶対に許さない!!」 氷河の体から、極寒の凍気が放たれる。 「はああああああっ!」 氷河の背後に、白鳥の姿がオーラとなって浮かび上がった。 「お前達の悪しき心など、凍り付かせてみせる! この凍気で!!」 「果たして貴方にそれができるでしょうか‥‥」 メイファは静かにコスモを高め、両手を前に出した。 氷河は頭上に凍気を放ち、降り注ぐ雪の結晶を受けながら拳を放った。 「ホーロドニー・スメルチ!!」 ゴオオオオオオオッ!! 極寒の凍気がメイファに襲いかかる。 それが届く直前、メイファも拳を放った。 「蒼龍炎!!」 バーーーーーンッ!! メイファの両手から放たれた炎の龍は、凍気をかき消しながら氷河に迫った。 「なっ、なにっ!? おあああああああああああっ!!」 胸に炎の直撃を受け、破損したクロスのかけらが飛び散る。 後ろに吹っ飛ばされた氷河は、奥の壁に叩きつけられた。 ドカアッ 「ぐは‥‥っ」 再び炎の龍をその身に浴び、氷河は膝をついた。そして絶望を味わいながら、そのまま仰向きに倒れる。 (お、俺の拳が……まるで通用……しない……) 倒れた氷河を静かに眺めながら、メイファは右の肩当に手を当てた。氷河の「ホーロドニー・スメルチ」を受け、ほんのわずかにだが、龍衣(メイル)の一部が凍り付いていた。 「この青龍のメイルを凍りつかせるとは‥‥」 メイファが氷河のところまで歩み寄っていく。 不意にその表情から戦意が薄れた。 「貴方は恵まれていましたね」 「何? 父の愛を知らず、母に早くに死なれた俺が、恵まれていただと……?」 「私は、実の母親に命を奪われかけました」 「なっ──!?」 衝撃の事実を、メイファは淡々と口にした。 「私は、11月11日の新月の夜に生まれました。私の生まれた村では、新月のその日に生まれた者は大いなる災いをもたらすとされてました。つまり私は、忌み子として生を受けたのです」 「…………」 何の感情もこめずに言うメイファの言葉を、氷河は声を出せずにただ聞いている。 「私だけでなく、私を産んだ両親や、兄弟も村人から疎んじられるようになりました。そして……6歳の誕生日。私に手をかけようとしたのです。今でもはっきりと覚えています。母がナイフを振り上げ、私を突き殺そうとした瞬間を……。幸い間一髪のところである人に救われましたが」 「そ……そんな……」 「しかし私は母を恨んではいません。母は私に大事なことを教えてくれた。人は、自分が生きるためなら、肉親さえも手に掛けるということを。人とはそうした弱い存在であるということを」 「貴方とて、自分の目的を果たすために、これまで多くの命を手に掛けてきたはずです」 「そ、それは、正義のために‥‥」 「そんなものは言い訳に過ぎません」 「う……」 「さあ‥‥親の愛という幻想を抱いたまま、死になさい、氷河」 メイファは氷河にとどめを指すべく、右手を振り上げた。 シャラーーーン その手に鎖がからみつき、動きを止めさせる。 メイファは驚きもせずに鎖の先に目線を送った。 「氷河はやらせないぞ! ドラグーン!」 星雲鎖(ネビュラチェーン)によってメイファの手を止めたのは、瞬であった。 瞬はそのチェーンをたぐりよせ、メイファを氷河から引き離そうとする。 メイファは力を入れているようには見えないが、微動だにしない。 張り詰めた鎖がギリギリと音を立てる。 「お、女の子なのに、なんて力だ‥‥!」 「何人増えようと同じ事‥‥貴方がたセイントでは、私達ドラグーンには勝てない」 「く‥‥っ。たとえ勝てずとも、せめて一糸報いて──」 「待て、瞬‥‥」 氷河が立ち上がる。 