「天使1027」
私はもう駄目だ。
私はもう、駄目なのだ。 誰が何と言おうと、もう駄目なのである。
何がどう駄目かを具体的に説明するのも嫌である。
それでも知りたいと言う腐れ野次馬の為に簡素に述べさせてもらう。
早い話がリストラされて女房に逃げられ子供は家を出て生きてんだか死んでんだか知らないが、とにかくそう云った事情であり、他にも口にするのも憚られる事態が休むことなく私を襲ったのである。 神様が今年不幸にする人間を選ぶ際、大人数選ぶのが面倒で「まとめてこいつ」みたいになったんじゃないかと疑わざるを得ないこの事態に、私の繊細な神経は耐えられない訳である。もう耐えれんです。
そして耐えられない事から逃げるのは生物としては至極自然の事なのだから仕方あるまい。 こうして私は人生から逃避する事にしたのである。平たく言うと自らを絶つのである。 人気の全くない山中深く、太陽はさんさんと空を青く染めていると言うのに、私の目前はいたく暗い。当然である。
自殺などと云った儀式は淡々と進めるべきだと思う。手際良くテキパキと済ませてさようならさようなら、これがベストであろう。下手に感傷に浸ったりするからミジメになるのだ。私は蚊を潰すほどの感情すら持たずに淡々と己を殺してみせようではないか。恐いものなど何も無い。足が震えているのは武者震いである。もしくは規模の極狭い地震が足元直下に来ているのである間違いない。
首吊り用の結び方など知らぬので、漫画で読んだカウボーイの投げ輪風に結んだ縄は目前にぶらさがっている。首にセット完了である。後はこの踏み台を軽く飛び降りれば、ニュートンのバカタレが発見した重力のせいで私は死んでしまうというのか!?馬鹿、それが目的だろう慌てるな。
そうしていよいよもって私が旅立とうとしたまさにその時。 背後から私を呼び止める声がしたのである。
振り向いてみるとそこには一人の少女がいたのである。
「…呼んだ?」
「呼びました。ちょっとよろしいですか」
「あんまりよろしい状況じゃないが…何?」
簡素な白い服を身にまとった少女は、良く見るとその背に大きな白い翼を持っている。天使だ。自殺しようとしたその時、天使が舞い降りてきたのだ。全くふざけている。
「え?なに?キミはあれか…天使か」
「天使ですごらんのとおり。それよりもあなたは今、自殺しようとしてましたよね?」
「まあ…そうだな」
「やめてください。自殺なんて」
突然現れた天使が私の自殺を制しているのだ。まるでおとぎ話である。
「…なんで」
「とにかく自殺なんてやめてください。考え直してみてはどうですか」
「考え直す?」
「はい。死なずにすむように、ちょっと考え方を変えてみるんです」
「考え方を変える…どう考えればいいんだ?」
「さあ…それは自分で考えてくださいよ」
「お前ふざけんなよ」
首にかけていた縄を外し、踏み台を降りて天使に近付くことにした。
「なんなんだお前は?」
「だから天使ですってば。ほら羽はえてるでしょ?」
「その天使が何しにきた?」
「自殺を止めに来たんですよ。自殺なんてやめてください」
「なんで?」
「自殺されると困るからです」
「だれが?」
「私がです」
「なんで?」
「それが私の仕事だからです。自殺しようとする人を止めるのが仕事なんです」
「ほおーお…」
天使の周りをぐるぐると回りながら、品定めでもするかのような視線を送ってやる。
「あんまり細かいとこまで見ないで下さい…」
「なんでだ」
「普段使ってる羽用シャンプー切れてて、昨日はちょっと安いやつ使ってるんです」
「シャンプーはどうでもいい!それよりも何だ?なんでオレが死ぬのを止めるのが仕事なんだ」
「なんでって言われてもそういう仕事に配属しちゃったんだからしょうがないじゃないですか。私だって別に好きでついた仕事じゃないんです」
「お前やる気ないだろ」
「最近自殺多いから、今年から自殺防止課ができたんですよ。たまたま今年入ったからって私まわされちゃったんです。総務課希望だったのに」
