日々の憂鬱〜2002年6月下旬〜

1.10287(2002/06/21) 町田には町田のアニメイトがある

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0206c.html#p020621a
 掲示板茗荷丸氏に教えてもらったのだが、町田にはアニメイトがあるそうだ。さらにゲーマーズもあれば、まんがの森もあるという。これで、とらのあながあれば完璧だ。何が完璧なのかはわからないけど。
 しかし、本当に町田にアニメイトがあるのだろうか? いや、茗荷丸氏が嘘をついていると疑っているわけではない。ただ、人間は常に事実を正しく認識するとは限らない。もしかしたら巧妙なトリックが仕掛けられていて、茗荷丸氏は事実を誤認させられているのかもしれない。たとえば、氏が「アニメイト」だと思っているショップが実は「ア二メイト」かもしれないのだ。口に出して発音すれば同じだ。
 ふと、「高河(たかがわ)ゆん事件」を思い出してしまった。昔、本当にそんな名前で同人活動をしていた人がいたらしい。私は直接その人のマンガを見たことはないのだが、それなりに高河(こうが)ゆんに似ていたという。事件の詳しい内容は忘れたが、この紛らわしいペンネームを巡るトラブルで即売会運営団体がつぶれた、とか。
 話をアニメイトに戻す。「ア二メイト」はさすがにまずいだろうが、「アニメイド」ならどうか。メイド属性をもったオタクにターゲットを絞るのだ。ニッチ商法としてはそれなりに成功するかもしれない。いや、もはやニッチではないか。十分に市場調査をしていかないと、借金でニッチも(あまりにもベタなので、省略)。また「兄メイド」と読んでしまうと、一気に萎え萎えになってしまう。では、「スカイメイド」ならどうか? 「クラスメイド」は? これなんか、もう既にありそうだ。今度暇なときに検索してみよう。

 さて、慧眼なる読者諸氏におかれては、既に今日の私のやる気のなさが十分におわかりのことと思う。何も書くことがないので、だらだらと過ごしているうちに11時を回ってしまい、仕方がないのでどうでもいい文章でお茶を濁そうとしているのだ。
 実は全く何も書くことがないわけではないのだが、今週はちょっと趣味に走った話題を扱いすぎたので少しは一般受けするネタを、と思ったら全然思い浮かばなかった。世間一般の常識から逸脱している私が一般受けを狙っても仕方がないのはわかっているのだが……。

 これ以上書いても仕方がないような気がしてきた。今日はこれでおしまい……にする前に一つだけ。JUNK-LANDで42回にわたって連載された「ロジックとフェアプレイ」が昨日で完結し、今日はその補足とおまけが載っている。これまで私は再三「演繹法/帰納法」という用語法に疑問を投げかけてきた(というか、それしか言っていないような気がする)が、そんなのは瑣末な事だ。それより、この難しいテーマでよくこれだけ書き貫けたものだと感心する。特に「鑑賞用のロジック」を巡る意見は興味深い。以前、島田荘司の文庫解説(どの本だったかわすれたが、確か吉敷ものだったはず)で泡坂妻夫が、鑑賞用のトリックと実用トリックの違いについて語っていたと記憶しているが、トリックばかりでなく謎解きのロジックのほうにも読者がその気になれば実行可能なものとそうでないものがある、というのは言われてみれば確かにそのとおりで、でも私はこれまで自分では全くそんな事を考えたことがなかったので、まさに青天の霹靂だった、と書いてみて、どうもこの文が日本語としておかしいことに気がついたのだが、今日はいつも以上に時間がないのでそのままにしておく。あれ、「鑑賞用」じゃなくて「観賞用」だったかな? こんなことさえうろ覚えなのだから、かなりいい加減である。

 今日はバッハ・エディションのCD80枚目を聴いた。これでやっと半分だ。

 さて、このあとは昨夜半端マニアソフト公式サイトから3時間かけてダウンロードした(悲しいことにまだダイヤルアップなのだ)「冬は幻の鏡」体験版(サンクリヴァージョン?)を試してみることにしよう。

1.10288(2002/06/22) 何か変だ

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0206c.html#p020622a
ビルヂングの下には屍體が埋まつてゐる。

