聖闘士星矢
ドラゴンウォーズ

第3章


 

 ガシイッ
「うぐ……っ!」
 混龍(キメラ)のアリアの攻撃が、また瞬の体にヒットした。
 鋭い獅子の爪の前に、鉄壁の防御を誇るはずの円形鎖(サークルチェーン)がまったく役に立たない。
「死にたくなければ、大人しく尻尾を巻いて帰ることね」
「ア、女神(アテナ)の命が奪われようとしているのに、死ぬことを恐れて逃げるなんてできるものか……!」
「そうか、なら死ぬがいい! リーオナイン・クロー!」
 再び獅子の爪が瞬に襲いかかる。
「くっ、うああああっ!」
 ドシャアアッ
 やはりチェーンでは防ぐことができず、瞬は仰向きに倒れた。
 瞬は痛みを押して立ち上がり、サークルチェーンを構えた。
「このままやられるわけにはいかない。女の子に手荒なことはしたくないけど、しばらくじっとしていてもらうよ!」
 瞬はサークルチェーンを防御のために使うのではなく、アリアに向かって投げつけた。
 チェーンは自ら意志を持っているかのように動いて、アリアの体を拘束しにかかる。
「グレートキャプチャー!」
 チェーンが迫ると、アリアはカッと目を見開いて地面を蹴った。
 コウモリの翼を使って追いすがるチェーンをことごとくかわし、アリアは瞬の背後に降り立った。
「な……本当に飛んでいる!?」
「あんな子供だましであたしの動きを封じようなどと……なめられたものね」
 アリアの肩当ての龍の目が、青い輝きを放った。
「くらえ、ドラゴンズ・ファング!!」
 突き出した右手の先から、龍の牙の形をしたオーラが放たれた。
 それは狙い違わず瞬の胴を捉える。
 ガシィッ
「うわああああっ!!」
 瞬の体が派手に吹き飛ばされ、破損した聖衣(クロス)のかけらが飛び散った。
 ドシャアッ
 瞬は頭から地面に叩きつけられる。
「う……く……」
 アリアはうめき声を漏らす瞬に冷たい視線を突きつけた。
「あたしの拳を何度も浴びて、まだ生きてるとはね……。そのクロスのおかげか」
「そ、そうだ……。この神聖衣(ゴッドクロス)は、黄金聖闘士(ゴールドセイント)とアテナの血によって蘇った、最強最後のクロス……!」
 瞬が再び立ち上がる。
「このクロスを纏っている限り、僕達は負けるわけにはいかない……。この地上を、暗黒に染めるわけにはいかないんだっ!」
「そうか、なら、その自慢のクロスを粉々に砕いてやる。お前の命とともにね」
「そうはいかない! グレートキャプチャー!」
 瞬は再びサークルチェーンをアリアに向けて飛ばした。
「っ!? ふざけてるのか!?」
 いらだちのこもった声を上げ、アリアはまた龍の爪を放った。
「ドラゴンズ・ファング!」
 ガガガッ
 龍の牙がサークルチェーンを弾き飛ばし、さらに瞬の体を後ろの壁まで押し飛ばした。
 ドガアッ
「うああ……!」
 前のめりになり、がくりと膝をつく瞬。そのまま倒れかけたが、その前に手を出して体を支えた。
「そのまま寝ておけばいいものを……しつこさだけは一人前ね」
「ぼ、僕は諦めない……諦めたら、そこで終わりだもの」
「だったらあたしを倒そうとする気概くらい見せたらどうなの」
「僕は、君を傷つけたくない」
「……ッ」
 瞬の言葉に、アリアはピクリと頬をひきつらせた。
「あたしが女……だからか?」
「いや……僕は相手が女でも男でも、相手を傷つけたくはないんだ」
「フン、そんな甘い考え方でよく今まで生きてこられたものね。相手を傷つけたくない? それで優しい男を気取ってでもいるつもり? お前はただの臆病者だ。弱い自分に言い訳しているに過ぎない」
「確かに、そうかもしれない……」
 しゅんとなって落ち込む瞬。
 そんな彼を見て、アリアはいらだたしげに舌を鳴らした。
「お前など拳を振るう価値もないわ」
 そう言った後、アリアの体から不気味な黒いオーラが放たれ始めた。
「な、なんだこの不気味なコスモは……これは一体!?」
 瞬はアリアの左肩の黒山羊の瞳が赤く輝いていることに気づく。
「この地に縛り付けられ、永遠に敗北者としての惨めな姿を晒すがいい。ゴーツ・ソーサリー!」
 アリアが左手をまっすぐ横に伸ばすと、その足下から黒いオーラが広がり、瞬にまで及んだ。
「な、なんだこれは!? う……!」
 黒いオーラが瞬の体を這い上がっていく。それとともに、瞬の足から感覚が失われていく。
 ピキッ ピキッ
「こ、これは……! 体が石に変わっていく……!!」
 黒山羊の瞳がさらに赤く輝くと、石化の速度が速まった。
 足から腰、そして腹にまで石化の力が及んでいく。
「ペルセウス座アルゴルの持っていた、メデューサの盾と同じか……だったら!」
 瞬は初めて右手のチェーンを構えた。
 左手のサークルチェーンと違い、右の角鎖(スクウェアチェーン)は攻撃を主体としている。
「行け、スクウェアチェーンよ! サンダーウェーブ!」
 瞬の手を離れたスクウェアチェーンが、稲妻のように縦にジグザグに動きながらアリアに迫る。
「なにっ!?」
 ガシッ!
