熊野関係古籍     熊野古道

  川井立齋記 熊 野 紀 行

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        寛政十年三月
川井立齋記

   熊 野 紀 行                               

   熊野紀行   

 難波わたりに年頃すめる翁ありけり 世の海をわたるわさも物々しとて あらぬ
 とてあらもくづのかきなじから 名をとくめんとにもあらず まいて人にも見せ
 ず おのが心によかせつれど さるべきたよりもとめつらん 人もあなでいたつ
 らかはしくて 身をわれかくとうらみむはてもなし されど世をすてん心もあら
 ねぞ ゆく末の菩提をとらん思ひもなし 世を厭ふ心にや名を不関とぞいひける
 何事にも聞あづからぬ心なるべし 去なからわが心に似たる友とちのたまくに 
 立ちよりきつゝ 波間に拾ふ玉ものうきが中にも心をなくさめ 花に□葉にうと
 き浦のとま屋におきふして あらぬ月日そかさねつ いつにかあらりけん 同じ
 里にすめる信章といへる人のきていふやう 和歌のうらにひらふうきものみたり
 かはしてけれど 増基法師とやらんそ 心のまゝにあらむと思ひて 世の中に 
 きつくときく所々をかしきを  尋ねく心をやりたふとき 所々をよみ奉りて 
 身のつみをほろぼさんと いふめる將たいゝかにと思ひ給へるなど かたるに思
 ひがけぬ事なれぞ うちおとろかれてなで從う 心にこめつらんものをといへば
 されぞにやわがたのみたてまつれる 人の母の尼きみの 熊野に詣でんとあるに
 つきそひよかるなり そのやういはんまでにといはすれぞ はたさすかに思ひ出
 づる事なんあめり 翁の父もこのねぎなきにしもあらで 世をさり給へりし わ
 れもまた そのこゝろさしつきてと思まふれと所とて志げる 芦間のさはりうち
 にていまだはたし侍らで とし頃過ぎつかひなき海人のしわざも 海の波のたち
 ゐしげゝれば いかにせんといひさしぬ かの人又きたりてたのめつるかたに 
 かくかた里つけばさちのことなり 打つけにいひ出んも 何そは露のかたるべし
 とはおもほえず ことかたのみいひもてわたりつされは その心にまかせてんや
 とそゝのかすに われおもふに母のとし老ぬ 遠く遊ばんのをしへもいふにぞや
 心くるし されど事せはしげに聞えさすれは とひみばやといはせてかへしぬ 
 其のあらまし聞えあけ さすれば心よげにおほせごとあるになん たれかれもす
 ゝめ物しけれぞ いなみのにはあらしさのみは いはしろの野中の清水 そこの
 心もすみゆくにいさしとて 心にはたヾしうものとりあつめなとして たひのて
 うどもおさくしからず たゝ薬やうのものゝみとりもたせて出たつ頃そ 彌生 
 中のころ八日といふに願とく かれこれいさなひつゝも難波のさとを出ぬ まづ
 住よしの社にぬさ奉りて
    守ります神の心にまかせなん
         海山とほき旅にはありとも
 見おくり来れる人々あまた有つれば さかひの浦ちかくしばしやすらひて 別れ
 のさかづきなどすめる 親よしのよめる
    住よしの神のみまハにわかれつゝ
         はやとしかへりを松の下蔭
 親よしの母なりける延樹尼かへし
    たび衣袖のなごりの春霞
         夏にかゝらば立かへりこん
 かくいひかはすほどに 時もうつりぬべきなと すさのものしいふめり
    契りおくたひの日かずはすぎぬとも
         草の名とひそ住吉の濱
 濱寺といふ松はらにて
    うら近き松のこかげにみかへれそ
         霞そなたそ故郷の空            信 章
 其日は貝塚といふにやどる
十九日 みて川・鶴はらなどいふ村をすぐ 家居いとによかるさとびた里
    立ちつヾく千世もふるやとみて行は
         川邊にちかき鶴はらの里
 みなとゝいふ所にふりたる松あり とへばひら松といふ
    こゝにきてみなとの村のひら松は
         しらでいく世の年かふりぬる
 岡田村を過るとて
    霞ゆく波路の末にほのみえて
         あいとはるかに出るつり舟
 おなじ心なしから
    村郭相連垂井東  青松瀕海送春風
    長陽随歩千帆出  阿淡遙分一重中
 吹飯のうらにて
    わかよはひふけいの浦に鳴たづの
         音に立つれど世にも聞えす
廿日 夜をとめて田川の宿を立
    池水にやどれる月の有明に
         旅ねの床をおき出てしゆく         信 章
 その日わか山にやどを定めふる さとに文つかはすおくに
    見なれつる紀ぢの遠山越えくれそ
         そこと難波のうたもしられす