 と、書き出した。何となく正字正かなを使ってみた。だが、果たしてこれであっているだろうか?
 まず「ビルヂング」だが、これはまず間違いはないと思う。この表記は何度も見たことがある。
 次の「屍體」も、たぶんこんな感じの漢字だったと思いながら書いたのだが、ちょっと不安になってきたので辞書で調べて、「體」が「体」の正字体であることを確認した。ところで、「死体」か「屍体」か、というのはいつも悩むところなのだが、「死體」と書くのは明らかに均衡を欠いているので、当然「屍體」と書くことになる(と書いたが、掲示板らじ氏から指摘を受けて再検討したところ、「死體」でもあまり不均衡ではないような気がしてきた)
 「埋まつて」は「埋まりて」の音便だからこれでいいはず。「ゐる」は、ある状態にある、という意味の「いる」なので「入る」や「要る」ではなく「居る」、よって「ゐる」となる。
 と、こんなことを考えているうちにどんどん時間が経ってゆく。ほかにも「埋」は正字体だったろうか、とか疑問に思っていちいち調べたりもした。ふだんの文章では誤字脱字はいくらでもあり、あとで見てちょっと恥ずかしく思うのだが、このような場で字を間違えると「ちょっと恥ずかしい」という程度ではすまない。慎重にかからねば。
 だが、ただの雰囲気作りのためにあまり手をかけてもいられないので、正字正かなは断念して、新字新かな{「正字正かな」と「新字新かな」とでは表現のレベルで対になっていないのだが、表記法の名称をどう表現するのか、という問題に足を踏み入れると本題が進まなくなるので、バランスの悪さには目をつぶって折衷的な表現を使った。気になる人もいるだろうが、ご容赦いただきたい。また気にならない人はそのまま読み進めて結構である}で書くことにする。では、最初からやり直し。

 ビルディングの下には死体が埋まっている。鉄筋コンクリートの重圧下で屍体は少しずつ発酵してゆく。ビルディングは発酵し液化した屍体から養分を吸い取り、スクスクと成長するのだ。ふつうはゆっくりと成長するので、そのビルの住民でさえ気づかないことが多いが、基礎に埋まっている死体の数量、建築工法、もののはずみなどの要因が絡まり合って、時には一晩で3〜5メートルも成長することがある。たまに地方紙の片隅に「昨日まで10階建てだったビルが今朝見上げると11階建てになっていた」などという埋め草記事が掲載されていて、物事の道理を知らない人々は、やれ超自然現象だユダヤの陰謀だなどと騒ぎ立てるのだが、何のことはない、ただの自然現象なのだ。
 今、私は「ただの自然現象」だと書いたが、この現象{ビルの成長}はミステリのトリックとして利用することができる。たとえば、階数表示から「13階」を抜いたせいで実際の階数よりも表示にずれが生じているビル{ホテルなどに多い。たとえば15階が「16階」となる}で、そのビルの事情に通じていない人を目撃者に仕立てて殺人を犯し、死体の消失{証人が階数を誤認することを利用する}と再出現{ビルの成長により増えた1階分を13階に当てることで実際の階数と表示を一致させる}を演出することもできる。
 もっとも、このトリック一つ考えただけで浮かれていてはいけない。所詮は短編一発ネタだ。さまざまなミスディレクションを施すことにより"読める"小説に仕上げることは可能だろうが、ミステリとしての妙味には乏しい。ここは合わせ技を狙うべきである。
 たとえば、上のトリックの場合、ビルの階数が犯人の意図したとおりに増える必要がある。いつ、どれだけビルが成長するのかの予測は、データ{埋まっている死体の数量、建築工法、もののはずみなど}が揃っていればさほど難しいことではない。だが、基礎データのうち死体の数量については、実際に死体をそこに埋めた人間でなければわからないはずだ。そこで、現在の事件{死体の消失と再出現}と過去の事件{ビル建築時の死体遺棄}がリンクすることになる。「犯人でなければ知り得ない事実」をもとに過去の事件の犯人を突き止めることが可能になるのである。
 私が知る限りでは、このトリックを用いた実例はまだないはずだ。私は小説が書けないので、このトリックの著作権{そんなものあるのか?}を放棄するから、「我こそは」と思う人は是非挑戦していただきたい。事前事後の連絡も不要だ。できれば私をそっとしておいてほしい。

 今日は見出しのとおり、何か変な話を書いてみた。どこがどう変なのかは勝手に推測してほしい。
 ところで、今日は政宗九氏の非誕生日である。偶然だが、私の非誕生日でもあるる。この偶然の一致をぜひ伝えたくて「政宗九の視点」の新掲示板に書き込もうとしたのだが、その場の雰囲気にそぐわないような気がしてやめた。それに、たまたま同じ日が非誕生日だからといって、別にどうということはないのだし。
 〔もそもそ〕種村直樹のミステリー小説を語るを読んだ。なぜミステリー@2ch掲示板にこんなスレが立っているのだろう? どうでもいいが「急行出雲」は鮎川哲也、種村直樹は「西海号事件」だ{ちなみに「急行<西海>」だと天城一}。ここを参照。ああ、本当にどうでもいいや。
 バッハのカンタータ第128,154,62番を聴いた。
(追記)
 上の文章を書いたあとで政宗九の視点を見に行ったら……ううむ、こんな時に不謹慎な文章{どこがどう不謹慎なのかは……以下略}をアップしていいものかと一瞬躊躇したのだが、さほど大事でもないようなのでそのままアップする。

1.10289(2002/06/23) So You Want to Write a Fugue?

