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「ハーイ、HR始めまーーす。みんな席についてねーーー」
【↑ 円 真理音 (まどか まりね)1年D組担任 アメリカ系ハーフ 担当科目英語】
いつものように、担任であるマリの澄んだ声が教室に明るく響く。
ただ、ちょっといつもと違っていたのは、不機嫌そうに頬を膨らませ”ムッス〜”っと頬杖をつくミリーと
頭にバッテン印のバンソーコーを張り付けたモユが、無言で座っている所だった。
程なくしてHRが終了し、そのまま一時間目の英語の授業に突入。
その間、終始、モユがいろいろとコンタクトを取ろうと窓際に座るミリーに向かって
サインを送るのだが..。すべて無視されていた。余程腹にすえかねたらしい。
結局彼女の機嫌の悪さが収まりそーになるまで、お昼休みまでの時間を用すことになるのであった。
お昼休み。
両手で大きい紙袋を抱えたモユが、ミリーの席に猫なで声でやってくる。
「み、ミリ〜〜、お昼やで、お昼ぅ〜〜、ま、まだ食べてないやろ?」
「....」
「あんたの分もこうてきたでーー、いっしょに食べよーーやっ」
「....」
なんとか機嫌をとろうと、いろいろ話かけているのだが。頬杖ついて窓の外の景色に視線を向け
あくまでシカトを通す手強い級友を前に、モユが思案を巡らせる。
『こらあかん...めっちゃ怒っとるっ』
一瞬、どうしていいかわからず、言葉をなくすモユであったが、先程購買に群がる男子生徒を
掻き分けて、この為に仕入れてきた戦利品を活用することにした。
「ほらほら〜〜、ミリの好きな極厚カツサンドやでー、うまそーやろぉ」
「....」
「苦労したんやで、最後の一個やったんやけど、なんや上級生のにーちゃんが目の前で掴んでたトコ
無理やり関節きめて、もろてきたんや〜〜」
...それは”最後の一個”とは言わない。
「他にもいっぱいあるで〜〜、ヤキソバやろ、ハムサンドに、おお!? なんやっ、このタコヤキパンって
こんなん初めて見たわーー」
ガサガサと紙袋から取り出して、一つずつミリーの机の上に並べていく。
「大阪人をナメとんのか、うやまってんのか、よーわからん商品やなーーっ、味で判断せーゆーことやろか?」
「....」
「なんやよーーわからんわ、あははははっ...」
「....」
「..え、えーと」
「....」
無反応。
なんとか食べ物と取り留めのない世間話で、彼女の機嫌を直そうと試みるも
すべて無言の圧力で弾き返されていた。まるで見えない八角形のバリアーが、彼女との空間を
隔てているよーでもある。
「なぁ、ミリ〜〜、ええかげん機嫌なおしーーやぁ。悪かったって..」
しまいには泣きが入る。
「....」
「ゴメンって..」
「....」
「....今度、チーズケーキおごったるから」
ピクっ
今まで身動き一つせずに、窓に無かって視線を向けていたミリーの身体が、一瞬ピクリと反応した。
例えるなら、頭部に犬耳が生えたよーな感じである。
『反応しよった!?』
彼女の好物をエサに、ここぞとばかりに攻略に入るモユ。
「なんぼでも食べてえーーでーーっ、遠慮せんと丸ごと一個いってみるか?」
「...そんなに食べれないもん」
あいかわらずソッポを向いてはいるが、やっと返事をするミリー。
これで会話ができると踏んだモユは、気をよくして話を続けた。
「なにゆーてんっ、あんたいつも、あの丸いヤツ(直径30センチ)の半分ぐらいは軽々くーてんねんでぇ」
「...飽きるもん」
「飽きるて...(汗)」
多分彼女は、味についての問題点を上げているのだろう。心の中で”飽きんかったら、食うんかい!?”