 スクウェアチェーンはアリアの体でなく、左肩の黒山羊に命中し、その頭部を破壊した。
 シュゥゥゥゥゥゥゥ……ッ
 瞬く間に瞬の体が元に戻っていく。
「黒山羊の魔術を破るとは……」
「以前、似たような石化の術を使うセイントと戦ったことがある。そのセイントは、魔力を宿した盾の力で敵を石に変えていた。僕と星矢は石に変えられたけど、仲間が盾を破壊してくれたおかげで、僕達は元に戻ることができたんだ」
「それで、石化の魔力の源である、黒山羊の頭だけを破壊したのか。あたしの体は狙わずに」
「そうだ。言ったはずだ、僕は君を傷つけるつもりはないと」
「傷つけずに倒すことができると思っているのか!?」
「倒す必要はない。ただ、ここを通してくれるだけでいいんだ」
 アリアはぎりぎりと歯を噛み締めながら瞬を睨みつけた。
「ドラグーンを舐めるのもたいがいにしろ……。ここを通りたければ、あたしを倒していくしかない!」
 両手の爪を構え、アリアはコスモを高めた。そのコスモには、瞬に対する怒りがにじみ出ている。
「だが、お前みたいな甘ちゃんに、あたしを倒すことなど、天がひっくり返っても不可能だ! リーオナイン・クロー!!」
「その技はもう何度も見させてもらった。守れ、サークルチェーンよ!」
 ジャラーンッ
 瞬はまたサークルチェーンによる防御を試みる。
「フン、そんな防御など何の役にも立たないと、何度言ったら──うっ」
 チェーンがさっきまでとは別の動きを見せ、アリアは眉をひそめた。
 チェーンは円を描くように広がった後、向かい合う牙のような形をなした。
「獅子の足を挟み込むような、この布陣は……!?」
「ワイルド・トラップ!」
 バキィッ
 チェーンの罠にとらえられ、獅子の前足である手甲が破壊された。
「馬鹿な……!」
「サークルチェーンの防御はローリングディフェンスだけじゃない。相手の攻撃に合わせて防御の方法を変えることができるんだ」
「なに……」
「僕は以前に海闘士(マリーナ)、スキャラのイオと戦って、コウモリと蛇の対処方法も知っている。君の攻撃はもう僕には通用しないよ」
 瞬はチェーンを両手で持って左右に引っ張り、張り詰めらせた。
「……」
 アリアが目尻をつり上がらせて瞬をにらみつける。
「……あながちはったりではないようね。お前達は青銅(ブロンズ)といえど、それなりの場数は踏んできたということか」
「これ以上の戦いは無意味だ。大人しく僕を先に行かせてくれ」
「何度も言わせるな。通りたければあたしを倒していけ」
「なぜ……なぜそうまでして暗黒龍(ダークドラゴン)を蘇らせようなどとする。ダークドラゴンが復活すれば、この世は地獄と化してしまうんだぞ」
「それでも、今よりはましだ」
「なんだって?」
「お前達にはわかるまい……」
 アリアが右の拳を握りしめる。
「ずっと光の中でいたお前達に、わかってたまるか!!」
 ゴオオオオッ!!