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0206c.html#p020623a
 カウンターが壊れたようだ。さっき見たら「11」になっていた。昨日で、確か16000ヒットに達していたはずだが、一挙に去年の9月まで逆戻りだ。気合いが抜けてしまった。
 この土日には小説を一冊も読まず、マンガを何冊か読んだきり。ほとんど家にひきこもっていたので実生活でも面白い話はないし、これといった予知夢も見なかった。ネット上でネタを仕入れようとしたが、めぼしいネタはなかった。あ、そうそう、「トゥルーエンド」という言葉はこの人たちが考え出したんだって。へぇ。

 今日はカンタータ第192,93,145,171番を聴いた。どれを聴いてもバッハだな。

1.10290(2002/06/24) 『戦うメイドさん!』の7巻を買ってきたのはいいが、まだ6巻を読んでいないことに気づき、さらに本の山に埋もれて探し出せなくなっているので頭を抱えている今日の私

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0206c.html#p020624a
 一緒に買ってきた『ラブやん』(1)(田丸浩史/講談社アフタヌーンKC)のほうは読んだ。面白かった。これがどんなマンガかというと――まず裏表紙の惹句を引用しておこう。
ロリ・オタ・プーの三拍子そろった
大森カズフサ(二十五歳)。
いかにもティピカルな現代的駄目男のもとへ、
愛の天使ラブやん見参!
片思いの相手は小学生、
この恋を成就させるのは聖なる任務か犯罪か!?
成功率100パーセントを誇る合間天使の前に、
史上最低の試練が鼻を刺すじゃない
そそりたつじゃない立ちふさがる!
 間違ってはいない。確かに第1話はそんな話だ。だが、この宣伝文句から「ああ、ダメダメな男のもとに突然女神とか美少女ロボットとかが押し掛けてきてあれこれ世話をやいてくれるっていう例のパターンね」などと想像したなら大間違いである。というのは、押し掛けてきた天使が主人公と同じくらい、いや、それ以上にダメな奴だからだ(別にこれくらいで未読の人の興をそぐことはないと思うが、念のために文字色を背景と同化させた)。本当にもう、全く救いがない。
 田丸浩史の凄さは、この「救いがない」というところにあるのではないだろうか。非現実的な設定を用いていても、ただ一点で徹底したリアリズムを読者に叩き付ける。その一点というのは「ダメな奴はどうあがいたってダメ」ということだ。田丸マンガは絶望から出発し、その絶望を笑い飛ばす。そして、いくら絶望を笑い飛ばしても希望が芽生えるわけではないことを私たちに教えてくれる。
 と、書いてはみたものの、私は別に田丸ファンではないし、読んでいない作品も多い。思いつきの戯言(「ざれごと」よりは「たわごと」と読んでもらいたい)だ。誰か真っ正面から論じてくれないだろうか? 個人的には、西川魯介およびZERRY藤尾との比較対照を希望。

 さて、ダメ人間たる私は、今日会社に夏季休暇届(私の会社ではふつうの有給休暇のほかに夏場だけ特別に休暇をくれることになっている。なかなか消化は難しいのだが、私は毎年使い切ることにしている)を出してきた。予定日は8月8日〜12日である。当日(何の?)のほか前後2日も押さえたので完璧だ。ふふふ、待ってろよ!
 ついでに7月12日も休みをとることにしたが、こっちは私的な用事だ。

 トップページに掲載した文章では、ここで某匿名掲示板に言及しているが、時事ネタであり、ごく一部の人にしか関係がないので、ログは残さない。

 今日の日課。カンタータ第8,186,3番。これでバッハ・エディション VOL.12 教会カンタータ集 Vol.6はおしまい。次の巻は久しぶりに器楽曲だ。

1.10291(2002/06/25) 犯人はなぜ自殺してはいけないのか?

