熊野関係の古籍    熊野古道

 い ほ  
平安時代の中期で年代不明。熊野の紀行文としては一番古く「いほぬし」という僧が、十月十日に京都を発し、中辺路、本宮を経て伊勢路をとおり帰京している。 この『いほぬし』の作者は増基法師とされ、庵主、いほぬしの意味で増基法師自信のこととされている。

この記載は清水章博氏がワープロ化したものをHPで見えるように改変したものである。もし原文を希望するときは本人<simiaki@axel.ocn.ne.jp>に直接mailして下さい。
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   い ほ ぬ し              

いつばかりのことにかありけん。世をのがれて、こころのまヽにあらむとおもひて、世のなかにきヽときく所々、おかしきをたづねて心をやり、かつはたうときところ/\おがみたてまつり、我身のつみもほろぼさむとある人有けん。いほぬしとぞいひける。神無月の十日ばかり熊野へまうでけるに、人々もろともになどいふもの有けれど、我心ににたるもなかりければ、たヾ忍びてとうしひとりしてぞまうでける。京より出るひやはたにまうでてとまりぬ。 その夜月面白うて、松の梢に風すずしくて、むしの聲もしのびやかに、鹿の音ははるかにきこゆ。つねのすみかならぬ心地も、よのふけ行にあはれなり。げにかかれば、神もすみ給ふなめりと思ひて。
  こヽにしもわきて出ける石清水神の心をくみて知はや
それより二日といふ日の夕ぐれにすみよしにまうでつきぬ。みればはるかなる海にていとおもしろし。南には江ながれて、水鳥の様々なるあそぶ。あまの家にやあらん。あし垣のやのいとちいさきともあり。秋の名残夕ぐれのそらのけしきもたヾならずいとあはれなり。みやしろには庭も見えず、色々さまざまなるもみぢちりて冬ごもりたり。経などよみ聲して人しれずかくおもふ。
  ときかけつ衣の玉は住のえの神さひにける松の梢に
かくてやしろ/\にさぶらひていのり申やう。この世はいくばくにもあらず。水のあは草の露よりもはかなし。さきの世のつみをほろぼして、行末のぼだいをとらんとおもひ侍る心ふかうて、世をいとふこと。おもひをこらずあらんによりてなり。ねがはくはわれ、春は花を見、秋はもみぢを見るとも、にほひにふれ色にめでつる心なく、朝の露夕の月をみるとも、せけんのはかなきことををしへ給へ。
  世中をいとひ捨てんのちはたヽ住のえにある松とたのまむ
いづみなる信太のもりにてあるやう有べし。
我思ふことのしけさに比ふれば信太の杜の千えはものかは
きの國の吹上のはまにとまれる月いとおもしろし。此濱は天人常にくだりてあそぶといひ伝へたる所なり。げにそもいとおもしろし。今宵のそらも心ぼそうあはれなり。夜のふけゆくまヽに、かものうはげの霜うちはらふ風も空さびしうて、たづはるかにて友をよぶ聲もさらにいふべきかたもなう哀なり。それならぬさま/\の鳥ども、あまた州崎にむらがれてなくも、心なき身にもあれなることかぎりなし。
  をとめこか天の羽衣ひきつれてむへもふけ井の浦におる覧
月の海のおもにやどれるを、浪のしきりにあらふを見て、
  月に浪かヽるおり又ありきやとふけゐの浦の蜑にとはヽや
浪いとあはれなるよしを、また
  浪にもあれかヽるよの又有はこそ昔をしれる海も答へぬ
ふき上の濱にとまれる、夜ふかくそこをたつに、なみのたかう見ゆれば
あまのとを吹上の濱に立浪はよるさへみゆる物にこそ有ける。
ししのせ山にねたる夜、しかの鳴をききて。
うかれけむ妻のゆかりにせの山の名を尋ねてや鹿もなく覧
いはしろの野にねたる夜、あるようにあるべし。
石代のもり尋てといはせはやいくよか松はむすびはしめし
ちかの 濱 にこいしひろふとて。
  うつ浪にまかせてをみん我拾ふはまヽの数に人もまさらし