っとツッコミを入れつつ、モユは宥めに入った。
「わかったから、なっ、いっしょに食べよーーやっ」
「...もうあんなことしなぃ?」
「せーへん、せーへん」
「...ほんとに?」
「ほんまやって」
「じゃぁ、許してあげるよ」
そう言ってモユに向かって向き直る。そして、屈託のない笑顔。
それを見て、ようやく安心したモユが”ふぅ”っと一つため息をつく。
「あんたほんま難儀やな〜〜」
「なによそれぇ〜〜、誰だってあんなことされたら怒るよっ!」
「ほっぺたやんかーー、そないに怒りなやーーー」
「当り前だよっ! なにが悲しくってモユにふぁーすときす奪われなきゃなんないのっ!」
プンスカと怒って力説するミリーに、”..フ”っとニヒルな冷笑を浮かべた後。
「...あんたが、あんまりカワイイからや」
真顔で遠い眼をしたモユが言う。
ガタっ! ガタガタガタっ!
もの凄い勢いで、椅子に座ったまま後ずさるミリー。
その表情は、例えようもない程真っ青だった。
「あっ、あたしそんな趣味ないよっ!?」
「..冗談や、本気にすな」
何事もなかったようにモユがあきれ気味に答える。それを見やった後、ミリーが数回椅子を引きずりながら
無言で自分の席の定位置に戻ってくる。その様子を見ていたモユが笑いながら口を開く。
「あんた、ほんまおもろいな」
「人をオモチャにするなーーーーーっ!!」
赤い顔をして、モユに向かって非難の声。
そんな二人の席に、ランチボックスを両手で抱えたベルが、ニコニコしながらやってくる。
「どーしたんですのぉ? なんだか楽しそうですのぉ〜〜〜」
「あっ、ベルぅ〜〜、ちょお聞いたってやーー」
「はう?」
「コイツな〜〜、なんでも本気にしよんねんでーーーっ」
「モユっ! あんたの冗談って、笑えないんだよぉっ」
少しばかり騒がしい、そしてちょっと楽し気な時間。
そんな彼女達のお昼休みは、こーして過ぎていった...。
◇ ◇
放課後。
6時間目の授業終了のチャイムと同時に、それぞれが帰り仕度を始める。
この後にクラブ活動に勤しむ者達。このまま帰路につく者。そして掃除当番として己が運命を嘆く者。
帰りに街へと遊びに行く相談をする者。悲喜交々であった。
そんな中で、机に広げた教科書とノートをカバンに終うミリーの所に、早々と帰り仕度を終えたモユが
カバンを背にやりやってくる。
「おつかれさーーーん」
「あいかわらず、早いねモユ」
「時間もったいないやん、教科書なんかカバンに入れてられへん」
「..ちゃんと、教科書もって帰らないとダメだよ」
「へーーへーー、そーーでんな」
苦笑しながら忠告気味に答えるミリーに、モユはおざなりな返事を返す。
「ウチ今日部活やから、先に帰ってえーでー」
「あ、そーなんだ」
「で、あんたはやっぱり、今日もお店の手伝いなん?」
「うん。そーだよ」
彼女は毎日、放課後になると叔母の経営する喫茶店の手伝いをしていた。
元々、彼女の両親が経営していたお店であったが、4年前彼女の両親が事故で亡くなってから
身寄りの無い彼女は、唯一の肉親である叔母に引き取られる事となった。そんな事情により
彼女は出来るだけ、叔母の負担を補おうと毎日学校が終わると、喫茶店の手伝いに行くのである。
「エライなぁ..ウチんとこも客商売やってるから、タマ〜〜に手伝うけど、あんたほどやないで」
「エヘヘ。仕方ないよ、ただでさえエリ姉大変なのに、あたしを高等部に進学させてくれたんだもん
そのぐらいやんないとバチがあたっちゃうよ」
明るい口調で答える。でもどこかそんな所がいじらしく感じてしまい、モユはなんとなく言葉がつまる。
彼女はよく知っていた。この少女がどれ程叔母である女性の事をしたっているか。それ故、どれ程自分の事を
省みないのか。遊びたい盛りの高校生。自分と同じ年頃の女の子となれば、いろいろな時間を謳歌している。
遊びやクラブ活動...そして恋に..。
