『万葉集』は一般的に奈良時代、8世紀ごろに成立したものと考えられています。この時代は、遣唐使が盛んに派遣され、大陸の文化の影響を非常に強く受けた時代として知られています。とくに宮廷ではその傾向が強かったことでしょう。今では「花」といえば「桜」を指すことになりますが、『万葉集』で「花」といえば桜よりも「梅の花」のほうが多いくらいです。
はるのぬに なくやうぐひす なつけむと わがへのそのに うめがはなさく
〔春の野に鶯が鳴いている。その鶯を引きつけようと私の家の庭に梅の花が咲くことだ。〕
わがやどの うめのしづえに あそびつつ うぐひすなくも ちらまくをしみ
〔私の家の梅の下枝で、遊んでいながら鶯はないてもいることだよ。(梅が)散るのを惜しんで。〕
平安時代に入っても、はじめのおよそ100年(ほぼ9世紀ごろ)はまだ大陸へのあこがれが強かったようです。10世紀の初めに成立した『古今和歌集』では、「桜」のうたのほうが多くなりますが、ただし必ずと言っていいほど「桜花」あるいは「花桜」などと表現され、単に「花」といえば季節の花々の総称として、とくにやはり梅のイメージも強かったようです。
春の初めに詠める 藤原言直
春やとき花やおそきと聞き分かむ鶯だにも鳴かずあるかな
〔(暦の上では春になったが、まだ花は咲かないぞ。)春の来たのが早いのか、(梅の)花の咲くのが遅いのか、声を聞いて判断したいその鶯さえもまだ鳴かないことだ。〕
雪の降りけるを見てよめる 紀友則
雪ふれば木ごとに花ぞさきにけるいづれを梅とわきてをらまし
〔雪が降るのでどの木にも花が咲いたことだなぁ。どれを梅だと見分けて手折ればよいのだろうか。〕
(「木ごと」を「木毎」と書けばこれも「梅」になるという遊び心も詠み込まれています)
鎌倉時代のはじめ、13世紀ごろの『新古今和歌集』になると、ようやく「花は桜」という感覚がすっかり定着しているようですが、その後も、梅は「春を告げる花」として、和歌の題材としてずっと好まれ続けます。
梅花遠ク薫ルといへる心をよみ侍ける 源俊頼朝臣
心あらばとはましものを梅が香にたが里よりかにほひ来つらん
〔もしも心があるのなら(梅の香りに)尋ねてみたいものだ。いったいおまえは誰のいる里から香ってきたのであろうかねと。〕
如月まで梅の花さき侍らざりける年、よみ侍ける 中務
しるらめや霞の空をながめつゝ花もにほはぬ春をなげくと
〔(梅よ、おまえは)知っているのだろうか。(すっかり春めいて)霞が立っている空に見入りながら花もまだ匂ってこない春を嘆いているのだと。〕
以上、有職文化研究所のホームページより。
有職文化研究所では、この他にも梅にちなんだ様ざまな話や写真をご覧になれます。