「氷河!」 「お前は先に行け。こいつの相手は俺がする」 「で、でも‥‥」 「瞬!」 「う‥‥」 氷河にきつく言われ、瞬はチェーンをメイファの腕から放して引き戻した。 「先に行ってるよ、氷河」 瞬は先ほど壊された壁の奥にある階段に向かって走る。 「むざむざ行かせるとお思いですか」 瞬の方を向き、メイファは腕を上げようとした。しかし。 「‥‥っ」 メイファの体を、いつの間にか氷の輪が覆っていた。しかもその数が次々と増えていく。 「またこのような‥‥うっ!?」 メイファの顔に、初めて動揺の色が浮かんだ。 先ほどのように氷の輪を振り払おうとするが、今度はメイファの体はピクリとも動かない。 「こ、これは一体‥‥」 その隙に、瞬は三階へと駆け上がっていった。 瞬に一瞥を送ってから、メイファは氷河に視線を戻した。 氷河は両腕を広げてコスモを高めている。 「メイファよ。お前は母親に裏切られて人を見限ったかもしれん。だが俺は信じる。親の愛を。人の心を! はああああっ!」 両腕を翼のように舞わせ、氷河は極限にまでコスモを高める。先ほどまでとは比べものにならないほど強大になったコスモが周囲を凍らせる。 「受けろ、白鳥座(キグナス)最大の拳! ホーロドニー・スメルチ!!」 氷の嵐が、身動きのとれないメイファを襲う。 ゴオオオオッ 「くっ!」 嵐に撒かれたメイファの体が舞い上がる。だが。 「はぁっ!」 ガシャーンッ 空中で氷の輪による戒めを解いたメイファは、天井に叩きつけられる寸前に身をひるがえし、天井を蹴って地面に舞い戻った。 「く‥‥っ」 次いで氷河が膝をつく。だが、そのコスモは衰えていない。 「蒼龍炎を二度も浴びながらも、コスモはなお増大していく‥‥このようなことが……」 「そうだ‥‥俺は倒れても何度でも立ち上がる。この白鳥の翼ある限り! ホーロドニー・スメルチ!」 ゴオオオオオッ! さらに高められた凍気が、メイファを襲う。 「くっ!」 左手で防ごうとするメイファ。だがその手が凍り付いていく。 「な‥‥バカな!? はああああっ!!」 バアアアアンッ!! メイファは慌てて右手を添え、ホーロドニー・スメルチの威力を四散させた。その余波を受けて、青龍のマスクが落ちる。 「まさかここまでとは‥‥。ならば仕方がありません。私の最大の技をもって貴方を葬ってあげましょう」 メイファが右手を前に伸ばす。その手の先に強大なコスモが集約し始めた。 ウロボロスの塔、6階‥‥最上階であるこの階は、神殿のような作りの壁と柱が並んでいた。 中央にある広大な部屋は、赤い絨毯が敷かれ、最奥には黄金の玉座があった。 その玉座に座するのは、銀色に輝く髪を持ち、見た目は十代半ばと幼いながらも、並の者ではない威厳を放つ少年。 少年の目は閉じられたままであった。 室内には神々しい気配に満ちていた。それは、少年と、少年の頭上に浮かぶ女性から放たれているものであった。 まるで寝かしつけられているように空中に横たわっているその女性とは、女神アテナ。沙織の体から光が放たれては、少年の体に吸い込まれていく。 「う‥‥ぅぅ‥‥」 光が放たれる度、沙織は小さく呻いた。 その様を眺めるのは、ドラグーンが一人、黄金龍(ゴールドドラゴン)のティアであった。 白と黄色を基調とした秀麗なドレスをまとった彼女は、金色の瞳を潤ませて少年を見ていた。 「レオニス様‥‥」 そうつぶやいた時、背後の扉が開かれ、一人の少女が室内に足を踏み入れた。 ティアが静かに振り返る。 少女が身に纏うは、大きな翼と獅子の頭を持った、黄色のメイル。