主治医からのお悔やみ状 迫正廣 (大阪市立総合医療センター・小児内科)
もう二十年以上も昔の古い話である。
S君は小学校一年生、急性骨髄性白血病(AML)の末期であった。再発の後、抗がん剤に不応性になっていた。AMLは急性リンパ性白血病と比べて成績も悪く、化学療法で約20〜30%がやっと治るかというくらいの時代であり、まだ骨髄移植
も一般化していなかった。それ故に化学療法をできるだけ強力にして白血病細胞をたたいて、たたきまくって直そうという時代に入りつつあった。(ちなみに、現在では小児のAMLは60%くらい化学療法で治癒するようになった。)
藁にもすがる思いの母親は、そのころ日本で最も過激(?)な化学療法を押し進めていたK大学のA先生に子どもの窮状を訴える手紙を書いたらしい。らしいというのは母親にA先生からの返事の手紙を読ませてもらったからである。
その手紙には、現時点のAML治療・成績の現状とS君にはもうよい方法がないことが書き綴られており、最後に「みなさまの心の平安をお祈りします」と結ばれていた。 S君はしばらくして亡くなったが、それから七年後、家族が本日七回忌が終わりましたといって、病院に寄付金をもって訪ねてきてくれた。一人の兄はお坊さんになり、家族は人に喜んでもらえる仕事が順調で、導いてくれたS君に感謝してい
るとのことであった。
A先生の手紙がS君の死後の家族の幸福にどれだけ寄与したのかわからないが、私は手紙のもつ力とセカンドオピニオンの重要性を認識させられ、ひそかにA先生を尊敬するようになっていた。いつの日だったか、学会の帰りに一緒になったとき、当の先生にそのことを話したが、「そんなこともあったかなぁ」と、返事を書いたことも忘れていたようだった。
しかし、本人は忘れていても、私の中ではあの「心の平安をお祈りします」というしめくくりのことばが印象深く残っていた。
私ががんの子どもの死を見送って、お悔やみの手紙を書くようになったのは、そのときからだったかは定かに覚えていない。ただ、「心の平安」を使い出したのは、それ以降のことである。特に死と対面することの多いがんを扱う医者のつとめは、患者が死んでそれで終わりというものではない。 残された家族への精神的支援が最後のつとめとして、残っている。
私は小児がんの診療に二十五年あまり、携わってきた。家族にとって、特に子どもを亡くすという逆縁は人生最大の不幸の一つである。子どもを亡くした家族は精神的に孤立しており、サポートのない家族では悲しみが長期化するという。子どもを亡くすことの悲嘆を乗りこえられなかった場合、不幸を一人で背負いこんで、外へも出られない母親もあるようである。(1)
子どもを亡くした親のグループがある。それによると、ちょっとした主治医のことばで家族は気が楽になるのだという。そして、そういう心遣いがほしいという。
私がお悔やみ状を書くのは当直の夜、一人静かになる時に、そして亡くなってから一週間頃が多かった。葬式等で何かと忙しい時期から放たれて、心が空虚になりがちになる時期だからである。精神的に孤立している時、誰かが自分のことを心にかけてくれていると知ることは嬉しいものである。一般的に人は何かとつながっていることの安心を求めている。それが神であるという人もいるであろう。
ちなみにこの頃の若い人は携帯電話であろうか。
現在、用件を伝える役目は電話に譲ったが、手紙は心を伝える機能を電話や話し言葉より強くもっている。
お悔やみも、話し言葉では一回きりだが、手紙は何回でも読み返すことができる。家族がたった一枚の葉書で心がとけ、悲しみから解放されるなら、こんな安上がりの医療はないであろう。個人ひいては社会の幸福や医療経済上の理由からも、医師の責務として死の臨床医学教育の中で大いに勧めるべきことではないだろうか。
私はお悔やみ状を主治医が書く弔辞だと思っている。
入院期間中、ベッドサイドで子どもの闘病につき合い、その子どもにとって人生のうちで死という最もドラマチックな場面に傍観者ではなく、最も関係のある人間として、立ち会ったという立場である。ひょっとすると、親よりもある部分ではもっと濃厚な人間関係をもったかもしれない。親よりもある部分はもっとよく知っているかもし
れないのである。
だから弔辞を述べるのは主治医が最も適していて、その役目があるのではないだろうか。お悔やみ状を書いた家族から「子どものお参りに来ていただいた人に先生の葉書を読んでもらっています」と感謝されたことがある。お参りに来てくれた人には、その葉書で主治医から見た子どもの人となりや、いかに家族ともども病気と立派に闘ったか等、親が話すよりもよく伝えられたのであろう。
お悔やみの手紙を書くことは、ただ単に家族の幸せを思ってのことのように思えるが、本当は医師自身にも効用があるのではないだろうか。悲しみの中で不満が