廿一日 吹上の濱を通わかのうらにて
    故郷を跡にみつゝも春霞
         立へたて行く和歌山のうら波        延 樹
    立かへり又も拾はむ和歌の浦の
         よする波間のもくずなりとも        信 章
 こゝろにおもふことを書きつゝ
    わかのうらに拾ふ玉ものみかくれて
         世にもしられぬ浪の下草
    もしほ草かくてくちなんと
         計りをうらみぞわしつる玉津島山
 玉津島の宮居にぬかづきて
    よゝの波かけて今しも頼きぬ
         みがくことばの玉津しま山
    春ふかく霞はうすき頃ながら
         光をみする玉津しま山           延 樹
    けふこしに和歌のうら波うけて猶
         光をそふる玉津島やま           信 章
 奉納の心を
    波よする玉津しまねに跡たれし
         神の光そよゝにくもらぬ
    道しある恵みを今もよるの波の
         絶えせずいのる玉津しまひめ        延 樹
    打よする波はかけても玉津島
         世に光りそふわかのうら風         同
 輿の窟とかいふは むかし公任卿こゝにおはして 蜑人ののりわしつりけん し
 るしにや 岩やに跡をとじめ置けんと よみ給へるところにて 今は堂塔ありて
 いとたふとけなり 亀の巖あり それより舟にのりて 名草の山紀三井寺まうて
 つ 金剛宝寺といひしか 今は紀三井寺護國寺といふ むかしより本尊千手観音
 はいましくて 十一面観音ハ開山爲光上人の作なりとそ 山に三つ間法水あり 
 本の瀧を清浄水いひ 南を柳楊水といひ 北を吉祥水といふ この三つの瀧ある
 故に紀三井山と名つく 爲光上人は唐の僧にて つねに観音を信じて 本願に称
 徳帝の御宇にわたり給ひ 勝地をこゝに得てとゝまり給ふ 光仁帝宝亀年中に建
 立あり 十一面観音を安座す 左右天照・春日二神の像をおけり つたへていふ
 神佛その面 人の見る事を□り給はず ゆゑに前世をふるしといへども 厨子を
 ひらくことをゆるさず 昔爲光上人この山に住給ふ時 龍女来りて水府にむかへ
 奉る 三年三月にして帰り給ふ 梵鐘・錫杖・横道樹(應同樹・ほら貝?)それ
 四品をそへて奉る 俄にしてそのかね海畔に出たり 里人奇異の思をなし 引あ
 けんとすれどもうこかす 爲光上人その時呪を持して 鐘を撫て給へば鐘は動き
 出てなる 里人布を松にまとひ 龍頭に結びて引けるに かる/\とあかりて終
 に寺楼にかゝる その松を布引の松と名づけて今にあり 鐘ハ乱世にいづかたへ
 盗ゆきしにや今はなし 錫杖のミ残れり 横道樹は寺内にあり 花なくして実を
 結ぶといふ 又龍女此山に来りし時 観音乎龍燈を棒る事 退轉なりうるべしと
 ちかひせしとうや 今も七月九日龍燈を捧る事たえせずといふ かゝる縁起をき
 ゝ侍れそ ことさらにたふとくニそ覚ゆれ
    三井の名をこゝにもとめて紀の國や
         たえぬ御法の跡ぞかしこき
    はるぐと道引たまふちかひをも
         頼む紀の路の三井の古寺          延 樹
    こゝに来て御法をきけば世のつみも
         名草の山の寺ぞたふとき          信 章
 本堂奥の院をがみめぐりて けふは藤白の坂 王子の宮ちかき所にやどる
     躋攀藤白坂  宮古五躰名
     溪曲絲山隔  波高琴浦嶋
     歌墳樹間没  玉島霧中明
     自此木関路  峻嶋似削成
廿二日 朝ニ立て藤白坂をこゆるに 藤の松にかゝりたるをみて
    み坂なる松にかゝりし藤波は
         所からかも色ことにして      
 雨そぼふるぬれ/\て行くに 僧の一人宮原といふ所にかへるとてあひぬ 旅な
 れぞ知らぬなからに ものいひなどして行つるまゝに 此ちかきわたりに瀧あり
 見せばやといはせつればともに行く いはかさなりふかくこもれる所にて寺あり
 岩くら山といふ 瀧はたかき岩の上よりつたひて落つ その岩の引入りたる下に
 道あるをつたひて行
    流れての世にも聞えて何にかは
         恨の瀧の名をのこすらん
 かの僧の寺に立ちよりて 雨のをやむを待ほどにやがてはれたり されとおして
 とヾめ□し給へは こよひはとてとヾまりぬ
    たゝならぬ恵みの雨を思ふかな
         こゝに道引紀路の古寺
 和尚信章に一句のぞまれけれそ
    春雨のめくみをこゝにしる日かな           化 龍
      宿道村善國寺和尚見恵佳章回答添
    宮原村外一番臺  何料因縁此遠来
    旦喜衣珠照迷路  三山雲霧爲君開
廿三日 善國寺を立出るにかく聞ゆ