獅子龍(ドラゴンヌ)のレインである。 「やはりここにいたの。アテナのコスモが満ちたこの部屋では、下のコスモは感じられないわね」 厳しい目をしてそうつぶやいたレインがティアを見る。 「ランのコスモが感じられなくなったわ」 「なんですって!?」 大きく目を見開いたティアは、慌てて部屋を飛び出した。 隣の部屋に出ると、下階の様子がコスモで感じられるようになった。 「さしものランも、4人ものセイントが相手では――」 レインがティアを追って部屋を出てくる。 「いえ、セイント達は一人を残して残りの者は上に上がっている模様よ」 「た、確かに‥‥今メイファと戦っている者のコスモは、一人しか感じられない‥‥。まさか、ドラグーンが一対一でセイントに敗れたとでも」 「そうなるわね‥‥。ランは私達の中では最弱とはいえ、それでも神殺しの龍の力を持つドラグーン。そのドラグーンに打ち勝つとは……。少しセイントを侮りすぎていたかもしれないわね」 「‥‥‥‥」 レインはちらと謁見の間の方に目を向けた。 「ティア、もう一度だけ聞くわ。本当にダークドラゴンを復活させるつもりなのね」 「‥‥ええ。もう、後戻りはできない」 レインはティアをまっすぐに見つめる。 「わかったわ。なら‥‥わたしは一人でも多くのセイントを食い止める」 「頼んだわ、レイン」 何も言わず、レインは歩き出した。 ティアは謁見の間に戻る。 今もなお、アテナのコスモが少年に注がれ続けている。 「ラン‥‥ごめんなさい‥‥私のために‥‥」 ティアの目から、涙がこぼれ落ちた。 「はっ、はっ、はっ」 一人三階に上がった瞬は、次の階段を探してひた走っていた。 三階もまた、下の階とは様相が異なっていた。木造‥‥というより、生きた木をそのまま切っていくつも並べたような、無造作な造りになっている。事実、周りにある木々は死んではおらず、枝や葉を伸ばしている。まるで森の中にいるかのような感覚だった。 複雑さは1階に負けず劣らずだったが、瞬は運良く早めに階段を見付けることが出来た。 西南に位置する、少し開けた部屋に階段はあった。 「あった! 階段だ!」 注意深く見渡して見るが、周囲に人の気配はない。 「良かった、ここにはドラグーンはいないんだ」 そう思い、足を速める。だが。 ジャラ‥‥ 左手の円形鎖(サークルチェーン)が瞬の意志とは関係なく反応し、動き始めた。 「!」 慌てて立ち止まったその時。 ドガアッ! 左にあった扉を突き破り、衝撃波が襲ってきた。 「くっ、守れ、円形鎖(サークルチェーン)よ!」 瞬が左手のチェーンを払うと、チェーンは瞬の体を幾重にも取り巻いた。 ガガッ 衝撃波はチェーンによって遮られた。 アンドロメダの星雲鎖(ネビュラチェーン)は、敵の攻撃に敏感に反応し、鉄壁の防御を敷くのだ。 「やっぱり、簡単に通してはくれないか……」 壊れた扉の向こうから、メイルを身に纏った少女が現れる。 右肩には龍の頭、左肩に山羊の頭、背中にはコウモリの羽、そして尻尾の位置にあるのが蛇という、複雑な形をしたメイルだった。 「君は」 「ドラグーン、混龍(キメラ)のアリア」 「キメラ‥‥ギリシア神話に登場する、いくつもの獣が混ざった魔物か‥‥!」 キメラは険しい山岳地帯に住み、獅子の強靱な体、黒山羊の魔法、蛇の毒等で、通りかかる旅人を襲っては、食い殺したという。 「それにしても、また女の子だなんて」 「当然よ。ドラグーンはみんな女なんだから」 「なんだって!? 女の子が生死を駆けて戦うっていうのか!?」 「ッ!!」 アリアはいきなり怒りの形相を浮かべたかと思うと、拳を放ってきた。 