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0206c.html#p020625a
 これは極論である。

 ミステリの結末で犯人が自殺するのはいけない。絶対にダメかといえばそうわけではなくて、最後に犯人が自殺する話でも良作はあるのだが、例外まで目を向けていると話が進まないので、「結末で犯人が自殺するミステリは駄目だ」と、まず断言しておく。
 なぜいけないのか? 道徳的な理由があるわけではない。自殺を推奨するようなミステリは私は好きではないが、それはミステリとしての良し悪しとは別の話だ。また、犯人は必ず法の下で正当な裁きを受けなければならない、という理念は(現実の犯罪については支持したい考えではあるのだが)ミステリにそのまま適用できるものではないだろう。
 ミステリで犯人の自殺がいけないのは、それが構成の粗雑さと直結しているからである。要するに、結末で犯人が自殺するようなミステリは詰めが甘い、ということだ。
 いや、話が転倒しているな。「結末で犯人が自殺するから、詰めが甘くなる」というのではなくて、「詰めが甘いから、結末で犯人を自殺させざるを得なくなる」というほうが正しい。上で断言した事も訂正しておこう。「駄目なミステリでは結末で犯人が自殺する」と。もちろん例外はあるのだけれど。
 殺人事件(別に殺人でなくても構わないが)が発生し、事件に関して謎が提起される。そこに名探偵が登場し、見事な推理で犯人の巧妙なトリックを暴き、真犯人を名指しする。その推理が十分な説得力をもつものならば、そこでお話はおしまいだ。読者は作者の技巧を堪能して本を閉じることになる。だが、犯人の計画に見過ごせない不自然さがあったらどうだろう? 名探偵の推理に余詰めがあったらどうだろう? 名探偵が一通り絵解きを終えた瞬間に読者の間から異議申し立てがなされることになる。
 読者の批判を回避して平穏無事に締めくくりたい。そこで作者は名探偵の言葉が終わるか終わらないかという瞬間を見計らって、次のステージへと話を進める。「異議なし! 議事進行!」と叫ぶのは名探偵に犯人だと名指しされた当の人物だ。本当にそんな事を言うわけではないが。
 犯人は、名探偵の推理の欠陥に読者が気づく前に、犯行の自白を始める。それも、どのような意図をもってトリックを仕掛けたか、とか、犯行の実施にあたってどの程度の計算を行ったか、という話ではない。それを話すとかえってポロが出る。犯人が語るのは過去の因縁話であり、恨み節である。論理も知性も関係ない情念の世界。謎解きに興じる"子供"の楽園は消え去り、妄執だの贖罪だのといった"大人"の物語がひたすら続く。そして最後に犯人は密かに懐に忍ばせておいた毒をあおり、警官のピストルを奪って自らのこめかみに押しあてて引き金を引き、周囲の人々の隙を狙って窓から飛び降り、またはその他の手段を用いて自らの命を絶つ。おお、何という悲劇なのでしょうか! 罪は決して人を許してはくれない。自らを裁いた犯人に敬意を表することにしよう。
 ロジックのミス? トリックのためのトリック? 君はまだそんな子供っぽい事を言っているのかね? これはそのような物語ではないのだよ。人間の業が生み出した忌まわしい事件、犯人も名探偵もその駒として動かされていたのだ。人間の愚かさについて反省し、生きることの意味を深く考えさせる。それがミステリの醍醐味じゃないか! パズルだの謎解きだのといった要素は読者を教訓へと導く方便に過ぎないのだ。
 かくしてシャンシャン拍手の音とともに名探偵は退場し、幕。

 最初に予告したとおり、これは極論である。特定のイデオロギーのもとでひねくれた読み方をすれば、こう読むことは不可能ではないということを示しただけだ。別に犯人が自殺して悪いことなど何もない。ラストシーンを盛り上げる効果的な手段なのだから、むしろ積極的に犯人を自殺させるべきだ。景気良く二、三回自殺してもいい。
 最後に、この文章を書いている最中に私が思い出した、ラストシーンが印象的なミステリを一つ紹介しておく。カーの『魔女の隠れ家』(または『妖女の隠れ家』)である。
 「文月晃」って知ってる?
 こう訊かれると(別に私に問いかけたわけではないが)5年ほど前まで文月晃とかわらじま晃を混同していたことを思い出し、ちょっと嫌な気分になる。「晃」の一字しか一致していないやん。
 こんな間違いをしでかす私なので、他人の間違いをあげつらうことなどできるはずもない。たとえば、らじ氏が「いやぁ、例の掲示板の書き込みを見たとき、一瞬『ツルバさん、とうとうアッチのほうへ逝ってしまったか』と思いましたよ」と言ったからといって、「一字しか一致していないやん」などとツッコミを入れることは私にはできない。ええ、できませんとも。