「聞いてねえよ!いらんわお前の情報なんぞ!」
「だからあなたの自殺を止められなかったら私こまるんですよー。だから自殺なんてやめましょう」
「物凄く適当に言ってるだろ…投げやりな仕事しやがって。仕事は仕事できちっとやれ!大体天使って仕事なのか?」
「仕事ですよそりゃ。だからあなたが死んじゃったら神様に怒られるしボーナスだって減るんですよ」
「給料もらってんの!?」
「貰ってますよそりゃあ。天使だって霞食べて生きてる訳じゃないんですから」
「いや、霞食って生きてそうなイメージだったんだが…夢壊しすぎだお前」
「そんなの知りませんもん。それよりほら自殺なんて苦しいだけで良い事ないですよ?やめときましょう?」
「だから適当にやめろやめろで納得できる訳ないだろうが」
「じゃあどうやったら納得してくれるんですか」
「お前な…ちょっと座れ」
天使の横に腰をかける。天使もつられて地面に腰を下ろした。
「お前天使なんだろ?」
「天使ですってば。ほら頭の上に輪っかだって浮かんでるでしょ?」
「お前これ『ナショナル』って書いてあるぞ。蛍光灯か?」
「うそ!?うわっ」
突然あわてふためき、懐から手鏡を取り出して輪っかを見る天使。
「うわーホントだ!昨日泊まりにきた友達がイタズラしたんですよ!」
「ロクな友達持ってねえな。油性マジックっぽいししばらく取れないぞ」
「うわー最悪…」
天使は首をがっくりと落とし、しばらく動かなくなってしまった。
「いやいやオレを差し置いて落ち込むな!自殺とめに来たんだろ?」
「なんかもう…もういいですよ」
「よかないだろ!輪っかパルックにされたぐらいでオレの命あきらめんな!」
「いやいやもう…なんか私最近ついてないし…思ったよりお給料も少ないですし…」
「お前オレがリストラで自殺って背景知ってて言ってんじゃないだろうな?」
「ああもう転職しようかなぁ」
「転職できるのかよ。つーか天使ってそんな割に合わん仕事か?」
「そりゃあ知らない人は『親方神さまで安心だねー』なんて言いますけどね…嫌味ばっか言って来るんですよあの人。なんか目つきもイヤらしいし…絶対変なこと考えてますよ」
「お前神さまセクハラ扱いしたらバチ当たるぞ」
「福の神様のとこで働いたらボーナスなんか3はあるって噂ですよ」
「知らんよ!要らんよそんな天界の就職情報は!」
「はあ…なんか嫌になってきたなー」
「お前なあ…その仕事始めてどんくらいだよ」
「え?こないだ始めたばっかりで…あなたが最初です」
「あのな、仕事なんて最低三年はやらんと自分に合ってるかどうかすら判らんもんなんだよ。ったく最近の若いのはちょっと嫌になるとすぐ転職転職だ。もっと骨埋めますって気概で働け」
「うわーそういう考え方古いですよ。古過ぎです。そんな事してたら会社の為に〜なんて働きづくしで無理して、家族はないがしろで家庭崩壊、最終的にリストラなんかされちゃったりして、今までの人生なんだったんだーって自殺するのがオチ…あ」
「…うん…そうね。いいオチがついたね」
「いやっすいません…忘れてました」
「忘れんな!お前オレにとどめ刺しに来たのか!?いいかお前はオレの自殺を止めにきたんだろ!?」
「はい…まあそうですね」
「で、あれか。やっぱり天使だから、人を幸せにしたりする能力があったりするのか?」
「そんなのあったら私が幸せになりますよ」
「ないのかよ…え?じゃあ天使ってどうやって自殺止めるもんなんだ?」
「説得」
「地味だなオイ…」
「だからやっぱり私まだ最初ですし、そういうののノウハウもないもんですから良く判んないし…まあ、やっぱり最初はみんな失敗するもんだからあんまり深く考えずやろうかなーって思ってはいたんですけどね」
「そこは深く考えろ!お前は失敗で済むけどオレは死ぬだろそれ!」
「だって死にに来たんでしょ?今更そんなこと言われても…」