「うっ!?」 ガカッ 瞬は慌ててそれをチェーンで防ぐ。 「あたしはね……。女だからとか、女のくせにとかって言われるのが一番嫌いなのよ!」 アリアが矢継ぎ早に攻撃をしかけてくる。 ガッ ガガッ だが、瞬のチェーンの防御を破ることはできない。 「無駄だよ。このネビュラチェーンの防御は完璧だ。頼む、僕を先に行かせてくれ。女の子を傷つけたくはないんだ」 「これを受けても、まだそんなことを言っていられるか!?」 声を上げ、アリアは右手を腰の横で構えた。手甲の先に伸びる爪が光り輝く。 「リーオナイン・クロー!!」 アリアの右手から放たれた拳が、獅子の爪となって瞬を襲った。 瞬はまたチェーンでそれを防ごうとした。しかし。 「なっ!?」 ザンッ!! 獅子の爪はチェーンの防御の隙間を抜けて、瞬の体にヒットした。さらに、背後にあった壁にまで亀裂を走らせる。 「うぐ……バ、バカな‥‥ローリングディフェンスを抜けるなんて‥‥!」 「その程度の防御であたしの攻撃が防げるとでも思ったか」 「く‥‥」 「男だと女だとか関係ない‥‥力がすべてだと言うことを教えてやる!」 右手を瞬に向けて伸ばすアリア。岩をも砕く鋭い爪が光り輝いた。 「どうやらアンドロメダとアリアの戦いが始まったようですね……。いつまでも貴方一人に構っているわけにはいきません。青龍の牙により、その翼を折ってあげましょう。二度と立ち上がることの出来ないように」 「そうはさせん!!」 氷河は両手を組むと頭上高くにまで掲げた。 「お前が全力を出すというのなら、この氷河も最大の奥義をもって迎え撃とう!」 「おおおおおおおおおおっ!!」 氷河のコスモが極限にまで高まり、周囲の壁が凍り付いていく。 「はあああああああああっ!!」 一方、メイファの手の中にも強大なコスモが生まれた。 二人の背に、白鳥と青龍のオーラが浮かび上がる。 メイファが突き出した両手の先に、青白い龍の形をした衝撃波が放たれた。 「翔龍剄掌(しょうりゅうけいしょう)!!」 ゴオオオオオッ 一方氷河は、組んだ手を叩きつけるようにメイファに向けた。 「オーロラ・エクスキューション!!!」 ドシュウウウウウウッ!! 絶対零度の凍気が凄まじい勢いで放出される。 凍気の塊と青い龍が、二人の中央でぶつかり合った。 バアアアアアンッ!! 「むっ!?」 「ぐ‥‥っ!」 凍気と龍は互いに一歩も譲らず、押し合い続けている。 氷河とメイファは技を繰り出した体勢のまま、コスモを送り続ける。 「まさか、この私の翔龍剄掌が止められるとは!? はああああっ!」 さらにコスモをこめて押し出すメイファ。わずかに凍気が氷河の方に押される。氷河の両腕が少しずつ下がっていく。 「ぐ‥‥おおおおお‥‥っ」 「このままでは私の拳だけでなく、貴方自身の放った技の威力もその身に受けてしまいます。早く逃げた方が――」 「敵に背を向けるようでは、我が師カミュや、友、アイザックに顔向けが出来ん! おおおおっ!!」 再びまっすぐに手を前に突き出し、氷河はさらに凍気を高めた。 凍気の塊が、龍を押し返していく。 「そんな‥‥っ」 「カミュよ、アイザックよ、俺に力を!! おおおおおおおおおっ!!」 凍気と龍は二人の中央にまで戻り、さらにメイファの方に押し寄せ始めた。 「ば、馬鹿な‥‥うっ!?」 ピシッ ビシッ メイファのメイルのところどころが凍り付いていく。 「うおおおおおおおおおっ!!」 「こ、このままでは‥‥」 バアアアアンッ!! 氷河の凍気が完全に押し勝ち、龍を伴ったままメイファに襲いかかる。 「仕方ありません‥‥裂!!」 