    雨にぬれし衣もけさは立かへて
         又も露そふ袖のなごりに          延 樹
 絲鹿山にて
    いとか山いとし難波もへたゝれは
         心ほそくもけふは越ぬる          信 章
 原谷といふ所に行つる 杜若のありければ
    原谷のこかくれに咲ヶる杜若
         五ツの里のへだてなるらん
 この原谷たに五ヶ村あればにや そこにやどりとりて 雨司の王子の峰にのぼる
 魔所にてさるの時より人あらず 山もいとけはしく木立物ふり この葉ふかく 
 落つもれるを わけてやう/\に峰に至れば水穴・風穴とてあり 小石などうち
 入れば 風いとう吹出 雨いたくふるとて里人おそれて近づかず 水穴に雨を祈
 ればきはめてしるしありといふ
    強上雨司王子峯  千年華表二株松
    峰峰両窟祠前立  祈雨呼風人簫恭
廿四日 原谷より出ゆく やがて野路にかゝる 雉子鳴ければ
    子をおもふきじ可なく野を過行ば
         猶故郷の母ぞ恋しき            信 章
 道成寺にまゐる きゝしより堂塔厳重にして いとたふとし
    浦の蜑かづき上げてにし三佛は
         誓の海の契りたのもし
 縁起など聞きてさかを下りて はるく堤をゆき 日高川をわたりてやう/\し
 て印南にとまる
廿五日 いはしろの松 古き木はかれて 近き頃小松をうゑたりと見ゆ
    あとのみはよにいはしろの結び松
         ふたゝび根ざす二木ながらに
    浪の音を聞ばかりにて故郷を
         恋しとたれもしはしろの松         延 樹
    日数ふる旅のころもの露けさを
         見てやあはれといはしろの松        信 章
 印南より南部といふ所の浦つたひに濱ゆふいと多し
    故郷を思ひかさぬれ熊野路の
         名にしいなミの浦のはまゆふ
 堺うらに漁舟のあまた浪にうかべるを見て
    うら遠く海士の釣船こき出てゝ
         いとまも浪に世をわたるらむ        信 章
 はや浦にて
    山峰重こえてきの路の濱つたひ
         日数すたちぬはやの浦松 
 そこに茶店ありいとさゝやかなる庵ながら きよらかに見えければ立よりて
    芳養浦邊松樹深  日浮孤島夕陽沈
    四州遙見波濤上  数点風帆慰客心
    紀の海を見つゝ心もからはしく
         やしなふうらの月雪のころ         延 樹
    真帆引て漕行舟の数々に
         見るめをそふる浦のうき島         信 章
 あるじも心ありけれぞ ふるき跡などこなたかなたを しらべなどしてふるごと
 をかたるに時うつりりぬ 其日は田邊といふにやどる 夜ふけてさとの夢をみる
    ねさめする夜半ぞかひなき旅枕
         又もみつかぬ故郷のゆめ
廿六日 朝とくたちて長尾といふにいたる これよりは山つヾきにて ふかくお山
 のかたへのみ入ゆくなりけり 蝉のなくを
    行春もしばしと思ふに夏をはや
         松につけてやなく蝉のこゑ
 汐見嶺へのぼるに鶯のなきければ
    友なれやなく鶯の聲さへも
         うきみ山路のなくさめにして        信 章
 芝村といふにとまる この村は家ことに 黒もじといふ柴を垣にして よそめい
 と奇麗なり
 家つヾきかこふ柴垣しばくも
          里の名とひていざやどりせん
 家のまへにながれあり かづらをつたひて舟人わたる 山より柴人下るもおほし
    夕日かげのこる外山の
         岨道をともなひつれてかへるしば人
    扶杖青溪口  人家傍曲河
    柴垣総繞迎  林岳自嵯峨
    舟子捫蘿渡  樵童荷篠過
    疲労欲投宿  樹密夕陽多
 日くるればや宿のわらは 枕やうのものもていてゝ とかうものがたりす その
 ついでにいふ このわたりより熊野まで いもがさをやめるものをいたくおそれ
 て 妻子といふとも家の内におく事をいまひて 山の中に小屋をつくりてそこに
 入(ラ)しむ 飲食をもはこぶにも竹などの末にゆひつけて かの小屋のまどよ
 りさし入てあしとくかへる事にて侍れ ましてくすりもなけれぞ そのやうもし
 らず このかさわづらへば はたして死するとおもひて したしきものだにもゆ
 かずなりぬ 大口などいふけもの かのかさのかをよくきゝしりて来る 果して
 かの大口の餌となるもの多し いたましき事とおぼさずや この家のわらはも 
 ちかきにこのかさやめりと見えてそのあとあり とひつれば いかにもさいつ頃
 やめり されど五里ばかり上つかたに田邊といふ処に しるべありてそのかたに