 アリアの全身から、強大なコスモが放たれ始めた。
「な、なんというコスモだ……! まだこんなにもの力を……!?」
「メイルの力を借りた技だけがあたしのすべてではない……。あたし自身の手で、お前に地獄の苦しみを与えてやる!」

 連れだって3階に上がった星矢と紫龍は、ことさらに焦りを覚えていた。
「後2時間もないとは……急がねば」
 氷河のもたらした情報が、彼らをより急かせていたのである。
 数分前──
 2階を彷徨っていた星矢と紫龍は、水浸しの部屋の中で倒れる氷河の姿を見つけた。
「氷河!」
 氷河の元に駆け寄り、紫龍がその身を抱え起こす。
「しっかりしろ、氷河」
「う……星矢と紫龍か……」
 氷河は意識を取り戻したものの、まだ起き上がれる状態ではなかった。
「何をしている、早く行け……あまり時間がない」
「なに」
「そこに倒れているメイファから得た情報だが……アテナの命が失われるまで、後2時間もない」
「むう……」
 星矢と紫龍は外の廊下に倒れているメイファを一瞥した。
「メイファは敵だが、信用していいだろう……」
「ああ……。俺達は先に行く」
「俺も、必ず後を追う」
「待っているぞ、氷河」
 氷河を再び寝かせ、二人はうんとうなずき合ってから走り出した。
「俺も……必ず……」
 腕を伸ばして歩き出そうとした氷河だったが、力尽き、水たまりに顔をうずめて意識を失った。

「奴らの狙いは一体なんなんだ」
「わからん……とにかく今はアテナのもとに辿り着くことだけを考えよう」
 丁字路に出て、紫龍は足を止めた。
「星矢、ここからはまた二手に分かれよう」
「ああ。死ぬなよ、紫龍」
「うむ」
 星矢は右に、紫龍は左に道を進んだ。
 紫龍は今星矢に言われた言葉を繰り返した。
「死ぬな……か。だが、アテナを守るためには命は──」
 その時、紫龍の脳裏に、一人の少女の姿が思い浮かんだ。
 それは、チャイナドレスに身を包む、長い黒髪を三つ編みに結った、瞳の大きなあどけない少女だった。
(春麗……)

 中国五老峰、天より落つると言われる大瀑布。
 その前にある突き出た岩の上には、かつては一人の老人が座し、動くことはなかった。
 その老人こそ、かつての聖戦の生き残り、ゴールドセイント、天秤座(ライブラ)の童虎であった。
 だが童虎は、ハーデスとの戦いのおり、弟子である紫龍にすべてを託して命を落とした。
 その瀑布の前で、春麗は祈りを捧げていた。
 身よりのなかった彼女は紫龍がセイントとなるべくこの地に遣わされたのとほぼ時を同じくして、童虎の世話になっていた。
 以来6年間、紫龍がセイントになるまでの間、紫龍とともにこの地で過ごした。
 紫龍の実直さと優しさに惹かれた彼女は、一途に紫龍を想っている。
 その春麗の顔には、心配の色がありありと浮かんでいた。
「紫龍……。明日帰ってくるって言ってたけど。何かしら、この胸騒ぎは……」
 春麗のそうした勘は、今までに外れたことはなかった。
「まさか、また新たな戦いが……。ようやくハーデスとの戦いが終わったばかりだというのに」
 春麗にはどうすることもできない。そんな時、春麗は決まって祈りを捧げるのだ。
 愛する者の無事を祈って、ただ、静かに──。

 紫龍は、この砂漠の真ん中に建つ古ぼけた塔の中にいて、温かい空気に包まれるのを感じた。
 それはとても懐かしく、心が癒される温かさだった。
「春麗。君はまた、俺のために祈りを捧げてくれているのか……」
「老師がいない今、俺まで死んだら春麗は独りぼっちになってしまう」
「俺は死ぬわけにはいかない……なんとしてでもアテナを救いつつ、生き延びねば」
「それは不可能ね。貴方がここを生きて出られるのは、アテナの命を救うことを諦め、逃げ去った時のみ」
 カツ……カツ……
 聞き覚えのある声とともに、足音が近づいてくるのが聞こえた。
 通路の奥の暗闇の中かから、黄色に輝くメイルに身を包んだ、金髪の少女が姿を現す。
「獅子龍(ドラゴンヌ)のレイン……!」
