雪鯨橋と角右衛門

1/28/1998

雪鯨橋

 大阪市東淀川区瑞光本通り瑞光寺には、鯨骨の欄干でできた橋、「雪鯨橋」があります。

 延享年間(1744年〜1747年)、瑞光寺の潭住忍禅師が太地浦へやって来ました。当時は、4代目角右衛門頼勝の頃で、捕鯨は不漁でした。それで角右衛門は禅師に豊漁祈願を依頼しましたが、「殺生は五戒の一つであり、それは出来ない。」と断られました。しかし角右衛門は強く要請したため、禅師は止むなく、それに応じました。その祈りは聞き入れられたのか、たちまち豊漁となりました。そこで角右衛門は感謝を示すため、この寺に黄金30両と鯨骨18本を寄進しました。禅師はこの骨を寺内の弘済池に架け、鯨の供養としました。これが「雪鯨橋」の始まりです。この時、禅師は角右衛門に「白翁」の号を与えたとされています。瑞光寺では、今でもそのいわれを記録し、当時の寄進者を「熊野太地浦の白覚右衛門」としておりますが、勿論「白(しろ)」姓ではありません。ただ、角右衛門の姓を「白」として記している文献、例えば江戸後期のものと思われる全国長者番付に熊野浦・白覚右衛門として載せているものもありますし、「太地覚右衛門を白覚右衛門と云ふ」と記しているものもあります。