みなへの濱にしりたる人のみやまより皈るにあひぬ。同じうはもろともにまて給へかしといへば、かへる人、忍びて申給ふこともこそあれといへば、いぬほし、なにごとにかあらむ、ものうたがひはつみうなりとて、ひろひたる貝を手まさぐりになげやりたれば、ものあらがひぞまさるなる、かうなあらがひ給ひそとて、かうなのからをなげをこせたり。また浪にもうかびて うちよせらるヽを、かれ見給へ入ぬるいそのといへば、かへる人、こふる日はと心ありがほにいへば、いぬほし、くまのおのづからといへば、浦のはまゆふといらなるに、いぬほし、かさねてだになしとこそいへばかへる人、中々にとて
  もしほ草浪はうつむとうつめともいや現れに現れぬかり
いほぬし返し、
  みくまのヽ浦にきよする濡衣のなき名をすヽく程と知なむ。
などいひてたちぬ。さらば京にてといへば、いぬほし、おさふる袖のといらふれば、あなゆゆしや、俊瀬の山になどいひてたちぬ。その夜むろのみなとにとまりぬ。きのもとに柞のもみぢして、いほつくりて入ふしぬるに、夜のふくるまヽに時雨いそがしうふるに、
  いとヽしくなけかしきよを神無月旅の空にもふる時雨哉
御山につくほどに、木のもとごとに手向の神おほかれば、水のみにとまる夜。
  萬代の神てふかみにたむけしつ思ひと思ふことはなりなん
それより三日といふ日御山につきぬ。ここかしこめぐりて見れば、あむじちども二三百ばかりをのがおもひ/\にしたるさまもいとおかし。したしうしりたる人のもとにいきたれば、みのをこしにふすまのやうにひきかけて、ほだくひといふものを枕にして、まろねにねたり。やヽといへば、おどろきて、とくいり給へといひていれつ、おほんあるじせんとて、ごいしけのおほきさなるるいものかしらをとり出てやかす。これぞいものはヽといへば、さはちのあまさやあらんといへば、人の子にこそくはせめといひて、けいめいすれば、さてかねうてば御堂へまいりぬ。かしらをひきつヽて、みのうちきつヽ、こヽかしこにかずしらずまうであつまりて、れいしはてヽまかり出るに、あるはそ上の御まへにとヾまるものあり、らい堂のなかのはし・のもとに、みのうちきつヽ忍びやかに引いれつヽあるもあり。ぬかづきだらによむもあり。さま/\にきヽにくくあらはにそと聞もあり。かくてさぶらうほどに、霜月の御はかうになりぬ。そのありさまつねならずあはれにたふとし。はかうはてヽのあしたに、あるひとかういひをこせたり。
  をろかなる心の暗にまとひつヽ浮世にめくる我身つらしふ
いほぬしもこの事をまごころにたう心を佛のごとしとおもふ。
  白妙の月また出ててらさなむかさなる山の遠にいるとも
また年ごろ家につくせることをくひて、
  玉のをもむすぶ心のうらもなく打とけてのみ過しけるかな
さてさぶらふほどに、霜月廿日のほどのあすまかでなむとて、をとなし川のつらにあそべば、人しばしさぶらひ給へかし。神もゆるし聞え給はじなどいふほどに、かしらしろきからすありて、
 後拾
山からすかしらも白く成にけり我かへるへき時やきぬ覧
さて人のむろにいきたれば、ひのきを人のたくか、はしりはためくをとりて侍れば、むろのあるじ。この山はほだくひけんありて、はた/\とぞ申すといへば、たきごゑならむといひてたちぬ。さてみふねじまといふ所にて、
  そこのをに誰さほさしてみふね嶋神の泊りにことよさせけむ
たヾの山のたきのもとにて、
  何たかくは早くよりきし瀧の糸に世々の契りを結ひつる哉
この山のありさま、人にいふべきにあらず、あはれにたふとし。かへるとて、そこにかひひろふとて袖のぬれければ、
  藤衣なきさによするうつせ貝ひらふたもとはかつそ濡ける