 前回のレインとの一戦が、紫龍の脳裏にまざまざと蘇る。あの時、紫龍は一糸も報いることなくこのレインに敗れてしまったのだ。「君がこの階を守る龍闘士(ドラグーン)か」
「いえ。わたしは本来は5階を預かっている。一人でも早く片付けるために出向いてきたのよ」
(一人でも早く……? ドラグーン側も焦っているというのか。しかしなぜ)
「まだ私がつけた傷は癒えていないはず。立っているのもやっとの状態でしょう。そんな体でどうしてここに来たの。命が惜しければじっとしていればいいものを」
「知れたこと。アテナの命を取らせぬ為。この世を暗黒の世にせぬ為だ……!」
 凛々しく言って紫龍は身構える。
「アテナを救うどころか、アテナともども、その命を散らすのがオチよ」
「あの時は不覚をとってしまったが、今はクロスを身に纏っている。同じようにはいかんぞ、ドラゴンヌ!」
 紫龍の長い黒髪が舞い上がり、クロスの翼と尻尾が揺れる。
「クロスを着ていようといまいと同じこと……」
「はああああっ! 受けよ、龍座(ドラゴン)最大の奥義! 盧山昇龍覇!!」
 紫龍が繰り出した拳の先から、龍の形をした衝撃波が放たれる。
 それは以前レインに向けたものより威力もスピードも勝っていた。だが。
 レインは落ち着きを払って、広げた右手を前に出した。
 バアアアアアアアンッ!
 昇龍覇の威力はレインの掌底一つで簡単に止められてしまった。
「な、なにぃっ!? 渾身の力を込めた昇龍覇が……!」
「確かに、以前よりは段違いに威力が増している。初めて見たのなら、今のようにはいかなかったでしょう」
「なに……それは……」
「そう。わたし達ドラグーンにも、同じ技は何度も通用しない。それは何もセイントの専売特許というわけではないのよ」
「く……」
(や……やはり強い! 彼女の前では、死の神(タナトス)や眠りの神(ヒュプノス)でさえもかすむやもしれん……!)
 その考えはあながち大げさなものではなかった。
 氷河と二人がかりだったとはいえ、紫龍は神であるヒュプノスを倒しているのだ。その紫龍が、レインには傷一つつけることができないのである。
「アテナ復活のために命を惜しまぬというのなら……今度こそ、その命を絶つ!」
 レインが胸の前で両手のひらを向かい合わせる。
 その手の間にコスモが集約していく。
「く……っ!」
 紫龍は左手の盾を構えた。
「フラッシュ・ロアー!!」
 ガカッ!
 獅子の口が開き、まばゆい光が放たれる。紫龍はそれを盾で防いだ。
「う、ぐ……っ」
 盾で受け止めてなお、紫龍の体は1メートルほど押し下げられた。
「さっき君が言った通りだ。同じ技は通用しない」
「なるほど……」
 技を防がれたことにさしたる動揺も見せず、レインは冷ややかに紫龍の盾を見た。
「それが最強と名高いドラゴンの盾ね。そのわりには、随分と破壊されてきたようだけど」
「うぐ……っ」
 痛いところをつかれ、口をつぐむ紫龍。
「だ、だが、この盾は……ゴッドクロスとなった今は違う! 何があっても破壊することはできん!」
「確かに……フラッシュ・ロアーを受けてビクともしないその盾を、破壊するのは一筋縄ではいかないでしょう。けれど……」
 レインが床を蹴ったかと思うと、レインは空中を滑空し、一瞬のうちに紫龍の眼前まで移動していた。
 そして鋭い回し蹴りを放つ。
 ガッ!!
「ぐっ!?」
 想定以上の衝撃が、盾で防いだ紫龍の左腕を襲った。
 ズシリとのしかかるようなその衝撃、下手をすれば防御した盾ごと飛ばされてしまいそうである。
「な、なんという重い蹴りだ!」
 レインは翼をはためかせて空中に止まり、さらに蹴りを放ってくる。
 ガッ ガシッ
「ぐっ、く……っ!」
「いつまで盾の影に隠れおおせるかしら!?」
 レインの凄まじい連続攻撃に、紫龍は防戦一方で、反撃に転ずる隙を見いだせない。
 ガンッ ガシッ ドカッ
(た、確かにレインの言うとおり、このままではいつかはやられる!)
「はあああああっ!!」
 ガシイッ!