 今日は『イギリス組曲』第1〜3番を聴いた。バッハの「国名シリーズ」にはほかに『フランス組曲』『イタリア協奏曲』などがあるが、『イギリス組曲』は別に英国とは何の関係もない。

1.10292(2002/06/26) メモ

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0206c.html#p020626a
 JUNK-LANDの新連載「本格ミステリバブル」がいくつかのサイトで話題になっている。私も尻馬に乗って何か書いてみよう……と思ったが、なかなかまとめることができない。そこで、思いつくまま書き散らかす。

 昔々、ミステリ愛好家は個々ののミステリ作品をミステリの系譜の中で捉えて読んでいたらしい。ちょっと大げさな言い方をすれば、歴史主義的なミステリ観に基づく読書である。これは必ずしも進歩史観に立つということではない。作品自体の内部構造のみに注目するのではなく、先行作品や後続作品との関係で捉えるという読み方だ。そこには、ミステリとは「本歌取り」を基本とする文芸であるという基本認識があった。このようなミステリ観のもとで、愛好家たちは古典から現代作品まで、それなりに有名なミステリは一通り読んでいるのが普通だった。
 もう一つ、これも昔々のことだが、ミステリ愛好家たちは文芸全体のなかでのミステリの位置とか、ミステリ内部のジャンル分けということに興味を抱いていたらしい。これも大げさな言い方をすると、教養主義的な読書である。ミステリ愛好家たちは、自分の好きなジャンル以外のミステリもそれなりに押さえるのはもちろんのこと、他のジャンルの文芸作品にも手を出していた。特にSFはある程度体系的に読んでいるのが当たり前だった。
 さらにもう一つ、昔のミステリ愛好家たちはミステリ愛好家集団の中で本を読んでいたらしい。ついでだからこれも大げさに表現しておく。共同体主義的な読書である。ミステリを読むという行為は、眼球を入力装置として脳髄で情報処理を行う個人的な作業ではなく、ミステリ界を構成し、発展させる共同作業への参画だった。
 では、昨今のミステリ愛好家はどうなのか、というところに話は進んでいくわけだが、最初に書いたとおり、うまくまとめることができないので、中途半端なところで次の話題に移る。

 誰もが表現者や創作者になりたがっている。カタカナで書けば「クリエイター」だ。マンガ家、イラストレイター、ゲームデザイナー、シナリオライター、俳優、声優、ミュージシャン、そして小説家。小説家になりたい人はマンガ家になりたい人よりは少ないとは思うが、「本当はマンガ家のほうがいいのだけど……私は絵が下手だから小説家で我慢しているの」などとふざけた事を言う「マンガ家志望くずれの小説家志望者」も含めるとかなりの数になるだろう。
 どうして「クリエイター」になりたがる人が増えたのか。一つには食料生産に直接関わらない仕事をすることを恥だと考える風潮(信じられないかもしれないが、昔はそういう風潮があったのだ)が払拭されて、むしろ生産活動から隔たった「知的」な活動のほうが望ましいというように価値観が転倒したからかもしれない。また、地域共同体が崩壊したために、有名人になることで自分の社会的アイデンティティを確認したいと思う人が増えたからかもしれない。まあ、何とでも考えられる。マンガや小説に話を限定すれば、印刷技術の発達という技術的な要因が大きいと思うが、この説を実証できるだけのデータの持ち合わせがあるわけではない。
 ともあれ、作品発表の機会は従来とは比較にならないほど増えた。だが、才能のある人が増えたわけではない。そこでさまざまな悲喜劇が生じる。だが、なんとなく話がまずい方向に進みそうなので、やはり中途半端なままで次の話題へ。

 おっと、その前に、「どうして私の本は売れないの?」にリンクしておく。特にコメントはしないが。

 天才伝説の一つのパターンに、「特に努力をしたわけでも修練を積んだわけでもないのに、ただ天賦の才能のみにより常人がどんなに苦労しても到達できない境地にや易々と達する」というものがある。典型的なのがモーツァルトだ。私は見たことがないが映画『アマデウス』はそんな話だったらしい。違ったらごめん。
 だが「私にはモーツァルトとヨハン・クリスティアン・バッハとサリエリの音楽が区別できない」というような意味のことを言った人(呉智英だったか?)がいる。私も区別がつかない。「そりゃ、あんたの音楽的センスが鈍いからだ」とツッコミを入れられそうだが。でも、神童モーツァルトよりも苦労人ベートーヴェンのほうが個性豊かな音楽を遺していることは誰もが認めるだろう。
 また、モーツァルトが修練を積んでいないというのは嘘だ。過去の大家の作品を研究して、ときには編曲を試みて(例:ヘンデルの『メサイア』、バッハの『平均率クラヴィーア曲集』など)作曲技法を少しずつ身につけていったのだ。いくら神童でも対位法を自分で発明するわけにはいかない。当たり前のことだけれど。
 だが、天才伝説は根強い。最近も高度な数学書や宇宙論の本などを読破した「奇蹟の詩人」が話題となった。あ、「奇跡の詩人」だったっけ? まあ、どっちだっていいや。人はあり得ない事やありそうもない事に魅力を感じる。