この濱の人、はなのいはやのもとまでつきぬ。見ればやがて岩屋の山なる中をうがちて経をこめ奉りたるなりけり。これはみろくぼとけの出給はんよにとり出たてまつらんとする経なり。天人つねにくだりてくやうし奉るといふ。げに見奉れば、この世ににたる所にもあらず。そとばのこけにうづもれたるなどあり、かたはらにゆうじのいはやといふあり、たヾ松のかぎりある山也。その中にいとこきもみぢどもあり、むげに神の山と見ゆ。
  法こめてたつの朝をまつ程は秋の名こりそ久しかりける
夕日に色まさりていみじうおかし。
  心あるありまの浦のうら風はわきて木の葉も残すありけり
天人おりてくやうし奉るを思ひて、
  天津人いはほをなつる袂にや法のちりをはうちはらふ覧
四十九段のいはやのもとにいたる夜、雨のいみじうふり、風わりなくふけば、
  うら風に我こけ衣ほしわひて身にふりつもる夜半の雪かな
たてが崎といふ所あり、かものたヽかひしたる所とて、たてをついたるやうなるいはほども  あり。
  打浪に満くる汐のたたかふをたてが崎とはいふにぞ有ける
伊勢の国にてしほのひたる程に、見わたりといふはまをすぎむとて、夜なかにおきてくるに、道も見えねば、松ばらの中にとまりね。さて夜のあけにければ、
  よをこめていそきつれとも松の根に枕をしてもあかしつる哉
あふ坂ごえしてやすむほどに、雨ふちふりなどす。ものヽ心ぼそければ、なちの山にとまりなましものを、いづちとていそぎつらんなどおもふほどに、きあひたる人、いかで関はこえさせ給ひつるなどいふにつけてかうおぼゆ。
  雨とみる身のうきからにあふ坂の関もあへぬは泪なりけり
とてたちぬ。つヽみのもとにて、京極の院のついぢくづれ、むまうしいりたち。女どもなどかさをきて、こむくうちありくをみるに、ことのおはせし時思ひあはせられて、なを世中かなしやなどおもふ。
けにそ世は鴨の川浪たちまちに渕も瀬になる物には有けり
など、見ることの木草につけていはれける。かもに葉月ばかり、すヾむしのいみじうなき侍りしかば、
  聞からにすこさそまさるはるかなる人を忍ふる宿の鈴虫
おぎおほかる家にて、風のふき侍に、よのはかなきことなど思たまへられて、
  いかにせむ風にみたるる荻の葉の末はの露に異ならぬみを
  秋ののに鹿のしからむ荻の葉のすへはの露の有かたのよや
おなじ月の十日ごろに月いつるまで侍りしに、たヾ入にいり侍りしかばこれを思ふよう侍り  て、
  さもあらはあれ月いてヽさも入ぬればみるへき人のある都かは
おなし頃ころ、つれづれにねらで侍りしに月のいで侍ければ、
  新古
天原はるかにひとりなかむれば袂に月のいてにけるかな
そのころのことにや侍けん、いつとも侍らねども、
  つれなくて をさふる袖のくれなゐに まはゆき迄に成にける哉
かものふだ経にあひ侍しに、しかのなき侍しかば、
  鹿の音にいとヽわりなさまさりけり山里に社秋はすませめ
すずか山に、
  をとにきく神の心をとるくとすヽかの山をならしつる哉
かはのまヽにかんだちにまかりしに、かはなみのいみじうたちしかば、
  ゆりなくも心一つをくたくかな よをへて岸にたつなみはたヽ
つのくになるてらにまかりけるに、神びのほどにしかのなきければ、
  我ならぬ神なひ山のまさきへてつのまく鹿もねこそ鳴けれ
よのこヽろうきこころひとつに思わびて、
  君たにもみやこなりせば思ふ事まつかたらひて慰めてまし
十月かもにこもりて、あかつきかたに、
  みつかきにふる初雪を白妙のゆふしてかくと思ひけるかな
二三日侍てきぶねのもとの宮に侍しに、むらぎえたる雪ののこりて侍しかば、うちとけぬことや思いでけん、
  白雪のふるかひもなき我身こそきえつヽ思へ人はとはぬを
もみぢのえもいはず見え侍りしかば、みくらし侍りて、夜になしていで侍とて、
  紅葉はの色のあかさにめをつけてくらまの山に夜たとる哉
ある人のはつ雪のふり侍しつととめて、きくにさしていひて侍し、
  ませの中にうつろう菊のけさいかに初雪といはぬ君を恨みん
かへし、
  初雪のふるにも身こそ哀れなれとふへき菊のそのしなければ