 大振りな回し蹴りを防ぐと、レインは勢いがつき過ぎて紫龍に背を向ける格好となった。
「今だ!」
 紫龍が攻撃に出ようとしたその時、メイルの尻尾がうなりを上げて襲ってきた。
「甘い!」
「なにいっ!?」
 ドカアアッ!!
「ぐあああっ!!」
 尻尾の強打をまともに浴び、紫龍の体が派手に吹っ飛ばされた。
 そして、背中をしたたかに壁に叩きつけられる。
「言ったはず……貴方達のクロスと違い、ドラグーンのメイルは伊達ではないと」
 そう言った次の瞬間、レインは紫龍の目の前に移動していた。
「くっ!」
 紫龍はとっさに盾を構えようとしたが、レインはそれより早く紫龍の左腕をつかみ、盾を構えなくした。
「これでとどめよ!」
 獅子の口が大きく開き、その中に光の玉が生まれる。
「しまった!」
「フラッシュ・ロアー!!」
 ガカッ!!
「ぐあああああああああああああっ!!」
 至近距離で光の爆発を浴び、紫龍は後ろの壁ごと吹っ飛ばされた。

「おおおおおっ!!」
 最大限にまでコスモを高め、アリアは胸の前で両腕を交差させた。
(来る……! 一体どんな技で仕掛けてくるつもりだ!?)
 サークルチェーンを握りしめ、瞬は攻撃に備えた。
「くらえ、アンドロメダ! 地獄の苦しみを味わい続けながら死ぬがいい! バウンドレス・ペイン!!」
 アリアが両腕を八の字に振り下ろす。
 アリアの全身から放たれたコスモが、瞬を包み込むように周囲から襲いかかった。
「くっ、守れ、チェーンよ!」
 ローリング・ディフェンスによる防御を試みるが、アリアのコスモはチェーンをすり抜け、瞬の体を捉えた。
「何っ!? ぐああああああああああああああっ!!」
 瞬の体を壮絶な痛みが駆け抜ける。まるで全身の神経をズタズタに引き裂かれるかのような、常人ならばショック死してしまうほどの痛みが、耐えることなく襲いかかってくる。
「こ、この痛みは──うあっ!! ぐああああああっ!!」
「その痛みは決して消えることはない。お前の命が尽きるまで!」
「な……に……っ。うぐっ、うあああっ!」
 瞬が両膝をつく。耐え難い痛みに、精神さえも崩壊してしまいそうだった。
「このまま放っておいても、いずれお前は死ぬ……だが、それを待っている時間はない。早く他のセイントも片付けなくちゃいけないからね」
 そう言って、アリアは右手を顔の横まで上げた。右肩の龍の目が鋭く輝く。
 瞬はばっと顔を上げ、チェーンを放った。
「サンダーウェーブ!!」
 ガカッ!!
「なにいっ!?}
 稲妻状に走るチェーンが、アリアの右肩の龍を破壊した。
「はあっ、はあっ」
 瞬はチェーンを放った格好のまま、大きく肩で息をしている。
 壮絶な痛みは、今もなお続いていた。
「バ、バカな……バウンドレス・ペインの痛みの中で、こんな攻撃をしてくるなんて……」
「もうやめるんだ、アリア……。僕は君を傷つけたくない。どうか僕を、アテナのところに行かせてくれ!」
「フン、その体でよくもそんなことが言えたものね。放ってもおいてもお前はもうじき死ぬんだぞ」
「僕は……死なない!」
 強い口調で言い放ち、瞬は立ち上がる。
「アテナを救うまでは……兄さんと約束したんだ。たとえ一人でもくじけないって……!」
 がくがくと震えながらも二本の足で立つ瞬を見て、アリアは意外そうな顔をした。
「ただの弱虫だと思ってたけど……その根性だけは褒めてやるよ。けれど、ここから先に行かせるわけにはいかない」
「あたしは姉さんとともに、日の当たるところに出るんだ」
「さ、さっきもそんなことを言っていたけれど……君達は、いったい──うああああっ!!」
 バウンドレス・ペインの痛みが、さらに瞬を苦しめる。
「バウンドレス・ペインを受けたその身に、もう一度バウンドレス・ペインを浴びればどうなるか……。おそらく精神が耐えきれず、魂が四散し、消滅してしまうだろう。そうすれば二度と立ち上がることはない」
「さあ受けよ、アンドロメダ、地獄の苦しみを再びその身に……!」
 アリアは腕を交差させてコスモを高め始める。
「ま、待ってくれ、アリア! 僕は君を死なせたくないんだ!」
「フン、命乞いならもっとましな言い訳を考えることね! はああああああっ!!」
 ゴオッ!
