マッコウクジラ

和田金右衛門頼照には3人の子がおり、長男は頼興、次男は頼治、三男は頼直といいました。頼興は後に金右衛門を名乗り、弟の頼治は角右衛門、頼直は重郎右衛門(半六)を名乗りました。頼興と頼治・頼直は異母兄弟でしたが仲が良く、暇な時はいつも碁や将棋をしていました。しかし兄の金右衛門頼興は生来病弱だったため、弟の角右衛門頼治は兄が得た捕鯨の家業を補佐しました。ところが、この頃になると、太地浦では兄の金右衛門組とするものの、三組の鯨組(金右衛門頼奥・角右衛門頼治・忠兵衛頼則)となり、また他の地域でも鯨組が多く出来て競合しておりました。そのため、乱獲となり、捕鯨業は衰退しつつありました。