あけぼのにながめたちて侍しに、きりのいみじうみるまヽにたちわたりて、そらに見ゆらんとまことにいひ侍ぬべかりしかば、
  からにしき染る山には立田姫きりのまくをそ引まはしたる
かたらふそうのまうでこで、かはもにさして、
ここにとてくるをは神もいさめしを御手洗川の川藻なりとも
かへし、
  みな人のくるにならひて御手洗のかはも尋ねすせにける哉
みたらし川のつらに侍しに、もみぢのかたへはきくにあをばなみはへしを、人々みたまへてかへり侍てみえず侍しに、ちり侍しかば、
  御手洗のもみちの色は川のせに浅きも深くなりはてにれり
京よりまうできたりける人の侍らざりけるほどにまうできて。かういひをきてまかりにける。しものみやしろなりしほどに。
  みたらしのかさりならては色のみえつヽかヽらましやは
とてまかりにければ、こと人をかくなんといひていざなひて、はし殿にもろともに侍しに、日のくれ侍しかば、
  ひとの落る御手洗川の紅葉はをよにいるまても折てみる哉
夜ねられ侍ぬまヽにきヽ侍れば、まことに夜中うちすぐるほどに、ちどりのなき侍しかば、
  暁やちかくなるらんもろともにかならすもなく川千鳥かな
神のおまへによゐあかつきとさぶらひて佛の御事をいのり申に
  いひいつれば涙さし出る人の上を神もあはれや思すくらし
しものをきて侍しつとめて もみぢはいかにと人のいひて侍しに、
  をく霜のあさなす程やあらはあらん今一目たにみぬはもみち葉
紅葉のちりはてがたに風のいたうふき侍しかば、
   後拾
おちつもる庭をたにとてみるものをうたて山風の吹はらふ覧
十月一日かんしに人々うたよみしに、
  もみちはのこのもヽしにみもわかす心をのみも廻らかす哉
つきを、
  山のはを出かてにする有明の月は光ぞほのかなりける
しぐれを、
  ことそとて思ふともなき衣手に時雨のいたく降にけるかな
あるそうのみやしろに一夜さぶらひてまかでけるに、しものみやしろにまうでて侍しほどに、かくかきてすだれにさしはさみてまかりける、
  たひのいもねて心みつ草枕霜のおきつるあかつきそうき
返いひにつかはしヽ
  さてをしれしもの社もよをへてはおきつヽかよふ我衣手を
神に申侍し、よにはべるかひ侍らぬをこころにかなふなどおぼえ侍しかば、ながれむのみの名も、しらでやははべりなましなどおもひ給へられ侍しかば、身をやなげてましとおぼえ侍て、
  ひたなるに頼むかひなき浮身をは神もいかにか思なりけん
まかりいでしに、きぶねに、
  うきことのつひにたえすは神にさへ恨を残す身とや成なん、
かたをかのすぎにむすびつけし、
  片岡のいかきのすきししるしあらば夕暮毎にかけて忍はん
いひちきる事ありける人に、
  契をきし大和なでしこ忘るなよ みぬまに露の玉きえぬとも
こまかなる文を尋えてうれしき事の侍に、
  うきこともきみかかたまつみつるより露残さすそ思捨つる
のぼらん事、はるかに人ののたまへるに、くらうなるほど、しとみおろす人のなどかさてはといふに、おもふたまへし、
  思やるかたしなければつれ/\と
よろづに思ひやりきこゆるに、しだりをのとのみ思ひしられ侍、みによろづしられ侍て、
  かくしあらば冬のさむしろ打拂ふよはの衣手今やぬるらん
風にはかにおこり侍て、宮しろよりまかりいで侍て、
  かつらきのくめの岩橋しるまてはと思ふ命の絶ぬへきかな
きくやうある人に、
  した紐は結びをきけん人ならでまた打とけん事やものうき
返し
  濡衣につけヽん紐はきなからも結ひもしらすときも習はす
すのりとりにとて、人々あまたまうできて、かりたてヽゐてまうできたるに、これをと思ふ人や侍けん、よ半のけしきぞいとあはれに侍や、
  すのりとるぬまかは水におり立て取にもまつそ袖は濡ける
さきさぎ見る人のねごろになりて、うとうもてなして侍に、月のあはれなりし夜、
