橋爪啓の短歌

1/4/1998
橋爪啓(1908〜1991)は、太地頼松(9代目角右衛門)の次男として生まれましたが、若い頃より文学・短歌の才能に恵まれ、短歌界の大御所、毎日歌壇の窪田空穂・章一郎両先生の父子に師事し、生涯三度の毎日歌壇賞を受賞しました。また、死後、窪田章一郎先生の勧めで、娘の山崎史子さん(古座川町高池)により遺歌集「残照」が出版されました。言うまでもなく、窪田空穂先生は現代短歌の代名詞とも言える方であり、章一郎先生は、長年にわたり宮中歌会撰者として活躍された方でもあります。
橋爪啓は、私にとり精神的な支えをして下さった叔父であり、学問としての捕鯨史の助言指導を絶えずして頂いた人でした。
そこで、橋爪啓の数多くの歌の中で、毎日歌壇賞受賞作と捕鯨に関するものをここで紹介します。

橋爪啓直筆の歌
(昭和35年毎日歌壇賞受賞)
死期迫る顔を亡父かと見し兄の死にての顔のわが子に似るを (私の父、常路の死)
(昭和63年毎日歌壇賞受賞)
貧窮に育ちし老の身幸とせむ自炊の日々の粗食に耐へゆく (前年、妻の美きえ死亡)
(平成3年毎日歌壇賞受賞)
水平線覆ふ層雲を縁どりて深紅の初日今し昇り来 (同年12月6日死亡、享年83才)
捕鯨もて父祖が栄えし熊野なる太地の浦の渚冬波
冬山の父祖のみ墓に詣でては鯨の町を見おろしてをり
醜男の朝比奈三郎義秀の裔なるわれを鏡は映す
鯨見る浜の群衆へ二度三度バスは発車の笛鳴らしたり
遥かなる祖先のこころに通ふかに熊野捕鯨史読み浸るなり
潮のいろを鯨の血もて染めにけむ太地の港春の雨降る
父祖の地の太地の磯に生ひたるを此処に移して久しき浜木綿
生涯を懸けて書かむと勢ひをり父祖累代の熊野捕鯨史
父祖の世の捕鯨のことも遥かにて梶取岬梅雨に霞めり
捕鯨もて栄えし父祖の世のこともはや遥かにて霞む海原
わが稿の熊野捕鯨史朝日紙に載れる朝なり旅に出で立つ
太地浦網式捕鯨最後の人覚吾の手記が吾に迫るも
ねんごろにふところに納めあたたむる如く持ち帰る祖父の写真
捕鯨の祖太地角右衛門の裔にして淋しかりける我らが一族
父祖の海父祖の山河にほのぼのと初日射し来てわれを包みぬ
太地浦網取捕鯨創始者の裔なるわれら今の世に淋し
巨頭鯨の干物を噛めば父祖の世の太地の浦の鯨の匂ひす
元禄の夕霧大夫が所蔵せし三味線を太地角右衛門が今も所蔵す