 うつりゐてかのものにして目立ぬ その後とみに家にもかへらず 熊野へ参詣し
 てこりとりて後わが宿にかへり来ぬ かくする事所のならはしとなん まして順
 禮道者などにも 此かさいできつるものあれば 一夜のやどりをかさずして そ
 こくおひやりつる なれどこま/\いふ その母にとひたヾしぬれば いひし 
 に事たがはず侍れ たれ/\もこのやうの事かたへ田舎には有ときゝしが はた
 してこゝにありけりとつまはじきすめり やがて打なすほどに夢をみて
    旅のうさを故郷人にかたりつる
         夢もさめけり谷水の音           信 章
廿七日 十丈峠 あふさか峠などいふけはしき山坂をこえきて
    くれて行春のなごりやみくまのゝ
           杉の木のまに鶯のなく
 藤の花いとおほく咲きかゝりたるに
    谷川のながれはそこに聞えても
           音せぬ藤の波そさわかぬ
 けふはつかれぬれば 野中といふにやどりす
廿八日 夫婦坂・湯川・みこし峠などうちこえて本宮の坊につく
廿九日 本宮にもうでゝ
    三熊野の神のいかきは越えぬれど
           音なし川の水もにこらじ        延 樹
    此神のめぐみを今もくみてしる
           音無川の絶えぬなかれに        信 章
 御社は二十餘り九年のまへに焼失して 今はかり宮にていとさうくし されど
 坊より御供へなど奉れば かり殿のうちに入てはいし奉る
    日をかさね山のいくへを紀の國や
           あハれと思へ三熊野の神        延 樹
 鳥居を出れば高橋とてあり 音なし川にわたしたり まへには新宮川あり 音無
 ・大峯・岩田の三の川落合処を巴の渕といふ そのかはを舟にて新宮の湊に下る
 左右の景ハはんかたなし 名ある瀧石などかずくありて めくゝむるまもなし
    巴水三川合  急流舟着梭
    山々機上錦  百里一時過
 御舟島をはいして
    山川のながれの末の御舟島
           さして神世のあとをぞおもふ
 ほどなく新宮の濱につく 舟よりあがりてやどりをさだめて 新宮の社にまうづ
 道のたよりよければとて まづ神倉山にのぼる いとさびたるところにて 山の
 いたヾきに大なる岩を二つたゝみかさねて石の玉垣あり 拜殿を建ならべて宮居
 はなし 南は海濱・新宮の城町など一目に見おろして 景色たとへんかたなし 
 欄干によりて人々眺め居たり されども魔所にてさるの時より人のぼらず いと
 かう/\し
    松檜叢生石窟中  倚山建廟神倉宮
    至尊蹤跡依然在  前□仍留上古風
    人の世にうつりきぬれど忍ばるゝ
           跡はありけり神くらの山
 新宮にまうづ 鳥居より入はうちひらきたるところありて大門あり それより本
 社やしろくにさふらひておかみめくる 伊弊諾・伊弉冉尊みやしろのこまいぬ 
 のすがたいとめづらし あひむかひてふしたるさまなり ふるきたくみのしたり
 けんか なべてのものとは見えず すさうなり
    天くだるあとをみなとのゆふしおに
           光さしそふ神のみつかき
 くれかてにやどりにかへりに やかて枕とり出でたれど 浦波のおとはげしけれ
 ば うちもねられず
    草枕むすぶ一夜の夢さへも
           波にくだくる三熊野のうら
 三月昼のこゝろを
    暮のこる日数ををしむ春ながら
           いつかとよそにみくまのゝおく     延 樹
    なれてこし花の春にもわかれなば
           何をよすがに草まくらせん       信 章
三十日 雨ふりぬべく見ゆれど出たちて徐福の墓を尋ぬ
    昔年徐福入蓬莱  仙侶相携渡海来
    一片山雲帰去後  荒碑塁々没苺苔
    よゝふれともろこし人の名をとめし
           昔の跡はきえずも有ける        信 章
 古くたる木ども生しげりて石碑のみたてり まへうしろに小なる墓七つあり つ
 きそひてもろこしより来れる人のはかなるよし さと人かたる いづれも田の中
 にありて しるしの木しげれるまゝなり あはれに見やりて飛鳥社にまうづ い
 と神さびたる宮居なり それよりみたらひ・三わ崎・うぐゐなどいふ所々過つゝ
 濱の宮居ちかきほとりに 田鶴のたてるを見て
    雨雲のはれまに見ゆる浦鶴は
            濱の宮居に千代も住むらん       延 樹
    八百日ゆく濱の宮居の松かげに
           千代をかさぬる鶴の毛衣 信 章
 濱の宮補陀落寺にまうづ 雨ふりきぬ たとりくて那智の山にのぼり坊につく
 雨やうくやみて瀧みんとて出かく