バンッ 突然青い龍が二つに分かれ、凍気を避けて氷河に襲いかかった。 「なにっ!?」 遮る物のなくなった凍気が一気にメイファに、そして二匹の龍が氷河に直撃した。 「おああああああああああっ!!」 「うわああああああああっ!!」 二人はともに吹き飛ばされ、メイファは廊下に、氷河は再び壁に叩きつけられた。 「‥‥‥‥」 「‥‥‥‥」 二人ともピクリとも動かなくなる。 あれだけ激しかった戦闘の音が止み、辺りは静寂に包まれた。 周囲の壁や床、天井が完全に凍り付き、自重に耐えきれずみしみしと音を立てる。 しばらくの時間があって、氷河の指が動いた。 「う‥‥」 力なく震えながら氷河は立ち上がった。 「か、紙一重だった‥‥まとっているのが神聖衣(ゴッドクロス)でなければ、俺は確実に死んでいた」 (しかしなぜ……ここまでの力を持ちながら、なぜ邪悪な龍を蘇らそうなどとする。メイファが言っていたこの世を浄化するというのは、果たして本心なのか……) 疑問は残るが、氷河は今はそれを心の隅にしまい、階段の方に目を向けた。 「俺も、早く3階へ‥‥」 弱々しい足取りで歩き出す氷河。 その時、メイファの目がゆっくりと開かれた。 「ま、待ってください‥‥」 「な‥‥ま、まだ‥‥」 「いえ‥‥」 メイファは上半身を起こしはしたものの、立ち上がることはできずに壁に背を預けた。 全身のほとんどが氷漬けになっている。 「私には、もう戦う力はありません‥‥」 その言葉は嘘とは思えなかった。氷河は警戒を解いてメイファに歩み寄る。 「貴方がたならば‥‥ティアを止めることができるかもしれません」 「ティアを止める‥‥だと?」 「はい。ティアのしようとしていることを止めてください」 「なに。お前達の目的はダークドラゴンを復活させ、人間を滅ぼすことではなかったのか」 「違います……。あれは、貴方を本気にさせるための、方便‥‥。しかし、ティアの望みを叶えるためには、ダークドラゴンを復活させなければならないのは事実です。そのためにアテナの命を必要とすることも‥‥うぅっ」 顔をしかめるメイファ。 氷河はメイファの肩を持って問いかける。 「どういうことなんだ!? ティアは一体、何のためにダークドラゴンを復活させようとしているんだ!?」 「時間がありません‥‥ダークドラゴンが復活するまで、後二時間もかからないでしょう‥‥その前に‥‥‥‥うっ」 まぶたを震わせながら、メイファは氷河を見た。その口元には、わずかに笑みが浮かんでいる。 「母は……私を殺そうとする時……泣いていました。何度もごめんねとつぶやきながら……震える手で、ナイフを振り下ろしました……。母は、多くの兄姉を救うために、私を……」 「メイファ……」 「ティアを……頼みます」 力を失い、メイファは意識を失った。 「おい、メイファ、おい!」 呼びかけるものの、メイファは意識を取り戻さない。 氷河は静かにメイファの体を床に寝かせた。そして胸の上で手をかざす。 「はあ‥‥っ」 氷河の手から放たれた温かなコスモにより、メイファの体を覆っていた氷が溶けた。 紫色をしていたメイファの唇が色を取り戻す。 「必ずティアを止めてみせよう。それまでここで休んでいてくれ」 立ち上がり、階段に向かって歩き出す氷河。 「時間がないというのであれば、急がねば‥‥」 だが、数歩も歩かないうちに、その体が崩れた。 「う‥‥っ」 バシャッ‥‥ 床の水たまりの上に倒れた氷河は、そのまま動かなくなった。
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