それ等のすべてを無縁の物のように、制限された時間の中で...。少女は逞しく生きている。
「でもお店のお手伝いって、結構楽しいよーー...むぅ、あたしも卒業したら、喫茶店やろっかな」
「..ヤキメシしか、よーつくらんクセにか?」
腕組しながら微笑ましい仕種で、真剣に語るミリーに向かって、つい、内に湧くやるせなさを誤魔化す様に
モユはからかいながら悪態をつく。
「そ、そんなことないよっ! ちゃんと他のもつくれるよぉ! それに、ヤキメシじゃなくてピラフって
ゆーんだよ」
「同じや...それで、他のてどんなんつくれんねん?」
「えっと...か、カレーかな?」
「アホかあんた、あんなんレトルトやん」
「ひっどーーーーい。ちゃんとしたのもつくれるよぉ!」
両手をグーにして反論するミリーを優しい視線で見つめた後、モユは身を翻して立ち去ろうとする。
「はいはい、わかりました。ほなウチ、そろそろいくわ」
「うん..あれ、そーいえばベルは?」
「なんやあいつ、今日、日直らしいで」
「そっかー、そんなこといってたね」
「ほなな、また明日ーー」
「うん。ばいばーーーい」
互いに手を振り、教室を後にする。
部室に向かい始めたモユの後姿を見送った後、彼女はその足で叔母の経営する喫茶アトリエに
向かうことにした。
◇ ◇
いつもの街並を見やりながら、彼女は歩いて喫茶店に向かう。
毎日放課後になると通っている道。9月も半ば近くになると、その道に流れるゆく風の匂も少し涼しげに感じる。
いつもの道。
いつもの街並。
擦れ違う人々の顔ぶれは違っていても、いつもと変わらない道。
その筈だった..。
彼女がいつも渡っている交差点にさしかかり、横断歩道の向こうにある信号に視線を向ける。
青。
一度左右に首を振り、いきかう車が停車するを確認すると、ゆっくりと足を踏み出す。
彼女が道路の真ん中にさしかかった時、それは前触れもなく起きた。
ギャキャキャキャキャキャっっっっっっっっっ!!!!!
けたたましくアスファルトをそのゴム性の四肢で擦りつけ、一台の乗用車が彼女の側面から猛スピードで
迫り来る。対角線の道路から右折で折れ曲がってきたその暴走車に、彼女は即座に反応する事が出来なかった。
「え?..」
一瞬の戸惑い。
次の瞬間。彼女の身体は空高く舞い上がり、彼女は自身の未来と、その命の存在を永遠に失う..筈であった。
が..。
その時、一陣の疾風と化した人影らしき物が彼女に向かって飛び出していた。
刹那の瞬間。
その人影は彼女の身体を抱きとめると、まるで彼女の身体を包み込む様に抱きしめ軽やかに跳躍した。
バッッシャぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!! ガシャぁぁぁぁぁっ!!!
迫る暴走車のボンネットを肩で踏切。その衝撃で激しくへこませ横倒しに転がりながら
背中でフロントガラスに受け身を取る。そのまま横にくるっと回転しながらその暴走車を飛び超えた。
ドサっ ゴロゴロゴロゴロゴローーーーーーーっ!!!
背中で着地を決め、勢いのついたまま地に転がり続けたその人影と抱かれた彼女は
道路の端にあるガードレールの手前でその慣性を失い止まる。
束の間の静寂をよぎらせて、騒がしい喧騒がその場の世界に広がり始めていた。
『フワフワする...』
『フワフワ..フワフワ..とても気持ちいい』
『あたし...どうしちゃったのかな?』
『なんだろう...すごくあったかい...』
『それに...なんだか安心する』
『あたし...もしかして死んじゃったの?』
『でも不思議...ちっとも怖くない』
『どうしてかな?...』
『どうしてあたしは...こんなに安らいでいるんだろう?』
『...どうして...?』
パぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーんっ!!!