 アリアのコスモが最大限まで高まろうとした、その時、アリアの全身を水蒸気のようなものが取り巻いた。
「な、なんだこれは……気流!? 気流があたしの体を取り巻いて……し、しかも……」
 アリアは体を動かそうとするが、思うように体が動かない。
「気流があたしの動きを封じている……!?」
「星雲気流(ネビュラストリーム)」
「ネビュラストリームだって……これをお前が生み出したものか……こんなものがあたしの動きを……うっ!? 気流が激しさを増していく……!」
「そのストリームは相手の出方次第で変化する。攻撃の意志を見せれば、最後には嵐(ストーム)となって敵を倒すのだ。そうなれば僕でも制御が効かない。君を死なせてしまうかもしれない……!」
「ふ……ふざけるな! こんなものであたしを倒すことなどできるものか! うおおおおっ!!」
 気流が取り巻く中、アリアは極限にまでコスモを高めた。
「やめてくれ、アリアアアアッ!!」
 バシイッ!!
 気流による拘束を打ち破り、アリアは両腕を振り下ろした。
「くらえ、バウンドレス・ペイン!!」
「く……星雲嵐(ネビュラストーム)!!」
 ゴオオオオオオオオオッ!!!
「うああああああああああああっ!!」
「ぐあああああああああっ!!」
 嵐に巻かれ、アリアの体が天井に叩きつけられた。
 メイルの大部分が破損し、マスクも飛ばされている。
 一方瞬も、さらなる激痛を浴びてその場に倒れ伏した。
 アリアの体が天井から落ちる。
 ドシャッ
 その後しばらく、沈黙が続いた。
 その沈黙を破ったのは……。
「ま……まさか……本当に、ここまでの力を持っているとは……」
 そう言って立ち上がったのは、アリアだった。
「けれど、あたしを倒すほどではなかったわね」
 倒れたままの瞬を見下ろしながら、アリアは言った。
 そして東の方を向くと、くっと口元を歪めた。
「このコスモは……レインか。あたしが信用できないっていうの……?」
「相手はドラゴンか……ドラゴンのコスモも消えかかっている。ならばあたしは残るペガサスを始末するとしよう」
 アリアが歩き出そうとしたその時、アリアの後ろで声が聞こえた。
「い、いいのか……敵を置いて、この場を離れて……」
「な……なにっ!?」
 アリアは心底驚いた様子で振り返る。
「僕は、まだ……死んじゃいない……!」
 瞬が全身を細やかに震わせながら立ち上がった。
「そ、そんな……バウンドレス・ペインを二度も受けて死なないなんて……」
「おおおお……おおおおおおおっ!!」
 瞬は両手を大きく広げ、著しくコスモを高めた。
「な……なに!? この華奢な男から、こんな強大なコスモを感じるなんて……!?」
「はあああああああああっ!!」
 バアアアアアアアン!!
 気合いのこもった声とともに、瞬の体を取り巻いていたアリアのコスモが弾け飛んだ。
「バウンドレス・ペインを打ち破った!?」
「グレート・キャプチャー!」
 ギャラーンッ
 アリアが戸惑っているすきに、瞬はサークルチェーンをアリアの体に何重にも巻き付けて、アリアの体を封じた。
「く……っ!」
「どうかそのまま、そこでじっとしていてください……。僕達がアテナを救うまで」
「そうはいくか! うおおおおおっ!!」
 今度はアリアがコスモを高め、チェーンの束縛を解こうとする。
「なぜだ……なぜそこまでして!? どうしてその力を、地上の愛と平和のために使おうとしないんだ!?」
「愛? 正義!? 笑わせるな! そんなもの、この地上には存在しない! あたしはそれを姉さんとともに知った! お前達セイントに、影となって戦う者の苦しみなど、わかってたまるものか!」
「影となって戦うものの苦しみ……?」
「あたしと姉さんは孤児だった。祖国で起きた内乱のために両親を殺され、以来あたし達は二人だけでその日その日を何とか生きながらえてきた。そんな時ティアと出会い、あたし達がドラグーンであることを知った」
「神さえも超える力を手に入れ、あたし達は人並みの……いえ、それ以上の暮らしができるようになると思った。だが、待っていたのはドラグーンとしての宿命だった。ドラグーンは、お前達セイントの影となって戦うことを宿命づけられていたんだ」
「あたしと姉さんは愕然とした。ドラグーンになっても、戦いだけの空しい日々。しかも、勝利したところで脚光を浴びることはない。同じように平和のために戦っても、あたし達が日に当たることはなかったんだ……!」
「いや……わかるよ」
 瞬は目を閉じて静かに言った。
「僕達ブロンズセイントも、みんな孤児だったんだ。6歳の時にセイントになるべく離ればなれにさせられ、そこで地獄のような日々を送った」
「自分の運命を呪ったこともある。けれど僕達は、セイントとしての運命を受け入れ、今まで戦い続けてきた。脚光を浴びたいから戦うんじゃない。ただ、地上の愛と正義のため……それだけのために戦ってきたんだ! 僕達のような不幸な子供を増やさないために……!!」
「黙れ! この戦いでセイントよりドラグーンが上だということを示し、あたし達が日の光を浴びる! 誰にも邪魔はさせない! うおおおおおおっ!!」
 バーーーン!!