    雨にけふくるしき道もみくまのゝ
           瀧見んためのわざにぞ有ける
 八丁ばかり行けば観音堂あり瀧見堂とてつゞきたてり 雨はやみぬれども瀧のひ
 ゞきいとすさまじ 頓阿法師の「たきつせのあたりの雨は はるゝまもなし」とい
 ひけんもさる事にて
    那智雄峯不易改  攅ー削壁樹陰々
    雲端迸落天河水  洗谷人問今古心
    天川こゝに落くる末なれや
    雲よりあまる瀧津しら波
    雨雲に峯の木立はわかねども
           空にまがはぬ瀧の白波
    世に聞くはたゝあらましのひゞきにて
           さらにおどろく三熊野の瀧
    雨にそふいく川波を山風の
           ひとつに落すみくまのゝ瀧
    ふる雨に水かさまさりて那智の山
           おちくる瀧は雲かとぞみる       延 樹
    雨雲に那智のを山はうつかれて
           高根も見えずおつる瀧つせ       信 章
 左右のうら松杉いとふかうしげれり
    松杉のいくよふりけん苔ちをも
           たどる熊野のおくの山寺
 本社観音堂にまゐりところくをがみめくりて 心のうちに思ふに むかしは人

 心もすなほにして 神も託宣ありしにや待わびぬ いつかはこゝに紀の國やむろ
 の郡は遙かなれどもと つくしなる子のおやにつけさせ給ひ まてしばし恨みな
 はてそ 君を守る心の程はゆく末をみよと 世に沈める人にしめし給ひし 後白
 河院行幸三十二度の時御製御かへしかんなきにたくせんせさせ給ふるに「しは 
 /\しいかに忘れん君を守る 心くもらぬみくまのゝ月」との給はせける かゝ
 るふることも傳へきゝ侍れば いと/\ありがたくおぼえて
       謁熊野神廟
    画壁青ー峯入空  松杉陰翳一蹊通
    宸遊此地餘踪迹  金榜高態根本宮
    大門掲敕筆額其銘曰「日本第一大靈験所 根本熊野三所権現」
    熊野三宮属證誠  何人爲託観音名
    花山法主西巡浚  唱出扶桑第一聲
       證誠殿名祭國常立尊
 坊にかへりて年頃のねがひのかなへりしをともによろこびて 坊のわらはなどう
 ちものかたらひ かのわくはに山の事などとふにけふなん あやしき事あり 川
 里のものきたりていふ 御山に何げなきにけしからぬものおとす そのかたを尋
 ぬれば松の枝の折たるなりけり 朽ちたる枝にそあらずとつげぬ かゝる事もし
 有つれば きはめて事あらんかなどかたる その夜坊の中の人けはしう行かふさ
 まなり 何そと問すれば 河内國なる順禮のもの十四人とか 高野より此山に詣
 て 又いせにまうでつるとてきたる けふは雨いたうふれぞ坊にやとるべしとい
 へど 妙法山にまうで新宮へいでぬへしとておしていでつ 那智川をわたるとて
 同行の少女ながれぬ かれすくはんとて つれなる男の川に入てわたらんとする
 に 石にもや足ふみたがへけん 又ながれつ簔といふものきつれば かしらつゝ
 まへられてせんすべなく かつは石にうたれて命はたしぬ つれなる人立さわけ
 どかひなし 少女ははやう所のものよりきて 引上つればつゝがなし 此事坊に
 つげ来れるにこそといふ 思ふにかゝる旅路にて横死すれば かの浮屠氏の云ふ
 前世の宿業ならんかときく 人わなゝきぬ 明れば
朔日 雨やまず同坊にありて あだに日をくらさんといとほびなく おのく題を 
 とりうたよむ
        朝 霞                    延 樹
    春にけさ霞める峯を分くれは
             立へだてつる谷の下道
        山 桜                    信 章
    山のはゝ長閑に霞む春ながら
            日かげに消えぬ山の白雪
        郭 公                    立 齋
    時鳥をのが五月の遠ければ
            もらし初めつるけさの一聲
        萩 露                    同
    咲そへば枝おもけにも打たれていとし
            露そふ秋萩の花
        夕 鹿                    信 章
    淋しさをひとりそかこへ夕暮れに
            をのへの鹿の聲きこゆなる
        松 雪                    同
    時雨には□□見えし松のはも
            けさ色かふるよはの白雪
        逢 恋                    立 齋
    思えずもかはす夜床の手枕に
            馴々しほとのうさをかたりて
        別 恋                    延 樹