パチ ...。
鳴り響く車のクラクションが、彼女の意識を急激に覚醒させていく。
虚ろな夢から醒めるように、彼女はゆっくりとまぶたを開く。
「..え?」
しかし何も見ることが出来ない。彼女の視界は何かで遮られており、身体は身動きすら出来ない程
がっちりと絞めつけられていた。頭と腰から背中にかけて回された何かが、彼女にはすぐには理解出来なかった。
しかし、全身で感じる暖かみから、それが誰か...人間の体温の様な気がするのだけは理解できた。
顔だけ見上げるように動かす。するとやはり、彼女は誰かに抱きしめられる様にして、自分が横たわっているのが
わかる。
「え? え?」
体格からして、それが男性である事を悟ると、彼女の頬は見る見る内に蒸気していく。
事もあろうに何時の間にか、自分が男の胸に顔を埋める様にして抱きあっているのだから無理もなかった。
「は、はなしてっ..」
頬を桜色に染め、力なくそれだけをつぶやく。
しかし相手は一向に彼女を放す気配を見せない。それ所か、まったく身動きすらしないまま、彼女の身体を
ひたすら抱きしめている。
「は、はなしてってばっ!」
今度は少し大きな声で訴える。それでも彼女の身体を抱く腕は緩まなかった。
「や、ヤダっ!」
どんっ!
と突き放す素振りで、彼女はその場から逃れる様に身を起す。
すると...。
まるで眠る様に安らかな寝顔を見せる、若い男が横たわっていた。彼女は何故か..。
その男性の顔から、目が放せなくなってしまった。視線を釘付けにされた様に瞬き一つせず見つめる。
トクン ..
胸の高なりが激しく彼女の心を揺さぶる。
自分より、少し年上ぐらいの若い男の顔。端正でそれでいて優しさを漂わせる顔立ち。
大人びた雰囲気。でも、子供の様に無垢な色合いを浮かべながら眠る、彼の顔を見つめていると
彼女は...胸を締つける様な感覚に囚われる。
『...この人』
トクン ..
見つめ続ける彼女の瞳。
いろいろな感情が彼女の内に湧き上がる。
戸惑い。驚き。せつなさ。胸の奥から込み上げる熱く沸き立つ感情。
彼女自身にも理解できない不可思議な感情が、彼女の時を止めていた。
どのぐらいそうしていたのか?
遠くのほうから聞こえてきた叫び声が、彼女を現実に引き戻す。
「女の子は無事だぞぉーーーーー!!」
途端にザワザワとした喧騒が彼女の耳に飛び込んでくる。
ゆっくりと回りを見渡しながら、彼女は自分の身に起った出来事を理解していった。
野次馬さながらに好奇に満ちた人々の視線。ガードレールに突っ込んだ乗用車の哀れな姿。
横断歩道にくっきりとマーキングされた、黒いスリップ痕。それが何を意味するのか、彼女が理解するまで
さほど時間を用する事はなかった。
『あたし...この人に?』
視線を彼に戻す。
穏やかな表情で瞳を閉じて横たわる彼。
我に返っていた彼女は、恐る恐る声をかけながらその身体に手を伸ばす。
「あ、あの...ちょっと」
虚空を漂う彼女の手がピクリと止まった。
彼の額から流れ落ちる赤き滴。その頬を伝い不規則に地へと滑りゆく真紅の筋を視界に収めた彼女の身体が
ビクっと奮えた。湧き上がる不安。絶望に彩られていく彼女の心。
「ね、ねぇ..ちょっとっ、ねぇってばっ!?」
小刻みに奮える彼女の身体。かすれゆく声。
「だ、ダメだよこんなのぉ...ねぇ、起きて..起きてってばぁ!」
何時の間にか彼女は、自身の胸元に手をやり、もう片方の手で必死に彼の身体を揺さぶっていた。
視界が歪みゆく。胸の奥から湧く息苦しさ。ポロポロと目頭から流れいでる熱い雫。
「ねぇ、起きてったらぁっ、起きてよっ起きてよっ起きてよぉっ〜〜..こんなのダメなんだからねっ!」