 さて、思いつきを雑然とした形で書き連ねてみた。私の脳内ではこれらの話題は関連していているのだが、きちんと筋道を立てて書こうとすると、もの凄く長くなってしまい、到底一日や二日で書くことができない。私は飽きっぽいので、連載記事にしたら途中で投げ出してしまいそうだ。そんなわけで、断片のまま提示することにした。気が向いたらもう少し詰めてみるかもしれないし、全然別の方向から書くかもしれないが、今日のところはこれだけ。
 しまりのない文章だなぁ。
 『イギリス組曲』第4〜6番を聴いた。

1.10293(2002/06/27) どうでもいい話

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0206c.html#p020627a
 今日もまたネタ切れだ。風呂に入れば何か思い浮かぶかもしれないと思って、さっき十分(「じゅうぶん」ではなく「じっぷん」と読んでもらいたい。別に「じゅっぷん」と読んでも構わないが)くらい湯に浸かったが、何も出てこなかった。そういうわけで、適当に文字を並べておしまいにする。

 今日はじめて知ったのだが、今年の日本推理作家協会賞短編部門を受賞した法月綸太郎、光原百合の両氏は同年生まれだという。ちょっと意外だった。
 ここで自問する。「同年生まれというのが意外だというのなら、これまで私はどのような印象わ抱いていたのか?」と。だが、明確な答えはない。法月氏と光原氏のどちらが年上かというようなことを全く意識していなかったからだ。
 ところで、この二人のどちらのほうが先にデビューしているのだろう? 私は『密閉教室』を発売直後に読んでいる(ああ、としがばれる……)が、その頃光原氏は既にデビューしていたのだろうか? というか、光原氏の場合、どの段階で作家デビューを果たしたとみるべきか、という問題のほうが大きい。う〜ん。
 別に悩むほどのことではないか。

 今日は、CD86枚目を聴いた。バッハが他人の協奏曲をチェンバロ独奏用に編曲したものをCD2枚にまとめたうちの1枚目だ。有名なマルチェッロのオーボエ協奏曲も入っている。

 書いているうちにいくつかネタを思いついたが、眠たいので今日はこれでおしまい。

1.10294(2002/06/28) さらにどうでもいい話

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0206c.html#p020628a
 昨日の文章をアップした後、気になったので光原百合普及委員会光原百合全作品リストを見た。たぶん『道 - LA STRADA』がデビュー作だと思うのだが刊行年の記載がないので、デビューの年はわからずじまいだった。『密閉教室』よりは後かな???
 まあ、それはそれとして。
 リストのいちばん最後に『ポップスで学ぶ英語』というのがあって驚いた。
 ……小林克也?

 光原氏つながりで尾道大学推理小説研究部のサイトを見に行くと、今日"enigma"第4号(よくは知らないが、たぶん部誌だろう)がアップされていた。『こだわり不可視空間』という小説が掲載されていたので早速読んでみた。わりとストレートな推理クイズ調の小品。冒頭付近にちょっとひっかかる箇所があって「これはないよなぁ」と思っていたら、後でちゃんとフォローされていたので好感度アップ。ただし、メインのネタが小粒すぎるのが弱点。

 ネット上のミステリつながりでJUNK-LAND『焼き捨てられた書類の問題』を読んだ。これも今日アップされたばかりだ。オーソドックスな犯人あてのようだが、解答篇を読んでみないは本当のところはわからない。いちおう犯人の目星はついたが、一つだけどうしてもわからないところがある。犯人特定のための手がかりと直接関係がなさそうなので、たぶん推敲時に紛れ込んだバグだと思うが、『こだわり不可視空間』の直後に読んだので私は少々疑い深くなっている。

 特に上の話題とはつながりはないが、今日は私が待ちに待っていた本の発売日だ。だが、行きつけの本屋には置いていなかった。3月に出る予定だったのが3か月延びて今日になったのだが、まさか再延長ということはあるまいから、たぶん配本されていないか私が店に行く前に売り切れたか、どちらかだろう。