「感じ悪いなお前…むかついて来てちょっと死ぬ気なくしたぞ」
「え?じゃあ自殺しないんですかっ?」
「調子に乗るな。そんな笑顔は嬉しくないぞ。じゃあ、まあ、あれだ…お前もまだ最初で何も判らんだろうし、仕方ないからオレが一肌脱いでやろう」
「え?一肌って何するんです?」
「だからオレで練習しろって言ってんだ。心打つ説得の仕方を覚えろよ。オレだってどうせ自殺やめるんなら気分良くやめたいだろうが」
「練習ですかー…」
「で、ホントに何の能力もないのか?」
「そりゃ空くらいは飛べますけど…自殺やめさせる能力ですよね?特に何も…その人に関する資料は本部が渡してくれますけど」
「なんだそれ…?オレについての情報があるって事か?なんで自殺なんて考えたか〜ってのが判るわけか」
「そうです」
「お前それ判ってたらだいぶ有利だろう。その原因のひとつひとつを慰めるなりして行けばいいんだよ。よしちょっとやってみろ」
「えー…じゃあやりますけど、ホントに私初心者ですから怒らないで下さいよ?」
「多分これ以上は怒らんから大丈夫だ」
「じゃあ…えーっと」
天使は体の向きを変え、ちょこんと正座をしたかと思うときっちりと私に対面した。 私もそれにつれ姿勢を正す。
「おてあらいさん」
「御手洗だミタラシ!いきなり名前間違えんな!」
「ほら怒ったぁ…」
すぐに俯いて涙ぐむ天使。
「あーわかったわかった悪かった。読みにくいよな?泣くなや」
「怒ってるもん」
「もう怒ってないから。なんで慰めてんだかオレの方が泣きたいわ。いいから続けろほら」
「えーっと…みたらしさん。人生、色々と辛いことだってあるかもしれません」
「ああ」
「例えばあなたがお気に入りだった新人OLの由美子さん。あなたが彼女を食事に誘った時」
「待て。お前なに言う気だ?なに知ってんだよ」
「いやいや違いますから。聞いて下さい」
「ああ…」
「あなたは思い切って彼女を食事に誘ったわけです。まあ『キモイ』って断られたわけですが」
「お前ふざけんなやっぱ知ってんじゃねえか!死にたくなるわ!」
「怒ったぁ…」
「あーもう!わかった聞くから続けろ!そこからどう続けるんだ?」
「うー…キモがられた訳ですが、そういう事も長い人生には度々あるのです」
「で?」
「だから死ぬのはやめましょう。そんなのは普通のことです」
「全っ然自殺やめる気にならんぞそれ。そんなんが度々あったら絶対死にたくなるからな」
「やっぱり…才能ないんですね私」
「悪いが無いな」
「はぁ…やめようかな仕事」
「天使やめてどうするんだ」
「どうって、やめたらそりゃあ」
「いいか?才能は確かにないかもしれん。だがそりゃ今の話だ。大器晩成って言葉もある。お前がそのうち才覚を現して、絶望に打ちひしがれた奴を片っ端から救っていくかもしれん可能性を誰が否定できる?」
「はぁ…」
またぞろ首を落としたまま、聞いているのかいないのか、天使はただじっとしていた。
「それにな。人の悩みに対して、大した共感持てないってのも悪い事じゃないんだぞ」
「え?どういう事ですか?」
「どんなに深刻な悩みでも他人から見りゃ大した事ないもんだ。誰だって悩んでる。自分だけが特別じゃあない。むしろ死にたくなる程の悩みなんてあって当たり前なんだよ。当たり前の事を当たり前だと思えないから辛いんだ」
「当たり前の事…ですか」
「そうだ。お前はオレが最初なんだろ?才能なんて見えなくて当たり前だ。仕事に満足しきれないのも当たり前。つまり誰だってそうだって事だ。隣の芝は青い、と言うより、自分の芝が黒いと思ってるだけだ。自分だけが不幸な境遇じゃないかってな」
「そう…なんですかね」
「ああそうだ」
「というかそれ…そのままあなたに言ってあげれば良かったですよね」
「あ?」
「当たり前の事です。他人だけじゃない。でしょ?」
「ああ…ああまあ、そうだな…うん」
「だから自殺なんてやめましょう」
「オレのパクっただけだろそれ」