医療者に向けられることはよく聞く話である。私は人に恨まれながら生きることなどとても耐えられそうもない。
お悔やみ状もそのことから逃れたい一心であるが、せっかくの手紙もいいわけの内容であったり、生前中のつき合い方が十分でなければお悔やみの言葉に実体が伴わず、慰めどころかかえって反感を抱かれるであろう。
だから手紙を書けるということ自体、自分も主治医として十分にやってあげられたという、もう一人の自分から免罪符をもらうような意味があるのである。
したがって、お悔やみ状は長いつきあいの延長にあるものであり、エネルギーの詰まった代謝産物でもある。
それが蒸留酒のしたたりのような文章になったら理想的であるが、小説家の才能など医者にはめったに賦与されていないものである。
私は大学の医学教育で、残された家族にお悔やみの手紙を書くことなど教えられた覚えがないし、先輩に教えてもらったこともない。そして、手紙は医者として個人的・自発的なものであると思っていたし、それ故に人にいうこともなければ、研修医に教育として勧めたこともない。
しかし、十九世紀のアメリカではお悔やみ状を書くことは医者の重要な責務として受け止められていたそうである。現在ではそういうことはすたれてしまったようであるが、最近の医学雑誌で医療技術の進歩の中にあって、医療の中の人間性を維持するためにも、復活すべき価値のあるものとして提言がなされている。(2)
一般的に書かない理由として、私もそうであったが、どのようにお悔やみを書いたらいいのか分からないし、教えられてもいないということが挙げられるであろう。
日本ではお悔やみをいうにも「どうもこのたびはご愁傷さまで・・・」と、あとはムニャムニャと口ごもるような言葉が、そのような時のあいさつの常である。
英語は "May God be with you ."とか、" Please accept my deepest
condolence. "とか、簡単ですぐ使える書き言葉が豊かであるが、日本人は以心伝心の文化にあぐらをかいて、お悔やみの書き言葉を発達させてこなかったのではないだろうか。
A先生の「心の平安」を借りるようになってから私は書くのが楽になったが、普通は、お悔やみの書き言葉の訓練や教育など、どこでもやっていないのである。まして手紙の習慣がなくなりつつある時代では、もっと難しいことかもしれない。
梅棹忠夫氏は外国の手紙は日付、宛名、本文、署名と型通りに並んでいるが、日本人は手紙には形式があることも意識していないし、そのことを習ってもいない。形式が否定されると各人の責任においていきいきした名文を書かねばならなくなり、そのためには心情を吐露しなければならなくなる。これでは普通の人が書かなくなったのは当たり前であろうと述べている。(3)
確かに、お悔やみの手紙は自発的でしかもあふれる個人的な思いが入った方がいいに決まっているが、医師の責務として書くことを勧める場合、書き慣れない若い人にはマニュアルというか主治医からのお悔やみ例文集みたいなものがあったらいいかもしれない(実際探せばすでにあるのかもしれないが、私はそのようなものをみたことがない)。
あるいは手紙に慣れていない人は、簡単なカードに添えて遺族に読んでもらえるような本を贈るのもいいのではないかと思う。自分を責めることしかできない親に、よく子どもも親もがんばったねと声をかけてあげられるような本を。
そうしたらもっと気楽にお悔やみを伝えられるようになるのではないだろうか。最近、子どもを亡くした親のグループが、自らの体験から必要に迫られて、そのような本を出版している。(4)
このようなことを書きながら、この頃私はお悔やみの手紙を書くことが少なくなったなと自問自責している。臨床以外の忙しさが増したとか、担当を若い人に任せて、ベッドサイドで患児と接する時間が少なくなってきたからとか、若い人の書くという最後の仕事を私が奪ってもいけないとか、いろいろ理由は挙げられるだろうが、思うに、書くということにはエネルギーがいると同時にみずみずしい若気が必要なのであろう。
青臭さを薄めてくれる水分の干からびをうすうす感じながら、自分のpediatric oncologist としての現役もそろそろ終わりかなという、何か予感のような想いがするこの頃である。
(参考文献)
(1)才木クレイグヒル滋子「闘いの軌跡」川島書店 1999年
(2)Bedell SE, et al The Doctor's Letter of Condolence.
N Engl J Med 344 : 1162, 2001.
(3)清水勝 : 「手紙のことば」 河出書房新社、1988年
(4)佐藤律子 川島泰子 :「よもぎリーフT 大切なあなたへ」
自費出版 2002年6月
ーーーーー日本医事新報 NO4072(2002年5月)より
★迫先生のご厚意により転載させていただいています。