  ほのかにもほのみしものを遙かにも雲かくれ行空の月かな
これはとをたあふみの日記

三月十日、あづまへまかるに、つヽみてあひみぬ人をおもふ、
  都いつるけふ計りたにはつかにも逢みて人に別れにしかは
あはたでらにて、京をかへり見て、
  都のみかへりみられしあつま路に駒の心にまかせてそゆく
人のとうくだりねといひしをせきいづるほどに思いでて、
  うかりける身は東路の関守も思かほしてとヽめさりけり
をかだのはらといふ所をめぐるに、
うきなのみおひ出る物を雲雀あかる岡田の原をみすてヽそ行
かヾみ山のみねに雲ののぼるを、
  鏡山いるとてみつるわか身にはうきより外の事なかりけり
あかつきにきじのなくを、
  すみなれののへにおのれは妻とねて旅ゆくかほに鳴雉子哉
はるかにひえの山をみて、あすよりはかくれぬべしと思て、
  けふ計りかすまさらなんあかて行都の山をあれとたにみん
むかしこむりてをこない侍し山里の火にやけて、ありしにもあらずなりて、あむすしかつイちのまへにありしやまぶきの草のなかにまじりて所々あるを、
  あたなりとみる/\植し山吹の花の色しもくたらさりけり
また、
  やまぶきのしるしはかりもなかりせはいつこを住し里としらまし
そこよりくだるに日くれぬ、かたらひしひじりのある所にまかりたれば、その人はしにけり、もろともにはじめ侍しに、ふけかうをこなふとて、人々あまた侍れど、みもしらぬ人なり、ひとをよびいだしていふ、
  われをとふ人こそなけれ昔みし都の月はおもひいつらん
又こと人々のさるべきもなくなりにけりときヽて、
  なそもかくみとみし人消にしをかひなき身しも何留り劔
すのまたのわたりにてあめにあひて、そのよやがてそこにとまりて侍に、こまどもあまたみゆ、
澤にすむこまほしからぬ道にいてヽ日暮し袖を濡しつる哉
あはりなる みのうらにて、
  かひなきは猶人知れずあふことの遙かなるみのうらみなりけり
ふた子山にて、つヾぢのはる/\咲て侍に、
  からくにのにしなりとてもくらへみむ二村山の錦にはにし
そのよこふにとまる、このをりしのをかに人々とまりて、きたなどいふべきにあらず、かしは木のしたにまくひきてやどり侍て、人しれずおもふことおほう侍に、暁がたに、
  ねらるやとふしみつれとも草枕 有明の月も西にみえけり
しかすがのわたりにて、わたしもりのいみじうねぬれたるに、
  旅人のとしも見えねとしかすかにみなれてみゆる渡守哉
みやぢ山の藤のはなを、
  紫のくもとみつるはみや地山 名高き藤のさける也けり
たかし山にてすへつきつくるところときヽて、
  たつならぬ 高師の山のすへつくり物思ひをそやくとすと聞
はまなのはしのもとにて、
人しれすはまなの橋のうちわたし歎そ渡るいくよなきよを
はしのこぼれたるを、
  中絶て渡しもはてぬ物ゆへになにヽはまなの橋をみせけん
まかりつきてのち雨のふり侍にければかくおぼえ侍、
  誰に言むひまなき此のなかめかる物思ふ人の宿りからかと
ほとヽぎすのこゑをきヽて、
  此此はねてのみそまつ時雨しはし都のものかたりせよ
はこ鳥のふくをきヽ侍て、
  故郷のことつてかとてはこの鳥のなくをうれしと思ひける哉
ぬなはのながきを人のもてまうできたるをみて、
  我ならはいけといひても浮ぬなは遙にくるはまつ留てまし
夜ぶかくほとヽぎすをきヽて、
  身をつめは哀れとそきく時雨鳥よをへていかヽおもへはかなし
五月五日、あめのふり侍に、
  世のなかのうきのみさまるなかめには菖蒲のね社先流れけれ
たちばなの木に郭公のなき侍に
  郭公はたちはなのかはりになくはむかしや恋しかるらん
山里よりむめをもてまうできたるをみて、
  都にはしつえの梅も散はてヽたヾ香ばかりの露やおくらん
ほとヽぎすのなくを、
  我はかりわりなく物や思ふらん夜ひるもなくほとヽきす哉