    ねやの戸を夜ふかく出るわかれ路
            小つらき心の有明の月
        山 家                    同
    しづかなる山のおくにもうき事の
            有としらるゝ柴のかり庵
        述 懐
    ゆく末を思ふにも猶みくまのゝ瀧津
            心にかけてしのばめ
  更衣の月なれぞ
     花すりのころも日かすをかさねきて
            熊野のおくに夏立にけ里
二日 昼ころより雨すこし 晴ぬれば妙法山にまうでぬ
    樒つむ行手のみちもあはれなり
           妙なる法のみ山とおもへは
三日 やゝはれたれそ 出立つに此頃 同じ里の尼きみたちとゆきつれて 共に坊
 にやどりしに けふは伊勢に赴くとて たちわかれぬるよし聞ふるに
    くまの路に立わかるとも故郷に
           はや帰り来て大伴の松
 大雲取坂にて瀧をみかへりて
    那智の山瀧もなごりやおもふらん
           雨かげおほふ雨雲の袖
 雨ふりぬべき雲出ぬれば
    袖ぬれてこれこそわなれ雨もよふ
           雲とり坂の木々のしづくに
 うぐひすの谷にいと多く鳴クを
    夏ながら谷の鶯聲すなり
           みやこの春にわかれつらん
 夕くれがた雨はれたり
    四月杜鵑聲未聞  杜鵑花慶破烟雲
    行人幾処尋泉憩  山影相逢夕日照
 其夜は楠のくぼといふにやどる
    露の袖にしはしはやとれかりねする
           枕の山の三日月のかけ
四日 朝小口川をわたる
    籃輿辞客舎  朝見幾千峯
    路轉泉声合  崖急苔色濃
    気晴山靄落  葉密曙煙重
    渡口呼舟子  指方向舊蹤
 小雲取坂をこゆるに 卯花さかりにてせみも鳴
    みくまのゝをかしきおくの山路には
          あな卯の花と見つゝ過ぬる
    山里はまたかへなくに蝉のはの
          ころもきぬとや聲たてつ也
 湯の峯にやどる こゝは出湯ありて 諸國よりの湯あむる人おほくきたる され
 ど湯の峯にていとしめりがちなれば 一夜あかしかねつ あくれば
五日 みこし峠をこゆるに雨いたうふ里きぬ
    山風にのみふかせ行雨の日は
            かさの雫のかゝるわびしさ
  栃川にてかじかの鳴を
     谷せばみ岩間せかるゝ川水に
           涼しさそへてかじかなくこゑ
  夫婦坂をこゆるに雨せはしくふりきぬ すさなど夕立すとけゝしうさわぐ 狂歌
     けんそなるめうと坂とてすさまじく
            もの夕立やとちかはの音
  夕ぐれ道いそくに郭公の聞こえければ
     雨すさぶよはに蛍のかげはあれと
            星の光はみすの川波
八日 朝やう/\晴間みえけれそ

    三栖村畔雨初晴  日出雲飛山色生
    觸石潺々溪水咽  穿籬処々野鷄鳴
       雨後至三栖川無橋因賦
    離郷旬日紀南隅  前岳千山入描圖
    一夜三栖風雲甚  前川渺々法窮途
 けふは一日はれぬれど出やらで歌よむ
      山新樹                    延 樹
   旅人のわけゆくかたやまとふらん
          春葉にしげる夏の深山路
      田家早苗                   同
   けふはゝや門田のさなへ時きぬと
          とりくうゝる朝もにぎはし
      里卯花                    立 齋
   夏ながらよそめもすヾし卯の花の
          雪にこもれる山陰のさと
      初聞郭公                   信 章
   かねてしも待しよころの時聞しのび
          音なからこよひもらしつ
      五月雨晴                   同
   此頃のかさなる雲もかきりありて
          けふははれけ里五月雨の空
      河夏月                    立 齋
    夏川や涼しき波にやどるまも
           ありとは見えすあくる月影
       夏草露                    延 樹
    朝露もわけ行袖にそぼちぬる
           夏野の草のしげる此頃
       野 蛍                    埼 女
    水清き野川のながれしたひきて
           草かくれゆく蛍とふかげ
 あまたありつれどもくしぬ

九日 三栖川に出でぬれど橋もなくまた舟もなし 里人の立ゐてわたすまみなり