「でも良く考えてくださいよ。私だってさっき良く考えたんです。今のあなたを助ける一番の言葉はなんだろうって。でも今あなたが言った言葉が一番な気がするんです」
「ふーむ…」
どうもこの天使を見ていて気付いたのだが、昔の私に似ている気がするのだ。ちょっとした不幸ですぐ落ち込み、やる気をなくすその態度。それが駄目だとがむしゃらに頑張ってきた私であったはずなのに、ここに来て結局同じ事をしているのだ。私がこの天使を叱っている図は、まるで頑張っていた頃の私が今の私を叱っているかのようだった。
「そうだなぁ…」
「じゃ自殺やめますよね?」
「まあ、もうそんな気分じゃないからな」
「良かったー」
天使が胸を撫で下ろす。私のもとへ降りて来てから、初めて笑顔を見た気がする。
「じゃあ私もう帰りますね」
「もう帰るのか」
「実はここに来るの嫌でちょっとサボってたんです。もう時間だから…」
「お前それ手遅れになってたらどうしてくれるんだ!」
「まあまあ、もう助かったからいいじゃないですか」
「調子の良い奴だ」
そう言って私は立ち上がった。足元直下の地震は既に終わっているようだった。天使もゆっくりと腰をあげ、同時に翼が広がった。
「お、そういや名前聞いてなかったな。お前名前は?」
「1027番です」
「は?なんだその番号みたいなの」
「これが名前ですよ。1027番目の天使ですから」
「いやいや、生まれ持った名前があるだろう」
「ないですよ。天使になる為に神さまに作られたんですから。生まれてすぐに天使です。こないだ生まれたばっかりですよ」
「はあ…お前そんなんで良く天使やめるとか言えたな。やめたらどうなるんだ」
「そりゃあ天使になる為に作られたんですから。やめたら存在価値なくなりますよ。そうなったらどうなるのか判んないですけど…もしかしたら何もさせてもらえずに自殺するしかなかったりして」
「天使が自殺か、縁起でもないぞ」
「まあ、もしそうなって私が自殺しようとしたら、今度はみたらしさんが助けに来てくれますよね」
「もういい帰れ」
「冷たい…」
「いいから」
天使はおもむろに翼をはためかせると宙にふわりと浮いた。
「でも、あなたで良かった気がします」
「あ?」
「最初の人があなたで」
「やる気が出たか」
「やる気は出ませんけど」
「出ないのかよ」
「でもまあもうちょっと、やってみようかなって思いました」
「まあ…オレもなんか昔を思い出したし、来たのがお前で良かったのかもな」
「お互いほどほどにやってみましょうよ」
「ああ…そうだな」
気が付くと日は地面に落ちかけ、辺りは橙色に染まりかけていた。天使はゆっくり空を飛び、私の少し上で夕陽に重なった。
「嫌な上司のもとでもほどほどにやってみますよ。だからみたらしさんも。不幸な自分に思えてもほどほどにやりましょう。当たり前に!」
「つーか上司って神さまの事か?そんなに嫌なのか…」
「ひどい人ですよ。今年度最初、幸せとか不幸が訪れる人を何万人か決めるんですけど、不幸な人決める時にもう面倒だからって『まとめてこいつ』って一人の人に」
「それオレだろぅおおい!!思ったとおりかよ!!」
「それじゃあ帰りますね。また機会があったら会いましょう…自殺する時以外で!」
「いや待てコラ!ちょっとそいつに会わせろ言いたい事がある!!」
「さようなら!」
そうして天使は夕陽の向こうに消えていったのだ。辺りには再び静寂が訪れ、それなのに私の目前はそれほど暗くはない気がした。私の心には、神に2,3発食らわしたいのは別として、何となくやっていけそうな多少楽な気分が芽生えていた。あの天使が何の役に立ったのかは知らない。天使と言えるようなシロモノではなかった。それでも何となく、決して悪いものではなかったのだと云うぼやけたものだけは残っていた。
日が暮れる前に帰ろう。
ふと目の前に落ちていた羽が一枚。
それを手に取り、ぼんやりと家路に着いたのだった。