自分が発している言葉の意味すらわからず、必死になって彼の身体を揺する彼女の意識を
後から浴びせられた一喝が、正常な思考を取り戻させた。
「頭を怪我しているっ! 君、揺すっちゃいかんっ!!」
「え?..」
惚けた様に視線を振り向ける。
見るとその場に居合わせた心ある人達が、必死になって手助けをしてくれていた。
「救急車まだかぁーーーーーーーーーー!?」
「もうここにくるそうですっ」
「誰か手を貸してくれっ、彼の姿勢を正すから」
数人の見知らぬ人達が、彼の身体を取り囲んでその姿勢を正す。頭を高くする為に何人かが衣服を脱ぎ
その頭部の下に枕の様に敷つめる。
その中の一人、中年風の男性が彼女に向かって身体の安否を訊ねてきた。
「君は、なんともないかね?」
「あ、あたしですか?..は、はい、大丈夫です」
戸惑った思考から、彼女はそれだけを口にするのがやっとであった。
彼女に訪れた運命が、ようやくその幕を引きだしたのは、陽が赤く色めきだす夕刻の時間だった。
◇ ◇
寺西救急病院。
この街にある大手の病院で、外科と眼科医療の技術の高さで知られている病院の待合室に、彼女の姿はあった。
あれから、救急車によってこの病院に彼共々運び込まれた彼女は、外傷はないものの一応検査が必要と
言う事もあり、それが終わってからの時間をただこうやって座って待つ事しか出来なかった。
何故なら..肝心の彼の意識が戻らないままであったからだ。
その間、警察の交通課の人がやってきて彼女の話を聞いた後、簡単に事情を説明していった。
どうやら、速度違反の暴走車が交差点をそのままの速度で右折しようとした所で、横断歩道を歩いていた彼女を
避ける事もできず、そのまま突っ込んできたらしい。
しかし、居合わせた人達の証言によると、一人の男性が突然飛び出してきて、彼女を庇う様に抱きしめ
そのまま車を踏台にする様に飛び超えたと言う事だった。
現に彼女は、あれ程の惨事にあったと言うのにかすり傷一つおっていなかった。
検査の結果ですら彼女の無事を証明している。
ちなみに、車を運転していた筈の人物は、その場から車を乗り捨て逃げたと言うことであった
あれ程派手に人を跳ね飛ばしたが故、恐ろしくなって逃亡したのだろう、と言うのが警察の見解であった。
しかし、今の彼女には、どうでも言い事であった。
自分を助けようとして..見知らぬ誰かが傷つき倒れている。
この現実を前に、平気でいられる程、彼女は傍若ではなかった。
むしろ本来なら、逆の立場に立っていてもおかしく程の人柄をもっている。
あまりに激動な出来事を経験し、16才の少女の心は真っ白な世界で一人彷徨っていた。
そんな彼女を再び現実に戻す様に、聞き慣れた、しかし切羽詰まった様な声が彼女に向かってかけられる。
「ミリっ!?」
その声にゆっくりと力なく顔をあげる。
「....エリ..姉?」
「ちょっとっ大丈夫なのっ!? どこも怪我してないっ!」
【↑ 寅夢 恵里 (とらむ えり)未璃阿の母方の叔母 喫茶アトリエ経営】
彼女の量肩を掴んで、焦った様子で訊ねてくる。
そんなエリに向かってぎこちなく笑った後、彼女は無事を訴えた。
「う、うん..あたしは大丈夫だよぉ」
「ほんとにっ? ほんとにっ?」
「..うん」
「よかったぁ〜〜、びっくりさせないでよぉ〜〜、警察から電話があった時、心臓が止まるかと思ったんだから」
「...ゴメンね、心配かけちゃって」
「ほんとだよぉ、ミリにまでなにかあったら...わたし...」
彼女を抱きしめる腕に、ぎゅっと力が入る。自分の事を心から心配していた叔母に向かって
少し驚いた顔を浮かべた後、彼女はゆっくりと同じ様にして背中に腕をまわす。
「エリ姉...ゴメンね」