 アリアは体を拘束するサークルチェーンをすべて引きちぎった。
「サークルチェーンが!?」
「アンドロメダ! 今度こそ、これで最後だ! あたしをここまで追い詰めたことを褒めてやる! はああああああっ!!」
 アリアがコスモを高め始める。その背後に、混龍(キメラ)の姿が浮かび上がった。
「やるしか……ないのか。おおおおおおおおっ!」
 瞬の背後では壮大な銀河が渦を巻く。
「おぉぉぉぉぉおおおおっ!! 今度こそとどめだ! バウンドレス・ペイン!!」
「爆発しろ、ネビュラよ! ネビュラ・ストーム!!」
 ゴオオオオオオッ!!
「うああああああああっ!!」
 稲妻を伴った嵐に巻かれ、アリアの体が吹き飛ぶ。瞬はまた壮絶な痛みに見舞われた。
「ぐ……うぅ……っ」
 倒れかかった瞬は、右手を床についてその身を支えた。
「行かなきゃ……アテナの元へ……。僕は、兄さんと約束したんだ。一人でも、立派に戦って……見せると……」
 ドシャッ
 力尽き、瞬が床に倒れ伏す。
 壁に叩きつけられたアリアもまた、うつぶせに倒れた。
 嵐が止み、静寂が訪れる。
 二人とも倒れたまま、ピクリとも動かなかった。

 そのしばらく後……。
「瞬ーっ!」
 瞬の名を呼びながら駆け寄ってきたのは星矢だった。
「大丈夫か、瞬っ!?」
 瞬の体を抱え起こすが、目を覚ます様子はない。
「むぅ……相当なダメージを負ったらしい。よほどの強敵だったんだろう」
 星矢は奥の壁の元で倒れるアリアを見た。
 そのアリアの手がぴくりと動く。
「む……目を覚ましたか」
「ふふ……やっぱりその男は尼ちゃんね……」
 上半身を起こして壁にもたれかかり、アリアは言った。
「何?」
「本当なら……最後の一撃であたしは命を落としていたはず。けれどアンドロメダは、ぎりぎりの戦いの中、最後の最後で手加減した。あたしを死なせないために……下手をすれば自分が命を落としていたかもしれないというのに」
 アリアの言葉を聞いて、星矢はふっと笑みをこぼして瞬を見た。
「そういうやつなんだ、瞬は……」
 満身創痍となりつつも、瞬の表情は穏やかだった。
「けれど……」
 低い声でアリアが言うのを聞いて、星矢の体に緊張が走った。
「あたしの姉さんはこうはいかない……お前達はみんな、飛龍(ワイバーン)のミーアに倒される……絶対に……」
 そう言って、アリアは再び意識を失った。
「むう……ワイバーンのミーア……よほどの強敵らしい。だが、相手がどれだけ強大であろうと、俺達は負けるわけにはいかない。なんとしてでも女神(アテナ)を救い出してみせる」
 星矢は瞬の体を背中にかつぎ、階段に向かって歩き始めた。
 階段の一段目に足をかけた時、星矢は東の方に顔を向けた。
「先に行ってるぞ、紫龍」
 東の方から感じる紫龍のコスモが弱まりつつあるのを感じながらも、星矢は階段を上っていった。

 

第4章に続く