 東路の大井川などいひ出デつゝ おのくかたにかゞまりつゝわたるものをかし
 里はなれて鶴の松に巣くへるあり 
    松がえにひなもつ鶴の巣くふより
           里もみすてふ名にやおふらん
 田邊を過ぎはやうらにて
    けふにはや浦づたひきてみくまのゝ
           山ぢも雲におもひへだつる
 南部の濱にて
    旅衣かさぬ日数はいくへとも
           思ふくまのゝ浦の濱ゆふ
 みなへにやとる
十日 そこを出て
    刈麦の田面にあさるあし田鶴を
           それとみなへの里こへて行
 千里の濱をみやりて
    思ひやるけふも雨のふるさとを
           とへば千里の濱の名もうし
    人はし遠き千里のはま過て
           かへる旅路といはしろの松       信 章
 むすひ松のもとにきて
    三熊野に又もきて見ん契りをも「野中清水ハ岩代ニアル也」
           結ぶ名ゆかし岩代の松
 印南に野中の清水あれば          
    立よれどそれと計りにいなミ野の
           野中の清水汲ひともなし
 そこにやどりて
    旅館霄闇絶世囂  海風吹雨更簫條
    客魂空断山窓暁  獨向残燈夢又消
十一日 小松原を過かてに
    村の名を聞にもたのめ小松原
           さか行春をやどにまつ身そ
 原谷にてやどる 暮れかけて雨ふりぬれと 蛍おほく飛かふ
    山川の岩まのみずに飛蛍
           わきて流るゝかげのすゞしさ
    夏草のしげみかくれにゆく水の
           ありとしらせて蛍飛かふ        信 章
十二日 鹿の脊山をこゆるに 雨またふり出ぬ
    たび衣かはるまてぬれ乎けり
           鹿の脊山を雨にこゆとて
 河瀬といふにつく
    微雨粛々落日沈  篷舟盪漿向江潯
    啼鵜帰尽城山暮  巫女祠前樹色陰
十三日 雨はれぬべく見えけれぞ
    津頭雨歇樹烟晴  朝霧消来海面清
    湯淺人家連両岸  山々翠色満江肆
 いとが山にかゝりて雨またしき里にふりつ
    袖ぬれてけふこそはしれ山の名の
           いとかゝ雨に旅のあはれを
 かぶ坂にて
    重登蕪阪鳥影稀  半嶺雲迷雨脚飛
    幽澗溶々穿石徑  行人渡水轉沾衣
 雨のはれま見えて樗さくかけをゆく
    あめはれて日かけ嬉しにぬれし袖
           かざすあふちの花の下道
 かくいひつゝ蕪坂の嶺にいたれは 雨いとよくはれて 四方のけしきいとよし  
 こゝを白倉山ともいふ
      茶店作
    山路登々右角重  ー頭構店倚長松
    二爲六島眸中折  南海観潮在此峰
 御所の芝といふのは 白河院熊野行幸の時 しばし御庵ありけるところにて 地 
 蔵堂のうしろよりのぼる こだかき山にこのあとを残せリ (御所の芝ハ藤白也)
    疇昔行宮地  猶餘一面芝
    眺臨多勝檗  落日帯山奇
    藤白の御坂こゆれば海見えて
           夕日かゞやく淡路しま山
 王子の宮ちかき もとやとりしがりをとひて一夜を明す 暁かた月をみて
    月はや入佐の山しちかけれと
           雲にわかるゝ明かたの空
十四日 うちはらを過るに 法師のびわをおひてゆく なにはわたりにすめつらし  
 けれ そ人に問するに山こえて かまとはらひとかやにゆくなりといふ
          狂 歌
    琴の浦波のしらべは聞もせて
           子に手を引れゆくひわ法師かな   (??かな 脱字)
 ことの浦の松原をみやりて
    春あらしことのうらわの松にふく           化 龍
 ふたゝひ玉津しまにまうでゝ
    立かへり又にそみつれ玉津島
           光をそへよわかのうら波
 吹上にて
    年をへしほどは根をしに顕はれぬ
           いく波風か吹上の松
 ありし日雨いたくふりぬれば 心の中におもひつゞける
    今は世に聞えずとてもましまさは
           雨をも風に吹上の神
 ねんじ侍りしにほとなく雨はれたり かへりかてに宮ゐをたづね侍れと 里の人 
 もさだかにしらねば よそながらはいして過ぬるもいとほいなし 和歌山にやと 
 りて明ぬれば 
十五日 粉川寺に心さして出つ
    夾路長松十里程  紀川如帯練光清
    可山相隔行將尽  曲座遙連虎伏城
 粉川寺の観音は 霊験ある御佛にて素意法師にも みちの洞の月を詠めよとしめ 
 し給ひけり 別堂なる僧にはおやのなかれにすまぬとぞ しれとさとりし給ひ  
 めしひたる子のおやには みるめはさらにをしからぬかなと つけさせ給へるな 