 本がらみでもう一つ。先日事実上倒産した社会思想社のウェブサイトを見ると、「平成十四年六月吉日 更新」と書いてあった。いい本いっばい出してたのになぁ。合掌。

 今日は独奏チェンバロのための協奏曲集のCD2枚目を聴いた。

1.10295(2002/06/29) 壁にぶつかる

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0206c.html#p020629a
 『焼き捨てられた書類の問題』の解答をまとめていたところ、昨日考えていたほど簡単ではないことがわかってきた。犯人を特定するための手がかりだと思っていたことが、実はそうではないかもしれないと思えてきたのだ。う〜む、困った。
 午前1時を過ぎて眠気で頭が働かなくなってきたので、今晩中に解答するのは断念。

1.10296(2002/06/29) 壁は動かない

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0206c.html#p020629b
 昨日言及した光原百合氏のデビュー作の『道』について掲示板光原百合普及委員会委員長の泉穂氏からじきじきに教えていただいた。1989年8月の発行だということで、『密閉教室』(1988年10月)よりも後。これで私のここ二、三日の疑問は氷解した。

 『焼き捨てられた書類の問題』について、あれこれ考えているのだが、まだ解答に至っていない。さっきJUNK-LANDを覗いてみたら
ともかく素直に、ストレートに、手がかり集めロジックを辿っていただければOK。おそらく名探偵の殿堂史上もっとも易しい問題ですので、初めての方もどうぞ挑戦してみてください。
とのことだが、この問題がいちばん簡単だとするなら、他の問題はいったいどれくらいの難易度なのだろうか、と疑問を感じるくらいだ。手がかりらしい記述はいくつもあるのだけれど、それをどう解釈すれば犯人を特定できるのかがわからない。もうギブアップしたほうがいいのかもしれない。
 いや、もう少しだけ考えてみよう。要は明示されていない条件をどこまで拾い上げることができるか、だ。既に正解者が3人もいるのだから、私にも希望があるかもしれない。
 そういうわけで、今から再読する。今日はこれまで。

1.10297(2002/06/30) 『輪舞曲都市』の感想

http://www.cypress.ne.jp/hp10203249/p/0206c.html#p020630a
 今日、『輪舞曲都市 〜Ronde-City〜』(梅村崇/エニックス EXノベルズ)を読んだ。一昨日の文章で触れた、「私が待ちに待っていた本」である。地元の本屋では見あたらなかったので、昨日大阪で買った。
 著者の梅村崇という人物はまだ一般にはあまり知られていないと思うが、ずぶの新人ではなく、すでに10冊近い著書がある。表紙見返しの紹介文を引用しておこう。
1973年、神奈川県生まれ。現在は東京都に在住。趣味は読書とゲーム。収入の大半は本とゲームとCDに費やされる。エニックスにて『小説スターオーシャン(上)(下)』『小説レガイア伝説』『小説サムライスピリッツ〜アスラ斬魔伝〜』『小説ファイアーエムブレム――トラキア776(上)(下)』『小説ヴァルキリープロファイル上下』『小説スターオーシャンブルースフィア』を執筆。
 今、文章を転記していて、「(上)(下)」と「上下」の違いが気になったが、たぶん単なる表記の不統一だと思う。ちなみに、最初の頃の数冊は合作である。
 既刊本のタイトルを見ればわかるとおり、これらはすべてゲーム原作の小説であり、今回の『輪舞曲都市』が梅村氏の初のオリジナル作品ということになる。
 では、これはどのような小説なのか? オビには次のように書かれている。
ここは1日が繰り返す街。住人は「明日のない」一生を送る。
 文字色を背景と同化させたのは、できればあまり事前の予備知識なしに直接現物にあたったほうがいいのではないかと思うからである。そうは言っても、オビにこうでかでかと書かれていては嫌でも目にとまってしまうし、それ以前に雑誌広告や他の本の折り込みチラシを見ても書かれていることだから、白紙の状態でこの本を読む人は少ないだろうと思う。それに、全9章(と「プロローグ」「エピローグ」)のうち第2章で明かされる事柄なので、あまり神経を使う必要はないのかもしれない。
 よし、ここから先は特にこの小説の基本設定を伏せないことにしよう。気になる人は下の☆印まで読み飛ばすこと。

