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昭和9年夏 雌伏十年宿敵郡山を破って紀和の王座を占めた海南チーム(海南中学)
長谷川投手は対神戸一中戦でノーヒット・ノーランの記録を作る。

第22回(昭和25年)選抜高等学校野球大会
この大会屈指の好試合となり、延長戦で高知商高に無念の敗退となった。

第30回(昭和33年)選抜高等学校野球大会
二回戦で高知商高をしりぞけ、ベスト4入りをめざして熊本工業高
と戦うも3対2と惜敗した。

第40回(昭和33年)全国高等学校野球選手権大会
記念大会出場の47校参加中、前評判の高かった本校は、予想どおり
準々決勝戦まで勝ち上がり、柳井高校とベスト4入りをかけて戦うも、4対3で
惜敗した。柳井高校はこの大会で優勝した。

第32回(昭和35年)選抜高等学校野球大会
この大会は、大会屈指の投手を擁しての参加であったが、二回戦
で法政一高に1対0と無念の敗退であった。

第35回(昭和38年)選抜高等学校野球大会
九州屈指の投手を打ち崩し、二回戦に進出した下関商高と対戦した。
そのときの相手投手はプロでも活躍した池永投手であった。

第36回(昭和39年)選抜高等学校野球大会
優勝候補として甲子園に出場した本校は、一回戦で北海高を大差で
破ったが、二回戦は尾道商高に惜敗した。この大会の優勝投手は、
プロゴルファーとして名をあげているジャンボ尾崎(徳島海南高)である。

第46回(昭和39年)全国高等学校野球選手権大会
一回戦は好投手を擁する修徳高と対戦したが、打力の本校が打ち
崩した。ベスト8をかけて長崎海星高と対戦するも8強入りはできなかった。
この時の相手投手はロッテで活躍した成田投手であった。