 ど 世々の勅撰にも見えたれば ことさらにたふとくをよみて
    思ふそのこ川と聞は御佛の
           ふかき恵みを猶たのまなん
 弘法大師作阿字の佛体を拝み奉り 阿字を句の上におきて
    仰ぎてもあふがざらめや阿字ときく
           有かたけなるあとをのこして
 志の山をこえて貝塚につく
    わけ過し紀路の山々あとに見て
           あすは難波のかたにかへらぬ      信 章
 あくれば十七日 ふるさとにかへるべきを人々もいふめり 雨ふりぬれぞ その 
 よそひしつゝ出たつ 堺のみなとに故郷の人々きて けふのかへりをまつといひ 
 けるに
    故郷のたよりを聞は住の江の岸に
           生そふまつのことかは         信 章
 はやう住よしちかくなりて 雨をもやみければ
    たのみおくねかひもみつの山なれば     
           かへるを神や住よしの松
 住よしにまうでゝ
    かへり来るけふをまつにも住の江や
           馴し心は神もしるらん         延 樹
 かくてむかひの人もまたおほく聞え つれぞともによろこひをいひて 住よしの 
 濱より舟にのりて くれちかきほとにおのくやとりにかへる
 志ほれこし山分衣それさへも
            なれし難波のうらなくやみん      信 章
     みくまのゝ浦のみるめはありなから
            もらすのみこそかきあつめけれ

    

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 この熊野紀行は昭和十四年九月 大阪府立図書館所蔵の侍寫本を借りてうつした 
 ものである それには筆者の姓名も旅行した時の年号も書いていない 何だか物 
 足りない氣がしたので いろ/\調べて見たところ 同館の図書目録には川井立 
 齊紀とある故 「大阪府人物誌」などをかりて見たがない 只河井立牧といふ歌 
 人の事蹟を簡単に載せてあった 或はその縁故のものでないかと 帰里後「大日 
 本人名辞書」を披いてみたら果して
   河井立牧 歌人なり難波の人有賀長伯に学びて和歌を善くす 家集あり桂山 
   集といふ 明和三年七月廿日没す 年五十九 男立齋 又歌をよくす
 とあったので 河井立牧の子といふ事が明かとなった
 これで大体いつ頃の人といふ見當がついたので 更に一歩をすゝめて熊野旅行の 
 年代をせんさくしてみた そして本文本宮社参拝の記事中に「御社は二十餘り九 
 年のまへに焼失して今はかり宮にて云々」とあるのに手がゝりを得て調べてゆく 
 と 紀伊續風土記には「明和年中又々火災ありて社殿雜舎一宇も残さず焼亡云々」
 とし 小野芳彦翁著熊野史の熊野年譜には「明和三年十二月十八日本宮社殿炎上」
 とあるので本宮社の焼失は 立齋の父立牧の没した年にあたる事も判った それ 
 から廿九年後といへば 寛政七年(皇紀二千四百五十五年)の事となるから 河 
 井立齋の熊野旅行は大体今から百四十余年前とみて間違ないであらう
    本文殊にそのはじめの方に讀下しにくい点あるが すべて原文に從ひてたゞ誤字
    と氣付いたものは改めておいた

    昭和十四年十一月                宇 井 龍 水 記           
    昭和十四年十一月宇井氏より借りて写す
                            芝 口 常 楠
本紀行熊野詣は寛政十年三月なる箏 同行者林信章の熊野詣紀行によりて明かと 
なる旨 宇井縫蔵しより通知あり
    昭和十五年五月五日               芝 口 常 楠

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『熊野紀行』について
宇井・芝口両氏の後書き通り 寛政十年三月に林信章氏と川井立齋氏が同伴の熊  
野詣の記録なり。林信章氏はその時の記録を『熊野詣紀行』と題し絵入りで町並  
・宿・名所・旧蹟等詳しく記録しているのに対し この本は歌を中心にしたもの  
である。又『熊野詣紀行』を最初に写本した影馴帝氏の後書きでは 川井立齋の  
ことを川井不関子先生の熊野詣へ同伴の林信章とあり 川井氏が林氏の歌の師匠  
らしく感じらる。
 家の蔵書は父が手写したものでなく 芝口先生の手写したもので行書と草書の中 
間ぐらいの書体である。和歌山県立図書館にも芝口先生の写本があると云う。先  
生は何部も写本して謹呈したのだろうか。
    平成十七(二〇〇五)年七月二日
                               清 水 章 博 

熊野関係古籍     熊野古道