 『輪舞曲都市』というタイトル(「ロンドシティ」と読む)からロンドンシティを連想する人もいるかもしれないが、舞台は日本である。ただし、実在する地名は出てこないし、時代背景も明記されていない。社会的制度や文物、生活習慣などは現在の日本のそれとほぼ同じだが、登場人物の名前が基本的にカタカナで表記されている(作中で名前をカタカナで書いているという描写はないので、これは作中世界のルールというより、むしろ記述レベルでのルールと思われる)ことなどにより、「現実・現在の日本から薄皮一枚隔てた架空のどこか」という印象を受ける。このような現実との距離感は作品のプロットと相まって独特な雰囲気を醸し出している。
 タイトルについてもう少し書いておく。「ロンド」は音楽用語で舞曲起源の楽曲形式を指す。「A−B−A−C−A−B−A」という対照構造を持っている。「輪舞曲」のほか「回旋曲」などと訳されることもある。詳しくはこちらを参照のこと。また中国語では「輪奪曲」となるらしい。綴りは"rondo"ないし"rondeau"が一般的なようだ。
 同じ一日が何度も何度も繰り返されるという設定と、音楽用語としての「ロンド」は今ひとつ結びつかないように思う。どちらかといえば、カノンのほうが近いような気がする。だが、今小説のタイトルに「カノン」という言葉を入れるのは相当の勇気を要すると思われるので、これはこれでいいのかもしれない。
 そんな事よりも問題は設定そのもののほうだ。既に類似した趣向の小説がいくつもある(もちろん小説以外にも先例はある)のだから、どのように処理するのかが気になる。時間論を扱った思弁的なSFか、時の檻に囚われた人間たちの恐怖を描くホラーか、それともこの世界の秩序の下で起こる犯罪について推理するミステリか? そのような事を考えながら、早速「プロローグ」を読み始める。
 ジリリリリリリリリリッ
 おっと、『ドグラ・マグラ』か?
 『七回死んだ男』や『ターン』は念頭に置いていたが、『ドグラ・マグラ』は全く予想外だった。そういえば、これもある意味では「同じ一日が繰り返される話」だ。もっとも、その後の展開は『ドグラ・マグラ』とは全然違っている。


 さて、この小説はSFなのか、ホラーなのか、ミステリなのか? どういう展開を辿ってどういう結末を迎えるのか? そのような事については一切書かない。これでは紹介になっていないが、仕方がない。なんて紹介しづらい本なんだ!
 ミステリ系サイトを運営している人で『輪舞曲都市』の感想を書いている人はたぶんまだいないはず(もし既に感想をアップしている人がいたら、ごめんなさい)なので、ちょっと詳しく感想を書こうと思ったのだが、結局いつもの投げやりな文章になってしまった。
「で、結局どうなんだ。面白いのか、面白くないのか?」
 う〜ん。面白い。少なくとも私は非常に楽しめた。3か月以上待った甲斐があったと思う。この種のヤングアダルト系のノベルスにしてはかなり長い(350ページ)が、飽きずに読めたし、冗長さが感じられない抑制の利いた描写はプロの業(「プロ」の中にもどうしようもなくしまりのない文章を書く人がいるから、このような言い回しはあまり意味がないないのだけれど)だと思う。特にアクが強いわけではないので、読者によって評価が大きく分かれるということもないと思うのだが……まあ、一読して確かめて下さい、としか言いようがない。あやふやな書き方で申し訳ない。
 最後に、寸評を一つ紹介しておく。発売当日に『輪舞曲都市』を買って読んだ私の後輩が「P.K.ディックがハメットの文体でフランスミステリを書いたらこうなる、という感じ」と言っていた。

 昨日は『輪舞曲都市』を買うために大阪へ出かけたのだが、本屋(マンガ系)で隣に置いてあった『こんびに さんご軒へようこそ―なつやすみの奇跡―』(あらいりゅうじ/エニックス EXノベルズ)をついふらふらと買ってしまった。水無月すうの表紙絵が気に入ったため。これが、あとがき込みで226ページだから『輪舞曲都市』のほうが100ページ以上多い(なお、『輪舞曲都市』にはあとがきはない)。輪舞曲都市の表紙(上田信舟)も悪くはないのだが、萌える絵柄ではない。
 そのほか、『マリア様がみてる』(今野緒雪/集英社コバルト文庫)シリーズの既刊11冊まとめ買いしたり、マンガやCDを買い込んだりした。

 今日は一冊読んだだけでおなかいっぱいになったので、夜は『おねがい☆ティーチャー』のDVDでも見てのんびりと過ごすことにしよう。
 定例の「一日一枚バッハ全曲聴破マラソン」、昨日と今日の2日で『フランス組曲』全曲を聴いた。