「うん..いいよ、もう」
泣き笑いの様な表情で、エリは優しく彼女の頭をなでる。
時よりくすぐったそうに目を細めるミリーであったが、しばらくそのままの状態で二人は
互いの温もりを確かめあっていた。
彼女達の意識が外の世界に向けられたのは
慌ただしい様子で診察室に駆け込んできた、一人の看護婦によってだった。
「先生っ! 大変です!?」
「どうしたんだね? そんなにあわてて?」
不意に待合室にいた彼女達に聞こえてくる、診察室での会話。
「なにか...あったみたいだね」
叔母であるエリが、診察室に視線を向けてつぶやく。
「203号室の患者さんがっ、いないんですっ!」
「なんだって?!」
「は、はい。まだ意識が戻ってなかったので、様子を見にいったら..いなくなってたんですっ!」
その会話を耳に入れたミリーは、とっさに診察室に駆け込んでいた。
何か予感めいたものが、彼女の内に湧き上がる。
「す、すいませんっ!? その患者さんって、もしかしてっ!」
「あら?..貴方は..」
看護婦が視線をミリーに向けつつ、思い出した様に質問に答える。
「..そう、貴方といっしょに運ばれてきた、あの男の子よ」
「ええっ!? いないって、どういうことなんですかぁ!?」
「わたしにだって、わかりませんよっ」
病院の中をくまなく探した所、彼の姿はどこにも見当たらなかった。
ただ一つ、彼が横たわっていたベットの上に”治療費です”と書かれたメモの下に数枚の高額紙幣が置かれて
いただけであった..。それっきり、彼の消息を知ることは出来なかったのである..。
とりあえずミリーに出来た事は、彼の身体の具合を医師に聞く事だけであった。
身体にはまったく異常が見られず。頭部に若干の裂傷をおっていただけで、比較的軽傷だったと言う事である。
それだけでも、ミリーにとっては少なからずの安心を与えてくれた。釈然としないまま、彼女は仕方なく
その日、暗くなってから叔母と一緒に帰路についた。
◇ ◇
あれから二日が立っていた。
いつもの日常。まるで一昨日の出来事が嘘の様に、彼女の回りは平穏な時間がゆっくりと..
そして怠惰に流れていた。しかしそれは、あくまで彼女の回りの時間であって、彼女自身に起った変化は
彼女の中では軽視できない状況と化していた。
「....はぁ」
潤んだ瞳で頬を蒸気させ、今日何度目になるのか、最早自分でもわからない、深いため息をつく。
教室の自分の席。ただ座って頬杖をつく。6時間目終了のチャイムすら、彼女の耳には入らない。
虚ろな視線を窓の外に向け、そこに存在しない何かをただひたすら見つめ続ける。
「....ふぅ」
この原因はやはり、一昨日彼女の身に振りかかった出来事に起因していた。
あの時出会った男の子。何も語らっていない。でも、その顔の面影だけは、はっきりと覚えている。
穏やかに眠る彼の表情。その顔がどうしても頭から離れない。
「....はぁ」
思い出すと、胸の辺りがモヤモヤしてくる。わからない、だけど気になる。それは、自分を救ってくれた恩人に
対して、お礼も言えないままだと言う、もどかしさから来るものだろうと、彼女は最初考えていた。
でも少し違う。何かはわからないが、それだけで説明できない何かが、彼女の内に渦巻いていた。
「....ふぅ」
会おう。会って確かめよう。そんな衝動にかられ、何度も足を運んだ病院、そして事故現場。
それでも、彼の消息の手掛かりになるような物は、何一つ見つからなかった。時間がたつに連れ
彼女の内に湧いた不可解な気持ちは、どんどん膨らむ一方である。
「....はぁ」
昨日は夢に見た、彼の穏やかで無垢な寝顔。瞳を閉じてその顔を思い描く、すると彼の額から..