六月七日、またつとめて、
  夏山のこのしたかけに置露のあるかなきかのうき世なりれり
よもすがら月をながむる暁に、
  つれつれと慰まねともよもすからみらるヽものは大空の月
つごもりにねられず侍まヽに、夜ふくるまて侍て、
  そらはると闇のよる/\眺むれは哀に物そ見え渡りける
おなじ月の六日、つゆのほたるにかヽりて侍りければ、
  恋わひてなくさめにする玉つさにいとヽもまさる我涙かな
七日のつとめて、かはらへ人のいざと申に、
  たなはたのあまの羽衣すきたらはかくてや我を人の思はん
おなじ日、うらやまれぬなど思ひ侍て、
  七夕をもとかしとみし我身しもはてはあひみぬ例とそなる
又。
  逢ふことをけふとたのめて侍たにいかはかりかはあるな七夕
ある僧のもとよりをみなへしををこせて
  白露のをくに咲けるをみなへしよ半にやいりて君をみる覧
おとこのこと所よりかよふ人のもとより、つくろう人侍らねば、まことやうになんとて、うりををこせて侍に、
  秋ことにたヽみるよりはうりふ山我そのにやはなり試みぬ
あかつきにむしのなくを、
  きヽしかなわかこと秋のよもすからねられぬ儘に虫も鳴也
あるそうののぼり侍らんこととひて侍しに、
  君はおもふ宮古はこひし人しれすふたみちかけて歎此哉
きくをいとおほううえて侍に、のぼり侍なんとむすびつけ侍し、
  みつきなは ふる郷もこそ忘らるれこの花さかぬまつ皈り南
をちヽうる こどものはヽの、ことおとこにつきてはべれば、いみじうなげくよしをきヽ侍て、のみ
  その原の梢をみれば箒木のうきを ほのきく袖もぬれけり
かひのすけといふもののごをいみじうこのみ侍しにつかはす時、しかのなき侍しに、
  よりこをそしかも誠に思ひけるかひよ/\とこと草にして
京よりねんごろなる人々の御ふみなどもあるに、なくなり給にし人おはせましかばと、みればおぼえ侍て、
  今一人そえてやみましたまつさを昔の人のあるよなりせ
きくにむすびつけしふみをある人のみたまひて、九日、
  みつきなく留れとまて迄は思はねどけふはすくといふ花に社みれ
返し
眞心によはひしとまる物ならばちヽの秋迄すきもしなまし
なをいでヽ十一日 はまなのはしのもとにとまり侍て 月のいとおもしろきを見侍て、
  うつしもて心静にみるへきをうたても浪のうち騒くかな
夜ふけてしかのなくに、
  たかしやま松の木すゑに吹風のみにしむ時そ鹿もなきける
うつろひする所にいはひのこヽろを、
  君が代はなるをの浦になみたてる松の千歳そ数にあつめん
このまへになるをのはまといふ所の侍り、さてそのまつは見え侍しなりとぞ、



     あ と が き

  松原吉原の田端憲之助氏があるとき、御坊圖書館で、『続群書類從』をあちこち漫読してゐるうち、『いほぬし』一巻が目についた。書中吹井の浜や岩代・千賀の浦などでて来るので、この話を私に聞かした。以来一度是非見たいものと考へたが、『群類書類從』の何巻に収録されてゐるか不明のため歳月がすぎた。今年十月和田喜久男氏を訪ね雑談の末、談たま/\『いほぬし』に及び、和田氏から右は第十八輯、日記・記行部に収められてゐることを教へられ、和田氏所藏の『続群書類從』を借り、即ち寫しとりたる次第である。

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     活字化を終えて

  ワープロで活字化を進める中で、ページ数が多く・読みづらい物をよりも、ちょっと骨休み出来る簡単な物をと考へ、『いほぬし』を活字化した。あとがきをよみ過去に既に活字化されいるのと、本郡関係記事はたった一頁ばかりなので、大いにガッカリした。
         平成十六(二〇〇四)年五月二十八日
                          清 水 章 博
熊野関係の古籍     熊野古道