■太地の漁業
太地は古式捕鯨発祥の地として名高く、当地の豪族、和田家一族の忠兵衛頼元が尾張師崎(知多半島の突端)の漁師・伝次と泉州堺の浪人伊右衛門とともに捕鯨技術の研究を進め、慶長11年(1606年)太地浦を基地として、大々的に突捕り法による捕鯨を始めました。
その後、延宝3年(1675年)和田頼治(のちの太地角右エ門)が網取り法を考案したことによって太地の捕鯨は飛躍的に発展しました。
紀州藩の保護もあって、「捕鯨の本場太地」は天下にその名をとどろかせ、熊野灘の捕鯨は最盛期を迎えました。
しかし、明治に入って西洋式捕鯨法が導入され、鯨の回遊も減少するにつれ太地捕鯨は次第に衰退の途を歩みはじめましたが、「くじらの町」としての在り方はその後も変わらず、古式捕鯨の伝統を受け継ぎながら近海での小型捕鯨が続けられています。
また、南氷洋捕鯨のキャッチャーボートの乗組員として、町から参加する者も多く、優秀な砲手を多数輩出しました。
近年、国際捕鯨の規制により、太地の捕鯨も厳しい状況を迎えましたが、今までの歴史・伝統を観光面に生かしながら新しい「くじらの町」として発展しています。
太地の小型捕鯨
小型捕鯨業は、本来ミンククジラを捕るのが主流でしたが、IWCの捕獲制限により捕獲が禁止され、現在は主に、IWC管理対象外の小型鯨類であるツチクジラ、ゴンドウクジラなどを捕っています。南氷洋、北氷洋はもちろん、日本近海でも増え続けているミンククジラの1日も早い再開を願うものです。
この他、小型船による小型鯨類の伝統的な追い込み漁(湾内の入り江にクジラを追い込み、仕切網で囲い捕獲する。)も行っています。

クジラの町としての観光とクジラ浜公園
●クジラの博物館
世界一のスケールを誇る太地くじらの博物館は、鯨の生態や捕鯨に関する資料など、およそ1,000点に及ぶ貴重なものが展示されていて、我が国捕鯨発祥の地として昔から現代に至る約400年の歴史を目の当たりに興味深く紐解いて頂けます。また、敷地内には、自然の入り江を利用して「自然プール」と「ショープール」で、イルカやクジラ、アシカ、ラッコなどを飼育展示しています。
自然プールは外洋と繋がっているため、海水の流入出があり、波もあり、クジラやイルカはこの中で泳いでおり、お客様はいつでも自由に彼らの行動を観察することができます。

この他、ラッコ館には、この地域に馴染みの深いものではありませんが、地域の人たちにとって、普段観る機会のない動物であることから、クジラと同様に海に棲む哺乳類として展示されており、その奥にある海洋水族館は、雄大な黒潮が育む熊野灘の生き物とその生活ぶりを、水量630トンの水中トンネル大水槽で自然に近い姿で観察できます。

●捕鯨船資料館
南氷洋での捕鯨や近海での捕鯨が盛んだった頃、雄大な南極海で大活躍した捕鯨船「第11京丸」を展示し、捕鯨を正しく知って頂こうと、館内には資料なども展示されています。
捕鯨船(キャッチャーボート)第十一京丸は、昭和三十一年四月に、極洋捕鯨株式会社が大阪造船所で建造し、昭和五十二年六月まで、大型鯨を追い、南氷洋、北氷洋で活躍、国際捕鯨オリンピックで優勝したこともある輝かしい歴史を持つ捕鯨船です。
昭和五十二年IWCによる厳しい捕獲制限により、やむなく廃船、解体されるところを、当時の水産庁運輸省等の関係機関のご協力で、クジラの町太地町が譲り受け、昭和五十三年五月二十一日に揚陸展示したものです。

全長:63.5m 幅:9.5m 総トン数:696.27トン 速力:16ノット
乗員:25名 3,500馬力ディーゼルエンジン搭載
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