赤い滴が流れ落ちていく様子が思い出された。穏やかに感じられた筈の彼の表情が..何故かはかなく
痛々しいものに写ってしまう。思わず手を伸ばすと、途端に霞と化して消えてゆく。
「....ふぅ」
鈍い痛みが、キュンっと彼女の胸を貫く。そして、深い深いため息。
ここ二日、間違いなく彼女の心は、たった一つの事だけに支配されていた。
そして、そんな彼女を親しい級友が遠巻きに心配する姿があった。
人気のなくなった教室に、たたずむミリーを見やりながら二人揃って思案する。
「...どない思うベル?」
「最近、ミリーさん。たしかにオカシイですのぉ」
「オカシイとかゆーー次元とちゃうで、アレは..」
「それでしたら..ヘンですのぉ」
「いや、まー、ヘンなんは、今にはじまったことちゃうけどなーー」
「はうーー..」
「うーーん..」
これでも本気で彼女達なりには心配しているらしい。
「もしかして、なにか悩みごとでもあるんでしょうかぁ?」
「よっしゃっ、ココはいっちょウチにまかしときっ」
そう頼もし気な台詞を口にした後、腕捲りをする様な仕種をし
ミリーの側にやってきたモユが、努めて優しく話かける。
「なぁ、ミリ..なんかあったんか?」
「....はぁ」
「ウチでえーんやったら相談にのるで」
「....ふぅ」
「遠慮せんとゆーてみーや」
「....はぁ」
「..聞いてるか?」
「....ふぅ」
「....(ピキ)」
最初の内、優しく話かけていたモユであったが、一向に会話が成立しない苛立ちからか
だんだんとその不機嫌さが、彼女の額の青筋と小刻みに奮える両肩に現れ出していた。
「....はぁ」
「....」
イライライラ
「....ふぅ」
「....」
イライライライライラ
「....はぁ」
「....」
イライライライライライライラ
不快指数の上昇に従って、彼女の様相が”グヌヌヌ〜〜”っと、強ばっていく。
何度目かのため息が、ミリーの口からこぼれたかと思うと。
「....ふぅ」
「そりゃぁぁぁぁぁぁもぉぉぉぉぉぉえぇぇぇぇぇぇんじゃぁぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!!!」
ズっっパぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっん!!!!
強烈なハリセンの一撃が、力一杯ミリーの高等部に叩き込まれた。(ぁぁ理不尽)
当然背後からの予期せぬ攻撃を受けたミリーは、意味不明な呻き声を小さく上げて、机に突っ伏した後
勢いあまって机の群れを蹴散らす様にズッコける。
「へぶっ!?」
どんがらがっしゃぁぁぁぁぁーーーーーーー!! がたっがたがたっぐわらっしゃんっ!!!!
「...あ(;‥)」
惚けた様な表情で、ハリセンを振り抜いた態勢のまま、己が所業に気がつくモユ。
その表情は、すぐ様”し、しもたぁっ!?”とばかりに、驚くような顔つきに変っていた。
ぷっしゅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ...。
彼女が我に返った時、ミリーの身体は幾つもの机の下敷きになり、砂ぼこりを上げていた。
「..ゴメン..つい」
聞こえているのかわからなかったが、彼女が口にできたのは精一杯の謝罪の言葉であった。
「イキナリっ! なんばスットでふかーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!」
”ヌガーっ!”と、机をハネのけ非難の叫び。よーっぽどビックリしたのだろう、言語中枢がパニックを起して
言葉使いがヘンだった。と言うより、かなり頑丈じゃないのか? このコって..。
その後、彼女の迫力に身体を小さくさせたモユが、たっぷり御小言を食らったのは言うまでもない。
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